匿名の功罪

2012-07-31 09:30:14 | 塾あれこれ
匿名の良いところは誰もがご存じです。
自由が保障されますね。

現代のように社会の絞めつけがきついと失敗をしないよう
妙な言いがかりをつけられないよう、尻尾を出さない
生活態度が重要です。

思想信条も発言・行動も筒抜けになりますから。

悪い事をしていないから誰に見られても平気、ということ
でもないようで、どんなことでも理由にされてしまいます。

いったんバッシングの嵐をあびせておいて、後になって
行き過ぎだったとか、間違っていたとか訂正してみせ
チャラにするのです。
残るのは、恣意的にやられた側のダメージだけ。

何しろ怖いですから「皆さまと同じ言動のお仲間です」と
言い続けなければなりません。
封建時代と、さほどの違いはないようですね。

そこで匿名で自分を表現する自由が大切になります。
(しかし人によれば「愉快犯」的な言動もされます)

リスクはあるのですが、プラスが大きいという判断で
支持されているのでしょう。

抑圧社会におけるネットの力は匿名ゆえではないでしょうか。

フェイスブック等も実は適度に「匿名」であるから広がったのです。

トータルで判断すると匿名は大変に重要と考えざるを得ません。


けれどね、(前も書いたかもしれませんが)ラジオの放送に
「孫から誕生日プレゼントを貰った」という投稿をするのに
なぜラジオネームなるものが要るのか?

この場合、名前を知られてはマズイことがあるのかなあ。

都会生活は自由度が高いですね。
街を歩いてもマンションに住んでいても匿名が可能です。

田舎ではそうはいきません。
「何野誰兵衛」というかけがえのない個人しか存在しません。

私も小さい頃、母方の田舎で「あんたはイズミヤの孫じゃろう」
などと、覚えのない人から言われて驚いたものです。

つまり(都会で暮らす神経)がラジオネームと通じるのです。

勝手なイメージですが四~五十代以下の人は「匿名好き」
あるいは匿名である事に違和感を持たれないのでしょう。
都会化が進んでいる、と言えます。

一方、ネットでナダレをうったバッシングがおきるのも
(匿名での言動)が後押しをしているはずです。
どこそこへの抗議の電話、などでも匿名でしょうね。

以前はクレーマー問題が盛んに言われていました。
しかしそれは少なくとも自分の名前は出していました。
一種、責任をとる姿勢があったのです。(卑怯だけれど)

今、匿名社会になって無責任の度合いが強くなったようです。

通り魔的な犯罪の増加と通じるものがありそうです。


この「大人社会の匿名的無責任」が子供にも影響を与え
いじめの深刻化を招く要因のひとつになっているのでは?

匿名の(その他大勢)にまぎれて、見て見ぬふりをする
人波にまぎれた格好で、いじめに参加する、

大げさに言うと、皆でいじめている、場合があるのではないか?
無実の人には申し訳ないですけれど。

自分がやられるのを恐れるあまりその他大勢に隠れる気持ちは
とてもよく分かる気がします。

職場でドジな人間を叱り、今ならパワハラと抗議されそうな
人間であった私には、いじめる側の様子も分かる気がします。


犯罪は論外です。

多分、今回の大津のいじめ事件などは犯罪であると思われます。
(報道の通りであれば、ですが)

匿名の社会であろうが、なかろうが、犯罪は罰されねば
なりません。

もし万一、犯罪の近くに匿名で見ている人があれば
それはいけないと思うのですが、いかがですか?

