書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

谷沢永一『日本史の裏事情に精通する本』(PHP研究所 2009年2月)から

2018年06月11日 | 抜き書き
 地獄の門を思わせる苛酷な業績審査の死命を決するのは、学問の何たるかに関心のない窓口の小役人である。論文だけが研究だと思いこんでいるから、注釈読解辞書の編纂は、印税稼ぎ名義貸しの学参に等しいと心得ている。それゆえ、前田勇の生涯を賭けた大著『近世上方語辞典』(昭和三十九年)に学問的価値を認めず、論文のない者に大学院を担当する資格なしと却下した。 (84頁)

 翻訳もここに入るだろう。翻訳を学問的業績に数えない研究者がいるが、そういう人は実は小役人なのかもしれない。

 ここに批判されている各種の注釈書類が、古今集を正味のところ全く読解できていないのは明白である。それらの無理解と鈍感と怠惰は、小松英雄が明細に指摘する通りであろう。ところで我は学者でございと世に昂然と闊歩している人たちの多くは、本気で学問に身を挺するのではなく、いかにも学者らしい格好をして、大きな面をさらしておりたい渡世人なのである。その人たちがみみっちい合従連衡を画策し、見栄えのする出版物を利権として分け取り、お体裁だけの業績を、省エネに徹しながら捏造しているにすぎない。 (96頁) 

 ここで谷沢大人の痛罵される対象の衆と、私が大人の指さされるを聞いて連想する相手の群とで、互いに重なるところはまああるまい。