(22)ホイコーロー

2006-09-29 22:31:34 | 考える

ホイコーローが好きでカミサンにリクエストするので
すが、キャベツが高いときには白菜で代用できるか
なんて私の発想はこんなレベル・・

D⑨次へ展開する(では、こうも言えるか)

論理を展開して結論が出ると、それで安心してしまい
やすいものです。

次へ展開することまで視野に入れたいですね。
必ずしも論理的な展開でなくてもよいのです。
最初はキャベツ→白菜くらいで。

ふっと頭にうかぶ、そのことが大切です。
「なら、これはどう?」


中3社会。金融政策と景気を習って
「今、超低金利っていわれてるけど不景気ですか?」
なんて質問がくると嬉しいですよね。

あるいは一つの単元が終わっての発想。
例えば二次関数を習って、三次関数ってあるの?
こんな発問もいいですね。

以前、一次関数でグラフの平行移動があったけど
二次関数ではどうですか?なんてのもありました。

英語でも現在完了っていうけど過去完了ってアリ?
なんて質問も受けました。

リードしなくても、よい発想が浮かぶ生徒はいます
ね。テストの成績とは相関しないようです。

受身の生徒は初めは発想しづらいかもしれません。
普段から発想してみせる必要があります。
細かいリードはその後ですね。

生徒が動いてくれたら、心から褒めましょう。

学校や塾では言いづらくても家庭でなら訊ける人も
いるでしょう。
どうぞ、発想できること自体から褒めてあげてくだ
さい。スゴイことですから。

少なくとも私など、そんな小中学生ではありません
でした。。
10.6

(23)紳介式算数

2006-09-28 10:15:57 | 考える

島田紳介が親子でこんな話をしたそうです。
娘さんが勉強しているのを見て
「なんや、算数しとン。見せてみ」
「オトン、でけへんやろ」
「アホ言え、
 ・・・
 ノートの値段を出すンやな。100円!
 これでおおとる。調べてみ」
「マルや、えらいな~」
「ノートいうたら100円くらいなもんや。
 バーゲンやったら50円
 それくらいや、思うて合うとるか調べりゃええ」


E 検証する
  ①常識と比較する

一定の結論が出た時それが常識と比較して変でないか
というチェックができない子が多いですね。
(上記の島田式はその反対を行ってるわけです)

ノート1冊3万円、なんて答で平気な子がいます。
何だか変だから見なおそうか、とならないのですね。
あるいは人数を聞かれて小数で答える。
「10.3人!そんな人見たことある?」といわれても
分からない子すらいます。

もちろん答が常識的でない場合もあります。
上の例ですと、平均を習って人数に小数がついた
その記憶があるのかもしれません。

ただ少なくとも常識とかけはなれていたら疑わねば
とは思わないのですね。
ムリヤリに勉強させられているからそのようになる
のかもしれません。

やはり点数が出ていない生徒には常識とのチェック
をしない人が多いようです。

数学や理科などではいわゆる常識と違うことも多々
あるとは思います。
ただ、常識と比較しないで良いとはいえませんね。

常識は経験則のかたまりです。
これと比較すれば、結論がおかしいかもしれない
ことをすぐに示唆してくれるのです。

これは直感を磨くことにも遠く結びつきます。
更に自分の持っている「常識」のレベルを上げる
ことにもつながります。

我々の通常の感覚とは違うこともよくあります。
例えば電気。回路、抵抗、電流の関係。
ただそれもマスターすれば「常識」のレベルが
上がりますね。
日常生活でも失敗しないで済みます。

「常識」と違うことがあるからといってそれを渾然と
させたままであれば力はつきません。
この辺りに点数が伸びない子の一因が見えるかもしれ
ません。

塾や学校などの勉強で自分の「常識」と違うことを
習ったとします。すっきりしないのですが、大人が
言うとおりに覚えるしかない。質問できない。
これを繰り返すと「常識」とのチェックが出来なく
なってしまいます。

