戦後の教育も宜しいようで

2012-10-30 16:31:44 | 塾あれこれ
時折、ノーベル賞受賞者がでると
決まり文句のようにして
「今までは科学者のレベルが高かったから受賞したが
 これからは受賞者が続くかどうか。
 何しろ現代の教育は心もとないから・・」と
言われていました。

業績が確定してからの受賞になりますから
オジイサンが圧倒的に多く登場されるのが当然。
第二次大戦前の生まれの人ばかりが受賞し、
戦後生まれは「頂ける年齢」に達していなかったようです。

最近、少しずつ戦後教育で育った人に受賞者が出始め
これからも候補者は多くおられるようですから
上記の、戦後教育でノーベル賞はどうか、という疑念は
晴れつつあるようです。

科学系の受賞者の生年を並べてみますと
1900~09 2名
10年代  1名
20年代   4名
30年代  5名
40年代  2名
となっています。戦争の影響もありそうですね。

50年代が田中耕一さん
60年代が山中伸弥さん

数学のフィールズ賞では3名のうち1名
森さんが50年代生まれですね。

ABC予想を証明したのではないかと言われている
望月新一さんは、なんと1969年生まれ。
もっとも、米国で教育を受けられたようですが。


戦後教育はスポーツでも山下、イチロー、香川、・・を生み
芸術でも音楽などを始め、数えきれませんよね。
経済人でもユニークな人が多数おられます。

少なくとも優秀な方が出てくるのをブロックはしない
たぶん優秀な人は戦前より伸びやすい教育事情では
ないでしょうか。

オンリーワン、誉めて育てる・・・伸びやすいですよね。

アメリカなどでも優秀な人を伸ばす教育は素晴らしいようで
(超天才)望月さんが2年で卒業した私立高などは
資金も潤沢なようです。

多分、どの国でも出来る子には金をかける
出来ない子は、すきにして頑張れ、と声だけかける。


何度も書きますが90点の子を育て10%伸びれば99点
もし20点の子なら頑張って10%伸びても22点ですから
親も「折角、塾に行かしたのに22点・・」


日本の学校で暖かく楽しい授業をして、例え出来ない子でも
伸びやすい環境をと考えておられるのは素晴らしいと思います。

ただ、出口で見えている現実はどうか?
出来ない子が増えているじゃないですか。

しかも金をかけてもらえないでしょ。
少なくとも塾にはあまり行かせてもらえません。

数十年先を考えると恐ろしい気がしますね。


短絡的ですが「個別」「教えない」
これが出来ない子にも効果的で、救いになるハズ。
一見、反対に思われます?

