先日NHKで小椋佳さんの歌が流れました。
「昭和から平成に変わる頃、日本社会が変わった」
と仰っていました。
大きく括ってみると、確かにそうですね。
「それまでは組織人間の日本だった。
平成になって個人が中心に変わっていった」
たぶんこんな話だったと思います。
学者さんが新聞のコラムに書かれるような感じで
仰ることはごもっともです。
けれど実態はもう少し複雑な様相でした。
そんな細かいことをコンサートの途中で長く話すことは
ないですから、詳しく話されなかったことにイチャモンを
つけるわけではありません、
ただ、それだけをTVで流されると、ね。
私たちも会社人間ではありましたが、学生運動の
時代を経た人間でもあります。
「組織と個」も思い切り重要な課題でした。
また、古の陽明学を思い出させるような
「で、君はどう生きてるの」ということを
強く意識していた世代でもあります。
社会に出て、強力な組織の支配する中でどう生きるか
悩みつつ、ある種の組織人間をやっていたのですね。
昼間、会社では組織人間としてふるまえばよいわけですから
ある種、そこに頼った安易な気安いものでもありました。
会社から一歩離れると、学生の延長が待っています。
酒場でも、人生論、政治論、環境論・・
それなりに真剣に語り合っていました。
(ぶん殴るぞ、てめえ)
そこで喧嘩しても世の中変わんないのにねえ。
背伸びがちょっと滑稽でもありました。
きっと今の若い人より熱かった。
組織人間をやりつつ、個としても生きようとしてました。
ハンパとも思いません。
平成に入って現在までの若い人は確かに「個」が
きちんと主張されます。
世界に出ても個が確立してるから強い。
と同時に、ただの我がまま・勝手、と個の主張を混同し
結果として、個のまったく未成熟な人が多くいる
ことも事実です。残念ながら。
それなら団塊のオジサンの方がよほどマシ、と
思ってしまいますね。
今の日本社会の文化と昭和の文化と、どちらが上?
少なくとも今言えることは
現在の「個」は欠陥の多く残ったものであることです。
自分さえよければ、というだけでは「個」の尊重とは
言えないのだ、と強調したいですね。
今の日本は、無智の雄たけび、ばかりのようです。
「昭和から平成に変わる頃、日本社会が変わった」
と仰っていました。
大きく括ってみると、確かにそうですね。
「それまでは組織人間の日本だった。
平成になって個人が中心に変わっていった」
たぶんこんな話だったと思います。
学者さんが新聞のコラムに書かれるような感じで
仰ることはごもっともです。
けれど実態はもう少し複雑な様相でした。
そんな細かいことをコンサートの途中で長く話すことは
ないですから、詳しく話されなかったことにイチャモンを
つけるわけではありません、
ただ、それだけをTVで流されると、ね。
私たちも会社人間ではありましたが、学生運動の
時代を経た人間でもあります。
「組織と個」も思い切り重要な課題でした。
また、古の陽明学を思い出させるような
「で、君はどう生きてるの」ということを
強く意識していた世代でもあります。
社会に出て、強力な組織の支配する中でどう生きるか
悩みつつ、ある種の組織人間をやっていたのですね。
昼間、会社では組織人間としてふるまえばよいわけですから
ある種、そこに頼った安易な気安いものでもありました。
会社から一歩離れると、学生の延長が待っています。
酒場でも、人生論、政治論、環境論・・
それなりに真剣に語り合っていました。
(ぶん殴るぞ、てめえ)
そこで喧嘩しても世の中変わんないのにねえ。
背伸びがちょっと滑稽でもありました。
きっと今の若い人より熱かった。
組織人間をやりつつ、個としても生きようとしてました。
ハンパとも思いません。
平成に入って現在までの若い人は確かに「個」が
きちんと主張されます。
世界に出ても個が確立してるから強い。
と同時に、ただの我がまま・勝手、と個の主張を混同し
結果として、個のまったく未成熟な人が多くいる
ことも事実です。残念ながら。
それなら団塊のオジサンの方がよほどマシ、と
思ってしまいますね。
今の日本社会の文化と昭和の文化と、どちらが上?
少なくとも今言えることは
現在の「個」は欠陥の多く残ったものであることです。
自分さえよければ、というだけでは「個」の尊重とは
言えないのだ、と強調したいですね。
今の日本は、無智の雄たけび、ばかりのようです。