これが無責任な答えをすることに結びつくか、とも
思うのですが、まだ自信はありません。

答の無責任とは三角形の一つの角度を聞かれている
のに200度なんて答えることです。
その子に内角の和は、と訊くと180度と答える。
でも200度で変とは思わないのです・・・oh!
10.9

(24)新聞記者ならウラをとる

2006-09-27 22:27:09 | 考える

先ごろ国会でウラをとらないで他党にイチャモンを
つけ大恥をかいた政党がありました。
私はいわゆる無党派ですから特定の政党だけに
ゴチャゴチャ言うのは主義に反しますがそれにしても
お粗末でしたね。
小学校のときに「確かめをする」ということを習って
いなかったのでしょうか?


②確かめをする

確かめは間違いを防ぐためにおこないます。
最近これが少なくなってきているようです。
間違いを犯したくない、という気持が少ないのです。
気力が薄れているのかもしれません。
自分に対する厳しさが欠けているのかもしれません。

以前は確かめる生徒は多かったと記憶しています。
○×にこだわることの是非は考えねばなりません。
ただ、もし「勉強などはどうでもよい」という心が
強くなっているとすれば、こちらが急ぐ課題になる
と考えます。

確かめをするということは、ただ「間違いを防ぐ」
ということだけのためにするものではありません。
考えるということの大切な一部です。
確かめをしなければ考えたことにならない、とも
思うくらいです。

確かめをして初めて次の段階に移ることができます。


どうすれば確かめが出来るでしょう?
確率のように確かめをしづらいものもあります。
数学などはしやすいですね。
題意に適うかどうかでおよそ確かめできます。

また常識とチェックをしたり、極端な例をだして
みたりして、確かめをすることもあります。
計算ならば逆算ということもありますね。

最近の生徒は逆算をしません。
タイムをとって、やりっぱなしという練習が多い
セイかなあ?

確かめはテストの時にも有効です。
でも、時間配分など上手にしないと逆効果。
自分の答えを写すより確かめが先でしょう!なんて
いいたくなる生徒もいますね。

なお、確かめは必ずしも最後だけとは限りません。
途中で上手に見直しを出来る子は力がついていきますね。
10.10

(25)証明

2006-09-26 20:44:37 | 考える

③証明する

難しい。何か書くことを放棄したいほどです。
以下、中学の数学における証明くらいの話でお茶を
濁しますね。

最も直接的に証明を勉強できるのは数学です。
最近は一時ほどひどくはありませんが、まだまだ
証明は軽く扱われているように思います。

まず、できるようにすることが難しい。
時間がかかる。
概念自体が手におえない(←私です)

こんな理由からか、中学での証明の勉強を先へ
おくる傾向があります。
改善されてきているとはいっても、まだ甘い
ですね。

本当は証明を勉強することで、ものを考える力がつく
ので、どんどんと勉強してもらいたいところです。
この辺りが甘いことが大学生の学力に結びついている
ように思います。
いや、論理的に考える力を育てていないから、証明の
ような大切な勉強が浅くなってしまうのでしょう。

もちろん、ことは数学に限りません。
ただ、証明を勉強するのは数学が一番分かりやすい
というだけです。
他の分野では、本当に証明したことになるのかの判断
が難しいことが多すぎますね。

「これで証明できた」と言っているのだが果たして?

例えば、日本の経済力が強いことの証明が外貨準備高
であるといわれてきました。
それが本当に証明になっているのかアヤシイですよね。
米国はドルを印刷すればよいので除外するとして
日本と中国と経済力は拮抗しているのでしょうか?
外貨準備高ではそう言えますよね。
そうです!経済力とは、という定義もあやふやなまま
「証明」なんてできるハズがありません。
でも「証明している」と言われると「そうかなー」
と思ってしまいますよね。

話を中学数学に戻します。
数学で学んだ証明を実社会でそのまま使うことは少ない
でしょう。

とはいえ、勉強とはおおむねそういうものです。
習ったことがそのまま役立つわけではありません。
けれども、基本が入っていなくては話にならないという
ことはよくあります。

