学力が剥がれ落ちる

2006-09-11 22:56:10 | 剥落
以前から大きな問題とされてきましたが、未だに
解決策はないのではないでしょうか。
例によって数日にわたると思いますが、学力剥落の
問題について書いてみます。

習った直後は出来ており、本人も分かったツモリの
学習が暫く立つと、例えば数ヶ月のちにはきれいに
忘れ去ってしまう、これを学力の剥落といいます。

我々普通人も多少とも忘れてしまう傾向はありますが
問題になったのは生徒たちの剥落が悪すぎた事です。
感覚的に言いますと「目を覆いたくなる」状況なの
です。

剥落には練習量も関係します。
練習不足がそれを進めることは事実でしょう。

けれども、大手進学塾でも起きているということは
そこでは量はこなしていますから、練習量だけでは
無いようですね。

かなり深刻な問題ですが
マスメディアではあまり騒がれません。以前からの
ことでもあり、近年それ以外の問題が多く発生して
きているからでしょう。
ただ、大きな問題であることは間違いありません。

学習が1歩ずつ次の段階へ上がって行くときに
以前のことをすっかり忘れていると、次の段階で
躓く恐れがあります。

そこで新しい単元に行く前に、昔の復習をして
思い出してもらってから進めるのが普通です。
昔はそんなに丁寧にする必要はなかったですが。

まずここで時間のロスですね。
これを繰り返して行くうちに、人によっては前の
前に遡らねばならず、次では3段階もどらねば
などと次第にやりなおすことが増えてゆきます。

新しい単元の学習に際して負担が大きくなりすぎて
そのうち勉強から気持が遠のいてしまうのです。

では、剥落するとはどのような過程をたどるので
しょうか。
コマギレですが、明日。 9.5






剥落

2006-09-10 22:23:50 | 剥落
剥落するのですから「記憶」ということを考えてみましょう。

記憶はたぶん下のようなステップで働きます。

①理解する
②覚えこむ
③記憶を保持する
④記憶を取り出す
⑤活用する

このなかの一つでも欠ければ記憶が働きません。
結果として「記憶されていない」つまり剥落している、
大雑把ですが、このように言えると思います。

順番に見ていきます。
①理解する
これが一番大事なことですね。

学校や塾の授業では最も腐心するところです。
分かりやすい授業、永遠のテーマですね。

丁寧に説明するだけでよいのならば、簡単な話ですが
却って分かり難くなることもあります。
多少の乱暴は承知で、思いきって太筆の説明をされる
ベテランの先生も多いと思います。
細かいところは追加で説明すれば良いので、ポイント
は何かをまずクッキリと示すのです。
(若い私はそれが出来なかった。下手な講師でした)

でも同じ授業を聞いていても、キチンと力がつく
生徒と、剥落してしまう生徒とが現れます。
よい授業だけでは解決しないことですね。

同じ話を聞いても個々の生徒で理解の深さが違うの
でしょう。

一人一人がどれだけ分かっているかチェックしなけれ
ばいけません。
もちろん、クラス一斉に習熟テストなどという具合で
はよく分からないことも多いでしょう。
学習内容がよく分かっていなくても、言われた通りに
作業をしておけばマルを貰えます。
分かっていないことが見つけにくいのです。


それを見つけるのに有効なものが応用問題です。
いつもながらの平凡な話で恐縮ですが・・・

応用問題をある程度の難しさまでやってみると
どこまで分かっているかを判断できます。

上記は基本的な話ですので実際には単純に応用問題
を与えてデータをとる、だけでは済みません。
(この辺りで教員の力量が分かります)

なお、理解を定着させるための練習量も必要ですの
で、これも強調しておきたいと思います。

②覚えこむ、以下はまた明日。 9.6

「理解する」と「覚えこむ」をつなぐもの

2006-09-09 22:54:50 | 剥落
文章の都合で「理解する」と「覚えこむ」とを
分けましたが渾然と重なった部分もあります。

昨日、練習について触れて終わりましたが
「覚えこむ」に練習が大きく関係します。

覚えこむということは「理解できた」ならば自動的に
できてしまうものでしょうか。
パソコンを習ったとき、車の運転を習ったとき、どう
だったですか?分かったつもりでも、出来ませんでし
たね。

英単語を覚えるのも同様です。
意味が理解できてもすぐには覚えられません。
反復して練習が必要です。
おしなべて勉強で覚えこむには練習量が必要です。

したがって塾もここに力を注ぎます。最近は学校も
練習量が大切なことを考えてこられました。

もちろん個人差が大きいのですが、とある一定量の
練習が必要であることは間違いありません。
機械的な練習はあまり面白いものではありませんが
必要です。スポーツにも似たところがありますね。

ただし練習量ばかりを求められると勉強がイヤに
なってきます。
また、すでにマスターできて必要の無い人に他の人
と同様の練習をやらせるのもよくありません。
そこで、個人の進度にあわせて、進む人はどんどん
進み、それによって到達感を与えようという公文式
などの方法が登場しました。
(この辺り、私の独断と偏見かもしれません)

