不調ですわ

2009-06-29 18:12:48 | 塾あれこれ
(チ)おっちゃん、バテとるって?

(私)やー

(チ)イビキかいて寝てるよ。
   寝れるんならいいんちゃう?
   そうでもないって?
   たしかに夜中に何度も起きてるね。

(私)チドリちゃんと違って汗かくしね。
   だるい。

(チ)ウチらも暑いのは弱いねん。
   汗かけるもんならかきたいね。

(私)そうか、汗かけないからカレー食えないのか。

(チ)ウチら年中カリカリでいいの。
   おっちゃん、夏になるとズーズー食べてるの何?

(私)そーめん。冷たくて旨い。

(チ)おなか冷えるんちゃう?嫌いやね。
   第一、自分で高くつくとか言うてるやん。

(私)そうね、他の乾麺より高いよね。
   メンなんてゼータクだけど中でも素麺は高い。
   つゆを自分で作ればなお高い。

(チ)奥さんに毎回味が違うねって言われてるね。
   アバウトなんでしょ。

(私)祖母さんがそうだった。その味を再現するのだ
   からアバウトにやって、しかし一定の味を目指す
   のですよ。祖母さんはいつも同じ味だった。
   私は未完成だけど。推測のレシピにミスがあるかな?


以下そのレシピ?です

料理酒(焼酎)ミリンを3:1 小ナベに5mm深さ
干し剥き海老 大なら5粒 小なら10粒 を上にいれ
アルコールが飛ぶくらいまでグツグツ加熱
戻した干椎茸2~3枚と戻し汁を加える(24時間戻す)

昆布の水出しと水(カルキは抜いておきたい)を
あわせてナベの三分の二くらいの量にします。
梅干の種一つ、醤油控えめに味をつけ
ゆっくり元の二分の一まで煮詰めれば出来上がり。

鰹節を使わないのが多分瀬戸内式
素麺は香りで頂くもの。
従って海老と椎茸で香りを楽しみましょう。

本枯でやったことはないのですが安い鰹節は
素麺の香りを消します。
また水も美味しくないとだめです。

水をペットボトルに頼る生活では素麺は食べない方が
よろしいかと存じます。

オヤジギャグ擁護

2009-06-27 14:19:38 | 塾あれこれ
このところ他と違う自分を表現すべく形容過剰に
なっている人をしばしば見受けます。

40代より下では相当数いらっしゃるのではないか?
表現する人が余り多くないので、まだ目立ちませんが
プロでも怪しいので普通の若い人はどうでしょう?

こういう傾向があまり騒がれないままに続くと
教育の現場でも好ましくないことが増えてきます。

根拠があるかというと、どうも、ありそうです。
学問的な数字があるわけではありませんが。

(学者も近頃怪しいのが多いし。新書を見ると良く分
 ります。
 昔は新書といえど大変な集中で書かれていました。
 今はベストセラーねらいばっかりでウスッペライ。
 読み飛ばすと不正確な情報を与えられかねません。
 学者は上手に、逃げ道を忍ばせてありますので注意!)


先日のNHKFM
みょ~なナレーションの番組がありますが
そこでリスナーの名前を紹介されました。

「ヒデミさん。
 なんてステキなお名前でしょう。
 日が出る海、と書かれるのです。ロマンチック」

オバサンがラジオの向こうで一人盛り上がっているので
つい突っ込みたくなります。
還暦悪癖。

「今日出海を知らんみたいじゃのう、お前。
 いらんこと言うから知識不足がばれるん。」

この程度のことは沢山あります。
なんでこうなっちゃった?と考えて気づきました。
ああ、他人より気の利いたことを言いたいのか、と。

昔の人は気の利いた言葉でも、陳腐な物言いに止めて
いました。
早春「今朝は梅のつぼみも寒さに震えているようです」
みたいにね。
これもそんなに褒められるものではありませんが。

