くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「冬物語」南木佳士(部分)

2011-04-08 16:18:51 | 文芸・エンターテイメント
道徳の副読本を読んでいたら、気になる物語が載っていました。
「ウサギ」。山奥の小学校のいたずらっ子。転校してきた優等生の女の子への鬱屈した思慕と羨望とが、彼女のランドセルに飼育していたうさぎを隠すという行動をとらせます。
彼女の鞄の中で、うさぎは死んだのではないか。家に帰って荷物とともに死骸が現れたのではないか。そう想像すると、いてもたってもいられなくなります。
でも、登校した彼女は、うさぎについて何も語らない。
そんな少年の後悔を扱う小説です。
で、どうなの、うさぎは生きてるの? 彼女はそのうさぎをどうしたのっ?
気になって気になって、この本、探しにいきました。南木佳士「冬物語」(文春文庫)。
後ろカバーの作品紹介には、こんなあらすじが。
「冬になるとウサギ釣りに熱中していた時期があった」
えっ、うさぎ釣り?!
……すみません、さすがにそんなものすごい話ではありませんてした。(正解には「ワカサギ釣り」でした。)
しかし、この悔恨がこういう展開になろうとは。
うさぎはどうなったのか尋ねることができないうちに、少女はまた転校していきます。
再会したのは予備校の教室でしたが、すっかりアンニュイになってしまった彼女に、親しい態度をとることはできません。
やがて彼の耳に届いたのは、彼女の訃報だったのでした。
「うさぎは寂しいと死んじゃうんだよ」
という台詞が、彼女の死と重ね合わされて展開しますが、うーん、これ、酒井法子ですよね。読み終えた翌朝、テレビに写っていてびっくりしました。
でも、この展開を知った上で「ウサギ」の授業ができるのでしょうか……。
とても不安です。
そんなことを考えていたら、夜中にまたもや大きな地震。地面のひびは前回を上回ります。
道徳の授業どころか、新学期がこういう状態で始まるのか。せっかく立て直しかけていたのに、生活はどうなるのか。
電気止まっています。
これから先が見えないのが不安です。
「冬物語」全体については、また読み終わってから。

「枕草子リミックス」酒井順子

2011-04-06 05:26:01 | 古典
三年生最後のテストに、「枕草子」の書き出しを出題したら、書けない生徒が結構多くて、ちょっとがっかり。「机草子」っていう答もあったし。日本人として常識ではないのかと思うのですが、そうでもないのでせうか。
酒井純子「枕草子リミックス」(新潮文庫)、やっと手に取ることができました。読んでみたくて探していたのですが、見つからないものなんですよね。
清少納言に親近感を覚えた酒井さんが、「枕」を翻訳し現代のイメージに翻案したり仮想対談をしたりして紹介してくれます。
平安人である清少納言がカタカナ語をしゃべるなど楽しみながら書いたんだろうなーと思う場面満載ですが、多少酒井さん誤解しているのではと思うことも。
まず、学校教育では「春はあけぼの」しか教えないから、「枕草子」が雅やかな作品のように受け取られているのではないかというのですが。
現在、中一の教科書には、確かにこの部分しかとられていません。十年前は、中三で履修で「うつくしきもの」がプラスされていました。
でも、普通、「枕」は中学だけで学ぶものではないでしょう。高校生のとき、わたしは「除目に司えぬ人の家」をはじめ、ものづくしも数段習いましたよ。「除目」にあぶれたのは、清原家であり一喜一憂する家人は彼女の家族がモデルと聞きました。
それから、たとえ中一でも資料を使ってほかの段を紹介するものではないかと思うのです。「虫は」「鳥は」「ありがたきもの」あたりが多いかな。
わたしの周囲では、自作「ものづくし」をさせることが一般的。「いと寒き日に家に帰りきて、風呂に浸かりたれば、天にも昇る心地ぞする」なんてーことを書いてみるのです。
すごく読むのを楽しみにしていただけに、なんだか期待外れな部分も多く、違和感がありました。
それは多分、わたしが酒井さんのセンスについていけないから、なのです。
わたしも、「枕」が女子高生の肉筆回覧誌的に発生したのだろうという説には賛成。清少納言と同時代に生きていたら気が合うだろうという着眼にも納得できます。
しかし、酒井さんが口語訳に続けて書く「現代だったらこんな感じ」の例、これがどうも楽しめないのです。そうかなあ? とずっと困惑しながら読みました。
同じように「枕」を読んでも、受け取る側の感覚が違うとそれを発信するのにも差異が生じるのかな。
でも、とあることがきっかけでこの本の見方がちょっとだけ変わったのです。
それは、高校の古典の教科書を見たこと。結構、「枕草子」の扱いが大きい。
だったら、こういう本があると、統合的・発展的に捉えことができるのでは、と考えたのでした。
それから、面堂かずきのコミック版(NHKまんがで読む古典シリーズ・集英社)を読んでみたら、酒井さんの解説とおもしろいくらいマッチしていて、納得しきり。
ついでにかかし朝浩「暴れん坊少納言」(ワニブックス)も二巻まで買ってみました。(しかし、これのどこが「ツンデレ」なのかよくわからんです。暴れん坊なのはわかるのですが)定子が途中から妙にフツーっぽくなると思うのはわたしだけ?

