クチコミにもいろいろ

2011-11-20 17:30:29 | 塾あれこれ
小さな塾はクチコミが頼りです。
開業医などもそうでしょうね。

良い仕事をしてそれがクチコミで広がると有り難い、
これが基本です。

けれどもクチコミには悪口の場合もあります。

当事者からすれば、全く違う噂が流れたり
「それは、ご説明しますと・・」なんて言いたいことも
多かったりしそうです。

病院などでもある時期から様子がガラリと変わることが
あります。
流行っていた病院で先生なども以前のままなのに
何かあったのかなあ、と。
もしかしたらクチコミかもしれませんね。

(そりゃーあるかも、なんて病院もありますけど)

そもそも病院の良し悪しを自分が感じるのは
たまたま上手く治ったということが大きいのではないか?
客観的に見て優れているかどうか、素人のこちらが
判断をしづらいと思うのです。

流行っているかどうかはひとつの判断材料になりますが
なぜそうなのかは分かりません。
腕がよいのか、宣伝が上手いのか、客当たりがよいか
薬をガバガバ出してくれるのか、・・
先代の先生が良かったから、なんてこともあるかな?

逆もあるでしょうね。

良心的に診療していたら、客が妙な判断で勝手に悪いと
決めつけてしまう、なんてこともありそうです。

クチコミその他の外部的な判断補助材料を持っているとき
たまたま治ったなんてことがあると信用しますよね。
それ以降、信じていますから病気も治る!
どうも、それだけのような気がしますが。


塾も似ています。

クチコミは大切ですが、そのクチコミの元となっている
判断材料がはたして正しいかどうか。
微妙なことがあるかもしれません。

・・塾の側からは言いにくい話題ですけれども。


「それは違う」なんて話が流れても直接的な手はありません。

運が悪かったと思うしかないのかもしれません。

ではそんな不運をなるべく避けるにはどうするか?

世間さまと合致する流れに乗ることでしょう。
リスクは小さくなります。

周りと、保護者と、子供と、ぶつかるような価値観を
持っていたり、頑張っていたりすると、不運に遭遇する
かもしれません。

「いやそれでも自分の道をゆく」のは好き好きですが
どんなお仕事でも(良い仕事→評価が上がる)なんて
幸せが多いとは思えません。


本当はちょっと違うけどなあ、と思いながら
営業を考えて世間様に合わせた運営をするのも悪いこと
ではないのでしょう。

ただ、死ぬときに後悔するのは嫌だなあ。
取り返しがつかないことですからねえ。

多くの悪徳政治家、無責任官僚のように
何も気づかずにハッピーな死を迎えられれば良いけれど。


評価だの儲けだの無縁に生きることができたら
どんなに幸せでしょうねえ。

DAYS 12月号

2011-11-19 15:56:34 | 塾あれこれ
12月号はいつも以上に充実しているようです。

まず今年10月に撮った事故原発の写真
迫力がありますね。
東電サイドの隠ぺいがよく伝わります。

何と言っても今号は東北震災がすごい
もう沢山見てきたと思っていた私ですが
眼を引き付けられます。
涙なくしては見ることができない写真が
数多く載せられています。

他にはアフガンの現状。
これもずっと知っていたと思うことですが
改めて複雑な状況を考えされられます。

簡単にテロ対策が難しいという話ではないのです。

過労自死の記事と写真も考えさせられますね。


もちろん動物の写真も秀逸です。

特に今回はタンチョウヅルが沢山載せてあります。


それからイランの子供たち。

懐かしい世界が息づいています。
子どもたちは厳しい現実の中でも生き生きとしています。

ぜひともご覧になって下さい。


DAYS JAPANの発信内容が全て首肯できるものとは
思いません。

けれども新聞TVなどのマスメディアがひと色の報道しか
しない現在の日本では貴重な視点を提供してくれます。

賛成の立場の人も反対の人も、まず見て
しっかりと考えて。

そうしないと大きな間違いを起こす恐れがあるのです。

松本サリンだってそうでした。
絶対にこれが犯人、と思える報道がながれていたのに
冤罪だった。
多くの国民が大間違いをさせられたのです。

冤罪と言うものに気をつけていたツモリでもそうでした。

たとえ気に入らなくてもまず話を聞く。
実行は確かに難しいけれどねえ。

なお、私は週刊誌は読みません。
あまりにもヘンな記事が多そうだから。

それから週刊誌ネタばかり豊富な人の話も信じません。
ちゅーか・・・

正司照枝さん

2011-11-17 18:20:31 | 見る
♪ウチら陽気な かしまし娘
だれが言ったか知らないが・・・
から漫才が始まり、締めは
♪・・それでは皆様、さようなら~