分かる、か、思い込みか

2012-07-30 09:10:19 | 塾あれこれ
私なりに思い切った部分まで書いている
ブログですが、さすがにこれはボツという話も結構あります。

前の塾の話ならば、ある程度は書けます。
もちろん、まだ書いてはいけない話も多い・・

その前、サラリーマン時代の話も、まだ書けない
ことがあります。
もっと書いちゃえばよいのに、とも思うのですが、
まだ影響が出るかもしれないので。

・・・結局死ぬまで書けないかもしれません。


故人もそうやって墓場まで持って行かれた話が
多かろうことを思うと、人間の歴史においても、
学者のように、確実なものごとを扱うだけでは欠落する
おそれがあるのではないでしょうか。

よって想像力も大切なのですが、この扱いがまた難しい。
政治的、思想的な思惑も入ってきそうですし
虚実の判定はほぼ不可能、
「こうだと信じる世界」になってしまいます。


過去の話ですらそうですから、現在や近い過去のことは
書けませんね。

今のミニ塾を始めて十数年、辞める態勢に入ってなお
そんなことを書くと、それには関係のない人が「自分のことか」と
思われるのではないか、それは書けない。。。こんな具合

ということで、かなりの話が「墓場行き」です。
具体的でなくとも上手く抽象化できる能力があれば別ですが。


それでも書いておきたい一つが「話しても伝わらない」こと。

ひとさまのことを言える私ではありませんが
自分の頭の中に入る(聞きたい方向の話)しか
聞いてもらえないものだと、つくづく思います。


今の塾になって保護者面談の時間を多く取っています。
一、二回で「お前の塾はこんなものか」と(見抜き)
あとはお出でにならない方もおられました。

生徒の成績は、とても良い~かなり悪い、まで幅広く
結果も、結構な高校受験合格~中途退塾まで。

逆に一回1時間以上もかけ、年5回、それを何年も続けて
頂いた方も少なからずおられます。
かなり多くの方と申し上げてもよいでしょう。

しかし肝心な時にお出でにならないでガクっとする方も。
(これはかなり高い確率で成績が伸びません)

何で(肝心な時)が分からないのだろう?
あるいは「負」の方向で分かっちゃうんだろう・・?

(肝心だから)お出でになるのが難しいのか
塾におまかせ、なのか。
それだけでは不十分だから懇談をしているのに。


急いでつけ加えますが、ほとんどの方とは上手く意思疎通を
はかれたと思います。

ただ、中には上手くいかないこともありまして。


私「家では勉強を教えられないで頂くのが最善と思います」

こう始めて、いろいろ喋ります。

生徒の様子、それまでのお母様のお話、などを総合して
きっと家で勉強のプレッシャーが強く、分からない処は
手とり足とり教えておられる推測がつきますから。

よかれと思われての親ごころとは重々承知ですが
行き過ぎれば逆効果になることもあります。

今までそれでやってこられて、思うような結果が出ていない
ということかもしれないので、ここはひとつ塾の意見も
・・・こう言いたいところですが、そこまでは言えません。

それでも相手のお母様は分かったと言って下さいます。
・・よかった。

ほかに色々とお話があり、最後にこう仰いました。

「ところで、家でやらせる算数の文章題が・・」
「国語の文法が出来ていないようなのですが・・」
「理科はまだやらせないでよろしいのでしょうか」

ご説明は申し上げますが、それもどこまで聞いて下さるか
そもそも基本の「家では教えない」はどうなったのか。

30分以上延長した御別れ際に念を押します。

「くれぐれも家では余り教えたりプレッシャーをかけたりなさらず・・」

さて、どこまで聞いて頂けたかしら。

ブログに広告?

2012-07-29 15:00:19 | 塾あれこれ
今頃気付いたの、かもしれませんが
gooから「今後ブログに広告を入れる」という案内が
きました。(8/1~)