実は、「枕草子リミックス」を読み始めてから、今日まで結構なタイムラグがあるのです。
というのも、教室で読んでいたので、地震後は読む時間がなく。
そして、わたしは転勤。本は図書室に入れてきました。
というわけで、全部読み終わってはいません。
いつかふたたび、手にする日がくるのか。
一年生担当になれば読むかも。

「大盛りワックス虫ボトル」魚住直子

2011-04-05 20:25:16 | YA・児童書
わははは。「大盛りワックス虫ボトル」なんじゃそら。
と思って手に取ったのですが、魚住直子、さすがです。ついでに、講談社YA! は安定したシリーズだよなあと感心させていただきました。
ものすごーく目立たない江藤公平、中学二年。夏休みはひたすら寝て過ごした彼が、ある日ペットボトルの底に見つけたのは、豆みたいな頭と糸くずみたいな手足をもった謎の生物。(公平は「豆糸男」と呼んでいます)
そいつが、なんと一月の誕生日までに人を千回笑わせろと命令してきます。無視しようとしたのですが、しゃべる言葉がみんなミュージカル調になってしまい、大困惑。
弟の祥平にコント台本を書いてやって、少しカウントを伸ばしますが、千回なんてとてもとても。
そこで、自分自身が文化祭でコントをすることを考えつくのですが、相方を探すのに難航します。小学校からの同級生や、目立つことが好きなクラスメイトに声をかけてみますが、どうもうまくいかない。苦手な同級生をすすめられたり、自分はライブをするつもりだからと言われたり。
結局、同じように地味なクラスメイトの三輪、そしてナルシストらしき日比野と三人でお笑いに挑戦することになるのです。
シナリオづくりやお笑いの構成の研究、練習。この活動を通して、次第に三人の仲が深まっていく。同時に、仕方なく取り組み始めたお笑いに、だんだんと夢中になっていく様子が描かれます。
憧れの宮森さんとか、同級生の野島と平田とか、脇キャラもいい味です。とくに、意地悪そうで苦手だった平田の見方が変わる後半が、わたしは好きですね。
やる気がなく、存在感もなかった公平が、友達とともに何かをやり遂げて成長していく物語。とてもいいです。
魚住さんは「演芸少年」でも男子三人組を描いていましたが、今回もいい具合にはまっていますね。
ぜひ中学生に読んでほしい!
……でも、わたし、残念ながら今年は図書担当ではないのです。がっかり……。

