湿気

2015-06-30 11:50:49 | 句など
『雨ゆゑにカレー蕎麦する 汗三斗』

昭和、戦前の花瓶(徳利)です。
@1,000-くらい。
もちろん柄はプリント。
古っぽくてお気に入り

A I I B

2015-06-29 19:51:12 | 塾あれこれ
中国が主導するAIIBアジア・インフラ投資銀行、
6/29に設立協定の各国署名がおこなわれました。
スタートをきった訳です。

当初の予想を上回る国が出資を表明しています。
はたして中国の思う通りに動くでしょうか。
発展途上国にとって良いことになるのでしょうか。

資金1千億ドルの30%を中国が出すとか。
逆に言うと3百億ドルの出費で1千億ドルを支配出来る
ことになるのでしょうか。

参加したEU先進国の先見の目も問われますね。


日本だってこれをどうするか、
難しい問題だけに、国内でも色々な意見があるようです。

日米が主導権を持つ分野に中国が進出を図っている、けしからん。
・・とか、日米の主導するアジア開発銀行に問題が多いようだ、とか。

或は、AIIBの計画はまだまだ雑ではないか。

運用されると中国ばかりが利を得るのでは。

日本の外交に関わる官僚のセンスが悪い
中国を甘く見ていたのではないか

急いで参加を表明すべきで、バスに乗り遅れた
アメリカに遠慮しすぎではなかったか

いや、急いでもメリットはなかった。
多数の参加国にメリットが分けられるなら、取り分は少ない。

途上国への投資が過剰になりはしないか。
無責任な投資が世界経済を乱すのではないか

日米連合が中国と競うというだけではない問題ですね。


しかし、ある種発展途上国の中国がここまでの「政治」を
ぶち上げられるということは、凄いと思います。

日本の政治家や官僚なんかでは考えられません。

万一失敗してもメリットがありそうなことなのに
なぜ日本は発想できないか?

しても、アメリカに潰されるから、なのですね。
戦後、ずいぶん長い時間をかけて「調教」されたのです。

このままでゆくと、ブロック経済圏の固定化が進みます。
戦争のリスクも増しますね。

アメリカに従って、親分の顔色だけみてればよい・・・??

勝手にすればぁ

2015-06-29 11:46:46 | 塾あれこれ
近頃、広島の田舎でも葬儀風景が変わりました。

受付はおくが香典は受けない。
なら何で名前を書かせるのかしら。
参列者名簿でも作るおつもりかなあ。

死んだと連絡することは葬儀に来いということとも
取れます。
ちょっとヒネクレた話ですけれど、時と場合によっては
そういうことも無いわけではないでしょう。

葬儀に出かけて、万一、香典を忘れてたら・・
香典は受けず、ならばよいですけれどね。

でも、行ってみないと分かりませんから準備はし
注意しながら葬儀へ赴きます。

で、「受けない」
ケンツクを喰らった気にもなりますね。

親戚ならば、なおさらです。

以前、こちらの葬式では香典を戴いている。
その記録をチェックして準備してきたのに。

お金も気持ちの表現の一つなのに。
(人間関係の遠近で額が違う)

わざわざ仕事を潰し、遠い処から、前回の父母の
お返しとしての意味がある香典を持ってきたのに
つっ返すんかい。


喪主さんがどれほど関わるかは不明です。
よってグチグチ絡むわけにはいきません。

町内のボスが強く仕切っているかもしれません。
親戚にうるさいのがいるかもしれません。

そうでなくても、善意で信念で「戴かない」かも。
気乗りしない葬式で、あとの面倒まで負いたくないのかも。


どうせなら、葬儀の連絡時に「香典無用」を通知すれば
よいのに、とも思います。

葬儀の連絡の中にはロコツに金の請求ってのもありますし。

香典無用だったら参列準備も簡単になりますよね。
また、場合に寄れば、なら葬式も行かない、もあります。

千の風みたいにする、と言ってね。


私の母の葬儀はごく小さなものを行いました。
喪主は私。

なんで法の趣旨に反して長男がしなければ、という面も
ありますが、他の兄弟は不人情。
「費用は負担するから」なんていうけれど金だけの問題じゃない!

母も葬儀の件では我々夫婦をアテにしていたので
有り難くやらせていただきました。

しかし、それから以後の法要には声を掛けません。
「お気持ちがあればご自由に。菩提寺は複数の法要でも
 よいでしょうし、都合のよいときだけの千の風でも」

で、どんな風かもしれませんが花すら形跡がありませんね。
遺産相続はキチンと持って行ったのに。

『生前はありがとうの花供へ』


こんなことを書くと文句が来るかもしれません。

千の風だのヘッタクレだの。

母の葬儀に駆け付けたのと理屈が合わないんじゃないですか?

