してみると欧陽脩は道義という次元の高い目標をたてて、これに勢揃いすることを要求しているようである。儒教は古くからこの理念を持ちつづけてきたが、事実は支配者個人が道義の象徴であり、これに合わないときは退避する以外牽制の道をもたなかった。しかし官僚が組織化されてくるとその力で支配者そのものも制約が果たせるので、主権をうわまわる目標を自信をもって主張できたし、政策や主義が党人を中心に具現できることにもなったのである。 (「9 欧陽脩」本書101頁。下線は引用者)
(吉川弘文館 1966年6月)
(吉川弘文館 1966年6月)