よく聞きましたねえ。
私の子供時代はかしまし娘と重なります。

もっとも途中からはこちらも生意気な年齢になり
「マンネリじゃあ」とか言ってましたが
トリオ漫才を休止されたらなぜか寂しかった。

三人姉妹では真ん中の(照江ねーちゃん)が圧倒的に
笑いをとる役でした。
エネルギーがあふれた舞台でしたね。

飛び回って、しまいに「これハシタナイ」なんて
突っ込みを受け、笑いを取っていました。

のちに照恵さんと改名され、いま『カーネーション』では
照枝で紹介されています。

糸子のおばあさん役ですね。

誰かが「あんなおばあさん、昔はよくいたよね」と
言われていました。
本当にそうですね。

たいがい、結構おしゃべりで、古いタイプの料理が得意
(TVのハルさんは鰯が旨そうに煮えてました)
母性を純粋培養したみたいに孫に優しい。

「糸子、今何時や思てんの、早う寝り」
夜中に優しい声をかけてくれるのもおばあちゃん。

朝早くから冷たい台所へ立つのもおばあちゃん。
(やはり和服に割烹着かエプロンがよろしい)

大事な日本の文化を教えてくれる存在でした。

もちろんイザとなるとキリっと闘う。

・・・こんな日本のおばあちゃんをこれ以上ない好演。

小津監督が生きてたら主演で映画を撮るかもしれない。

典型を抽出し、よい塩梅で収めるのは難しいでしょうけれど
本当に上手い役者ですね。

難しくないとお考えになる人は、やってごらんになれば・・


逆に言うと、今あんなおばあちゃんがおられるだろうか?

(絶滅危惧種)・・失礼
ということは日本文化にも絶滅危惧?

文化が怪しいということは教育も荒廃するということです。

普通なんだけど夢のような

2011-11-16 20:22:40 | 塾あれこれ
中学の頃、バラとツバキの区別がつかなかった。
カタチ・オンチですね。
(運動神経その他、私の弱点は多い・・)

もちろん未だに「分類」など大の苦手です。
昆虫少年が、Aの虫とBの違いなどと仰いますが
チンプンカンプン。

最近、身近な鳥を見るのが楽しみになっていますが
細かい区別がつかないのに困っています。

カモメの仲間だな、とか、セキレイだね・・のレベルなら
流石に分かりますが、何カモメやらウミネコやらになると
お手上げです。

双眼鏡片手に勉強すればよいのでしょうが、それは
恥ずかしい。
「らしい」ってのが嫌なんだよね。


普通に見られる鳥なら、大まかな区別はつきます。
カラス、スズメ・・

ハシブトガラスかハシボソガラスかになると・・・もう


我家の近くには小さな川の河口(八幡川)
低い山と小さな森(海老山)があり
小規模ながらいくつかの公園もあります。

JRの駅から近い割には野鳥が楽しめますね。

カラス・スズメ・ハト・トンビ
カモメ・セキレイ・サギ・ウ
季節によりカモ・ツバメ
渡りの途中のシギ・チドリ

声だけですがウグイス・ヨシキリ・ホトトギス・シジュウカラ

ムクドリ・ヒヨドリ・メジロ・モズなどはよく見ます。

滅多にお会いできませんが
カワセミやミサゴ、アジサシなどがいると「超仕合せ」ですね。

いわゆるバード・ウオッチャーからは笑われます。


でもね雀だけでも楽しいですよね。
美しい。
古来、どれだけの画家が描いてきたことでしょう。

カラスも飽きない。
ペットにできたら可愛いと思うけれど、どうです?