近年はパタンを変えたつもりか形容を過剰にします。
他と違う自分の個性を出しているツモリらしい。

「忘れ物を思い出したかのように今朝は北風小僧が戻って
きましたね。私が朝歩いてくる公園の梅も咲きかけていた
花が風に震えていました。つぼみたちは一斉にコートの
エリを立てて春の訪れまで耐えているようです」
・・ラジオなどでありそうだと思いません?
このセンスで先生が作文指導をすると思うと、ゾッです。

シロウトがファッションショーの真似して町を歩くような
もので「みっともないからおやめなさい!」

多くの形容をし、他人と違う表現をすることが高級で
使い古された言葉は劣るという思い込みがあるので
無理をして、最後には墓穴を掘ってしまうのでしょう。

梅雨は蒸し暑い、でよいのです。

肌に湿気がねっとりとまとわり付くようでじとじとした
何だかフユカイな天候ですねえ・・書くのもキモい。

形容過剰はアホというより子供っぽさの表れでしょう。
多分、アメリカ文化に多くある幼児性に汚染されている
ので40代以下の日本人の多くがダメなのです。

(相手を思う)より(自己主張)が勝ってる。。。

開高健が形容過剰の文章を書いたのは幼児的自己主張
の芸術世界だからこそ許されるのです。


決まりきった言い方をするのが大人です。

長く歩いて足が棒になった、これが正しい言葉で
「足が岩みたい」とか「足が死んじゃったよ、動かない」
幼稚園くらいまでなら(可愛い)で済むのですがね。
今なら20、30で言いかねません。

志ん生や文楽は何度同じ話を聞いても笑えます。
これが大人の芸。
若い人のギャグはなぜ一回限りしか面白くないか?
大人の芸に磨き上げられていないからです。
イトコイさんなら同じギャグで笑えますね?

行きつけの店の同じ握り(こんなのあればなあ・・)
これが大人。

子供は直ぐ飽きますから回転寿司で妙な新製品を
喜びます。
本物がわからないから目先だけで喜ぶのですね。

魯山人は家で玉子かけごはんを食ってたとか。
これが大人。


従ってオヤジギャグが分らないのは子供。

(もちろん妙に受けたいバカオヤジのそれは
 無視しなければなりません。どうしようもない!)

きまりきった世界の面白さが分らなくなった日本人は
これから更にアメリカナイズされてゆくでしょう。
本家からはバカにされつつ下手な英語でお愛想笑い
ありゃ、どこかの総理大臣みたいだね。

すみません予想外に長くなっちゃった。
次回続けますね。オヤジギャグ弁護?

沖縄のオバア

2009-06-25 18:38:21 | 塾あれこれ
中学高校のころから沖縄に対して文化的なあこがれを
持っていました。
衣・食・住・音楽・踊・生活スタイルなどなど。

小泉文夫さんが紹介した音楽のインパクトが
一番強かったでしょうか。
(当ブログ08.6.30に少し書いています)

長じて政治の流れを知るにつけ
薩摩支配→琉球処分→沖縄戦→米軍統治と続く
過酷過ぎる歴史に思いを馳せないわけにはいきません。

そんな下地があったので卒論に沖縄をテーマとしよう
と思ったのです。
何度も書きますが出来ようはずもないことに気づかない
私も(バカモノの特権)を得ていたのですね。

本を集め、構想を練り、12月の初めから沖縄旅行もして
体験的裏づけをとる、そして論文・・

アルバイトで稼いだ金ですから遠慮は要りません、
ほぼ2週間の、自分としては長旅でした。

今思うに石垣島や竹富島がルートにあること自体
どこかにお遊び感覚が隠れていたのでは?


ピンクの薄手のセーターで歩いていると
学校帰りの小学生が後ろをついてきます。
歩く方向が一緒だったのでしょうね。

私は当時長髪、ガリガリにやせ、いまなら「キモい」
がぴったりでしたが沖縄の子らにも性別??と見え
たのでしょう。

「女、かな。髪が長い。ピンクの服だし」
「聞こえるぞ」
「ヤマトンチュには分らんさ」
「おっさんの感じもするなあ」

旅行直前、広銀だったかで「あなたは女か?」と
銀行のオッサンに聞かれたこともあり、子供らの
そんな話は可愛いものでしたが
彼らの話がよく聞き取れたことが嬉しかったなあ。
(それにしても広銀!顔見りゃ分るだろ)

若干の勉強の甲斐があり、当時は聞き取りなら何とか
できていました。(今はダメ)

竹富島でもオバアサンと話ができました。
生まれてこの方この小さな島から出たことがない、と
話されていましたね。

あとで民宿のオヤジが「見直したよ、~のオバアと
話をしていたね」

旅行の終わりごろはシャベリも上手くなり那覇の
飲み屋で地元の人に間違えられていました。
自慢できるでしょ?