ブログの本文の下に広告欄ができるようです。

気にいらないねえ。

○○は好きだから、その広告が下に貼られるのなら構いません。

反対に、私が一生懸命書いた下に(茶のしずく)みたいな
宣伝が載ったらどう?
(オスプレイは安全です)とか(原発でバラ色)とか。


無料のブログは経営がきついのでしょうかね。

当方も無料でブログをやらせてもらってる手前
広告は止めろ、とも言いづらい面はあります。

でも、総合的に見たらブログも本当は経営的に成り立っている
のかもしれませんよね。
部外者には、本当のところは分からない。

余り面白くない感じになれば、ブログという手軽で良い手段も
考え直さなきゃなりませんか。

向こうが後だしジャンケンを仕掛けるのですから
こちらも我慢できるかできないかで決めるしかありません。

お前みたいなサエないブログはとっとと止めてくれ・・?
まあそう言われても仕方ありませんか。
長い間同じ話を繰り返してきましたからねえ。


事情が変われば当初の約束が守られないということは
古今東西、よくある話です。
やむをえないことも多いのでしょう。

ただ、それを逆手にとって「後で変えちゃえばよいんだよ」
が多い世の中だと思われませんか?
政治家なんかそればっかり・・


太陽光発電、余った分は固定価格で買い取りという約束で
我家など一般のご家庭での導入が進んでいます。

この7月で一般の工場などが太陽光発電をする場合も
固定価格で買いとるということになったそうです。

再生可能エネルギーの導入を促進するこの仕組み自体にも
疑問があります。
これしか現実的方法はないのでしょうか。

一般家庭の買いとりと、7月からの新しい枠組みとを
合体させるという手紙が先月とどきました。

お宅は何もしなくてよろしい、契約内容も変わらない、
ただ、枠組み自体に変更があった、のだそうです。

何だか気持ち悪いよね。怪しい。

将来、「仕組みが持たないから変更」ということもありうる
なんて含みがありそうです。

太陽光先進国ドイツがそうらしいですからね。

中国のパネル会社ばかり儲けさせて、それを各消費者が
負担するってのはどうか、といわれると、それもそう。

(因みに我家は国産のシステムです)

ただ、イチャモンをつけてるのは原発派かもしれません。


広告の話に戻りますが、今でもgooがらみが
強制的に載っていますね。(画面の右側)

それだけでも嫌だったのにイ。

悩みますねえ。

ラタトゥイユ蕎麦、お勧め

2012-07-28 17:03:35 | 食べる
前の晩の残り物が翌日の昼食に。

家でご飯を作ればそういうことはよくありますね。

私は同じ食べ方をするのが嫌いです。
嫌いでは強すぎるか。できれば避けたい。

カレーなら翌日はカレーうどん、とかね。

スキヤキを牛丼にするようなものです。

食費の軽減になるし、最後まで食べきれます。


揚げものはバリエーションが多いですね。

ま、手抜きで麺類に残りをトッピングが多いですが
焼き飯でもよいし、寒い時は雑炊、味噌汁の具にもなります。

もちろんチーズなど加えてイタリアンもグ~
「油が濃いでしょ」とカミサンの許可がおり難いけれど。

・・こんな話は女性陣が強いでしょ?


先日はラタトゥイユを多めに作ってもらいました。

次の日にやってみたいことがあった。

蕎麦(寒河江蕎麦・乾麺です)を茹でて冷水にとり
水気を切って、かえし(めんつゆで良いか)でうすく
下味をつけておきます。

液体分を切って器に盛り、オリーブオイルを適量かけ
冷た~~~いラタトゥイユをたっぷりと乗せます。
軽くまぜまぜして頂きました。


パンなどで食べるよりも沢山食べられます。

お勧め。

小林信彦の最高作品

2012-07-28 10:09:28 | 本の話
文春文庫『侵入者』所収
6話ある中の最後「みずすましの街」は面白い。

とてもよい出来です。
文庫本で60頁ほどなので、すぐに読めます。
読みやすい文体ですしね。

小林信彦はフィクションもノンフィクションもある程度は
読んでいるつもりです。(多少ヌケがあります)

この「みずすましの街」は彼の小説としては最高作では
なかろうか、という気がします。

読みやすさを求め、また、文を粋に削り込む矜持がある作家ゆえ
中身の濃さと表現の簡潔さがマッチしています。
直木賞候補になっただけのことはありますね。

トリッキーな、場合によれば作り過ぎた感がする作品が多い中
これは「いかにも小説風」
コアなファンからは「物足りない」「センチメンタルすぎる」と
言われるかもしれませんね。

とてもよく練られていると思われるのですが、筆者の想いが
強く反映しているので、統一感がよく出ているのです。

多少古風な印象になるのはやむをえませんし、実験作なるものを
嫌う人間には、受け入れやすい物ができたということでしょう。

「健さん、寅さん」の世界でもありますねえ。


人間を強烈に狂わせる戦争、というものが初めはいかに簡単に
身の回りに迫ってくるか、一つの家族、街、から見た物語です。

創作でありながら「真実」

小説とは、かくあるべし。

捨てるのが分かってて、造るか?

