ロナルド・P・ドーアさん

2010-10-31 17:57:02 | 塾あれこれ
NHK100年インタビューを見ました。
ロナルド・ドーアさん、英国の学者で日本研究の大家。
社会学、経済学、・・・

1925年生まれで、ご高齢ですが一流の頭脳は
違いますね。
ロングインタビューをメモもなしで受け答えし
固有名詞・数字その他もすらすらと出てきます。

彼にとっては外国語である日本語を使っての
インタビューでしたが、それゆえもあってか
話される内容が骨太で明確に伝わります。

ほぼ、うなづける話ばかりでしたね。

会社経営の日本的なありかたが崩壊したこと
それによってグローバル経済に乗りきれなかった
現在、何を大切にするべきか見直す必要がある。

次々に出てくる、小糸の乗っ取りのときは~で
ブルドッグソースのときはは結局SPが○○・・
など多彩な展開は興味深いものです。

もっと話を聞きたいですねえ。たとえば・・

*なぜ新自由主義が世界の潮流になったか
*ファンドマネーが暴れる源となっている金余り
 はどこから来たか
*数百年後に人類があるべき方向はどうか。
 (自由と平等のバランスだけでは物足りない)

長期的、中期的な日本のあるべき姿を考察すべき
であるという、当然すぎる話がなぜ新鮮なのか
そのこと自体日本の妙な姿をあぶりだしてくれます。

政治家・官僚・マスメディア・・いつもの悪口に
なってしまいますね。

尖閣の話もトータルに考えないといけません。
日米安保に頼りすぎる怠惰な現状維持をYやS新聞が
声高に唱えておられますが、ドーアさんの話を
少しは考えてみてもよいのではないでしょうか。

核論議は極端な例を出しておられましたが
柔軟な思考をすべきという文脈では頷けるものです。

米中のはざまで日本が生きるには自らのスタンスを
きちんと構築すべきであり、それが日本人の
アイデンティティーを強くするという話は特に
賛成できるものでした。

韓国とタグを組むという指摘も重要でしたね。

現在進んでいるベトナムとの協力強化はその意味でも
重要なことであると思えます。

えこひいき

2010-10-30 10:49:34 | 塾あれこれ
子供のころ時折強力な噂話が広がることがありました。
「あの先生、エコヒイキじゃ」

教員への最大級の非難ですね。
私も、そんな先生は大嫌いと思っていました。

進学塾へ勤めてもエコヒイキには気をつけようと
一生懸命でしたね。

十年くらいたったころでしょうか。
一生懸命なのに、可愛い生徒と、そうでないのと
どうしても分かれて意識してしまっているのです。

プロの仕事ですから授業その他で差別、区別はしないし
もちろんエコヒイキはしていないつもりでしたが
心の中では段差がおきていました。

今思えば、どこかに滲んでやしなかったか、
一抹の不安は残りますね。

で、何が分かれ道になるのだろうと考えました。

言うことを聞く子が可愛い。
これは自分が威張りたいからそう思うのでしょうか?

折角、お金を出して、懸命に勉強しており
そこへこちらから方向を示すのですから
素直に動いてくれるのが可愛くなりますよね。

それも人情、必ずしも否定できない。

そう気付き、理解できそうなクラスには話を変えました。

「ここは塾じゃ、学校と違うぞ。
 わしはナンボでもヒイキするんじゃ。

 考えてみい。
 言うことを聞いて一生懸命勉強する子が可愛いンは
 あたりまえじゃろ。」

かなり大人になっている生徒に向けてしかできない話
ではあります。

それ以降、逆にきちんと意識するようになりましたね。
ヒイキすると言ってしまったぞ、気をつけなきゃ。

そして差別なく「叱りまくる」怖さがいっそう増した
ようですね。
当時の生徒さん、スミマセン。


学校の先生からご覧になるとずいぶん乱暴でしょうね。

でも、神様じゃないのにエコヒイキはしないと言い切れるか
そこを心配するより、俺は一個の小さな人間だ、と
居直る?ほうが、私には似合っていたと思います。

今ですか?

