書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

中野好夫『蘆花徳富健次郎』を読む。

2018年09月18日 | 思考の断片
 中野好夫『蘆花徳富健次郎』を読む。蘆花の一生と行蔵については私にも自分なりに粗々ながら予め知るところがあり、その上でこの作品を繙くとは、私のその既知の知識の再確認もしくはさらなる詳細を知るということになるわけだが、了えて、「この作品を読む意味はそれだけか」という気がした。
 ここにあるのは、筆者の主観で濾過され(蘆花の地口ではない)その価値判断によって裏打ちされた事実を、恰も客観的なもののように、ときにそれが生の事実であるかのように供される違和感である。ただこの点については、私個人の文章感覚や、評伝というジャンルにたいするとらえ方にもよるだろう。さらには、現在における評伝というもののあり方が、中野大人の時代とはもしかしたら変わってきていることもあるかもしれない。