11月に入って天気の悪い日が続きましたが
ここへきてやっと普通の秋めいた空になりました。

昨日は北風が強めに吹いていました。
八幡川河口は南北に流れますから北風は元気です。

それへ逆らうようにカモメが飛びます。
速度が落ちるのでワッチングには最高。

数メートル離れたすぐそこを飛んでくれるのです。
海で慣れた方なら煩いだけでしょうけれど、私は「わ~」

剥製が生きて飛んでるやん。
テレビや映画のアップと同じじやん。
眼が生き生きしてる・・

彼(彼女)にとってみればいつも通りに飛んでるだけ。
あとから来たこいつも、そいつも。

で、風の中、堤防でボ~っと眺めている私は
さわやかに感動なんかしちゃっていました。

普通に生きてるだけで人を感動させられるんだ。


実は人もそうなのでした。
生きてるだけで他人を感動させられる。

ドラマで普通の人間が描かれるだけでも感動しますよね。

ウェディング・プランナー

2011-11-15 20:51:06 | 塾あれこれ
ウェディング・プランナーというお仕事があるそうですね。
いつごろからあるんだろう?

結婚式場などで立派な式を行うようになった頃には
きっとすでに存在していた仕事でしょう。
友達にも盛大な式を挙げた人がいましたね。

プランナーという肩書も昔からあったのかなあ?
近頃は先端をゆくお仕事のようです。

実は私、何も知らない世界なのです。


20年前、役所に届けは出しましたが、それだけで
いわゆる、らしい、結婚式は挙げておりません。
申し訳ないけれどカミサンのウェディング姿の写真
なんていうタグイのものも撮っておりません。

どうも、私との写真など、カミサンの念頭からは
排除されていたようですね。
友達に紹介できるようなオッサンじゃなかった。。。

まあ、分からなくもない、と私自身が思います。
「こっぱずかしい」

何でそんなものに労力と費用を注ぐのか、分からない。
・・・こんな感想のほうこそ周りから「分からない!」の
ぶ~いんぐを受けそうですけれど。


もしも以前からこのブログをお読みいただいている方が
おられたら(何しろ今年中に2000日に到達するちゅーね
期間だけは頑張ってる)
一風変わった新婚旅行をした文を覚えておられますか。

あまり人さまがなされないことをしよう、と。

計画から実行まで、長期にわたって楽しめましたよ。
(実はサプライズすぎてカミサンには多々不評でした)


伝統的な挙式も感動しますし、手作りの式も良いものです。

私があまり動かされなかったのは式場が「流行り」を
薦めた風なものです。

関係者は胸いっぱいなご様子ですが、少し離れると
「またかよ」感がでるのです。

「だから」プランナーの出番が多いのでしょうね。

でもね、自分で企画できないくらいなら変化をつけても
余り意味がないのでは?
結局似合うかどうかわからないものを採用させられてる
わけだから。

自分の価値観ってものはどこに行ったんだろう。
一生懸命作り上げることを評価しない国なんでしょうね。
ブランドに弱い。

できれば今の子供たちには「自分の眼を」と思います。


プランナーの悪口ではありません。
プロは上手く使えればよいのですから。

式場のお金儲けに乗せられている風なのだけは止めて
欲しいということです。
祝儀がみんなそっちへ流れちゃう・・


とまあ、先日のNHK『グランジュテ』を見ながら
カミサンと話していたのであります。

式なぞ挙げなくても20年、なんとか保っちゃった。

結局、信念・・何ちゅー結論じゃ

2011-11-14 18:49:28 | 塾あれこれ
長い話は早くケリをつけましょう。

(信念)も(実績)もいま一つゆえに歴史に正しさを
求めると言う話でした。
まあ、塾を少しカジればすぐ思いつくストーリーです。

当然ながら他の道、考え方もありうることです。
所与の条件が違うので皆が皆同じことを実行する
ということもないでしょう。

でも私は「これだ」と思ったのですね。
(江戸時代にあったじゃないか。。。)

学校は制度疲労を起こしており、かつ、国家の教育でも
ありますから、寺子屋へは手がでないことです。

寺子屋風のアプローチを取り入れてる学校もあるようですが
きっとカップラーメンの味で、本物のラーメンとは
似て非なるものに違いありません。

公務員が、権力から離れたことを出来るわけがないですよね。
公権力から離れないと寺子屋は成立しないのです。

また、塾だって営利を余りに考えると効率の面から採用できない
ことです。

そこでごく小さな塾ならば寺子屋になりえそうです。

「お役にたてるならこれ」というのは私の建前で
本音は「これで差別化が出来る」


で、仕事をしながらふと考えました。

今、私が一人の生徒に向かっているその仕事は
本当に「寺子屋」の精神に結びつくことだろうか。
証明できるか?