ただ、経済効率が悪い
今は経済界に睨まれて政官界も、できる子にしか
金を出そうとしない傾向にあります。

それが国を浮揚させないのですがね。

ここにも負のスパイラル。

何で国会が面白くないのだろう

2012-10-29 19:43:26 | 塾あれこれ
大切なことは先送り、というか
何も決めないでおこう、という感じがします。

緊急にやらねばならぬことだけ片づけて→選挙
これではまた時間の無駄になります。

菅政権とよく似ていますね。

赤字国債、選挙区割り、などなどだけの法案を挙げれば
解散、総選挙でしょうね。

たぶん年明け総選挙になります。

それ以降は次年度予算の審議があるし
4月以降では同日選で民主党は避けたいはずです。

年明けにしておけば輿石の小沢への義理も果たせますしね。

野田で選挙をするか、細野でするか、は未定。

野田は次、もしくはその次の政界再編にむけて
今回の選挙を上手く乗り切りたいだけですから
細野にやらせるのではないか、という気がします。

選挙で負けるから細野が強くなるわけがありません。
ババをおしつけて、自分のグループを強固にしたいのでしょう。
政界再編の一つの核になりたいでしょうから。

掛けごとなら、細野で選挙に1万円くらいかけましょうか。
最近細野がマスメディアに露出を控えてるでしょ。
次期首相という話がきているからでしょう。

前原はまたワキが甘くて次もメはありません。
安住その他ではまだ軽いですから出られません。
野田も操り易いのが党首でよろしいのではないでしょうか。


石原新党は野田が喜ぶタイミングでした。
これで最大の不安定な要因が出尽しました。

橋下などと第三極になるのでしょうが烏合の衆でダメです。
いくらの頭数になるかですが、よほど上手に選挙を差配し
ないと、思うほどは伸びないのではないでしょうか。


あまり確定的なことを口走るとあとで恥をかきますかね。

プーチンと野田で「二島返還」などというアドバルンが
上がるかもしれません。(煮詰めるのは大変)

そうすると自公の圧勝には、なり難いでしょ。

小党分立、合従連衡
大きな世界不況になりそうだというのに身動きが取れない
日本になりそうです。

米大統領選は最後は、やはりオバマか?
これも日本にとって悪材料ですね。
だからロムニーでよいとも言えませんしね。

『アイアンシェフ』

2012-10-28 15:30:06 | 塾あれこれ
遅ればせながらビデオに撮っておいた『アイアン・シェフ』を
見ました。

予想以上に面白かったですね。
『鉄人』も終わりのころはシラケていたので
大して期待していなかったから逆に良かったかな。

プロレスのtv料理バージョンですね。


『鉄人』の初めのころは「真剣勝負」で、突然に出た
お題をよくあんなにできるものだと、感心しきりでしたが
甘かった。

んなにうまくいくワケがない。
上手に仕組まれたショーだと推測してからは矢張り
面白くなくなりました。


制作側の目のつけどころが良かったのでしょう。
番組開始の時は違ったコンセプトでしたから
途中の改変がたまたま当たったのかな?

料理でバトルをするという面白さ。
鉄人や審査員の構成の上手さ(岸朝子さんなど
よろしうございました。)

で、台本が上手く出来ていて(プロレスたるゆえん)
実際の調理シーンは真剣だからリアルさもあり
ヒットするわけですよね。(外国でも)


今回、「焼き直し」を作るというのでフジもダメだなと
思いつつ一応録画しておいたわけです。

どれほど構成に新しさがあるか・・・さほどなかった
料理はどうか・・・・・・・・・・・なかなか良かった
シェフの魅力は・・・・・・・・・・須賀洋介!

須賀さんは、かのロブションに重用されていたのが
よく分かります。才能がありそうようですね。

フレンチなんだけれど「和」の美しさがあります。

鮭のハラスとジャガイモ、調理中はさほどと見えなかった
出来上がりの美しいこと、日本画ですね。

シラコ+リゾットは食べて見た~い。

これからも要チェックの才能でした。


もちろん上には上があるでしょう。
「ふ~ん、羨ましいね」というのも良いものです。

真木悠介著作集

2012-10-27 10:17:25 | 本の話
電子書籍の時代になりつつあるとか。
本の整理整頓に場所や時間をとるよりも
優れた面がありそうですね。

母の家に置いたままの(=捨てた)多量の本を思い出すと
紙の文化の限界も感じます。

では私がこれからモバイルでの読書をするか?
時の流れにオンチな人間ですから、ありえません。
普通の本の方が頭に入り易いような気がするのです。

ご飯で育った人間がパンでは物足りないようなものでしょう。

ただ、何らかの形で情報ストックは必要かもしれません。
紙での整理は限界があるし、頭はガタガタだしね。


『真木悠介著作集 Ⅰ』が先日届きました。
岩波の本は高いのですが、欲しくて欲しくて・・

若いころ読んだ真木の文章が印象深いのですね。

冒頭からぶっとびます。
「何て名文なんだろう、はあ~!ふ~。」

思想的な中身が濃くて、それでいて叙情的で。
充実していますね。

本の出来も宜しい。
読みやすいですね。

こんな本を手に取ると液晶画面で読書ということが
いかにもお手軽に(薄っぺらく)思われます。
頭に入りそうに思えないのですね。
旧時代人のノスタルジーかもしれませんが。