2012-07-27 10:25:57 | 塾あれこれ
とあるパン屋さんです。
70年代には一日10種類くらいだったパンの種類が
現在は90種にも上るそうです。

毎日2割くらいは売れ残り、廃棄するのですが
それが分かっていても多く生産するのです。

品を揃えていないと客からクレームがくるし、品薄だと
競合の他店に買いにいかれてしまうのだとか。

このようにして作りすぎ、結局は廃棄されるパンは
EU全体で年間300万㌧、スペイン一国の消費量に
相当する量だそうです。

ファストフードも同じで、品ぞろえのために多く生産
貯蔵しておきます。

ロスになれば凍らせたそのまんまを(廃棄)
お客さんの前には一度も出ず→生ゴミです。

これに店での食べ残しを加えるとゴミは更に増えますね。


一般に自分の家庭での食べ残しならば比較的強い警戒心が
外食ではゆるむのではないでしょうか。

多すぎたと言っては残し、不味いといっては残します。

買ってきたほうが、自分がつくるものより捨て易いですね。

だから、外食やテイクアウトよりも家の料理のほうが合理的で
神様の心にかないます。

アフリカで飢えている人がいるのに、ロクに食べもしないで
捨ててしまう、しかも店の人が捨ててくれるので罪悪感が
非常に希薄、気が楽なのです。


廃棄された生ゴミは一部が動物のエサに引き取られますが
多くは焼却したり、埋められたりします。
そこから出る温室効果ガスの問題もあります。

ゴミを水に流せば水資源の汚染にもなります。

資源の正常な循環も妨げていますね。


オーストリアでは一家庭が出す生ごみが年100kgを越えるとか。
EU全体で1年に10兆円、食品最大手ネスレの総売上高に
匹敵する家庭ゴミだそうです。

経済大国はマーケットの論理で、敢えてムダを造り出してでも
食糧生産国の森林を破壊し、農地に変えさせます。

お金がお金を呼ぶ手段の一つが食糧なのです。

地球規模の格差拡大。


食糧はエネルギーの問題とよく似ています。

国家も経済界も資本主義につかりすぎて金儲けにしか
脳ミソが働かないのです。

我々がなすことは微々たるものですが気付いた人から
わずかずつでも節約をするしかないのです。

現在や未来の人たちと共存するために。


以上3日に亘ってドイツのドキュメンタリーを紹介しました。

よく出来ていましたね。

この3日のブログに出てくる数字で、確認できないものや
もしかすると私の聞き間違いもあるかもしれません。

しかし驚くような数字でも、一貫したイメージがあるので
まるでオオハズレとも思えません。

もちろん最も大切なことは、言いたいことがきちんとし
丁寧な取材、分かりやすい表現、が出来ていることです。

政治家や経済人が嫌いそうな内容をよくここまで
報告出来たなあと思います。
近年、日本でこういうドキュメンタリを制作できていないのが
情けないですね。
作っても流してくれないのか・・・


夕方、パンの売れ残りが少しだけある店というのは
嫌いではありません。
でも何だかサビシイとも思ってしまいます。

美味しいのは売れてしまっていてイマイチが残っている
というイメージになるのでしょうかね。

閉店近くでも一杯置いてある店には、売れ残っていると
いうイメージは持ちません。
中で、もう一つだけしか残っていないと「これは美味しいから
先に売れているんだろう」などと思います。