ごくごく大きな話は出来ても、具体的にどう進めるか
個別の一人ひとりに、瞬間瞬間向きあっている自分は
正しい、あるいは適切なことをできているのか・・・

もし外部から上のことを突っ込まれると何と言える?

「私はこう考えている、結果は半世紀たてば分かる
まず間違いないことだと確信している、理由はこうで・・」
などと言うかもしれませんが、結局のところ
「信念」の仲間入りになるのです。

初めに戻っちゃった。

神がかりや自己暗示と同じレベルの話ですね。
鰯の頭というと印象が悪く、信念というと何か良さそうに
聞こえるだけの話なのです。

ということで堂々巡りになりそう。

♪しーかたがないのでお手紙書いた、さっきの手紙の
 ご用事、なあに?


まったくモヤモヤとした話で申し訳ありません。
とりあえず、いったん終了。

「しかしそれでも。いや、それだからこそ。」なんて
カッコイイ話ができるような気になればまた続けますね。

そんなスゴイ「信念」持てるような人間になりたい。。。

何に依るか 

2011-11-13 16:30:52 | 教えない
塾は何によるべきか。

「信念」は難しい、「実績」は怪しい。
そこで私がたどり着いたのが(歴史)です。

数千年の長きにわたり人類が積み上げてきた
教育の歴史に依るべきであろうと。

そこには確かな実績があります。

もちろん進化ということを考えねばなりません。
ただ古ければよいというものではないでしょう。

経済情勢は変わり、科学は進歩しています。
旧態依然をあてはめてよかろうハズはありません。

社会情勢の激変が人々の考えを変化させ、教育も
そのことを前提に進化させなければならないのです。

しかし、繰り返しておきますが、新しければよいと
いう保証はどこにもありません。

TVや新聞が誉めているといって自分の子供を
メディアに任せてよいことか。

第二次大戦後の教育史をちょっと振り返れば
答えは明らかです。
わずか数十年の検証にも堪えられない流行ばかりです。
(たぶん欧米はどこも)


平成の我々と江戸時代の人々とどちらが教育を
切実に考えているでしょうか。

比較検証できることではないかもしれませんが
状況を考えてみましょう。

社会保障も何もなかった時代に、ひととし食って
畑や商売を跡取りが中心に行うことを考えれば
教育がいかに大切か、
江戸時代は現代よりも切実であったはずですね。

老後の「生き死に」に関係してきます。
アホな子供がブチ壊したらどうなります?

そこで「ましな子供」を育てる必要があります。

幸い江戸時代は社会が比較的安定しており
農業そのほかの生産力も進展していました。
財を教育へ振り向ける余裕があったのです。
楽であったろうとは言いませんが。

義務でもないのに皆寺子屋に通わせました。

出来の良い子ならば養子などという道も拓ける
のです。


現在、日本文化の長所と考えられることの多くは
江戸時代の庶民の教育レベルの高さにつながる
ことであろうと思います。

子育てに必死であった時代の教育に学ばねば
というのが、現在多くの塾が考えていることです。

学校教育が忘れ去っていたことに灯をあてることが
塾の役割です。
決して、ただの補習機関であってはなりませんし
学校と同じことを繰り返しやってやる必要はありません。
それは誰が考えても、効率が悪すぎることですね。

そんな塾の姿勢を端的に現す言葉が
「教えない」ということです。

教えすぎる進学塾への批判でもあります。
進学実績を誇る処が高級官僚共を生産しているようですから。


余談ですが団塊の世代などから下には
「子どもに頼らない老後」と言ってはばからない人が
多くおられるハズです。

実は、頼れる子供を育てていないのです。

子供への真の教育を放棄してきた、とも思えるのですが。

(子供がいない私に言う資格はないか。。。)


(もう一回続きます。
 長い話になってスミマセン。年食うと、つい話が長くて)

信念より実績・・?

