『カーネーション』に産経がイチャモン?

2011-11-30 20:45:25 | 見る
『カーネーション』ますます快調ですね。
一つ一つの話は細やかにじっくりと描くのに
話から話への進みようが爽快、スピーディー。

それを可能にする演出・演技・・・
適切な伏線と細かい描写。
(二階に声をかけながら階段をドンドンと叩くとか
 そうそうあったね、と思いました)

今日は次女の大変さが描かれ、他人ごとですから
笑えました。

いよいよあと少しで次女役に二宮さんの再登場ですね。
尾野さんとどんな風にからむか、と思うと楽しみで楽しみで。


先日、産経新聞の署名入りコラムで『カーネーション』に
イチャモン?をつけていました。

洋装を薦めるべく仕事をしている者が自らは和服姿では
おかしい、というのです。

ジョークではないらしいので、驚きました。

近頃のエライ人は・・

(ま、これだから産経は一流になれないんだけど。
 教育のレポートなど定評があった新聞なのですが
 主張を前面に出す余りセンが細くなるのかなあ)


まず当時の社会をご存じないのか?
それとも歴史は曲げてもかくあるべしという画面にせよと
仰るのか?

昭和10年代であれば銀座でもご婦人は和服が多かった
のです。
その情景を曲げろとでも言いたいのですかねえ?


ついで、このエライ方は「仕事」ということを
分かっていないのではないか?

俗に紺屋の白袴と言います。
自分が作り出すものと作業のナリとは違って当然。

ファッションデザイナーがコレクションで発表するような
格好をして仕事せにゃなりませんか?

自分が生まれ育った働きやすい和服姿で仕事をするのが
糸子さんとしては当然のことなのです。


更には、営業ということを知らないのではないか?

普段和服を着ていた人がおそるおそる洋服に
手を出そうとしている時代です。

店の人間が立派な洋服を着ていたら近寄りがたい
でしょう。
上から目線で洋裁の普及を図るようなセンスは
コシノさんにはなかったはずです。


もしも産経のエライ方が上記を読まれたら
「これを書いた井上はバカだ。
 俺の文は『カーネーション』を話のマクラにして」
などと仰るに違いありません。

譬えで文を書くとか、アナロジーで考えるとか
文章を書く人間ならば安易に使ってはいけない手法と
ご存じのハズです。

怪しげな新興宗教などが良く使う手ですからね。

譬えで話を進める文章は大変に危険です。
騙される人が出るオソレがあるから。

塾の人間が何か書く時なども要注意です。
(しばしば、そういうものを眼にしますね)

そのあたり、明日、もう少し書いてみます。

沖縄「不適切発言」

2011-11-29 20:37:19 | 塾あれこれ
もうこの国には期待していないけれど
今回の「不適切発言」についてノーコメント
というわけにはいきませんよね。

仲井真知事が「コメントすれば口が腐る」とか
嫌悪感を露わにされましたが、お気持ち分かります。

局長に敢えて政府の足を引っ張ろうという底意地の悪さが
あったのかどうか?
逆で、まったく無神経でも防衛省では出世できるのか?

もしかするとそういう組織なのか。
非公式発言だからこそホンネが出たのでしょう。

そんな軍隊が祖国を守れるのか?

沖縄に負担を押し付けているという気持ちは0%
なんだよね。

漫才あがりでパクリ映画を撮る有名人などが、ちらちら
発言するような地方蔑視が蔓延しているのでしょう。


社を限定して飲み会に誘う防衛省って何?

琉球新報がバラさなきゃどうなってたんだろう?

読売新聞は田中氏と同じ考えだから書かなかった?
少なくとも怒りはわかなかったようですね。
田中氏側の事情・弁解を書いているのですから。

さらに「女性誹謗発言」と問題の方向をすり替えようと
しています。
なんという新聞社でしょうか。

「懇親」した人も新聞記者である前に、一人の人間でしょうに。
人間のハートを欠く報道機関って、アリですか?

朝日や毎日は、発言の場にいなかったとワザワザ
書いています。これは逃げですね。

マメディアもずいぶん腐っているようです。
一緒に飲みに行ってオフレコを仕入れてどうする?
防衛省の世論操作に乗っかるだけじゃないですか。


情けない記者の皆さん
いったい、どこの塾で勉強されました?