似た感覚の本を思いうかべました。

芳賀徹著『與謝蕪村の小さな世界』中央公論社
昭和61年に上梓されています。

内容もツクリも大変に品が良い本ですね。
『真木著作集』も近い雰囲気がありますが
出来はやはり違いますね。

こんな本だと、本棚を眺めては落ち着きます。
持っているだけで嬉しいのです。
もちろん折に触れ読み返します。

芳賀先生も「あとがき」で、出来るならば
「あまり大きすぎず、分厚すぎず、といって薄くもなく、
手に持ってちょうどいい重さの四六版で、しかも
その装丁にも中身にも・・(蕪村らしさが漂う)」
そんな本を作りたかったと書いておられます。

今、仮に出版しておくが・・と謙遜されていますが
素敵な本です。
こんな本を手にすると文庫本が好きな私も
優劣を認めなければなりません。

活字だけが本ではなく、本の存在が人に訴えるものがある
それを実感できます。
文庫本の手軽な「手のひら感覚」も悪くはないですが。


日ごろ古本を読むことの多い私ですが、たまには
新しい本も読みます。
読むのが、はかどりますね。

やはり新鮮さがあるのでしょう。
新しいとオイシイのは食べ物と似ているかもしれません。

今野真二著『百年前の日本語』岩波新書

百年ほど前の「書き言葉」の事情を学者らしく簡潔に
纏めて頂いています。
(課題があるかどうかは私ごときには分かりません)

頭の中が整理されますね。

私の少ない読書歴から言うので例によってアヤシイのですが
この本が(一点集中)で日本語を解き明かして頂けるならば
より幅広い視点での分かりやすい本もあります。

樺島忠夫著『日本語探検』角川選書

日本語の表記について基礎的な知識を得られます。
勉強になりますね。

これをまず読んで、次に『百年前・・』が
学生の勉強としては入り易いと思います。


ただ、漢字とか、言葉のありかた、などを勉強するだけではなく
日本文化というものを捉えるヒントがあるように思います。
・・上記の2冊とも。

それがあるから良い本だといえるし、頭に入り易い。


上記4冊、お勧めの本であります。
なお「与謝蕪村・・」は文庫もあるようです。

野鳥はいいね

2012-10-26 08:02:07 | 塾あれこれ
散歩の時間に丁度潮が満ちてきました。
河口にさあーっと流れ込む汽水に魚が沢山
乗ってきているようです。

水が浅いのに魚が多いのですから水鳥は喜ぶ。
アオサギ、シロサギ、鵜、カモメ・・

水面近くを飛ぶ鳥影に魚が一斉に反応し波立ちます。

養魚池でエサをやると水面がいっせいに波立ちますが
それと似たバシャバシャと言う波。
いったい何匹いるのだろう。。。

鵜も普段なら数十秒潜っているのに、すぐに浮かびます。
エサを獲りやすいのでしょうね。

カモメって潜らないのでしょうかね。
首だけ水面下に差し込み「肩」の辺りで止まっています。
無精っぽくて良いですね。

サギがとある方向に歩むと、その先の方まで波が立ちます。
水の中では「こっちくるぞ」という警報が鳴っている。

同じ水面にカモも多くいました。
こちらは我関せずとのんびり。
他の鳥たちとはモメないようです。


写真は一昨年10月のカモたち。
今年は温かいせいか、まだ数が伸びません。

学力の問題

2012-10-25 11:42:06 | 塾あれこれ
式の意味が分かっていない生徒が多いと報道されています。
(全国学力調査)

☆「8mで4kgの棒があります。1mの重さは?」

はい2kgです
☆そうですねえ、どうやって答えが出ました?