地理の勉強をして県がどこにあるか、広島の人間なら
関東以北は苦手ですね。
同様に関東の人は中国地方が分からない。
広島と岡山の東西が分からないのには呆れましたが
なに、こちらの人も群馬と栃木が分からない。
ただ、社会に出たら恥をかく恐れが強いですね。


苦手だと思うと話が横道にばかり入ります。
なぜ好きでないかと言うと、幾何のテストの答合わせ
からかもしれません。何百人もの証明の答案を続ける
と頭が変になりそうでしたから。

それでも「証明」の勉強は大切です。
カッコを埋める、などという「証明」はいけません。
それはフェイクファーを毛皮というに等しい!
頭がヘンになっても、フリーで証明させないと力は
つかないのです。
採点する側の都合でカッコ穴埋め問題にするなど
本末転倒ですよね。
誰のためのテストでしょうかね?

証明については、形式ということを述べねばなりませ
んが、重要であるということだけを述べておきます。
というか「形式が命」なんですよね。
何故か?
・・証明とは他者に伝えることでもあるからです。
10.11

(26)なぜ?と訊けるか

2006-09-24 22:40:35 | 考える
F発想する
 ①なぜと思う

人間は小さいときから「なぜ?」という発問ができま
す。「何?」とも訊きます。
これは知ること自体が人間にとって喜びだからです。

少し大きくなって「なぜ?」と訊いたときに「良い質
問だ」と褒められればもっと嬉しいですね。
納得できる答えを貰えばなおさらです。

ところが、多くの場合、学年が進むにつれ、質問が
出にくくなってきます。
知識の量が増えつづけて行くこと、知識を得るルート
が増えることなどが第一の要因でしょう。
他に興味があることが多くなるのも一つ。
また、良い答えを与えられなかったり、ヘンな質問を
してしまった経験も足を引っ張るかもしれません。

受験生になると、更に訊きません。
直接自分に係るとか、入試に係ることしか頭にない様
子です。当面の目標である受験に関係のないことは
ムダであると思っているようです。

本当にムダでしょうか?

入試を考えれば「不経済な」質問はあります。
それは質問された側が、その旨説明すればよいことで
試験が終わってまだ疑問であれば改めて説明を受けれ
ばよいことです。
質問することの自主規制はいけません。

もし、入試に関係ないことは考えるな!という塾が
あるとすれば、それは間違いです。
もっとも生徒が塾へ「その考えはおかしい」とは
言いづらいでしょうけれども。

以前、私は気取ってこう言ったことがあります。
「生徒の成長の向こうに入試があるはずではないか」
キザですね。でも考えは変わりません。
「問う力を育てること」と「入試」と
どちらが大切なのでしょうか?

それに近年は考える力を問おうとする出題も
増えています。
入試に詰め込み式はまだまだ有効ですが
それだけでは途中で成長が止まるかもしれません。
東大生の三分の一が真の学力に欠ける時代です。
何が大切か見なおさねばなりませんね。

なぜ、と発問することは、すぐに出来るものでは
ありません。時間をかけて育てることです。
10.12

(27)悩みましたが「なぜ」の続きを少し

2006-09-23 14:35:55 | 考える

なぜ、と発想できる力は幼い時にいったん芽を摘むと
あとはなかなか育たないようです。
浮かんでも、それを自分で考えつづけたり、人に質問
したりを出来る人は、さらに少ないはずです。


私が若い頃聞いた話で、今でも通用するだろう、と
思うことがあります。
農民は、お上の言うことの反対をすればよい、という
のです。
豚を飼えと奨励されたら、今まで飼っていたものを
処分する。
米作りから離れよ、といわれたら米作りに工夫を
こらす。

この法則が正しいならば、国民年金を考えなおす人
が多いのも頷けます。
ホント、将来の保障が不安なのに払う金額はきつい
ですよね。
仕事柄、国民の義務は果たしておかないと、子供達
に大きな口をきけないので払ってはいますが社保庁
があれで、なおかつシステムも不安だらけなのに
金を払いつづけるのはアホラシイですねえ。