追記
「飲み会」「懇親」ではなく「懇談」だそうです。

読売新聞は「女性誹謗・・」のタイトルを急ぎ取り下げ
「不適切・・」と直したようですが、速報では「女性ウン
ヌン」と大きくしかも赤い活字で出していましたね。
まずいから慌てて訂正されたのでしょう。

結婚資金って何?

2011-11-29 20:04:10 | 塾あれこれ
憎まれ口ばかりたたくので読者が増えない
のでありますが・・近頃の若い者は・・・

NHKニュースで、とある意識調査を報道して
いました。

HPで確認したところ、国立社会保障人口問題研究所が
行った結婚に関する意識調査をされたのだそうです。

結婚する気がある若者が増えているが、障碍もあると。

その障害とは、男女とも第一位に挙げたのが
結婚資金の不足だということ。

男の44% 女の42%

若い人へは経済格差が厳しく堪えている、
そんなニュースです。


そのニュースを聞きながら私がふと思ったのは

結婚資金とはいったい何?
金がなきゃできない結婚って何?

お考えは人それぞれにあるでしょうが
意識調査で一位をとるようなことなの?

さっそくネットを覗いてみました。
(簡単な調べには便利な道具ですねえ)

まず、結婚資金とは?

結婚式などにかかる費用(結納だとか色々含め)
新婚旅行の費用
新生活への準備の費用
などをいうのだそうです。

取敢えず550万がメドだとか。

驚きますねえ。

二人で折半しても300万くらいは貯金がないと
いけないというのですから。
ご祝儀は入ってきますけれどもねえ。

大~変。


次いで驚くのは金がないから結婚できないということ。

生計が立たないのなら結婚もすぐにはできないかも
しれませんが、式などどうでもよいじゃないですか。

私が子供のころは町内で式の面倒をみていましたね。

今は式場で一応のことを晴れがましくやらないと、という
見栄でしょう?
葬儀屋・・じゃなかった結婚産業に金を儲けさせるため
だけの金を準備できなきゃ結婚できないの?

分かんないねえ。

何で役場に届けを出すだけではいけないのか?

何で新品の家具、新居じゃなきゃいけないのか?
これも見栄でしょう?

見栄のために親から金を出してもらうのも
情けない話です。


ちなみに私は金がなかった。
式を挙げていません。

カミサンの親戚からは文句が出た。

半年後に新婚旅行はしました。(お手製のを)

結婚していただいた時の貯金は100万にも届かず
「40過ぎてて」とカミサンが絶句していました。

まあそれでも20年、なんとかもちましたから
式は、挙げられなきゃまず結婚しちゃえば?と
思うのであります。


優先順位の置き方が今の若い人はヘンではないか、と
思うのですがどうなんでしょうか。

学歴より実力、なんて人が少ないのも頷けますね。


私が、この国は大丈夫かと憂うタネがまたひとつ
増えたことになります。

遊びと見栄とで経済を成り立たせてどうするんでしょう。

秋、休日の昼下がり

2011-11-28 20:28:16 | 塾あれこれ
3時の散歩を済ませ、時間が空きました。
(昨日の午後書き始めたのですが中断してました)