完璧に個別をしていればそもそもヒイキなど起こりえません。

虹をみた

2010-10-29 09:29:30 | SONGS
『まっすぐに海に入りゆく虹。  鷗。』

実は先日の光景ですから秋の虹なのですが
夏の句にしています。
珍しく破調(の、つもり)

「秋の虹」を扱う力はまだまだ無いようです。
「まっすぐに海にいりゆく秋の虹」じゃ、詰らない。


日常のものではないけれど、虹は平凡ですね。

しかし朝の光のように見慣れていながら美しく
たまに虹と出遭えばやはり嬉しい。


晴れたかと思うとバラバラ雨がくる天気でした。
水鳥の浜公園の散歩コースをくるっと向き直ったとたん
鮮やかな虹を見たのです。

時間はまだ3時半くらい、広島では夕方までには間があり
太陽も高い位置にあります。

小さな虹が新八幡橋から河口の海に掛かっていました。
見かけの直径で2~300m程度でしょうか。
半円のうち南の脚は水面に達しています。
色も水面に届くまで薄れず、鮮やか。

カメラを持っていればねえ。


しばしば目にするものでありながら美しい、
そんなものは謳うことができても平凡になります。

虹に名句がありましたっけ?

珍しく虹の脚をはっきりと見たので
吉野弘の有名な詩を思いうかべました。

(虹の足に住む人はそれに気付いていない)

芥川が理想を地平線に例えたように、
虹もイリュージョンに等しいので、
見えている人間には永遠に手が届きません。
近づけば逃げるのです。

だからこそ美しいのですが。

マルタ島のキャットマン

2010-10-28 10:49:59 | 塾あれこれ
世の中にはネコが好きな人と嫌いな人と
2種類の人間が存在します。

どっちでもないな、という中間はありえません。

イヌに関しては3種類ありそうです。
好き、嫌い、中間。

ネコはなぜ2種類か?
特別な存在だからですね。

クマもイノシシもヘビもカメムシも3種

好きか嫌いか2種しかないのは人類とネコだけ。

え?「ここに中間派がいるぞ」って仰いますか。
あなたはまだ自分に深く問いかけていません。
じいっと哲学して見れば答えは出ます。
ほんと。


欧米人など狩猟民族はイヌとの付き合いが長く
ネコは2番目以降ですが日本人は昔からネコを
好いていたようです。

江戸時代、浮世絵にしろ根付にしろ面白い物は
ネコに多いでしょ?

このわがままなペットの価値を認めるには
大人というか、高級な感覚が必要です。
子供ならば、ワンコが懐くだけで可愛いと思います。
愛想のないネコを可愛いと思う子供はかなり
しっかりしています。

中国人もネコよりイヌが上でしょう。
韓国もイヌ。
(最近は日本マンガの影響などで韓国でもネコの評価が
上がってきているようですけれども)

ネコの認知はいかにも日本らしい文化です。
諸外国でも文化が高まるとネコが認知されるようです。


NHKが昔ロケをした「マルタ島のネコ」という
TV番組があります。
最近、再放送を見ました。
(NHKも以前は金があったんだ)

ネコ好きならご存知と思いますが地中海のマルタ島は
人間よりネコの数が多いとか。
海辺の町や島はネコの楽園が多いですね。

マルタもいわゆるソトネコばかりのようです。
楽園だからでしょう。

近年の日本ではネコを外に出すことを禁止したがる
傾向がつよく、一種受難の時代です。
つまり、文化水準が下がってきている。

庭や畑やをトイレにされると頭にくるのも
分かりますがね。
(亡くなったオフクロがそうでした)

で、マルタの話。
長時間のロケの中で変わった人物が登場してきます。

キャットマン

日本ならイジメにあいそうな、並はずれて人のよい
オジサンですが、彼がネコにエサを与え続けるのです。

キャットフードの缶詰を大量に持ち歩いて
あちこちのネコにひたすらエサを与え続けます。
彼の人生はそれに費やされているのでしょう。
幸せな人です。

今の日本なら彼のような行為が許されるか?
「だれが後片付けすんの?」「汚い」
「トイレも面倒見ろ」「オジサン、変」・・・
排除されてしまいそうですね。

江戸時代の日本にキャットマンがいればどうか?
町の名物男になっていたでしょう。

今の日本とマルタとどちらが良い国か考えてしまいます。
マルタのような国から頑張って今の日本になったのに
気がつけばネコも住みにくい。
ましてやヒトさまは・・


ネコを好きになりましょうという意味ではありません。
許容度が小さくなってしまう文化を憂うのです。
唯一の価値観が優勢なご近所と日本は違っていたハズが
いつのまにか似てきつつあります。
こんな国際化はゴメンですね。

