書籍之海 漂流記

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M・W・スティール 「行動の『型』 西郷隆盛と明治維新」

2013年09月05日 | 日本史
 源了圓編『型と日本文化』(創文社 1992年6月第1刷1994年6月第2刷)183-210頁。

 「政治、経済、社会、そして知的な営みの分野で生ずる広範な行動体系を説明するもの」という「型」の定義(「一 序・歴史認識の道具としての型」183頁)。「武士階級に属するものには、彼らに望まれる一定の振る舞い方があったのである」(同)。

 新井白石の父が、そのよい例である。『折りたく柴の木』が描くところによれば、彼は武士の見本ともいうべき人物であった。白石の父は自分自身で行動の型を作り上げたのではない。そうではなく、彼はただ現に彼の目の前にある範型に、意識的にせよ無意識的にせよ、従ったまでである。 (同、183-184頁)

 この他にも、町人の「型」、農民の「型」、革命家の「型」、反乱者の「型」、道徳的指導者の「型」、殉教者の「型」等々、さまざまな「型」があげられよう。 (同、184頁)

 そういった、「大部分の文化で見られる」「型」(もしくは「厳密に定められた伝統手順」もしくは「ルート・パラダイム」もしくは「伝説祖型」「神話」)に、「意識的にせよ、無意識的にせよ」従った例の一つとして、著者は西郷隆盛を取り上げる。著者によれば、西郷は、「自己自身の合理的な関心に基づいて行動するというよりも、心の奥底でその人を規定しているルート・パラダイムに導かれて行動し」「社会劇 (social drama) のうちで、各々が決まられた役割を演じきった」のである。(以上この段落は184-185頁より要約)
 著者によれば、西郷は、明治維新後においては「意識的に自らを中国や日本の伝統的な「型」にあてはめて自らを形作り、神話的大きさを持つ英雄に自身を重ね合わそうとした」のであり、(「二 事例研究 西郷隆盛」193頁)征韓論で破れたあとは、秦檜に破れた岳飛、また南北朝の建武の中興で孤忠を全うした楠木正成に、自らを擬えた。そしてその擬えた範型通りに、非業の死を遂げたという。

 中国のそれであれ日本のそれであれ、これら〔岳飛、屈原、楠木正成〕の英雄伝説が組み合わされた形で、西郷の「行動の型」は構成されているのである。屈原のように西郷は「野に下り」、田園生活の良さを賛美する詩を書いた。そして両者の詩はいずれも実のところ都の政府高官の道徳的退廃と腐敗への非難の表明であった。岳飛のように西郷は、既成の権威を徹底的に非難することがとりもなおさず国家への奉仕であると考え、生涯を政治的忠誠の実現に捧げた。また西郷はとりわけ楠正成に畏敬の念を感じており、自作の漢詩に何度も取り上げている。彼は楠公の奮闘の結末を知っており、明治維新も同じく間違った方向に進んで行くのではないかと危惧した。楠の忠誠が、足利尊氏に敗れた後、反逆と呼ばれたように、西郷は苦難の行く末に待ちかまえている自分の死を予期していたのである。 (「三 結論」204頁)