もちろん卒論のことも忘れてはいませんでした。
苦しい経済、重い米軍基地、
それらを南の島に押し付けてぬくぬくと生きるヤマト
あまつさえ差別感情まであるのですからあきれます。

それでも沖縄の人は基本的に優しい。
が、戦争の話は細かくは聞きだせなかったですねえ。


さて石垣島、畑の中の雑貨屋でした。
バス停の前にあり時間待ちで店を覗いていると奥から
店の方が出てこられました。

小柄でやせこけ、蓬髪、シワだらけの黒い顔、歯も・・
私が遠方のものと分かるはずなのに強い訛で話しかけて
こられました。
必死になって聞き取りました。

私はバカですから心の奥で「あぶないオバアちゃう?」

話を聞いているうちに
「兵隊さんがいるころが一番良かった」

耳を疑いました。
旧日本軍をこう評価する人がいるとは。
先島では戦闘はほとんどなかったので本島や周辺とは
条件が違いますが、それにしても。。

沖縄の人はみな平和を願うはず
日本軍はいったい何を守ったのか
ヤマトンチュはどのような視線を送ってきたか

一見してアヤシイ風にも見えるオバアだけに逆にウソは
ないはずです。

実はこのヒトコトで卒論の構想がぶっとんだ。。。。

無視することは出来ませんでした(←バカかも)
オバアのような人の存在まで含めた「論」を目指して
いたのです。
そんな大きなこと、ムリだよね。

すぐに怠け癖が出て2月くらいには完全に諦めました。
卒論がなくても卒業できた良い時代です。


戦争中の記憶が生々しい人が沢山おられた時代です。
逆に人を殺した人間も町に沢山いた時代です。

わがオヤジも鉄砲は自分が撃ったのが当たったら分ると
言っていました。
オレは人殺しはしていない、とも。

バイト先の大人が戦争の話をしていることもありました。
人を殺したと威張っているのです。

実はそれらも踏まえねばならぬヤマトンチュの沖縄論です。


今の私でも笑っちゃいます。
二十歳すぎたばかりのバカモノに何が分る・・

結局キトクな会社に拾ってもらい遊び呆けるわけですが
後の生き方に知らずしらず影響を与えていたことに
今となって気づいたのですよ、あのオバア。

自分の固定観念だけで世を見る危険
いろいろな人がそれぞれ生きる権利をもつ社会。

(いったん終了しますね)

高校で 法律<政治と習った

2009-06-24 14:23:20 | 塾あれこれ
皆、岩○先生には困っていた。
なにしろ授業をしない。

ののちゃん、が通う夏川学習塾の先生はよく話が脱線
するようですが、この岩○先生はそれどころではなく
まったく授業なし!

「今日の範囲は教科書の○ページから○ページ
 各自、家で読んでおくように」

(ブ~イング=何故か人気があったので皆ワーワー)

「うるさい!読めば分る。読んで質問があれば来い。

 さて、今日はイスラム教の話をしておこう。
 範囲の理解に役立つからナ
 そもそもキリスト教とは兄弟なのじゃ
 だからよくケンカするようになっとる・・」

旧約聖書から唯物史観までネタを取揃え
面白く話をして下さいました。

定期テストが近づいても何も教えなかったですねえ。
ヤマカンの出る幕もなく困りました。


そんな先生ですから話もあちこちに飛びます。

「法律と政治、どっちが上だ?」

必死に考えていると

「法律は出来た途端から古び始め社会とのズレが
 生じてゆく。分るか?
 現在ある法律は常に過去のものだ、とも言える。
 政治は現在を扱い、法律を作る。
 したがって法律<政治」