売れる量以上に作ってあるだけで、残れば廃棄かもしれないのに。

外食でも「うわーボリュームがある、安い」と何だか得した気分に
なり、反対に量が少ないと不満になりがちです。
その「勝手なイメージ」がゴミを増やす元かもしれないのにね。

私自身が消費をあおられた世代なのです。


ウチで作るに限ります。暑いけど。

欧米でも食べられる物を捨てていた

2012-07-26 09:31:23 | 塾あれこれ
昨日の続きです。
ドイツのドキュメンタリー。

賞味期限が、食べられるものを捨てる免罪符になっています。


更に食料品店の店頭から捨てられるだけでなく
農地の収穫現場ですでに廃棄されている話が続きます。

ドイツのジャガイモ畑では収穫の5割が捨てられるのです。

見た目が悪い物、大きさが不十分なもの、更には
大きすぎるものまで「規格」に合わないのです。

立派なジャガイモを捨てて・・バチあたり、なのですが
暫く前までEUの規格でそう決められていたのですから。

日本でも曲がったキュウリは出荷できませんね。
私が子供のころは八百屋で曲がったのを売っていました。

確かにその頃でも同じ味、同じ価格ならば曲がったのより
まっすぐなものを買っていたと思います。
しかし値段が安ければ曲がっててもよいので
消費者にとっては選択の範囲です。

規格で曲がったものを捨てられるのは選択の自由を奪われて
いることになりますね。

なぜそのような規格が出来たか。

消費者の好みもあるでしょう。
条件が同じなら曲がったキュウリを買わない人が多いのです。
(筒の中で強制的に真直ぐに育てただけなのに)

けれども消費者より遥かに大きな理由は販売する側の都合。
箱に詰めやすいし、輸送コストはかからないし・・

一種政治的な力で役人に規格を作らせたのですね。

今、EUでは規格は撤廃されているそうですが、販売側が
「規格品」だけしか買わないので、相変わらず規格があるのと
同じことのようです。

ビジネスが食べられるものを廃棄させるのです。


市場ではどうか。

ここでも食べられるものが廃棄されています。

遠い外国から運ばれてきた果物などが、セリで売れ残れば
その日に捨てられます。
以前は、まだ食べられるとして持って帰ったりすることも
あったようですが転売禁止などの理由で廃棄!

また、品質の悪いモノが混じった箱は、他の品質が良くても
廃棄に回されるはずです。
良い物を選別しなおす、なんてことはしません。即廃棄。

バナナの現地の人が欧米の規格に合わせて生産・出荷した
ものを、美味しく食べられそうなのに、全廃棄です。

経済先進国は発展途上国にプランテーション農業をおしつけ
そのこと自体がすでに大きな問題であるのに、作らせ運んできた
農作物がまだ食べられる状態でも、都合で捨てるのです。

飢餓に苦しむ多くの人がいるというのに。

飢餓に苦しまなくとも、先進国の農産品の高値維持は
他の国の貧困層を苦しめます。
・・なぜ安くしないか?・・商売に差し支えるから。

では商売の人だけが悪くて一般消費者には無関係ですか?

食べられるものを安易に廃棄できる経済を容認することが
一番の悪の根源だと私は思うのですが。

心配な世界恐慌と食糧危機

2012-07-25 14:57:23 | 塾あれこれ
随分と大きなタイトルで恐縮です。

EU発の世界恐慌は、より現実的になってきています。

地球の気候変動も、気象学者には大勢の方が今までのワクから
外れるほどの異常にはなっていないと言われますが、どうかな。
年々、気候の極端さが目立つように思います。


今はトウモロコシと大豆がニュースになっていますね。

世界のトウモロコシ生産量の4割(輸出の5割)を占めるアメリカが
異常気象で干ばつ。
最近のニュースでしばしば報じられています。
世界の食糧事情に大きな影響が出そうですね。

