風(百目鬼恭三郎) 『風の書評』、「菊地昌典・山本満『北京・新疆紀行』」 から 2018年06月09日 | 抜き書き 菊地は、いつも、中国の支配体制からあてがわれる材料を分析してものをいっているだけだから、体制が入れ替われば、支給される材料も逆様になって、逆の答えしか出せなくなるということなのだろう。ありていにいえば、この秀才すら、常に中国の支配者の手玉にとられて、その御用をつとめる学者でしかないわけである。 (本書102頁) 材料を自分で選択甄別できれば秀才ではあるまい。 (ダイヤモンド社 1980年11月) #本(レビュー感想) « たしかに芸術作品の場合は・・・ | トップ | 松田奈緒子『重版出来』とい... »