モーツアルトのピアノ協奏曲27番
ギレリスのCDが好きです。
ベーム指揮ウィーンフィル、1973年

特に第二楽章の静かな美しさはどうでしょう。
思い入れが強すぎる演奏になりがちな楽章ですが
ギレリスは最高に美しい。


聴きながらなぜか、山口塾に勤めていたころよく反抗してたな
ということを思い返しました。

たった一人の反抗。

周りも塾長自身も「嫌な奴」と思ってたでしょう。

昔のことになってしまいました。
モーツアルトが似合うくらい古い写真のような。


確信を持って言えますが塾長を一番知り、あるいは
見抜いていたのは私だと思います。
もちろんリスペクトも一番。

ですから反抗しまくった。
進学塾で金を儲けるだけではだめ、だと。

もちろん塾もそんな仕事をしていたわけではありません。
けれども、私は極端なほど利益追求を否定しました。

勤めている人間が「金儲けは不要、赤字じゃなきゃよい」
というのですから多くの人は不審がります。
塾長も困っておられたかもしれません。

結局、中学部は私が辞めるまで金儲け路線には走って
いません。

塾を長く持たせるためには今目先のことを追うだけでは
駄目なんだ・・
そう言える幸せな時代でしたね。

経営にはストックが要る、なんて分かりきったことを
「教えてくれる」若手もいましたが、最後に生徒を連れて
逃げちゃった。金儲けの果て。

ストックとは金だけで貯めていても仕方がないのに。


私が辞めて、塾長(山口恭弘先生)が第一線から退かれ
そのあとおかしくなったのは皆さま御承知の通り。
(私の所為じゃなく、たまたま)

ぶっ潰した弟=二代目塾長がアホだったのです。
人は良かったのですがね。

未だに別のT塾で働いているようですが塾を「売り渡す」
際、大勢の講師の首を切ったのを平気で働けるかなあ。

定期テスト対策などを売りにして子供をスポイルするT塾が
そんなに魅力的なのでしょうか。

人間は、モーツアルトのように美しい仕事もできるし
金に捉われて我が身(家族)が可愛いだけの生き方をし
幸福に死んでゆける人生もあるようです。
きっと家では責任を全うする良き父親なのでしょう。

自分や家族が大事か、仕事仲間への責任が大事か
古来変わりない選択の難しさです。


先日「散歩の途中に」と
塾長(恭弘先生)が我が家に立ち寄られました。

お元気そうで何より。

「仕事は続けにゃいかんよ」
近年口癖のように言われています。

もし私が上記の弟のことに「あれはどうなのです?」と
言及すると嫌な顔をされるでしょうね。
「幾つになっても、昔と変わらず嫌な奴だ」ってね。

ふっと言いたくなるのが私の甘えのようです。

年寄りイジメぢゃ

2011-11-27 14:52:15 | 塾あれこれ
私などヒトが悪いので若いころはお年寄りのシマリがない
長話には失笑を隠しませんでした。

ところがその長話「芸域」に近づく自分に気づき始めた
かと思うとあっというまに染まってしまいましたねえ。
今では失笑されっぱなしです。

塾で保護者面談をしても「いっつも同じことを長々と」
相手が塾だから皆さん我慢されてるようです。


(芸がある)人はあれこれと話が飛んでも逆にそこが面白い
のですが、素人は真似をするとミジメな結果を招きます。

・・・とっころーが、気づくとそのドツボに・・ははは


昨日の話も、時間があれば更にダラダラと続いたのですね。

で、いま続けようとしています。

書いたものでも、上手い作家は小気味よく話を飛ばします。
その飛躍自体を楽しめます。

素人の書くことは先代桂文楽の「寝床」よろしく
周りにギダ熱を起こさせますよね。
それを確信犯でやっちゃいます。すみません。


広島市では従来からお年寄りに無料でバスなどを利用できる
制度がありました。
回数券のようなものが配られていたようですね。
亡き母も頂いていたようです。

すぐに使いきるような補助であれ、それで高齢者のお出かけが
増えるならば良いことですよね。

ところがこれに冷たい目が注がれているらしい。

財政が厳しいので削減もしくは廃止をしたいらしいのですね。

この背景には一種のポピュリズムもありそうです。

何で、年寄りばかり良い目に会うのだ。
福祉は十分ではないか。
リッチな年寄りが大勢いるぞ。
若い人間は多くの高齢者を支えるのに必死になり
なおかつ将来の保証がないではないか・・

こういう感情に迎合するのです。
若い人の気持ちも分からなくはないですがね。

けれども、曲がりなりにも現在のリッチな国はいったい
誰が作ってきたのでしょう。
その恩恵を若い人も受けているのではありませんか?