日本では大豆ほど心配していない人も多いのでしょうか、
まださほど深刻に言われていないようです。

投機マネーがどれほどの影響を与え、世界の採れ高がどうか
まだ分からない面も残っているのでしょうが、
大幅な値上がりは避けられないところでしょう。

中国、インド、ブラジル、インドネシアなど人口が多い国が
経済力をつけていますので、値上がりが大きくなる筈です。

それにEU発の経済不安が拍車をかけます。

お金持ちはまだよいのです。
貧しい国の国民や、経済先進国でも貧困層が深刻な
影響を受けます。

もしかすると2008年の小麦高騰のとき以上の問題に
なるような気がします。


ドイツSCHNITTSTELLE FILM制作(2010年)のドキュメンタリ
『食品廃棄物は減らせるか』は啓蒙的な作品でした。

コンパクトにまとめてありますが指摘は鋭いものです。

国連の機関の「世界の食料の半分以上が廃棄されている」
という推計の、実際を掘り下げているのです。
欧米の取材で日本とは事情が違う処もあるかもしれませんが
おおむねはわが国も同じ傾向にあると思います。

そんなにバカな現実があるのか、と改めて驚きます。
食糧安保にも関係するのに。


番組では、なぜ一軒のスーパーに100種以上のヨーグルトが
並ぶのか、という切り口から始まります。

しかも多くのヨーグルトが賞味期限以前に廃棄されているのです。

売り上げの見込みが少ない物は商品棚から外され→廃棄。
中には賞味期限より2週間も早いものまで含まれます。

売れ残りになる恐れがあれば、それらは売れそうなものと交換
されるので、まだまだ食べられるものが、ゴミになるのです。

スーパーとしては「品ぞろえの向上」「他店との競争」などで
生き残りをかけているのでしょう。
また食品会社では「品質向上のため賞味期限の短期化」という
ことも始めているようです。

ゴミが増える方向ですね。
ウィーンのスーパーでは1店舗で1日45kgものまだ食べられる
ゴミが出ているそうです。(学者の調査)

最終的には廃棄の行きすぎを良しとしている一般人にも
大きな責任がありますが、報道などがないと気付きにくいですよね。

消費期限と賞味期限を混同している人も多く
賞味期限が過ぎればすぐ捨てる、というご家庭も多いとか。
ヨーロッパですらそうなんですねえ。

賞味期限はゴミを捨てる言い訳になっている、と番組で
言っていました。


畑で収穫するジャガイモの5割はその場で廃棄されている
これも驚く話です。

ビジネスが優先し、見た目、商品にならないもの
消費者が買いそうもない物、これらは市場へ運ばないのです。


消費国の市場に届いたのちもヒドイのですが
すみません時間切れ。
明日続けます。

もう一人いたら

2012-07-24 15:47:16 | 塾あれこれ
現在、塾の仕事は私一人でやっています。
生徒は一度に3人までですが、それがたとえ1人になっても
労働は3分の1にはなりません。

なんやかやありますからねえ。
一人の仕事は効率が上がりません。


バイトは雇いません。

十数年前、塾を始めたとき1年間だけ大学生に
手伝ってもらいました。
むこうから押しかけてきたのです。
(安い給料で、こき使っちゃった)

優秀な大学生でしたが私とピッタリというわけにはいきません。
もちろん、彼が悪いとか、システムの問題等ではありません。

仕事で自分の意思を通そうと思えば(一人でやるしかない)
のです。

「自分がもう一人いれば」なんて思う時もありましたが
それが出来たとしてもきっと上手くいきません。
ふたりの自分が、大ゲンカしそうですね。

塾の規模を大きくできない、つまり多少なりとも老後の
蓄えなどという考えは持ちえない状況ですから
良い子のみなさんはバイトくらいは雇いましょう・・


自分の考えがゆれますから、その幅で二人の自分がケンカに
なるおそれが強いですね。

また、空想が大きいわりに実行能力が伴わない自分も問題。

更には、状況に合わせた仕事ですから
一日でスタンスが大きく変わる事だってあります。
よって・・
A君を前にした自分Ⅰがその場で判断した仕事を
B君を前にしている自分Ⅱが正確に判断できるか?