ネコと人間の関係を見てるとどんな文化か分かりやすいと
言えそうです。

ネコ好き、が良いね。

べっちゃー

2010-10-27 17:56:23 | 塾あれこれ
11月3日、文化の日に尾道ではべっちゃーという祭が
行われます。

今もそうであろうと思うのですが、3日に市内を
廻ったと記憶しています。


英語でmissという言葉がありますね。
恋人と離れているとき I miss you.
なんていう、と中学だかで習いました。

不存在ということが淋しさを増すのですが
私が尾道を離れてmissしたものにべっちゃーが
ありました。
さすがに子供の間だけでしたけれども。

日本各地に伝わる、異形のものが訪れてくるという
厄払い信仰の一つなのでしょう。
子供にとっては、ひどく恐ろしく、かつ印象に残る
お祭りです。
秋田のなまはげなど有名ですね。

べっちゃーも現在の朝ドラで有名になるかなあ。


いまでは想像もつかないことですが子供中心の祭り
といっても結構荒っぽかったですね。

鬼の面を被ったものに叩かれたり突かれたりすると
風邪をひかぬとか幸運がもたらされるとかで、
子供たちは「鬼」の周りに群がり、はやし立てます。

べた、そば、しょうき。

ショウキは竹のササラで叩くのでダメージは小さい
のですが、ベタもソバも太い突き棒でゴツゴツと
当ててくるので、結構(相当)痛い。

怖いけれども近づいて囃し、わあっと逃げるのです。
それを鬼が追っかけてくる。
大人が本気で走りますから相当な迫力です。

中に入っているオジサンは酒を飲み、面をつけ、
わーわーとやりながら市中を巡りますから
そのうち酔っ払ってきます。
手加減なしに突かれてしまうことも沢山あります。

ソバとベタの挟み撃ちにあうとパニックでした。
総毛だつ、とはあれですね。

大勢の子供が鬼を囲み、いっせいに逃げ出すので
その混乱たるやなかなかのもので
子供がドブ川に落ちるなんてこともありましたね。

今年もべっちゃーになる。
今の時期から祭りが楽しみで楽しみで・・
私のように、弱虫・泣き虫でもなぜか楽しみでした。

近頃は暴力はいけないとかで大人しくなってしまい
周りで囃す子供たちも少ないようです。

乱暴な悪ガキが沢山いた昭和30年代が懐かしく
いまでも耳の奥で祭り囃が聞こえています。

「お前のセイじゃ」

2010-10-26 15:03:41 | 塾あれこれ
私たち以上の世代は百貨店への信頼がありますね。
お買い物ならデパート。

東京ならば日本橋三越、新宿伊勢丹、大阪は阪急梅田?
岡山で天満屋、広島は福屋・・・

もっとも、都会の大デパートが最新の新幹線16両なら
田舎のデパートは本店でも2両のローカル線
同じ範疇にいれてよいものかどうか。


マスメディアによると百貨店の景気は良くないそうですね。
寂しいですねえ。


今の家に越して十年以上になります。
カーテンを考えようと「田舎のデパート」に赴きました。

やはりお客さんは少ない。
特にカーテンなど客も店員も見当たらない・・

眺めていると一人近づいてこられた。
ヒヤカシではないちゅうに、目が「買わないのなら触るな」

ちょっと質問してみましたら、別の店員を呼んできた。
派遣された子でカーテンは苦手だったのかもしれません。

多少、基本的なことを聞いてみるのですが
どうもまともな答えが返ってきません。
遮光カーテンならエコになるということすらピンとこない
様子です。

日当たりのよい部屋だったら冬はあったかいじゃろ、
夏はその反対で遮光すれば冷房代が節約できるんじゃ・・


帰りのJRでカミサンに叱られました。

「カンペキに嫌われてたわよ。早く帰れって」
「そうか、商品知識の問題ではなかったのか」

実は出がけにすでにモメていました。
私のナリがひどいのでカミサンは着換えろと云うのですが