一斉授業の欠点も補えるし、なかなか優れたやり方
でしたので全国を席巻しました。イヤ、しています。

ところが逆に、考えることを抜きにして、反復練習
ばかりを好む生徒が生まれてきたのです。
本来、面白くなかったものを面白くしたために
皮肉にもこういうことが増えてきたのです。

こんな生徒でもテストをすれば一定の点数はでます
から本人は安心しています。
場合によっては「考える子」より点がよいのです。

私は不安ですね。
もしかして、本当は分かっていないのに、マルなのだ
から分かってると錯覚しているかもしれないのです。

学年が上がるにつれ成績が下降したり、計算はできる
が応用ができないという、考えてみれば奇妙な生徒が
増えている原因の一つではないでしょうか。
(明日へつづきます) 9.7

勉強してあげるから解き方教えて・・・

2006-09-08 23:07:20 | 剥落
昨日の続きから。

覚えこむには練習量だけではなく、記憶することの
インパクトの強さも関係します。
昨日はあまり触れていませんでしたが、各先生方も
授業で工夫されているところで、大事なことですが
文の流れもあり、あまり触れていませんでした。

さて、練習について若干追加しておきます。

万一、教える側に勘違いがあったり、教わる側が
間違えていたりしてはいけないことです。

教える側が授業を端折ってしまったりして、練習に
重点をかけすぎ、それだけで教えたツモリになる
という場合があると思います。
これは「教えない」とは言いません。

現実に、生徒の中には基本から説明しようとすると
「理屈はいらないから、やり方は?」
なんていう子がいますよね。
応用問題が解ける解けない以前に、取り組む気持も
なさそうです。
「解き方を教えてくれたら、やってあげる!?」

③記憶を保持する
これも、覚えこむと重なっています。

いったん記憶しただけのものは、あっと言う間に消え
てゆきます。以前読んだ本では20分で三分の一になる
と書いてありました。
残った三分の一も更に時間と共に消えて行くのですが
消え去る前に覚えなおせば、次第に下降線が緩やかに
なってゆくのだそうです。
時間がたっても忘れ難くなるのですね。
繰り返して行くうちに下降線をたどらなくなり100%
忘れなくなります。
練習して覚えるのは、覚えきるまでの刺激を続けると
いうことでした。


一夜漬けは、上記の100%に届く前に下降線がひどく
ならないうちにテストをうけるのです。
一定の数字はとれますが、完全に覚えきっていない
ことが多いので、いつの間にか忘れてしまいます。

(明日へ続きます)9.8



忘れてしまう一夜漬け

2006-09-07 18:51:07 | 剥落
茄子の一夜漬けなら忘れてしまってもいつか取り出
せます。
この古いのが日本酒に合いますね。
酸っぱくなったのをとんとん刻んで針生姜と。う~む

ええ、それは話題が違うので、勉強の一夜漬けでした。
気分を変えて書きましょう!

勉強の一夜漬けはどこかへ消えてしまいます。

もちろん、テスト当日は役にはたちますけれど、
テストということを「目的」として捉えているだけ
ですので長い目では役立ちません。

一定の効果があった人が一夜漬けを続けますから
少なくとも点数分だけは自信があると思います。
やればできる、という気持もあるでしょう。
更に、一夜漬けよりも充分な手を打つことをすれば
もっとよい結果も、と希望的観測をしているに
ちがいありません。

反対にマイナスの面も分かっているハズです。
一夜漬けは忘れやすい、とか
範囲が広いなど対応しきれない量になると結果が
よくない、とか。

それでもシツコク、忘れても自分がもう一度やれば
なんとかなる、と思い込み、やらなくて大丈夫
という方向に向かうのです。
なかなかキチンと勉強にむかってくれません。
「やれば」できるという根拠の薄い自信が妨げをし
怠惰な自分を甘やかしてしまいます。

生活習慣病の人がなかなか生活を変られないのと
よく似ていますね。

このタイプを変えるのは難しいですね。
更に悪いことに、彼らは理解しないで点を取っている
恐れも強いのです。
ちょっとやり直してみればまたすぐマルが取れるので
自分が分かっていないことを自覚できないのです。

成績は次第に下がり始めるし、思うほど点がでないし
難しい単元は分からなくなるし、あとで苦労します。

一夜漬け専門だった私がいうのですから確かですよ!