「最近は、うつ病の気味で」
ははあ、金勘定はできるが、サボル理由にはなるようですね。

私にもどこかに同じ遺伝子があると思うと、嫌で仕方ない。


『美しき風よあれかし 梅雨晴れ間』

松本「タクシー代」事件

2015-06-28 13:59:11 | 塾あれこれ
タクシーの運転手が釣銭を持ち逃げ、のようで
松本人志さんが「激怒」とか。

世の中は、金持ちが2千円くらいで騒ぐか、という反応が
多いようです。

私も瞬間そう思いました。
でも、事情が分からないので微妙な話かもしれません。

世話になった人のタクシ-代を予め運ちゃんに渡す、
こういうシーンはありますよね。

その時にどういう「契約」がなされていたか。

運転手が、目的地までこれでよろしく、と言われたと
思える話なら釣銭は発生しません。

また、意味不明瞭な部分があったとして、そこで
タクシー側が「3で」と思いこむのも人情です。

はたして「釣りが出たらこの人に渡してや」という
了解がとれていたかどうか。


私なら、最初に「(高いけれども)3でよろしう頼みます」と
言いますね。
現実にそんなシーンには巡り合う男じゃないけれど。

そうでもしないとトラブリます。


「とりあえずこれだけ渡しとくわ」なら釣銭を貰って
松本さんに返す「必要」も出てきます。

運転手からすると、乗せた人が本当に釣りを渡してくれるか不明、
客から預かり証でも取らないといけなくなります。

まして、3千円貰ったつもりなら、釣りは出しにくい。

乗せた客がネコババするかもしれませんから。

何が正しいか、その場の空気でいかようにも変わりそうです。


釣りはこの人に返して、と明確な意思表示がしてあったのに
タクシーの運ちゃんが知らん振りしたのなら
松本さんが怒るのもムリはありません。

けれども、私が送ってもらった客なら、松本さんには言いません。
なんやアイツ、となりますから。
黙って自腹で「釣銭」を渡します。

たぶん、気楽に「釣り、言うたのに」と口にされたのでしょう。
それがミスではなかったか。

また松本さんもTVで言うほどのことではありません。
直接体験ではないのですし。


もしかして炎上商法のひとつ・・?

百田炎上商法

2015-06-27 15:15:53 | 塾あれこれ
国会審議の大切な時期に、注目が集まる政治家の「勉強会」
かねてより「爆弾」の得意な講師が話すとあれば尚更です。

ご当人は、うちうちの会での軽い話、とコメントされますが
思いっきり引きつけておいて、ですから通りません。

それにしても、このタイミングで何という暴論
中学生でも分かる話です。

では、自民党や百田氏はまるきりのアホか?
そうは思えませんよね。
ウラがありそうです。

ツブレ役かもしれません。
バッシングを受けることを見越しての言動です。

炎上商法も同種のものですね。

サッカーやラグビーなどでも遣われる戦法です。

以後、似た言論が続き、インパクトは小さくなるけれど
その分、「当たり前」になってゆきます。

誰かがどこかで汚れ役を買わなければなりません。
あの男なら・・・

ヤクザが企業を脅かすときにも似た手口が使われます。
相手がビビルのを待つのです。


何も今回が初めての手法ではありません。

現在の大手マスメディアはずいぶん自主規制してますね。
過去に権力から脅しを受けてきたからです。

「広告が減っても知らないよ、きみぃ」


政府も、困った風を見せていますが、同じ穴の何とやら
内心では反響の大きさに手ごたえを感じてるかもしれません。

安倍と百田の関係を考えるまでもなく
百田氏は誰かさんの代弁者、現政権の行く先を示しています。


HK

国会で安倍首相が「現在の安保法制に国民が反対しているけれど
PKOの時だって60年安保だってその時は国民は反対した。
現在は賛成している」という趣旨の発言をしています。

民主主義を真っ向から否定していますね。
(オレが正しいんだ、あとから付いて来い)

と同時に過去の自民党政治がそのようであった、という
ネタバレでもあります。

ご親戚の岸信介首相は当時何と言ったか。
「国民の声なき声を聞く」

騒いでいる国民じゃないほうがマジョリティだと言い
表面では民主主義を尊重していたわけです。

岸氏、あの世で「おい、バラすなよ」と言ってるかなあ。


戦前、マスメディアが国家からの一方的な情報ばかりを
流すようになって、ファッショが強大化しました。
そうして戦争です。

百田先生、歴史をよくご存じのようで


上記の安倍発言については、また次回書きます。
大きな間違いがありますので。

文を削れ

2015-06-26 16:46:40 | 塾あれこれ
職業柄、日本語の文章がどうすれば上手くなるかという
本はたくさん読んだはずです。

え?
そういうお前に勉強の効果がない。。?

