「潜伏キリシタンは何を信じていたのか(著:宮崎賢太郎)を読みました」『UchiyamaTakayuki’s blog』
私も該書を読んだ。同ブログの筆者氏も最初のほうで似たことを仰っているが、私もよくわからないところがあった。だがブログ筆者氏のそれは一種のレトリックで、後半でいわばその種明かしをされるのだけれど、私のほうは、宮崎氏の解釈(潜伏キリシタンの心中に関わるそれを含めて)に、やはりよく呑み込めないものを感じる。“何を”ではなく、“なぜ”に関して。
私も該書を読んだ。同ブログの筆者氏も最初のほうで似たことを仰っているが、私もよくわからないところがあった。だがブログ筆者氏のそれは一種のレトリックで、後半でいわばその種明かしをされるのだけれど、私のほうは、宮崎氏の解釈(潜伏キリシタンの心中に関わるそれを含めて)に、やはりよく呑み込めないものを感じる。“何を”ではなく、“なぜ”に関して。