高齢者には一度も海外へ観光旅行をしたことがない人が
大勢おられると思います。
若い人が(高い円)を享受して遊びにいけるのはなぜ?
人生の先輩に感謝などしてはいないでしょうね。

その挙句に年寄りへの福祉を削れですって。

まあそんなバカモノ世代を作り上げた責任は年寄りに
あるのですが、ここまで恩知らずになろうとは・・・ね。

(ほら話が飛躍する、する)

年寄りへの交通費を補助する方が経済効果が上がる
のではありませんか?
削ってばかりではデフレが止まらないのに。

年をとればあと何年生きるか分からないので
お金は使わなくなります。
人として当然の心理。

だから、タダ券を配って少しでも財布のひもを
ゆるめなきゃね。

今まで貰っていた人へのサービスを削ってはいけません。
(これからの支出は考えなきゃいけないかも)

団塊の世代は貰えなくて仕方がないでしょう。

その代わりに大いに生きているうちに自分のために
使えばよろしい。

シャクだから日本国内にはお金を落とさない!
遺産でも子供には相続させない。

若いころから競争が厳しい中を働いてきたのです。
感謝もしないような世の中にはこちらから見切りをつける
時期かもしれませんね。

241円

2011-11-26 18:40:49 | 塾あれこれ
241円・・・悔しい。
たかが、の金額かもしれませんがね。

120円のカップ麺なら2つ変えますし、
80円のものならば3つも買えるお金です。

それを世界的大企業に取られちゃった。
こんな貧乏人からねえ。


去年、11/5のブログに書いたのですが
AMAZONで古書を注文しました。
3000円くらいでしたかね。

ドーアさんの『江戸時代の教育』(岩波)。

 ☆
たまたまドーアさんのTVを見ていて
「ああこの人の本を買いたかったなあ」と
思いだしたのです。

80年代、広島の紀伊国屋で見かけて気になり
何度も買おうとしては止め、いつのまにか売れており
ちょっぴり残念な思いがしたものです。

寺子屋の部分が少なかったし、ちょっと高いかとも
思って手が出なかったのです。
 ☆

TVで思い立ちAMAZONを覗くと古書として
販売されていましたので購入申し込みをしました。

コンビニに足を運んで振り込んでね。

(よかった、人に売れる前で・・・)

そうしたらTVの影響なんでしょうね、取り扱いの
書店が「都合により」販売中止だって。
お金は戻すがAMAZONギフト券で、ときた。

このことだけでも間違っているよね、
AMAZONが自分の都合を優先させています。

止むを得ず使いましたけれどピッタリとは
使いきれません。
241円残っていました。

本日アマゾンを覗くと「期限切れ」で没収されてます。

期限のことなど知らんぞ!
それもたった一年ということらしい。

古本屋ってのは高く売れそうなら別に回すくらいの
ことはするでしょう。
しかしAMAZONがその片棒を担いじゃ、ね。

またありうるかと思って古書は頼めない!


むかつくよね。
そうまでしてカードの世の中にしたい?
で、誰が儲かっているの?

結局地域の小さな店がなくなってツケは消費者に
回ってきます。
便利を優先させている若い人が、田舎を守ってきた
お年寄りに間接的に被害を与えています。

買い物難民。
名前はどうつけようが若い人の世代が恩を忘れて
いるという構図になります。

「知らなかった」で済むなら警察は要らない。
(ちょっと違いますか?)

何でも便利なアメリカ化ではありますが
かの国に都合のよい組み込まれ方をしているのを
「知らなかった」で済ますのですかねえ。

話が例によって傾いてきましたが、岩国にも
オスプレイ配備か、なんてニュースを見ると
日米地位協定はちょっと運用を変える程度のことにして
日本中好き勝手にされるかとアタマにきますね。

教育開発出版(株)のセミナー

2011-11-25 22:04:37 | 教えない
本日は教材出版社としては定評がある
略称「教開」のセミナーがありました。

そこから話を始め、新学習指導要領による教育現場の
変更点などに触れた後、自分の考え「教えない」の
宣伝まで書くつもりでした。

記事のタイトルは『出来ない子にこそ「教えない」』

ところが本日の文でそこまで到達するか大いに疑問が
わいてしまいましたので少しおとなしく始めてみます。


セミナーを主催した「教開」は自主制作する教材の
提供(定評があります)だけではなく、学校や
塾などをサポートする営業活動も充実しています。
少なくとも私が知る範囲ではね。