これは高1だったか2年だったか。
それまでの教科書の勉強には出てこない新鮮な授業
でした。


若いころモラトリアムという言葉が流行りました。
若者は自分で意思決定ができず大人になることを
避けていたいのです。
そういう状況を示す言葉として広まりました。

半世紀近くたった今と違いはありませんね。

私も120%のモラトリアム人間。
大学入試が近づいて困りました。

親が示す条件以外は自分で考えねばなりません。

そういう人間のすることは消去法。
サラリーマンになるだろうから、就職に不向きな
学部学科は避け。。

政経学部法律政治学科政治科という選択になったのです。
法律は覚えることが多く勉強が大変そうだったから。

岩○先生の話も影響していたかもしれません。
というか楽になろうと口実を見つけたのでしょう。
高度な話はオソマツな人間にはハンパに伝わる・・・

それが甘いことはすぐに分りました。
人間の複雑さが一番凝縮される政治世界を20歳前後
で理解できる人間はそう多くはいません。

左派政治学も右派政治学も一生懸命にやったつもり
ではありましたが結局現実の複雑怪奇さに暗然とする
ばかり。

ヘルメットかぶって角材持ってる連中のお気楽な、いや
純粋な行動にはついてゆけませんでしたね。
本気でやろうと思ったとしてもビビルほうだから
逃げ出していたでしょうけれども。

まあバイトばかりでお茶を濁した大学生も卒業が迫り
卒論のテーマ!という難題が迫ってきます。

そこで「沖縄の政治」などという大それたテーマを
思いつき、いま考えればどこまでアホだったか・・
そのフィニッシュとして沖縄旅行をしたわけです。

(つづく)

学生最後のときに

2009-06-23 10:03:11 | 塾あれこれ
大学生最後の12月、沖縄へ旅行にいきました。
以下その時の話などですがきっと量が多めに
なると思います。
(続く)形式になりますがご容赦下さい。

昔の写真も探せばどこかにあるとは思いますが
ミニで撮ったものですからいつもの写真以上にダメ
でしょう。
見つけても使えないなら時間の無駄、探しません。
若かりし私をご紹介できなくて・・へへ


少し前、日差しが強い道の向こうにご婦人がおられました。
私が向かうのと同方向のようです。
遠目にも年配の方特有のO脚です。
(母も晩年そうでした)

気になったのは上半身がかなり左に傾いていること。
それで歩けるか?

すぐに理由が判明。
押していた自転車が電柱で見えなかったのでした。

その所為でしょう、かなりゆっくりと歩いておられ
距離があったのにすぐ追いつきました。

追い抜く時に自転車にかけた手がチラと見えましたが
とても外を歩ける健康状態には見えませんでした。

(なぜ、わざわざ大変な自転車を?)
と考えましたが声もかけることなく過ぎてしまいました。

私が追いつくより先にご近所の方と挨拶をされていたから
このあたりに住んでおられるのでしょう。

多分買い出し。
ご老人が持っておられるコロコロみたいなキャリアー
を多分お持ちでない、やむを得ず昔の自転車で
というところでしょうか。

ごくゆっくりでも自分で歩いておられる人に見知らぬ
者が声をかけるのは失礼です。

「オバアサン、大丈夫?」
そう口にする気持ちが分らないのですが、私冷たい?


少し先が治療に行く病院=私の目的地です。
国道の信号がある角、という良い立地ですね。

済ませて表に出て驚きました。
病院の日陰に腰をかけられる場所があり先ほどのご婦人
が座っておられます。自転車を立てかけて。

やっとここまで来た、ここで休んでおかないと、という
感じでした。
髪は櫛けずったあとも見えず、ただうつむいて。

ただの傍観者ということが嫌になる瞬間。
そうしてそれを飲み込んで立ち去る後味。


そのとき40年近く前の老女を思い出しました。

何が似ているというわけでもありません。
こういう風に何の脈絡もないことが浮かんでくるのは
(カンレキのチカラ)以外の何者でもありませんね。

所は沖縄、石垣島。
畑をまっすぐ伸びるバス道。
バス停の前に一軒だけぽつんとある雑貨屋。

(つづく)