どちらかというと「分かっている側」に自分はいる
と思っていますから、その人に「分かっていない」と
告げるのも難しいことです。
ウソだろ、で終わりですね。

塾がそんなタイプの人に「お前は分かってない」と
強引に見せつけることもできなくはないでしょう。
でもそれで当人の心理はどうなるでしょうか。
本来持ってしかるべきプライドまでなくすかもしれ
ないですよね。

しかし、一夜漬けを放置するわけには行きません。
いづれ行き詰まることは見えているのですから。

正しく自己認識させ、勉強を生活習慣にしてもらわ
ねばなりません。
一気には変われないことです。
粘り強く、声掛けのタイミングを探し、根気強く
働きかけねばなりません。
ご家族の応援も必要でしょう。


この稿、一夜漬けの話というより記憶保持の話で
あったのですが、自分を振り返って長いオシャベリに
なってしまいました。

記憶保持。
いったん100%覚えこんだ記憶は剥がれません。
若いときに叩きこんであること(語学とか)は
いくつになっても忘れていません。
ほんの少しのきっかけで見事に甦ります。

もし「え~っと、覚えてたんだがなあ」などと記憶が
戻ってこないとすれば、それは最初のインプットに
問題があったといえるでしょうね。
9.9

取り出せるように仕舞うのが大切

2006-09-06 15:27:19 | 剥落
祖母によく言われたものです。
片づけがきちんとできない性格は直りませんでした。
この仕事をしてみて、よくないことと気付きましたが
遅すぎた。

一般論としても整理がわるい人の勉強は伸び難い傾向
がありそうです。違う人も時々はいますけれども。


④の「記憶を取り出す」

きちんと記憶しておけば比較的楽に取り出せる
ようです。
特に、普段から頻繁に取り出しているものは
簡単に出てきます。
長い期間取り出していないものは出てきにくい。

例えば、副助詞に何がある?
と聞かれて普通は直に答えられませんよね。

「ば、と、ても、けれども、が、のに、ので・・」
なんて言われると出てくる人もいるのではありま
せんか?
「・・から、して、ながら、たり」

塾に勤め始めてしばらくのとき、十数年振りに
副助詞が口をついて出てきた時には驚きました。
まったく忘れていても思い出すものですね。

記憶も時折は引っ張り出してやると、出て来やすい
ですから、意識して練習をするとよろしいです。

丁寧な塾ではある程度対応しているハズですが、人任
せにせず、生徒本人も意識しておいてほしいですね。
自分のことですから。

取り出しやすいように記憶しておくことも必要です。

そのために理論、理屈、が必要なのです。
論理の芋づるで引っ張り出せるようにインプットする
のがよく、機械的棒暗記、一夜漬け、などでは一般人
では「取り出し」に苦労するでしょう。

助詞とは、副助詞とは、という勉強をして、初めて
「ば、と、ても・・」の暗記が役立つのです。

機械的に覚えこまなくてはいけないこともあります。
イメージなどを総動員して覚えますね。
近年流行りの右脳の活用、とか記憶術、とか英語の
コアイメージとか・・・

昔から言われてきたことですが、
良く似ていて覚え難いものをまず、必死で覚える
というやり方があります。
始めはつらいですが、有効ですね。

横たわるlie lay lain 横たえるlay laid laid

混乱しやすいですが、いったん100%覚えこんで
しまえば、あとが楽です。

とにかく先ずは覚えこみましょう。
覚えているか、取り出す練習を繰り返しましょう。

ボールを蹴れなければサッカーはできません。

                     9.10

ブログっぽく本日9.11あったことを

2006-09-05 22:54:33 | 剥落

先週から塾向けの学校案内やセミナーが続き
通常はヒマな当塾も9月は忙しいようです。

今日も全国学習塾協会主催のセミナーがありました。
小宮信夫教授の「学習塾などに通う子供の安全対策
セミナー」です。
テレビ、クローズアップ現代などで小宮先生をご存知
の方も多いでしょう。今日も勉強になりました。

内容の大筋は既知のものとはいえ、矢張りまとまった
形で話を伺うと納得のありようが違います。

また、講演の第二段として協会が経済産業省の指導の
下に作った子供の安全のためのガイドラインなども
説明を受けました。
小さな塾では厳しい面もありますが、努力してゆく
つもりでいます。

以上、ちょっとブログっぽく書いてみました。

さて、
この稿最後の⑤活用する、です。
これも昨日の「取りだし」と重なる部分があります。

単に取り出すだけでなく、活用するということは
昨日も書いたようにインプットが大切です。

・・・と話が結局最初に戻ってしまいましたね。

この何日か便宜上から「記憶」を私なりに分解して
話をしてまいりました。
実際はそれらが分解した通りにバラバラで起きている
ということは少ないでしょう。
いくつかが同時進行していたり、一つの行為がいくつ
もの役割を果たしていたり、渾然としています。

人間がしていることって、そんなふうに多重ですね。

例えばオーケストラの指揮者は、今鳴っている音を聞
きながら、次に出す音を指示しています。
これを細かく分けて説明することもできるでしょうが
指揮者は音楽の指揮という一つの行為をしている
としか思っていないでしょう。たぶん。

「覚えこむ」もひとまとまりの行為なのでしょうね。

学習を定着させ、活用するためには「考える」ことが
必要となります。

次回からはいよいよ?「考える」について書きます。

少し長めになるでしょう。
それが終わると、ひと段落のつもり。
普通のブログっぽいことを書いてみたいですね。
教育のニュースについてコメントとか、塾から見る
世間とか、勉強のコツとか、いろいろ。

ブログの素人の下手な日記はダメですかねえ?
                 9.11