2011-11-12 19:34:02 | 塾あれこれ
信念があるといっても本当に立派な方から
そんなのじつは一向にないくせに「ある」という人まで
様々にいらっしゃるようです。
自己暗示にかかってる・・なんて始末に負えない人も。

そこで、理論・理屈より(実績)かもしれません。

塾で、よくある実績が「どこそこ何名」とか「受験者中何%合格」

未だに合格者数の水増しなどもあるようですが
それがなくても利用者が留意しなければならないことが
あります。

一番分かり易いのが、塾は通りそうな生徒を集めれば勝ち
ということでしょう。
「落ちたら月謝を戻します」なんて宣伝も
そのことを裏付けることになりますね。

どうやって生徒を集めるか、やっきです。
とにかく通りそうな生徒が欲しいからそんなことまで。
誰が教えたって、通りそうな子は「自分で」通るのです。

絶対数ではなく、合格率の実績で勝負する塾では
通りそうもない子が辞めさせられた、という話もあります。
(真偽のほどは確認できませんが直接保護者から聞きました)

普通の大手塾はそれは考えにくいですね。

だって、通りそうもない子が払ってくれる月謝こそが
利潤を生むのですから。

この塾からはこれだけ通っているから、
なんとかなるかもしれないという「信念」はいかが?
金を払うだけでないことをお祈りします。


偏差値が塾へ通うとアップした、というのは
実績としてどうでしょう。

塾へ通い始めた「から」上がるので、どこの塾でも構わない
のかもしれません。

塾にとって都合が良いことにAとBの塾を比較することが
大変に難しいということがあります。
一人の人間を同時にAB両方に通わすことができませんから
厳密な実績比較ができないのですよね。


上記は主に受験実績をイメージして書いておりますが
例えば、東大に入ったあとまったく冴えないという人に
なってほしいですか?

受験の合格実績だけでは余りにも生徒が可哀そうです。

やはり勉強は一生に関わりますね。

そうすると教育の結果が出るのは人が晩年になってから
ということが多くなります。

私だって小学校のT先生が本当に有り難いと分かったのは
還暦前後にふかく実感できたことです。

数十年待たないと「実績」は分からないのです。

教えて下さった方が存命かどうか。
塾が存続しているかどうか。

それだけの年数が必要であるものならば
実績で塾を選ぶという事は至難のワザになります。

「信念」・・怪しいねえ

2011-11-11 19:47:45 | 塾あれこれ
以下しばらくフィクションです。


古い集合住宅の3階に塾があるようだ。
コンクリートの階段を上がってみる。
掃除してないねえ。

3階に「○○塾」という張り紙があり矢印の方へ行くと
鉄の扉に看板が下がっている。
ゴンゴンと叩くと「中へ入れ」との声がした。

「済みません、塾のことを御伺いしたい・・」
薄暗い奥から冴えないオジサンがやってきた。
カップ麺をすすっていた途中らしい。

ちらしを見たこと、生徒の基本情報などを伝えたあと
確認しておきたかったことを聞いてみる。

「人をしっかり育てる」と書いてありますが・・

「ええ、それがウチの売りです」

「どんなふうに教育をされるので?」

「個人により対応は柔軟に行いますが、学力、精神力
 徳力この3つに重点をおきます」

(トクリョク?はあ?)と出かかったのを飲みこみ
「具体的にどうすればそれらを涵養できるのですか」

「それを一つ一つお話しするには時間がいくらあっても
 足りませんねえ。
 まあ、例えばしっかり宿題を出して鍛えますよ。」

「それで力がつく保証がありますか。」

「もちろん。私の信念で、そうやってきました。」


信念だの信条だのが出てくると新興宗教に近い。

返事になっていないことで回答をしたつもりなのだから
手がつけられない。
これ以上突っ込んでも喧嘩になりかねないので資料を
頂いて、後日連絡を入れると言って帰ってきた。

もちろん、これっきりである。

(以上。下手なフィクションですみません)