授業は目でする

2009-06-21 10:38:42 | 塾あれこれ
ご近所で植えておられる花です。(盗撮)
道の際でコケかなと思っていたのですが。


評論家三日目です。
自分のことをタナにあげ言いたい放題ってのも
落ち着きませんから今日で切り上げましょう。

一斉授業においては教員と生徒の人間的な関係が
大切ですが、それは目に現れますね。
(目以外でもありますが)

ワンパタンの例えですがオーケストラの指揮者は
何を使って指揮をしているでしょうか?

指揮棒も重要ですが、まず体全体からあふれる存在感
そして何と言っても(視線)

お金持ちがオーケストラを借り切って指揮者の真似を
披露したがるそうです。

オーディオの前でも手をふって没我状態になれますから
生で客を招いての指揮は気持ちが良いでしょう。
(学生の頃ムシカという音楽喫茶でスピーカーの前にたち
 一生懸命「指揮」をしておられる人が・・・)

楽団のほうがえらいと指揮者を無視します。
(N響の地方公演はロコツだね、二度と行かない!)

教室ではこうはありたくないものです。

うまく関係が出来ると教員=指揮者、生徒=演奏者で
気持ちのよい関係ができます。
もちろん音楽のように一方通行のきつい関係だけでは
よくありませんが、教える授業のときは気持ちよく
指揮者になれるとよいですね。

自分が指揮者のつもりになることが大切です。
生徒の視線を一身に浴びこちらもきちんと目配りする。

指揮者がするように顔を右に向けたまま左手で別の指示
をだす、なども難しくありません。

ヨソを向いているようでも当たるぞ、となれば初めての
クラスでもすぐにまとまってくるでしょう。

生徒の視線を得ていればこちらの考えも伝わります。
不規則発言をする子は授業に乗れない場合が多いのです
から、まず自分のワールドに引っ張りこむことです。

そのためには、まずこちらの視線。


もしテレビドラマで上記のようなシーンがあれば
「不自然だ」と言われるかもしれません。

だったら世間の目がそうであるうちに良い授業を展開し
他の人と差をつけるチャンスかもしれません。


できたらよいなあ、と思っていたのが指揮者の授業。

なかでもカルロス・クライバーみたいなのを一度でも
できたら・・という大それた夢を持っていました。

遠く足元にも及ばないまま塾勤めをやめ
授業をしなくなって十年余りになります。

続けていれば少しは上手くなったでしょうか?

体力が落ちてゆくからもともと弱い私はダメ。

板書もできねー

2009-06-20 09:13:49 | 塾あれこれ
広島は空梅雨のようですね。
写真はイタリアンパセリです。


さて、授業評論家の二日目です。

前回の大まかな精神論から少し細かく書いてみます。

板書ができていない教員が未だにおられるようです。

板書(ばんしょ)する、とは黒板に書くこと。
その際の姿勢が出来ていないのです。

生徒が黒板になにか書くときは教室側からみると
むこう向きになりますね。
それと同じ格好で先生が黒板に向かっているので
その光景には驚きます。
後頭部がご自慢で生徒に披露されているのかなあ。

教室のすみずみにまで視線を配っておかねば
緊張感を維持できないはずです。

黒板の前では生徒に顔を向け体を開いて書くことが
基本中の基本姿勢になる理由です。

板書以外でもペーパーや教科書などを手にし
それを顔前にかざしておられる先生もおられます。
生徒から顔を隠したいのでしょう。
いや、生徒を見たくないのかもしれませんね。

教科書などを教壇においたまま、それに屈み込み
まっすぐ立っていることがない寄っかかり型。

生徒が前を見るといつも頭頂部チェックができる様な
姿勢でおられます。

いずれにしてもプロとしてはだらしがない姿勢です。


授業は何も見ないで進めたいものです。
予習しておればそれは可能です。

何より、自分が次にする授業のシナリオを書く
のですからそれを頭に入れておくことは当然で
頭に入らないまま(客の前に立つ)のはプロとして
不心得といえるのではないでしょうか。

吉本の舞台でペーパーを手にしたお笑い芸人が出る
ことが考えられますか?

