書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「NHKに露骨に圧力をかける自民党右派議員たち、中国共産党を真似たのか?w」 から

2009年05月03日 | 抜き書き
▲「むじな@台湾よろず批評ブログ」2009-05-02 22:06:07。 (部分)
 〈http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/de256d788afc00b80d3bcbc53991baf1

 それは、公共放送には、選挙民主主義ではオミットされがちな少数者などの立場を公共性の原則から掬いとるという義務があるからであり、そういう意味では、NHKのその番組が自民党右派から嫌われたということは、NHKがむしろBBCなどの公共放送の常道に立っていることを証明するものといえる。 (太字は引用者)

 現在自民党政権しかも町村派が主流の右派政権なのだから、彼らから嫌われるような視点を提供することは、日本全体としてはバランスをとることになる。それこそが公共性という意味であって、バランスを考えないで「公共放送として許されるべきものではない」という主張は、体制を牛耳る右派の傲慢だ。
 右派が少数側の北欧なら、右派の主張を取り上げることを公共性という。

 なるほど、公共放送が反体制である理由は制度的なものか。彼らは社会のバランサーとして、政府の施策を批判しなればならないということか。たとえそれが「小さな物語」にすぎなくても。

 →▲「池田信夫 blog」2008-11-24、「『意味づけ』の病」 (部分)
 〈http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a95ecf70c70c69888be3d34b551df7da

 1990年代から、このような「物語」づくりが顕著になったのは、おそらく偶然ではない。かつては資本主義と社会主義という大きな物語があり、各メディアは自社の方針に沿って主張すればよかったが、社会主義が崩壊してから「革新勢力」の依拠した物語が失われてしまった。そこで彼らは「格差社会」とか「コンピュータによる人間疎外」とかいう小さな物語をつむいで、反体制のポーズを守ろうとしているのである。