余談はさておき「学習」に戻ります。
ここでも似たような現象があります。
文科省が「考える教育を」といい始めたあと、生徒
の考える力が落ちているのです。
教壇の方から「さあ考えよう!」なんて言われたら
トタンに思考回路がシャットダウンするのです。

お役所が旗を振ったらモノゴトの悪化が進む・・・

それは何故か、簡単な事ですが悪口は止めましょう。
黒澤映画『生きる』の課長が解決策ですよね。

現在、検討が進められているであろう「教育改革」
現場が少しでも良い方向に進むものなら良いのですが
期待薄のような気がします。

朝飯食って百マスやって美しい国と唱えれば解決する
ような問題を今まで放置していた、ちゅーこと?
それだけでは小手先に過ぎません?

「なぜ?」という自由な発想が出来ない時代
田舎に生まれただけで格差を付きつけられる政治
国際化という名の一神教
経済活動の自由、による環境破壊

しなやかに発想するための土壌が汚染されています。
10.14

(28)アナロジー

2006-09-22 10:15:57 | 考える

②アナロジー

アナロジーとは「ま、それは言ってみれば○○と同じ
ことです」という説明の仕方です。

教える側からすると便利な手法です。

何か説明するときに「~と同じ事です」
と言い換えしますと納得を得やすいのです。
これを上手にできると「分かりやすい」と言って
貰えますね。

しかし本当にそう言い換えてよいものかどうか
疑問の場合もあります。

たとえば、磁石のNS両極の作用について
男と女に置き換えた説明がよいのかどうか。
生徒は受けてくれるかもしれませんが、あまり
マジメに取られると不都合が出そうです。

さらには間違ったことを強引に結び付けられている
場合もあります。

「ああた、国際政治なんてものはダね、ヤクザと
同じなんですよ。売られた喧嘩は買わなきゃバカ
にされますよ。現に日本人は世界中からまともには
相手にされてないじゃないですか」

国際政治とヤクザとをアナロジーで結びつけるのは
乱暴です。
力がものいう世界ではありましょうが。

大人ですらそうですから子供がアナロジーを使うの
は難しいことです。
また、子供の間違いを説明して納得させることは
さらに大変です。

よって、気軽に使って欲しくないのですが、社会に
出れば異分野からのアナロジーは大変に有効な武器
になります。
生徒を上手に育てなければなりませんね。

ただ、アナロジーを使って発想するということは
説明することよりも楽でしょう。
無責任でよいからです。

そもそも発想とは無責任でないと出来難いものでは
ないでしょうか。
無責任に発想して、そのあとキチンと考えてゆけば
よいのです。

こんなことも当てはめられるか、ドンドンと発想し
面白がることですね。
10.15

(29)逆転

2006-09-21 10:25:16 | 考える

③逆転の発想

柔軟な発想をするためのテクニックです。
一時期よく流行りましたね。

人間の思考はどうしてもワンパタンになりやすいので
意識して逆のことを頭に浮かべ、柔軟に考えようと
いうことです。
簡便で利用しやすいものですね。
発想だけなら子供でもしやすいでしょう。

特別に難しいことをしなくても、図形を反対側から
見てもよいし「証明」を結論から考えるなども逆転
の練習になります。

もちろん真正面から「A」に対する「非A」などと
考えるのも逆転です。

また「逆」とは言いづらい、左右を入れ返る程度の
ことでも有効な場合があります。

もともと発想を豊かにするための方策ですから、
あまりウルサク言っても仕方ないでしょうね。

より具体的には
等号を不等号にしたり、ベクトルの向きを逆にしたり
大前提をひっくり返したり、などなど普通なら考えな
いようなことを様々な方向から探ってみるのです。

国語で、物語の敵役の立場になる、なんて「逆」も
考えられます。

小論文では常に意識しておくべきですね。

発想や思いつきが「逆転」で得られても「常識」か
ら外れていることも多いでしょう。
すぐに放置するばかりでは折角の発想が生きません。
引き続き考えることが大切です。