どうも、一人でしか仕事ができない私であり、
そういう類の仕事である、ようです。


こんな奴が組織の中で、上から目線の仕事をすると
どんなことになるか・・・
♪はい、さんざんとこの身に堪え・・

下が全く付いてこず、私はただのヒステリー。

結局、3Aを一人で教えるのが効率的でした。
生徒も良く分かっていて「塾内塾やっとる~」


ま、私の名誉のために言うのですが、ど~んと組織でやるか
一人でやるか、両極端の仕事であるようです。

塾でなくとも個性を要求される仕事はそうではないでしょうか。

組織でやるといってもSジョブズみたいにワンマンでしょうね。

アメリカでは夫婦の起業は危ぶむほうが普通だとか。
たとえ夫婦でもケンカになってしまうのです。
(日本は現代でも、まだ奥さまが我慢しますが)

ワンマン組織てのは失敗の危険も大きいですしね。
結局、一人が気が楽です。


組織を作り、維持すると言うのは大変なことです。
失敗した人間が言うのですから「でしょう」というほうが
正解ですがね。

人物の大きさが必要です。

頭では分かっていても、自分も頑張れば何とかなる、ような
錯覚がありますよね。

『失敗し初めて分かるわが器量』

主催者発表、警察調べ・・その2

2012-07-23 18:14:50 | 塾あれこれ
「主催者の発表で千人、警察調べで五百人」
などと言われると、まるで、主催者が人数の水増をしているが
警察がキチンと調べたら半分しかいねえじゃないか、
・・・というふうに理解されやすいですよね。

多分、ン十年も前に、その表現では誤解を招きやすいと
主催者発表ン人、警察「発表」ン人と、「調べ」を
つけなくなっていたと思います。

ところが昨日当ブログで触れた、斉藤さんが引用された新聞
記事に「参加者数は主催者側(15~17万人)と警察調べ
(1万7千人)を併記」となっていました。

参加者数を書いた新聞も、書かなかった新聞もあるようで
上記は、朝日新聞が警察の数字だけを載せるようなことは
していなかったのでマシという文脈です。

それにしても「警察調べ」ってねえ。

オカミのすることは正しい!って未だに残っているようです。


ただし、主催者発表ってのも「本当???」という数字が
出てくることがしばしばありますよね。

よって、そのままは使いづらい、という理由が一つ
主催者ってのはサヨクだから信用ならん、数字を引用する
だけでケガレル・・・というのがもう一つの理由。
勝ち組メディアは大本営的な数字しか載せないのです。

主催者も、何でああなるのか、よく分かりません。
警察発表がつねに小さいので対抗してるのか
国民の見る目をバカにしているのか。
誇張すれば国民は信じると思ってるのかなあ。


重要な直接行動では、参加者数も大切な情報であるので
マスメディアが中立な立場でカウントすればよいのです。

「警察調べ」も「主催者発表」も共に怪しいのですから。

が、調べたところで「○○新聞調べ」という数字を出すことが
まずいという「政治的判断」や「営業判断」があるのでしょう。
だから日本のマスメディアはダメなんだよね。

自分の首を賭すようなバカはいないということでしょう。

その割に、政治的でないものや規模が小さな直接行動は
自分たちで測った数を言うのは何故なのでしょうか。


私が学生のころは、警察対主催者の数字は1:2とか1:3
くらいではなかったでしょうか。
先の6/29は10倍も違いますね、これは異常です。


広島でベ平連のデモがあった時です。
学生の私は実際に数えてみました。当然アバウトですが。

二千人くらいだったでしょうか。(広島では珍しく多い)

残念ながら警察発表の数字も主催者のも、記憶にないのです。
けれど警察「調べ」は大嘘だと思った記憶は鮮明です。
まさか、何で嘘つく必要があるの(・・当時の私のレベル)


何十年たっても日本は変わらないのかしら。
(違いが10倍ってのはひどいですよね。
 変わらないどころか、悪化してる?)
警察も主催者も、マスメディアも。

多少面倒だけれど、人数くらいきちんとカウントしろよな。