「家元探偵マスノくん」笹生陽子

2011-04-04 21:17:21 | YA・児童書
笹生陽子なのに。
全然おもしろくない。
これは図書館で借りたのですが、この日二十日ぶりに書店に行って(新刊本は流通していません)、ジャケ買いした「鬼姫」というまんがも全く楽しめなかったので、わたくしの心情的なものが作用しているのかもしれません。ちとナーバスです。
「家元探偵マスノくん 県立桜花高校★ぼっち部」(ポプラ社)。
思うに、あまりに言文一致で、「ぼっち」だの「リア充」だの、今現在の一定の年齢層にしか通用しない言葉を使いすぎていることも一因ではないかと。わたしのようなおばちゃん世代には、納得できません。
高校入学のお祝いの食事をつまみ食いしたことから体調を崩し、復活したころにはもうクラスに自分の居場所を見つけることができなくなっていた倉沢チナツ。一人でサンドイッチの昼食をとっていたら、同じ学年の増野くんという少年に声をかけられ、暗号の入ったチラシをもらいます。
解読して向かった先にいたのは、自称魔剣の現身・田口と、女優志願の西園寺。さらにはネットでしか現れない「スカイプさん」なる人物も……。
マスノくんは、華道の家元にして探偵部の一人部長。ほかのメンバーも自分だけのサークルを組織していて、部員募集中?
そんな彼らのおやつ要員として加入した倉沢は、次第にその中に居場所を見つけていきます。
イケメン生徒会長の森宮くんや、BL好きのキノちゃん。盗まれたプチトマト、偽造トレカ、炎上したブログ、スカイプさんの考えた推理ゲーム、屋上からの景色、植物探偵。こんなエピソードが次々と絡み合うのはさすがなんですが、どうも最後まで乗れませんでした。
章題は有名作品タイトルのパロディになっています。「ぼくは行間が読めない」とかね。
ただ、このぼっち部のコミュニティNGワードには受けました。「一致団結」「和気あいあい」「はい、仲良し同士でペア組んで!」
このサークル、なかなか他人とはうまくやっていけない人を募集していますが、そういいながらだんだん友達の絆が深まっていくんですよね。
うーん、ついていけないのはわたし自身の心情のせいかとも思いましたが、続けて読んだ魚住直子の本はおもしろかったのですよ。
やっぱり、ちょっとわたしとは気が合わないのでしょうかね……。

「過ぎる十七の春」小野不由美

2011-04-03 21:06:25 | ミステリ・サスペンス・ホラー
図書室を整理していて、最後の最後に見つけました。こんなところにあったのねー。小野不由美「過ぎる十七の春」(講談社ホワイトハート)。
「緑の我が家」も一緒に入っていて、ご丁寧にも蔵書印まで押してある。ホッとして持ち帰り、早速読みましたとも。
直樹と典子の兄弟は、今年も従兄の隆と叔母が住む田舎の家にやってきた。直樹と隆は、ともにこの春休みのうちに十七歳の誕生日を迎えることになっている。しかし、その話題に触れるとき、母親たちの表情は暗い。
そんななかで隆の態度が豹変し、伯母に辛くあたるようになる。その様子に思い悩んだらしい伯母が自殺をはかり、直樹はなにやら背後に隠された
それは、母と伯母との実家菅田家にまつわる「呪い」のため。
幼い子供を奪われた母親が、自分を見下した本妻を怨んで、もう一度我が子をこの手に取り戻したいと願うのです。本家直系の男子が十七歳になったとき、その呪いは始まり、あっという間に効力を発揮する。母親たちの兄も、その上の世代も、みんな母親を道連れに滅んでいった。
あまりにも酷い呪いです。
自分の甘えっ子長男が突然こんな態度を取り始めたら、ものすごいショック。
そんななかで、なんとか子供を殺人者にしないように、命を絶ってしまわないようにと懸命に考えたのであろう伯母の行動に涙を誘われます。
それから、わたしはこの本をもう三四回読んだのですが、読むたびに典子の賢さにはっとさせられます。あの、血液型に関する部分ですね。機転がきく、というか。
呪いの発端になった場面が、章と章のつなぎに繰り返されていますが、今回読んで思ったのは、女(子供を奪われた母親)が菅田の本妻にただならぬ憎悪を向けるのは、「母親とはその程度のものか」「わが子の命よりわが身の執着のほうが愛しいか」という言葉のせいではないかと。
大岡政談でもよく話される、子供を両方から引っ張り合って、痛さに泣く子を不憫がる方が本当の親という逸話を踏まえた場面のように思われます。子供が辛い思いをすること。母親としての立場を失うことを恐れること。
そのような状態ではないと思いながらも、決めつけられるのは嫌なものです。
小野不由美、母親の執着が代々の子孫に影響を及ぼすという筋の作品が結構ありますよね。
猫の「三代」の活躍がナイスです。
あと、イラストが波津先生であるためか、どうも冒頭の花に囲まれた屋敷の描写で、わたしは花斐悠紀子の「百千鳥」を連想してしまいました。