今日も営業がらみながら充実したセミナーでしたね。


「教開」は教育界の現状を把握、分析し、文科省などの
方向性を予測しながら、出版社としてどのようなものを
提供できるかに細やかな神経を割いておられます。

塾などへのリサーチもよくやっておられるようです。

この会社の凄いところはそうやって分析し、出版内容の
意思決定をなしたことを実際の出版物(問題集など)に
的確かつ具体的に反映させていることです。

問題集の頁から会社の意思が伝わってきますね。


なんだか随分誉めあげていますが、塾の関係者ならば
お分かり頂けると思います。オオゲサではないと。

私がここで誉めたからといって営業マンが饅頭でも
持ってくることはありません。
下ごころなし、の感想・意見なのです。


セミナーの内容に触れなければいけません。

すぐそこまで迫ってきた、文科省の新学習指導要領
による中学の勉強の見取り図がどうなるか。

マスメディアも多々報道し、さまざまな塾も
「来年から大変ですから塾へ」と宣伝しています。

それはその通りでありまして
学力向上を意とする改革が大変に大幅なのです。

主要5教科の授業時間が増えます。
学ぶ内容も増えましたし、新しい要求もされます。
(自分の言葉で説明する力を強く求められるのです)

毎日の授業時間も増えます。

大変です。

学力の格差が大きくなることは容易に予測できます。

いみじくもセミナーで言われた「各人の自助努力」
これが求められているということです。
自由度は増しますが現実は厳しくなりますよね。

出来る子はどんどんとやっていってください、
頑張らない子は知りませんよ。
(ここまで言うとお叱りを受けますけれども、本音)

大変に格差が広がるでしょう。


実はセミナーでは触れられませんでしたが、この問題は
今に始まったことではなく、皆が平等に勉強するのがよいか
自由度を増して欧米型の、出来る子に焦点を当てるか、は
私が知る限りでも数十年の課題だったのです。

経済効率の関係も出てきます。
日本でも財界が教育費負担を削るために平等な教育を
止めよと旗を振っていました。

ここまで経済の先行きが不透明になると、自助努力頼みに
なるのでしょう。

勉強の量が増え、内容は難しくなり、発展的学習を
突き進んでもよいということで
教科書が分厚くなりました。

教員の負担が大変になることで、結果として
自助努力の差が大きくなりそうな気がします。

塾には営業上の追い風かなあ。


ごく一部を除いて能動的になる生徒は少ないと
思うのですがいかがでしょう?
ツメコミ教育で受け身の人間が増える?

学校の先生の力量が問われますね。
頑張って頂きたいですけれども。

成績が上の子もうまく伸びればよいですが・・・

成績が下の子はさらに厳しく勉強に追い立てられると
思います。
やれ補習、塾通い・・・

よほど気をつけないと現在の問題が解決するどころか
もっと大きくなる恐れがあります。


成績が上の子も下の子も、自ら学ぶという姿勢を作るには
「教えない」が有効だと考えます。
万能とまでは申しませんが。

特に成績が出ていない子、これに「教えない」では
パラドクスめきますが、手とり足とり教えてやって
出来ないのですから、「教えない」を上手くあてはめられれば
自らの足で歩き始めてくれるのですけれど。

(細かい話はまたいずれ。)

映画『人生、ここにあり!』

2011-11-24 20:23:27 | 映画
目が痛いのに映画へ行くか?

できれば見たいと思っていた映画です。
私好みそうに思えていましたので、なんとか
期限切れ近くになって見られました。

中々よい映画でしたね。


1980年代、イタリアでは医学の発達で精神病への
ケアが進歩し、なかでも、患者を社会に参加させる
ことにより、人間的な安定を得、病気も快方に向かう
という新しい社会になっていました。

社会から隔離、束縛して「治療」するという旧医学からの
脱却です。
戦後、米国を中心とする新薬の発展にも因るのでしょう。

この映画は、その当時、イタリアで実際にあった話を元に
作られた劇映画です。

映画を見終わってカミサンの第一声が
「日本は遅れてるね」

まさにそのとおりで、この映画に描かれる伊社会の懐ろの
深さに、現在の日本ですら敵わないのではないか?

