書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

英露双方の翻訳をなさった大先輩によるロシア語戯曲の翻訳を、・・・

2018年10月07日 | 人文科学
 英露双方の翻訳をなさった大先輩によるロシア語戯曲の翻訳を、恥ずかしながら初めて拝読した。英語訳からの重訳のような日本語訳の感じがした。上演された舞台の印象もここには重なって、この言葉遣いではおかしいという違和感が拭えない。とりわけ冒頭――「諸君、ここへおいでを願ったのは、きわめて不愉快なことをお知らせするためです。検察官がくるのです」。
 ゴーゴリは、「検察官が乗り物でこちらへ向かっている」と書いた。ロシア語では徒歩で「くる」のと乗り物に乗って「くる」のとでは言葉(動詞)そのものが違う。英語や日本語ではどちらも「来る・come」でOKだが、ロシア語ではこの区別を重視し、意識して、言語化する。この“ズレ”が最初から違和感を持たせる。
 そしてこれは帝政ロシア時代のとある地方都市が物語の舞台だが、そこの市長がこのような上品で知的な喋り方をするだろうかという違和感もある。