電車の時間の関係もあり強引に出たのです。

ひげ面、よれよれボロボロのYシャツ一枚、
カジュアルすぎるにもほどがある・・・
塾業界に生き残るホームレス風・・・

でもね、古い浴衣が赤ちゃんの肌によいからオシメに
するでしょう。
あれと同じで、破れかけが着心地がよいのです。
なじみの宅配のおにーちゃんでも驚くことがある!
そんなナリではありました。

店員さんから見ると買いそうもない人種ですねえ。

だだ、見かけで判断するのは良いとして
お客さんに察知されるようではいけませんね。

そういえば近頃、出来の良い店員は会社の出向ばかり
ちゃうの?


カミサンの小言は続きます。
「ああたはそれでもよいのかもしれないけど
 一緒にいる私の身にもなってください」
「へへー。すいません」

ヤスモンの店員!お前のせいじゃ、と逆恨みして
このブログ書いてみました。

しっかり脅かされた

2010-10-25 10:31:32 | 塾あれこれ
塾や学校へ教材を出版・販売する会社のセミナーに
行ってきました。

新しい問題集などを展示説明する会ですが
人寄せで小さなセミナーを開かれるのです。

全国規模の出版社で定評があるものが二つあり
今回伺ったのは、そのうちの一つです。
もちろんもう一社も近いうちに広島で展示会及び
セミナーを開催されます。

小さな塾は情報が入りにくいのでこういう機会は
とてもありがたいですねえ。
現在の情報の基準が分かります。

で、先日のセミナーは小学校の教科書が変わるという
ことがテーマでした。

以前から分かってはいたことですがどのように変わり
そうか、具体的な情報を得られました。

「ゆとり教育」への反省から(文科省はそうは言いませんが)
教科書が一気に大幅ページ増になります。

(教科書を教える)→(教科書で教える)

幅広い学力差に対応できるような教科書づくりです。
材料が沢山盛り込んであるのです。

学校現場は大変だと思いますね。

同様の教える水準であった昔は一律で教えていました。
大変ではあったと思いますが、ここまで教えるという
目安がはっきりしていましたから、今回改定よりは
多少ラクだったのではないでしょうか。

今回は、出来る子はそれなりに伸ばし
出来ない子は補習などで対応できるように
柔軟な対応がとれるようにという教科書です。

が、下手をすると「机上の空論」になるかもしれず、
教育現場の大変さは増すかもしれません。

「昔に戻るだけさ」とはいかないようです。

従って塾業界にとっては追い風になるかもしれません
が、私には「大変になりますよ」という風に聞こえて
しまいました。

個別対応をすれば、出来る子出来ない子それぞれの
教育ができるとは思いますが、現在の学校では十分に
対応できそうにありません。
一斉授業を前提として個別対応まで十分に行える訳が
ないのです。
(空論か、というのはこの理由から)

義務教育という立場からか、従来の学校は「出来る子は
自分で伸びていってくれ、出来ない子の対応が大変だ」
という先生方が多かったのではないでしょうか。

能力別対応まで十分に、というのは現実問題として出来
ない子の切捨てにつながるおそれがあります。
「そうならぬようしっかり対応する」とは仰いますが。
教員は神様じゃありませんから。

出来ない子は能力で区別されたときに何にも感じない
と思っているのでしょうか。
出来ない子だから分からない?・・まさか。

たまたま、とある時期にとある能力が発揮できないから
どんどんと出来ないグループを作り、そのなかに隔離
していってよいのでしょうか。
大げさな言い方ですが、国家の損失になりそうです。

本来人間には一定程度の能力は平均的に備わっています。
目先の「経済的要請」で東大レベル、国立レベル・・と
輪切りをしてしまうと本来伸びるものが停滞します。
(多くの塾も同罪)

