書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

狩野直喜 『中国哲学史』 「第六編 清の学術と思想 第二章 漢学の予備時代 第一節 顧炎武」 から

2010年11月24日 | 抜き書き
 2010年11月23日「『新たな日中摩擦 鉄道技術“盗用”の中国が各国に売り込み攻勢(1/2ページ)』 を読んで」より続き。とりあえず、同趣旨のエピソードを見つけた。

 炎武は或る人に書を与へて云ふ、今の人が簒輯する書は、正に今の人が銭を鋳るが如きものである。古人が銭を鋳るときは、銅を山より采つて用ひたのであるが、今の人は旧銭を買つて廃銅と称し、改鋳するだけのことである。〔中略〕しかし自分がこの書〔『日知録』のこと〕を著はすには、早夜誦読し反復尋究して、一歳の間僅かに十余条に過ぎない。しかしながら、此れは山から采り来つた銅たること間違ひなし、と。 (本書514頁。原文旧漢字)

(岩波書店 1963年12月第1刷 1967年7月第7刷)