ん~、なんとなく
☆でも何か計算して分かったんじゃないかな、
 元の重さは何キロでしたっけ

4キロ
☆で、君の答えが2キロってことは元の重さの?

半分
☆半分だから式で言うと、どうやって2になった?

6÷3
☆おや?問題にそんな数字があったかな、8と4でしょ。

8×4
☆ん~、九々で「はち・し・・・いくつ?・・2かな」

32
☆そうそう、ククはできるね、えらい!
 でも答えが2じゃないね。32キロは重すぎない?
 なんで掛けちゃったんだろ

8÷4だ!
☆それだ、それで2になるね、
 きっとそういう計算をしたんだ

たぶん、ね
☆君の答えは1m2キロだったね、じゃ2mで何キロ?
 2mだから重さも2倍になるね。2キロを2倍すると・・

4キロ
☆問題文は8mでしょ、君の答えだと2mでもう4キロじゃん

(・・・)  
☆(図を描いて)こんな風に8mの棒があるね
       この半分だと4m
       もともと4キロの重さも?
       ・・そう半分、これが今言った数字ですね
       ということは・・
       君のやりかた、8÷4ではよくないみたいだね。

{かなり強引ですが、書くスペースから端折りました}

じゃあ、8×4
☆あれ?さっきやってみて、どうだったっけ

そうか・・もう分からん・・
☆掛け算は違ったね(・・強引になってきた)
 割り算は8÷4だけでしたっけ

じゃあ4÷8
☆えらい、できるじゃん。8mと1mを比べるから・・

{このあとの説明は聞いてる子供はヤハリよく分からない、
 しかしともかく済んだスンダ、と思っています}


あとは4÷8の計算をさせ、場合によって確かめ算もすまし
途中何回も誉めて「できた!」
機嫌良く帰途につかせるのが「今の教育」らしい。

丁寧に付き合う気があれば、上の通り、気は楽な仕事です。

けれども上記で分かるように式は適当に口走っているのです。
何を意味しているかなど彼の意識にはありません。

私に言わせれば「無責任」
そうして上記の対応をしていた教員はその無責任を放置して
いるようにしか思えないのです。

問題は学校や塾の教員だけにあるのではありません。
親も社会も、みんな甘やかしているから、無責任が野放しに
なっているのです。
出来るまで手とり足とり丁寧に、これが主眼であって
本当に分かっているか、次はできるか、などは二の次。

