匿名の良いところは誰もがご存じです。
自由が保障されますね。
現代のように社会の絞めつけがきついと失敗をしないよう
妙な言いがかりをつけられないよう、尻尾を出さない
生活態度が重要です。
思想信条も発言・行動も筒抜けになりますから。
悪い事をしていないから誰に見られても平気、ということ
でもないようで、どんなことでも理由にされてしまいます。
いったんバッシングの嵐をあびせておいて、後になって
行き過ぎだったとか、間違っていたとか訂正してみせ
チャラにするのです。
残るのは、恣意的にやられた側のダメージだけ。
何しろ怖いですから「皆さまと同じ言動のお仲間です」と
言い続けなければなりません。
封建時代と、さほどの違いはないようですね。
そこで匿名で自分を表現する自由が大切になります。
(しかし人によれば「愉快犯」的な言動もされます)
リスクはあるのですが、プラスが大きいという判断で
支持されているのでしょう。
抑圧社会におけるネットの力は匿名ゆえではないでしょうか。
フェイスブック等も実は適度に「匿名」であるから広がったのです。
トータルで判断すると匿名は大変に重要と考えざるを得ません。
○
けれどね、(前も書いたかもしれませんが)ラジオの放送に
「孫から誕生日プレゼントを貰った」という投稿をするのに
なぜラジオネームなるものが要るのか?
この場合、名前を知られてはマズイことがあるのかなあ。
都会生活は自由度が高いですね。
街を歩いてもマンションに住んでいても匿名が可能です。
田舎ではそうはいきません。
「何野誰兵衛」というかけがえのない個人しか存在しません。
私も小さい頃、母方の田舎で「あんたはイズミヤの孫じゃろう」
などと、覚えのない人から言われて驚いたものです。
つまり(都会で暮らす神経)がラジオネームと通じるのです。
勝手なイメージですが四~五十代以下の人は「匿名好き」
あるいは匿名である事に違和感を持たれないのでしょう。
都会化が進んでいる、と言えます。
一方、ネットでナダレをうったバッシングがおきるのも
(匿名での言動)が後押しをしているはずです。
どこそこへの抗議の電話、などでも匿名でしょうね。
以前はクレーマー問題が盛んに言われていました。
しかしそれは少なくとも自分の名前は出していました。
一種、責任をとる姿勢があったのです。(卑怯だけれど)
今、匿名社会になって無責任の度合いが強くなったようです。
通り魔的な犯罪の増加と通じるものがありそうです。
○
この「大人社会の匿名的無責任」が子供にも影響を与え
いじめの深刻化を招く要因のひとつになっているのでは?
匿名の(その他大勢)にまぎれて、見て見ぬふりをする
人波にまぎれた格好で、いじめに参加する、
大げさに言うと、皆でいじめている、場合があるのではないか?
無実の人には申し訳ないですけれど。
自分がやられるのを恐れるあまりその他大勢に隠れる気持ちは
とてもよく分かる気がします。
職場でドジな人間を叱り、今ならパワハラと抗議されそうな
人間であった私には、いじめる側の様子も分かる気がします。
○
犯罪は論外です。
多分、今回の大津のいじめ事件などは犯罪であると思われます。
(報道の通りであれば、ですが)
匿名の社会であろうが、なかろうが、犯罪は罰されねば
なりません。
もし万一、犯罪の近くに匿名で見ている人があれば
それはいけないと思うのですが、いかがですか?
自由が保障されますね。
現代のように社会の絞めつけがきついと失敗をしないよう
妙な言いがかりをつけられないよう、尻尾を出さない
生活態度が重要です。
思想信条も発言・行動も筒抜けになりますから。
悪い事をしていないから誰に見られても平気、ということ
でもないようで、どんなことでも理由にされてしまいます。
いったんバッシングの嵐をあびせておいて、後になって
行き過ぎだったとか、間違っていたとか訂正してみせ
チャラにするのです。
残るのは、恣意的にやられた側のダメージだけ。
何しろ怖いですから「皆さまと同じ言動のお仲間です」と
言い続けなければなりません。
封建時代と、さほどの違いはないようですね。
そこで匿名で自分を表現する自由が大切になります。
(しかし人によれば「愉快犯」的な言動もされます)
リスクはあるのですが、プラスが大きいという判断で
支持されているのでしょう。
抑圧社会におけるネットの力は匿名ゆえではないでしょうか。
フェイスブック等も実は適度に「匿名」であるから広がったのです。
トータルで判断すると匿名は大変に重要と考えざるを得ません。
○
けれどね、(前も書いたかもしれませんが)ラジオの放送に
「孫から誕生日プレゼントを貰った」という投稿をするのに
なぜラジオネームなるものが要るのか?
この場合、名前を知られてはマズイことがあるのかなあ。
都会生活は自由度が高いですね。
街を歩いてもマンションに住んでいても匿名が可能です。
田舎ではそうはいきません。
「何野誰兵衛」というかけがえのない個人しか存在しません。
私も小さい頃、母方の田舎で「あんたはイズミヤの孫じゃろう」
などと、覚えのない人から言われて驚いたものです。
つまり(都会で暮らす神経)がラジオネームと通じるのです。
勝手なイメージですが四~五十代以下の人は「匿名好き」
あるいは匿名である事に違和感を持たれないのでしょう。
都会化が進んでいる、と言えます。
一方、ネットでナダレをうったバッシングがおきるのも
(匿名での言動)が後押しをしているはずです。
どこそこへの抗議の電話、などでも匿名でしょうね。
以前はクレーマー問題が盛んに言われていました。
しかしそれは少なくとも自分の名前は出していました。
一種、責任をとる姿勢があったのです。(卑怯だけれど)
今、匿名社会になって無責任の度合いが強くなったようです。
通り魔的な犯罪の増加と通じるものがありそうです。
○
この「大人社会の匿名的無責任」が子供にも影響を与え
いじめの深刻化を招く要因のひとつになっているのでは?
匿名の(その他大勢)にまぎれて、見て見ぬふりをする
人波にまぎれた格好で、いじめに参加する、
大げさに言うと、皆でいじめている、場合があるのではないか?
無実の人には申し訳ないですけれど。
自分がやられるのを恐れるあまりその他大勢に隠れる気持ちは
とてもよく分かる気がします。
職場でドジな人間を叱り、今ならパワハラと抗議されそうな
人間であった私には、いじめる側の様子も分かる気がします。
○
犯罪は論外です。
多分、今回の大津のいじめ事件などは犯罪であると思われます。
(報道の通りであれば、ですが)
匿名の社会であろうが、なかろうが、犯罪は罰されねば
なりません。
もし万一、犯罪の近くに匿名で見ている人があれば
それはいけないと思うのですが、いかがですか?