オーケストラの指揮者や演奏家が楽譜を面前に置いて
いますが、あれは念のため。
基本的には暗譜しています。

ピアノのリヒテルは絶対に舞台で暗譜演奏をしなかった
とか。
彼だって覚えているはずで、性格(もしくは主義)で
そうされたのでしょう。

教員が手抜きをしているのとはワケがちがいます。

教員も気休めで教壇にペーパーを置いていても大丈夫
ですが、基本は(暗譜)でしょう。

生徒が教科書を見ながら先生は暗誦する、
これで見る目が変わりますよ。


見ないでやるのだから間違えることもあります。
それはよいチャンス。
すぐにカンニングペーパーを引っ張り出すのではなく
生徒と一緒にミスを探しましょう。

「おっかしいなあ。
 ねえ、これだからこうなって・・
 間違ってるか?」

定着しやすい授業になります。

(ちなみに、恥をかけない教員って最悪)

もし教室がざわつくならば自分の(ワールド)不足。

思いのたけをぶつけるチャンスかもしれません。

授業の仕方

2009-06-18 10:22:41 | 塾あれこれ
授業をしなくなって久しいですね。
自分でしないので授業についてモノを言える
ようになりました。
プロ野球を見ながら「なんじゃ、一歩前へ出にゃ」
なんて叫ぶおじさんと同じです。
というか、引退した選手が注文をつける方でしょうか。

『自らをタナに上げれば解説者』

真似をしてみましょう。


授業は主に経済的理由から採用された教育形式です。
(個別じゃ高くつきますよね)

教える側の都合で授業形式を選択しているのですから
効果を挙げるかどうか、教える側に責任があります。

別の方式、たとえば個別指導(補習ではありません)
を採用しないのですから、それなりの対応をし
決して生徒の責任にしてはなりません。

「子供がダメになっているから」
「モンスペがいけない」
など言うのは愚か、思うだけでもOUT!
自分が悪いと思わなくちゃ。

税金を使いながら、月謝を頂きながら、自分達の都合で
授業形式を選択していることを繰り返しておきます。


授業、といってもさまざまな方法がありますね。

ここでは昔から行われているオーソドックスな授業に
ついて述べます。
教壇で黒板を背に「教える」授業ですね。
一斉授業では、やはりこれが一番多いでしょう。


いつもながらまず精神論から。
何においても気持ちが重要です。
相手に伝わります。

話を聞かないのがいたら「何で聞かんのか!」
教える側としたら当然ですよね。
思うだけではだめです。
伝えなくてはいけません。
言わなければ相手はその程度のことと思うからです。

よそ見している生徒を放ったまま、なんて×

授業時間中は一秒たりとも教師への集中を切らす
ことを許してはいけません。

(注意一生、怪我一秒)・・ん?違うか。。

「いいか・・」と話し始めた瞬間、一人でも
こちらを向いていない生徒がいれば(負け)
自分のワールドに引っ張り込めていません。

人が話をしているのに相手を見ないのを放っておく
教育は古今東西ありません。

教育上よくない!

(教育情欲内)って変換しちゃったよ。
 pcも飼い主に似るのか・・

授業中ならばたとえジョークで笑っていても
教師のコントロール下になければなりません。

ところで個別対応ならば余所見も構わないのです。

楽そうですか?


授業をしてやる、という高みにいてはいけません。
しなければならない最低の義務です。

自分を棚に上げて気楽に言いますが
上記の話は一斉授業をする時の絶対条件と考えます。

自分のワールドなんてムリですか?
必要なのですが生徒に提示できません?

じゃ、個性が全くない人が生徒に向かって
「個性を伸ばしなさい」と教えているわけ?