もうひとつは映画技法の面でも日本は負けている?

ドキュメンタリーでは負けていませんがドラマとなると
とても難しい分野であろうと思います。

映画ポスターでも分かるように、明るく喜劇タッチで
精神病の世界を描くのです。

暗く描いては多分「人間」が浮かんでこない。
けれども茶化すようでは最悪。

そのバランスをとることは高度な「大人の仕事」です。

話がミエミエであると、トンチンカンな感想がネットに
書かれていますが、作り手や患者さんが何を言いたいかを
分かっていないということでしょう。

(見えみえ)である必要があるのです。
私たちとまったく違わない(人間)の話だから。


それにしても終わり近くでは次々に泣かされます。
あまりに出来過ぎで、ドラマみたい・・・ん?
そこがこの映画の弱点か。

でも、大いに泣きにゆく映画じゃないですかね。

だって映画の中だけでも、とても厳しい現実があるのも
事実だから。
主人公の痛手はよく分かる気がしますね。

誰がミスしたわけじゃない。
仕組みが悪いわけでもない。
神様にお伺いするしか答えがないであろう難しさ。。。


更には「騎士道」のような男たちに感心させられます。
私なら「ボクが悪いんじゃない」と逃げ出すようなことを
決然と引き受けるのです。
間違っていた処はキチンと認めます。

現代日本にこんなサムライがどれだけいるだろう?


マンフレドニア監督がなぜ今この映画を作ろうとしたのか?
(08年制作、日本での公開がこの夏から)

彼にも骨太な「騎士道」があるのかもしれません。

今の世界は何かヘンですよね。


もうひとつ、この映画がらみで見える「日本が負けている」
ところを書いておきましょう。

イタリアでは大きな賞もとり、映画は社会現象となるほどの
ヒットだったとか。

こんな映画を深く味わうことができるイタリア人、
現在の日本人より人間が大きそうに思えますね。

この国でも多くの人に見て頂きたい映画です。

『カーネーション』に見る父親

2011-11-22 20:14:21 | 見る
評判が良く、視聴率の高いドラマについて
何度も書くのはどうなんでしょう。

ただ私の評価では「歴代朝ドラで一番」がほぼ確定しそうな
だけにまだまだ書きたいことが沢山あるのです。

本当に出来が良いですねえ。


父・善作はどういう人間なんだ?
というのが今の若い人には分かり難いかもしれません。

私たち団塊世代以上ならば、年長者にああいうタイプが
たくさんおられたので、理解できずとも納得できる
人間像なのですがね。

私の父は、正式な診断を受けたわけではありませんが
アル中でした。

普段は優しいのにアルコールが入るとがらりと人が
変わるのです。
家族の敵でした。

基本的には、当人の弱さ。
周りからのプレッシャーも強く、酒に逃げるのでしょう。

当時の日本文化の悪しき一面でもあります。

で、たぶん私の父はシベリア抑留も大きかったように
思われます。
弱い人だったのですね。
(お前より強い、と天国から叱られそうですが)

『カーネーション』を見ながらカミサンが
「井上の父もあんなだったのか」と聞きます。

う~む、困ったね。

酔っ払うと似通う面が出ますから、同じとも言えます。

現実は(子供の目からは)はるかに悲惨ですから
あんなもんじゃあない、とも言えます。

朝ドラで悲惨すぎるのはよくない、と救いがあるように
小林薫さんがTVむけのアレンジをされているので
違うといえば、違います。

(我が父ですが、人間という存在を否定し破壊するような
 デモーニッシュなものが棲みついていたようです)

