書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

板倉聖宣 『原子論の歴史 (下)』 から

2009年05月09日 | 抜き書き
 もしもいま何か大異変が起こって、科学的知識が全部なくなってしまい、たった一つの文章だけしか次の時代の生物に伝えられないということになったら、最小の語数で最大の情報を与えるのはどんなことだろうか。私の考えでは、それは原子仮説(原子事実、その他、好きな名前でよんでよい)だろうと思う。すなわち、すべてのものはアトム――永久に動きまわっている小さな粒で、近い距離では互いに引き合うが、あまり近付くと互いに反撥する――からできている、というのである。これに少しの洞察と思考とを加えるならば、この文のなかに、我々の自然界に関して実に膨大な情報量が含まれていることがわかる。 (下巻最終章「原子論の最後の最後の勝利」、本書159-150頁。『ファインマン物理学 Ⅰ 力学』からの引用)

(仮説社 2004年4月)

佐藤三郎 『中国人の見た明治日本 東遊日記の研究』

2009年05月09日 | 東洋史
 明治時代の日本を訪れた中国人(外交官・知識人・留学生等)の手になる日記・旅行記・ガイドブックの紹介。
 王之春『談瀛録』の抄訳あり、内容を確認す。
 王之春を日本へ送り込んだ両江総督沈保は、琉球処分をはじめとする日本の対中強硬姿勢の背後には当時中国を東北および西北部から脅かしていたロシアの教唆があると「想像」する中国政府内の一派に属していた。

 〔明治十二年〕当時の中国は日本の国力をさほど高くは評価していず、中国として警戒すべきは、日本との戦争よりはむしろ、日本の背後にあると想像していた北隣の強国帝政ロシアで、琉球問題を契機としてロシアとの間に紛争を生ずることこそが重大であると見る考え方も強かった。 (「第4章 王之春『談瀛録』」 本書66頁)

 「江蘇・浙江・江西の三省を統括する両江総督の要職にあり、兼ねて南洋通商大臣でもあった沈保はその有力な一人であり、強国ロシアに対抗するためには、中国は日本を討つべきであり、そのためにはまず日本の実地に臨んでその軍備程度と国内情勢とを十分に探索する必要があると考え」ていたところに、自ら志願してきたのが王之春だったという(本書66-67頁、『談瀛録』彭玉麟の序文)。

 日本がロシアと密かに結び、その後押しを受けているという見方に、果たして具体的な根拠はあったのか否か。

(東方書店 2003年11月)