繰り返しますが「補習を丁寧にするから大丈夫」とは
いかないのです。
人間の心をバカにしちゃいけません。


経済的にかなりのレベルに達した国家で
人間には競争心があるからその面はケアしないでも
大丈夫とはいきません。

補習をしておいてやればいつか競争心がカバーを
するとはいえないのです。

競争心は必要です。
(悪平等は最悪ですね)

では、格差を拡げる仕組みで競争心が生まれるか?
否。

本当の競争は自分ともう一人の自分の間から産まれます。

保護者の正しい眼差が重要で、塾などの個別対応教育
の大切さも問われると考えます。
文科省に頼ってばかりはおられないでしょうから。

『戦争の話を聞かせてくれませんか』

2010-10-24 10:51:05 | 本の話
佐賀純一著、新潮文庫です。

平成6年に筑摩書房から
『戦火の記憶 いま老人たちが重い口を開く』
というタイトルで出版されたものです。

文庫の解説で辺見じゅん氏が書いておられますが
現在ではこの改題のほうが意味深いようですね。

とても重い内容ですが心に沁みる内容です。

戦争の話はどれも同じように思っている人は
ぜひ一読下さい。
戦争についてはNHKの多彩な特番も優れていますが
普通の人々の深いところまで浮かび上がらせることは
この本だからこそ可能であったようです。


まず、まえがきの一部を引用します。

「今回もまた聞き書きのスタイルだが、内容は
戦争にまつわる体験談である。話をしてくれた人々は
殆どが私の患者さんで、隣近所、せいぜい数キロの
範囲に住んでいる。これほど身近に暮らしている人々
が、半世紀前には・・何千キロという広大な地域の
空と陸と海に散らばって生死の間をさまよい、敗戦と
ともにここに戻ってきた。そしてその後は戦争の話題
には殆ど触れずに暮らしてきたのである。」

筆者は茨城県土浦市で開業医をされているそうです。

心を開いてくださった方にじっくりと話を伺い
のちに出来上がった原稿をご本人に確認頂き
場合によってはウラづけをとり、公的資料による
解説も加えておられます。
真摯な本の作り方をされていますので戦争の体験を
よく映した本になっているのではないでしょうか。

昔話と言うことになると記憶の間違いなどが混入する
こともありひどい人になると話がオオゲサになったり
することもあるようですから、こういうキチンとした
本こそ、後の人間には有り難い史料となります。

話された方の思いを正面から受止めて綴られたという
ことがひしひしと伝わってきますね。


私の父は戦争や抑留の話をほとんどしませんでした。
母は直接のたいへんな戦争体験はなかったようです。

戦争の体験は父以外からも若干聞いたことがあります。

やはり父の重い口からの話が、戦争というものを子供
に伝えておきたいという強い気持ちが込められていた
ように思います。

その父の伝える空気と、この本とよく通じるように
思え、信頼がおける本であると考えます。


著者のあとがきは大変優れた戦争論になっており
また、辺見さんの解説もさすがに素晴らしいものです。

文庫解説はネタバレになりそうです。
購入するかどうかは著者のあとがきを読んでからでも
良いかもしれません。


現在中国の大国主義は目を疑うものであり、かつ国際
情勢は非武装中立という理想を遠くに押しやります。

けれども、ほぼ半世紀前に中国で戦争を行っていたと
いうこと、どのような実態であったかということ、
これも知らなければ相手の土壌を推測できません。

いわゆる自虐史観とは違うレベルで、しかし戦争と
なるといかにむごい現実が広がるか。
それが人間の心に何を残すか、それを心に受け止め
その上での、国防であり国際政治であるべきです。
この基本を忘れるわけにはいきません。

ともすれば愛国的にすぎるのは人間として自然です
が、それだけでは国を誤ります。

一般の市民がヒドイ目に会うのです。

それにしても旧軍の官僚主義の弊害はどうでしょう。


もし父が生きていれば90をはるかに超えています。
直接の体験をもつ方が少なくなられ、広まる体験は
ステレオタイプなものになりがちです。

これからますますこの本の重要性が増すでしょう。

辺見さんが解説の最後にリデル・ハートの言葉を
引用されています。

「もし、私たちが平和を欲するならば、
 戦争をよく知るようにつとめて下さい」

カモがきた

2010-10-23 09:47:14 | 塾あれこれ
しばらく前から姿を見せていたカモたちですが、最近ぐっと
数をましてきています。
21日は千羽近くいたかもしれません。
常に見張っているわけではありませんが、私の記憶では
これまでで最大の数のように思えます。

