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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

漢語における「理由」と「原因」という語についての考察(3)

2012年11月15日 | 思考の断片
 それにしても『辞海』(1979年度版)に「原因」が収録されておらず、この語を含んだ「原因和結果」、すなわち causality (因果関係)という西洋伝来の哲学用語の項しか立てられていないのは何故だろうか。
 やはり因果律というのは漢語では外来の観念なのであろうか。既出『辞海』の「原因和結果」項にも、「また因果関係とも言う」と書いてある。ところが今度はこの「因果」という語が単独では同じ『辞海』に収録されていない。因果とはこれも元来仏教用語であるが(『諸橋大漢和』)、同じ仏教用語で意味も同様の「因縁」という語が漢語にはあるが、こちらは入っている。
 但し、両方を収録する『諸橋大漢和』によれば、「因果」の例は『華厳経』(東晋・唐)『涅槃経』(東晋~劉宋)、また史書で『北史』『南史』(唐)と、4-5世紀が上限なのに対し、「因縁」は『史記』と紀元前2世紀に遡る。もっとも本来の意味はやや異なり、「きっかけ」「つて」「よりどころ」等である。
 仏教には詳しくないのでここで博雅の士の教えを乞いたいのだが、「因果」は、仏教の中国伝来後に仏典翻訳に当たってあらたに造語された言葉なのだろうか? また「因明」(仏教論理学、サンスクリット:हेतुविद्या hetu-vidyaa の訳語)の成立と関係はあるのだろうか? (続)