プロとはいえないね。
ボランティアでもお引取り頂きたい。

自分の思うところを進めればそこに「~ワールド」
って出来るのです。(光太郎だね)


前の塾でも言ってたつもりなのですが
「イノウエと同じにはできない
 人間が違うから」
・・という反応でしたなあ。

しょーせきのーほーしょー

2009-06-17 15:32:58 | 塾あれこれ
暑さでカミサンのアジサイがもちません。

私も例によってモタモタしていて久しぶりに更新が
二日間とんでしまいました。

月曜、皮膚科の病院で
「これはショーセキノーホーショーかもしれませんが
 まず薬で様子を見ましょう。
 もしショーセキ・・なら直りにくい」

火曜、耳鼻科の病院で咽喉をみてもらうついでに
この薬を使っていますと手を見せながら申し上げると

「きみ、これは掌蹠膿疱症、といって
 この咽喉からきてる。
 こんな薬つけて直るわけがありません」

いや、あのですね、私に怒られても。
月曜のお医者さんが塗れと仰ったのでして・・もぐもぐ

(昔タイプの医者だなー。
 私もこんな態度で仕事することがあるかな?)

ちなみにネットでみるといろいろな原因があるようです。
咽喉だって、何か別の病気の結果かもしれませんよね。
ヤだねえ。


消毒やら薬やら、鼻と咽喉を色々な機械でオソウジし
その上、点滴。

多分生まれて初めてです、点滴をするのは。
30分はタイクツ。。。


お薬5種、病気は治るけど腹具合など狂うのが私でして
困ったもんですねえ。

今日は歯医者。

懇談や学校説明会の間を縫って病院の予定もたてこみ
普段のヒマが嘘のようです。

鶴と巨大恐竜

2009-06-14 14:22:22 | 本の話
先日の話の続きです。

バードウォッチャーの悪口?を書きましたが
自然保護に一役買っていることは存じております。
NHKブックス『鳥たちの旅』樋口広芳著
などでも触れておられますね。

著者の樋口教授は人工衛星で渡り鳥をトレースする
専門の方です。
仏映画「WATARIDORI」のアドバイザーも
務められたそうです。

野鳥の会その他のボランティアも大切だと分ります。
私がいうのはもう少しハズレの方向での話ですが。

繰り返しますが個人の趣味そのものへの揶揄では
ありませんので。


弁解ばかりしていますが
鳥の話です。

鳥に限らず何かに興味を持つとその方面の理解も深く
したがって記憶にもプラスになります。

三村芳和著『酸素のはなし』にも鳥が登場しました。
この前引いた難しそうな話だけでなく興味深い話も
多く書いてあるのです。

『ネイチャー』に発表された鳥の話。
600kmの渡りの間のエネルギー消費を調べると
飛んでいるときのほうが中継地で行動しているときより
エネルギー消費が少ないんですって。
それも二分の一くらいだとか。
いくら風に乗って飛んでいても、ずいぶんと効率のよい
生き物であるようです。

巨大恐竜が地球上で反映していた当時は酸素濃度が
現在の21%の半分10%ほどだったのです。

そんなに薄い酸素でどうやって毎日何百トンもの
エサを食べそれを酸素で燃やしていたのか。。

人間だってアンデスやチベットでは似た条件で暮らして
おられるのですが、恐竜ではスケールが違いすぎます、
体の仕組みに秘密があったのかもしれない。


以前NHKで放映されたヒマラヤを越える渡り鳥
アネハヅルをご覧になりました?
世界でもっとも小型でかつ美しいツルだとか。

8000mのダウラギリ峰を(優雅に)越えてゆくのですが
いくら上昇気流を捕まえるといっても地上の三分の一
の酸素しかないところを飛んでシンドクないのか?

ヒマラヤでは屈強の登山家が酸素ボンベを背負わないと
歩けないということです。
酸素ボンベなしで登ったメスナーの様な人もおられますが
普通は(生きる死ぬ)の世界です。

鳥は人とはずいぶん違う能力を持っているようですが
これが先の10%濃度下で生きた恐竜と共通する処が
あるのではないか?
鳥は恐竜の子孫ですから。

それは。。

現在の鳥の呼吸の仕組みその他、興味がある方は
上記の本(「酸素」のほう)をお読みになってください。