写真は昨22日です。
21日ほどではないのですが、河口では数百羽はいたと
思われます。

もちろん野鳥の会会員ではないのでおおざっぱな
目分量ですけれどね。
十、廿と数えて五十くらいまで行くと、その倍で
あれくらいが百だから、百、二百・・・
こんなアバウトな数え方です。

去年も多かったですが今年のほうが更に多くなるような
雰囲気ですね。


まだ体の小さな鳥が多く、みゅーみゅーという鳴き声が
聞こえます。
カモのガーガー声は可愛くありませんが、みゅーみゅー
はなかなか可愛いものです。

もっとも、子供が鳴いているのか、親鳥が子供に向かって
呼びかけているのかは私には分かりません。

彼らは結構暗くなっても採餌をしているようで
真っ暗な川面からミューミューだけが聞こえるのも
ちょっと風情がありますね。

『真暗なる川土手の道 足元で小さき声に仔鴨たち鳴く』


小さな鳥が暗い海の上を親について必死に飛んでいる
渡りの様子を想像すると、泣けてきません?

もっともカモが夜中に渡るかどうかは存じません。

渡り鳥では昼夜を分かたず飛ぶタイプがいますが
カモは水面に降りて休めますからどうなんでしょう。

『紙のなんでも小事典』

2010-10-22 10:53:30 | 本の話
BLUE BACKS『紙のなんでも小事典』
紙の博物館編

予想に反し(失礼)
とても面白い本でした。

もっと早く(リサイクルの話のときに)投稿しようと
思っていたのですが天寧寺の白ネコ写真に合わない気
がして先送りになっていました。

武田邦彦さんの「紙はリサイクルしないで燃やせ」と
いう説と真っ向から対立する内容を含む本です。

『リサイクル幻想』には
「紙はリサイクルに適しません。
これからの循環型社会はできるだけ太陽エネルギーを
使って生活するのだから・・太陽エネルギーでできる
紙を遺産型資源の石油を使ってリサイクルすることは
不合理」
したがって紙は焼却して発電せよと書いてあります。

『紙の小事典』は紙にまつわる様々な興味深い章があり
その最後の章でリサイクルについて述べられます。
「紙はリサイクルの優等生」と仰るのですね。

どちらが本当でしょう?

我々はあちらの話をきけば「そうですね」と感心し
こちらで反論を聞けば「なるほど」と思い直します。
そんな立場でどちらが勝ち、などと云えるわけはない
のですが、それでも一応の判断をしないと
目の前に処理できない紙のゴミが溜ってしまいます。

『紙の・・』では森のリサイクル、紙のリサイクル
エネルギーのリサイクル、この3つを総合的に考える
べきと説かれます。

武田説の「燃やしてすべて回る」は少なくとも
現状の紙の需要供給を考えると非現実的のようです。

『紙の・・』が数十頁を割いているので説得的ですね。
もちろんこの中でも選別や処理技術開発の問題、また
エネルギーやCO2の課題も触れています。
現状に問題がないわけではありません。


この本は「手造り葉書」の話から始まって面白い話が
沢山つまっています。
リサイクルはオマケかなあ。

私には、知っているつもりだった和紙のあれこれが
新鮮でした。(装飾加工紙のあれこれなど)

知っているつもりという無知、ですねえ。

理科や社会のみならず、国語にも関係する蘊蓄話
これも必読書かもしれません。

(現代社会に欠かせない新しい技術の数々も面白い)


天寧寺の白ネコは散歩の途中みたいでした。

そのコースを遮る形で私たちがいたものですから
暫く待って、待ち切れずにそばを通り抜け
御愛想をしておいて、散歩の続きへ
ということだったようです。

そっと触ると毛並みがすべすべと柔らかく
妙に甘えるわけでもない、人間と対等にいる
ネコらしいネコでした。