いや、文のコツが生徒に伝わればよいので
私の実作能力は「運動神経のなさ」です、お見逃しを。


多くの先生方が説かれることは、「文を削れ。」

志賀直哉以来のことのようにも思いますが
谷崎潤一郎などのような「長い文」を否定するわけ
でもありません。

もっと長い複雑なものを削って、あの文章になるのです。


またまた、A→A’の登場です。
この間にズレができます。

一生懸命に長く書くと、ズレが多く、大きくなります。
伝えたいAがぼやけてしまうので「削れ」となるのです。

削られるものが、やせ過ぎてるとなくなっちゃいますが
それはまた別の問題です。


紋切り型がブレが小さいと書きましたが、芸術家はそうは
いきません。
その人のスタイルを作らねばならず、紋切とは正反対。
苦労される筈です。


名文家で有名な内田百。
子供のころの有名な事件を書いた短い文章があります。
『高瀬舟』

文庫本、『戻り道』から冒頭の一文を引用します。

『郷里の街を貫流する大川がお城の石崖の下で湾曲してゐる。』

どってことない普通の文章ですね。

こういう調子で進むのですが、情景がありありと浮かび
作者がくっきりと浮かんでくるのです。

若いころに、何度も百の文章を書きうつしてみました。
淡々と書いてあり、名文のコツなど見えません。
そこまでオレは見えないのか、駄目なのか・・
一種、絶望しました。若かった。


万太郎の名作『春泥』
終わり近くから引用します。

『水のやうに晴れたその大空に影を曳いた夕焼雲。
 -小倉はそれをみて無言だつた。』

どってことない、けれども小説の中では
じわっと沁みる名文なのです。


レベルが低い人間にはどうにも分からない世界のようです。

名文は狙わず、正確さのある嫌味がない文を目指すべきでしょう。
え?そう、自分のことはさておきの話です。

ヘンな哲学者

2015-06-25 20:34:42 | 塾あれこれ
少し前、当ブログでとある連載コラムに勝手に噛みついて
いました。
そのうち噛みつく価値もないものだと判明、
30回だかの区切りで中止しました。

しかし以後も間違いや欠陥だらけの記事は続いているようです。

偉い先生への、妙な奴からのイチャモンというものは
格好のよいもんじゃないから止めたいのですが。


今回は、根拠がない「感じがする」という話なので
『偉い先生』のお名前は記しません。

しかしどうにも気になるし、腹立たしい。
(そんなことで?、と言われるかもしれませんが)


以下、なんだそんなことか、になります。

浜田知明(ちめい)という芸術家がいます。
私の父と同じ年、1917に生まれ、戦場の体験があります。

太平洋戦争当時では、兵隊としては少しばかり年配で
ご苦労も多かったのではないでしょうか。
体力的にも精神的にも。

クダンの先生、ある日、浜田知明のことばを取りあげた
のですが、「解説」で、とある美術評論家の知明評を記し
誉めているのです(少なくともセンセは、ほめた)

なぜ、評論家を介する・・・
自分の感性で映る世界を書けばよいではないですか。

何となくですが、この辺りでセンセイ、浜田知明を
よく知らないのでは、という感じがしてくるのです。

ご存じの方には分かって頂けると思いますが
浜田知明は、多くの作品を、版画であれ彫刻であれ、
味わってこそ彼の発信したいことが分かる作家です。

もちろん、一つでも伝わりますが、ピカソの『ゲルニカ』
のような作品のありかたとは違います。

軍隊には、こんなこともあった、こんなこともあった・・
うっすらと感じられる独特のユーモアは、そうでもしないと
記憶が爆発してしまうから、というほどの
残酷な世界の連続だったのです。

香月康男の(シベリア)に通じる世界


マチスの作品を知らずして彼の言葉を引用する者は愚人

浜田知明だって同じでしょう。

ただの版画作家、程度にしか思っていないのではないか
そういうコメントが「先生」の筆になっていました。

私は
「口先だけで書くなよ」と思った次第。

コの字

2015-06-24 18:18:56 | 塾あれこれ
「伝言ゲーム」続きです。

発信から受信までの間に情報が変化をするのですが、
変化の仕方は時と場合によって違います。

伝達の手段に寄っても違いそうです。
会話などは情報の偏りの修正がききそうですね。
手紙などは行ったきりの恐れがあります。


かかりつけの医者との会話。
「近頃、体調はどうです」
「それほど好くもないのですが」
「ははあ、いつものですかね」

これだけで「コ」の字が3つ。
変容のおそれは3×3で9ケ所にあります。

二人のオッサンの感性や常識が近いと
「よく分かってくれる好い医者だ」となります。

ズレが大きいと変な診察で、効きもしない薬を
飲まされる破目に、


情報伝達のミスを少なくするのはキマリ文句での
やりとりです。
その代わりに定まったことしか通じません。

自分の細やかな世界を何とか表現したいと
エッセイや小説に挑戦する人は古今数しれません。

下手な小説もあふれるわけ。

本人は自分の「作品」が好いものと信じています。

A→A’で上手くいってないことを気付かないのです。
本人にとってAの絵が強烈なものですから余計でしょう。

クールになれるくらいなら小説なんか書きやしないしね。