これっきり、ちゅーのも感心しませんが現実にはそういう
ものらしいですね。

それもやむを得ない処はあります。
業界を裏から透かして見ると、怪しい塾も多そうですから。

突っ込まれたら「信念」シンネン

もっとひどい処もあります。

自分が怪しいという自覚がないのです。

以前、「わが塾は人を育てます」といったふうなコピーを
出した塾の内容をある程度知っていたので、目ん玉が
飛び出るほど驚いたこともあります。

具体的にどうやってるのか聞いてみたら面白かったかなあ。


何々式をやっています、とか
△先生の教育理論とかいう場合も「信念」と変わらない
ことがありそうです。

風が吹けばおけ屋がもうかる、理論に近いものがありますね。
有名になってても流行っているだけで、いつかしぼみます。

やってるほうは「信念」で良いのでしょうが
つきあわされる生徒学生は、根拠の大してないようなことを
やらされていると知っているのでしょうか。

統計的に証明されている、とか、実績がン%上がった
などと言いながら、いつしか全く違う方式にとって代わられる
ってのは何なんでしょうね。
ファッションや駄菓子の流行と大差ないのかなあ。

これなら受験請負に徹している方がスッキリしているとも
言えそうです。
実績勝負ですから。

が、実績なるものも問題がないわけではありません。

人さまの悪口は楽しいので次回も続けましょう。
(とはいえ自分にも厳しい話にはなりそうですけれども)

ナメるにも程がある

2011-11-10 21:27:09 | 塾あれこれ
野田首相は10日夕刻の会見を一日伸ばし
11日にTPPの交渉について発表するそうです。

どうせ結論は決まっているのだから、一日延期に
どれほどの意味があるのか、よく分かりませんね。
私などはかえってムカつく。

もっとも、私がムカついても屁の威力にもなりません。

一日冷却すれば(TPP反対の感情的な高まり)が
静まるとでも言いたいのでしょうか。
賛成派が知的で、反対派は感情的か・・・

本当はきちんと筋道を立てて相手を説得するのが
知的な作業なのですが、自分に賛成しないものは
感情的としか映らないらしい。
推進派もずいぶんと単純な脳みそですねえ。

そういう精神構造だから、初めに結論ありきで
(バカどもは強引に決めちゃえば付いてくる)と
いう議論のしかたになるのでしょう。

国民を愚弄するにも程があります。


マスコミの「知的な」人には賛成派が多いようです。

で、何を言ってるか。

「リンゴの自由化を見ても、壊滅すると言われながら
 結局、高級化して生産力が上がっている。
 負荷がかかるというのは進歩へのきっかけ」
などと虚言を弄しています。

じゃあ、円高の負荷をかけて日本の産業を強くするが
いいじゃありませんか。
子供は虐待してやるほうが強い人間に育つ?

そのレトリックが成り立つかどうか、は二の次にして
とある空気を醸成したがる連中が多いのです。

リンゴ農家で頑張っておられる方も上記の意見には
気分が悪かろうと思います。
苦労した農家の方がそう言われるのならば
一つの立派な意見ですけれどねえ。

「安もんの解説者・コメンテーターが何言ってんだ!」
と私はTVに向かって怒っております。

これからの若い人にはぜひとも論理力をつけて欲しい、と
切実に願っています。


この短い文が的外れであるという会見が明日なされれば
日本も救われるでしょうが、まず「ない!」

「慌てて書くんじゃなかった」なんて最近ないもの。
底の浅い国になっちゃったねえ。

PS
さて一日経ちましたが、何がどう変わったのでしょうか?
延期した意味は何だったのでしょう?

国会を聞いてもヒドイね。
真面目に答えようとしていません。
つまり、結論ありきの証拠です。

もしTPPという目的が正しいとしましょう、
手段が間違っていたら民主主義の自殺だということを
考えての野田の対応なのでしょうか?

PS
官僚的で押しに弱いと見抜かれ、米国から一発カマされて
しまったようですね。
何が(ルールづくりに参加)なんだか。

アカウンタビリティの欠如も問題ですが
国益にマイナス面が多すぎるであろうことが問題なのです。
マスメディアの論調も的外れ。
あるいは、知ってての「的外し」か?