それでも家族に暴力をふるうことはありません。
睨まれるだけで震えあがってましたけど。


それにしてもドラマの進み、ハギレが良いこと。

最悪の酔っ払いのあと、店をたたむ決意をし
すぐに看板こしらえて出て行ったと思ったら、もう
ほぼ次のシーンくらいで一升瓶肩に駆けつけてくれる。

それがバタバタした印象を与えないのが不思議ですね。

脚本、演出、役者、スタッフ・・皆さんが盛り上がって
おられるのでしょう。

脚本が細かいところまで目配りが届いていますから
テンポを早くしてもおかしくないのです。


ナツが髪を結ってもらいながら泣くシーンがありました。

ここへ到達するまでにどれほど細かく下準備があったか、

結婚話や父の死やなどで話を盛り上げてあったか、

そのうえで気持ちを打ち明け、泣くのですから
見ている方も泣けますよね。

脚本の教科書になりそうです。

ものすごくしっかりとした脚本があるから
現場が盛り上がるのでしょう。


アル中が多かったのは、文化の所為や、人間的な弱さだけでなく
今の人間が抱えているよりもずっとプレッシャーが大きい時代
であったからだと思います。

(アルコールに呑まれる)ことも多かった。

今なら父の気持ちも少しは分かる気がします。

いつの時代でも生きるのは大変でしょうが
昭和といってもノンビリ平和であったわけではないことを

戦争という極限状況を挟んだ時代であり
生き残った者はしばしば状況を美化して伝えるものだと
いうことを

若い人たちは知っておいてほしいですね。

「長生きの秘訣って・・」

2011-11-21 20:10:31 | 塾あれこれ
「よい天気ですね」「ええ」
人は挨拶を交わします。

犬だってネコだって会えばお互いやってますね。

人は主に言葉で行います。
天気のことなど誰でもわかっているので
「寒いですね」などと
ワザワザいう必要は、本当はありません。

司馬遼太郎が描く村田蔵六(大村益次郎)は
挨拶をリクツで済ますものだから、村人からは
変人と思われていました。
(分かり切ったことの会話は無駄口であると)

人は意味のないことでも言うことが大切。
いやむしろ意味のないことを言うことが大切なので
「今時、ユーロ圏の経済危機は・・」などでは
挨拶になりません。

あなたは「こんちは」だけの人ですよ、とか
「こんちは、今日は良い天気ですねえ」の人か
立ち止まってもうすこし話す人か・・
会話時間の量こそがサインになります。
(ご婦人は長いとか聞きますが。。。)

気を使っていますよという意思表示が重要なのでしょう。

トビコミの営業マンが「おくさん!お若い!」
なんて年齢を確認するまえから口走っても大丈夫なのは
やはり(気を発信している)からでしょう。


もちろん人の会話でも、意味がない言葉を発してはいけない
レベルもあります。

先日、ドキュメンタリ映画の中ですが高齢の大田堯さんに
とある公演会場で(質問!)としてマイクを持った若者が
「いつまでも活躍される秘訣は?」などという下らない
質問をしていました。
大田先生、ウンザリの御様子でしたが流石ですねえ。
笑いをとる話で答えておられました。

質問のための質問、をしたくてこんな失敗をする若者は
多いと思います。
(私はどうだったかなあ)


長生きの秘訣など、あろうはずがないことをなぜ聞くのか?

「意味がない質問」の延長にあるものならば理解できます。
しかし、TVのインタビューなどではどうなんでしょう。

「お元気そうですね、長生きの秘訣を教えてください」

当人がコンブを食おうがラジオ体操しようが、それが
いったい何じゃっちゅーねん。
少なくとも当人が思いこんでいるだけの話で
正しいかどうか、逆に長寿の足を引っ張っているかも
しれないことを聞いてどうなるというのでしょう。

他人にも当てはまる事だと信じるのでしょうか。
・・・アホじゃ。

それとも、どうでも良いと知りつつ聞くのでしょうか?
・・どんな神経?

応えるほうも結構シラケていたりしてねえ。
「阿呆」とも言えないので聞かれた老人が心遣いして
適当に無難なことを答えているのじゃないかなあ。


では

「センセイのとこ、近頃はいかがですか?」
「ええ、相変わらずですねえ」

これは時候の挨拶なみなのでしょうか?

それとも苦笑しているのを誤魔化した返事なのでしょうか。

もしかすると時間だけ掛けて内容がないほうがよいタグイ
かもしれませんから、真面目に答えるのは不可かも。

良ければ妬まれるし、悪けりゃ「ふふん」と笑われるし。

こういう付き合いは苦手です。
かといって、しなきゃなにか言われそうだし。