逆転の発想を可能にするためにはどうすべきか、
ここでも柔軟な思考が必要です。
私も柔軟とはいえないまでも、あれこれ考える
のが好きです。一番自由な時間かもしれません。

追記:
本年度ノーベル平和賞、ユヌス氏のグラミン銀行
が逆転の発想によるものだと新聞に出ていました。

追記2
少子高齢化社会の問題を学校で教えていますね。
君達の将来は大変だ、少数が大勢を支えなければ
と脅かしています。

確かに、一面それは正しい。
けれども、逆にも触れている先生がどれほど
おられるか、疑問に思えます。

それほどの大勢に育てられた少数のあり難さ、それを
自分たちがどう活かして行くべきか。
こちらをこそ教えるべきと思いますが。
10.17

 

(30)イメージ

2006-09-20 08:43:49 | 考える
G想像する
①イメージ

イメージという言葉を幅広く捉えると、
誰でも頭にイメージは浮かんでいますので
(秋刀魚と言えばそのイメージが浮かびますね)
このレベルの話は割愛します。

創造するに近い想像ということで・・・

視覚や聴覚など以外でも詩や和歌俳句などは
イメージを豊かにする勉強ができます。

これらは自由に読むことも大切ですが、同時に
作品と解説文をあわせてイメージをどう膨らませるか
も勉強しなければなりません。

語感が狂っているときはその修正を行わねばなりませ
ん。けれどもあまり細かくとらわれると月並みなもの
しか育たなくなるおそれもあります。
このバランスが難しいですね。

人々の言葉遣いや時代背景もきちんと捉えるという
勉強もしてもらわねばなりません。

昔、文学は勝手に読むべし、と聞かされてそれを
あまりに間に受けていた時もありました。
でもそれだけではイメージを豊かにはできないことが
やっと分かってきました。
繰りかえしますがバランスが難しいですね。

更に、自己表現となりますと、先達の仕事を追体験
が必要です。
その土台の上に自己表現が可能になるから。

上記のようなことを余りしなくても新しく豊かな
世界を創る人を天才といいます。
近年、天才という言葉が安くなってしまいました
ね。全体的に言葉の価値の劣化が早いようです。

話を戻しましょう。
凡人はイメージを豊かにするため、勉強しながら
比喩、類推など出来るかぎりを動員し組み合わせ
頑張らねばなりません。

勉強が足らないと、月並俳句しか作れず創作は
観念してブログしかないかという、どこかの塾講師 I
みたいなイメージ貧困人間になってしまいます。

イメージまで勉強が必要とは思いも寄らなかった
ことですけれどねえ。 10.18

(31)不寛容な世界

2006-09-19 11:37:55 | 考える

②別の立場に

この「考える」シリーズもやっと終盤を迎えました。
記事の順番を入れ替えて読みやすくするときに間違え
そうな回数になってきましたね。

(29)逆転、の記事に本日若干の追記をしました。
よろしければそちらもお読みください。

さて、イメージの次は思考実験。
色々な立場にたってみることです。
自分の考えと違っていることでも、一定の理解をし
正しくコミュニケーションをとれるように、少なく
とも心理的な壁をつくらないためのものです。

また同時に幅広い視野を持つことで、自分の考えが
よりシッカリとしてきます。

小学生のうちから他者を意識してほしいですね。
大きくなると頭が固くなりますから。

老若男女右左、洋の東西を問わずまた時代を問わず
相手の話を聞かないで声高に主張する人の何と
多いことでしょう。

現在、世界中で「不寛容」が目立ちます。
極端な原理主義、自分たちは現実的と思いこんでる
勝ち組志向、パワーポチティクス対テロ・・

これからを担う人は相対的な視点を大切にして上記
の不毛から抜け出してほしいものです。。

そのための足がかりが「別の立場に立ってみる」

このことは普段の勉強や入試勉強にも役立ちます。
大人も子供も実行して欲しいですね。

本来、国語や社会で充分に教えるべきことでしょう。
学科に追われては難しいかもしれませんが。
10.19