結局、信念・・何ちゅー結論じゃ

2011-11-14 18:49:28 | 塾あれこれ
長い話は早くケリをつけましょう。

(信念)も(実績)もいま一つゆえに歴史に正しさを
求めると言う話でした。
まあ、塾を少しカジればすぐ思いつくストーリーです。

当然ながら他の道、考え方もありうることです。
所与の条件が違うので皆が皆同じことを実行する
ということもないでしょう。

でも私は「これだ」と思ったのですね。
(江戸時代にあったじゃないか。。。)

学校は制度疲労を起こしており、かつ、国家の教育でも
ありますから、寺子屋へは手がでないことです。

寺子屋風のアプローチを取り入れてる学校もあるようですが
きっとカップラーメンの味で、本物のラーメンとは
似て非なるものに違いありません。

公務員が、権力から離れたことを出来るわけがないですよね。
公権力から離れないと寺子屋は成立しないのです。

また、塾だって営利を余りに考えると効率の面から採用できない
ことです。

そこでごく小さな塾ならば寺子屋になりえそうです。

「お役にたてるならこれ」というのは私の建前で
本音は「これで差別化が出来る」


で、仕事をしながらふと考えました。

今、私が一人の生徒に向かっているその仕事は
本当に「寺子屋」の精神に結びつくことだろうか。
証明できるか?

ごくごく大きな話は出来ても、具体的にどう進めるか
個別の一人ひとりに、瞬間瞬間向きあっている自分は
正しい、あるいは適切なことをできているのか・・・

もし外部から上のことを突っ込まれると何と言える?

「私はこう考えている、結果は半世紀たてば分かる
まず間違いないことだと確信している、理由はこうで・・」
などと言うかもしれませんが、結局のところ
「信念」の仲間入りになるのです。

初めに戻っちゃった。

神がかりや自己暗示と同じレベルの話ですね。
鰯の頭というと印象が悪く、信念というと何か良さそうに
聞こえるだけの話なのです。

ということで堂々巡りになりそう。

♪しーかたがないのでお手紙書いた、さっきの手紙の
 ご用事、なあに?


まったくモヤモヤとした話で申し訳ありません。
とりあえず、いったん終了。

「しかしそれでも。いや、それだからこそ。」なんて
カッコイイ話ができるような気になればまた続けますね。

そんなスゴイ「信念」持てるような人間になりたい。。。