上記の対応はごく分からない時期だけのものであるべきで
少しずつ進むにつれ、やっていることに責任を持たせなきゃ。
そうしないと式の意味など考えないでしょう。

個別形式で「教えない」が有力である所以です。

国本武春、三原佐知子、幸枝若。こりゃあ豪華だ

2012-10-24 10:51:24 | 塾あれこれ
ジャンンルは普通なら「芸能」とするのでしょうが
浪曲というより音楽の一ジャンルと言いたいですね。

NHKTVで浪曲番組を流してくれました。
民放じゃ絶対に出来ない良さです。
近頃のNHKときたら民放でもよさそうな中途半端なものが
多いですね。

4人の浪曲師が出ましたが最初の菊池さんは聞きませんでした。
女流にしては声は出ていたようですが。

ブルーグラスでも有名な国本武春さん。
ファンであります。

浪曲でも新しいことに挑戦されていたりしましたが
この放送では本格的な浪曲をやっておられました。

かつては声に無理があるところがありましたが
今回はその感が薄まっていました。
キャリアですかねえ。

三原さん。
この方はすごい。
津軽民謡と浪曲を合体させた導入部は(至芸)ですね。

声が良い、節回しが良い。
素晴らしかった。
実際に聴くともっともっとすごいでしょうね。

京山幸枝若さんは以前当ブログに少し書きました。
現代の名人です。
今でも浪花節をまっとうにやられる方がおられると思うと
有り難い思いがしますね。


TVにちらと映った客席がさすがでした。
白髪の方ばっかり・・・

でもね大阪だからあんなにお客さんが入られる。
広島じゃムリでしょうねえ。

カミサンなんか「何聴いてる?」なんてお顔してました。

昔、女性にオゴられたことがある

2012-10-23 17:31:25 | 食べる
団塊の世代としては、先輩が後輩に奢り、
男性は女性に奢るのが常識でした。

今のように男女平等ではなかったですよね。

苦しくても、意中の人がいなくても、サっとお金を出す、
私もよく奢って頂きましたが、あまり「先輩それは」
なんて言うと、「俺に恥をかかせる気か」と
叱られたことも度々です。

今回は私が出しますから、たまには付き合って下さい、と
無理にお願いしても「もう一軒行こう」でチャラ。
結局負担をかけてしまいます。

私が勤めた会社は世間の相場より安い月給だったのに。

・・・とこういうことを常識としている世代の人間が
「ボクだって昔、女の子に奢ってもらったことがある」と
口走るのは、ムリした自慢に間違いありません。


会社に入りたて、私にも20代前半の時代があり
腹は出ていませんでした。

石油ショックの前後でしたかね、会社の同僚女性が
「井上さん、夕食をご一緒に」

驚きましたね。
学生時代だって声をかけられるなんてありませんでしたし、
ご存じのブス男で、仕事は出世などしそうもありませんし
「ありえね~」

お茶の水駅からすぐのところに回転寿司の店がありました。
そこへ行こうという話なんですね。

東京でも回転寿司は珍しかったのではないでしょうか。
何をどうしたもんだか、要領が分からない。

モタモタして幾皿かを頂いていると、誘ってくれた彼女が
パッとお支払いまで済ませちゃった。
よほど頼りない様子だったのでしょうね。

神田の古本屋街を歩いて・・何でかな?
デートといえるかどうか、ともかく私がモテなかったことだけが
夕日にやきついた一日でした。

え?
結構、美人でしたよ。
私がモテる訳ゃないので今思えば回転寿司をチェックしてみたいと
思われた程度だったのでしょう。

あと、呑みに誘うのならまだしも。
確か会社を出る時には金が十分になかったような気もします。

でも、誘って断られるよりはマシですか。


以来、回転寿司なるお店に入ったことがありません。
美味そうに見えないしね~。

ネタの正体も怪しいと聞きますし、ね~。

「たいしたこたあねー」

デート?の失敗でコリタのかなあ・・・

俺って古いのかなあ

2012-10-22 18:09:36 | 塾あれこれ
ネットの斜め読みで視野の端の方に
「イジリ」と「イジメ」という文字が見えました。

イジリとイジメは違う、けれども一応注意しないといけない
などという程度の内容だったに違いありません。

「・・のでしょう」と不確実な推測に基づいて書くので
気が引けますが、(イジリとイジメ)という発想自体に
私はついていけないんですよね。

子供たちはイジリのつもりが相手にはイジメであった
とか
イジリがエスカレートしてイジメになったとか。

何だか「イジリ」は許せるが「イジメ」になると悪い
という風に思われているのでしょうか。
あるいは、そういう意味で言葉を使い分けているのでしょうか。


イジメについて「昔からあったことだ」と人間の社会的存在を
考えることも有効でしょう。

イジメに対して今の子は弱いのではないか、というアプローチも
ありえます。

もちろん、学校を初めとする現代社会の分析も有用でしょう。

それらを、子供自身の側から「イジリ」ということを持ちだして
イジメ論が棚上げになりかねないとも思われます。

遊びなんだ、悪意はなかったんだということが強調されるのですね。

しかし、(やる側)の意思がどうであれ(やられる側)が
どう感じるかがただ一つの真実です。
イジリのつもりの行為でも「いじめだ、耐えがたく思う」ならば
それはイジメなのです。
・・さすがに常識になっていると思います。

ですからイジリとイジメを区別すると言う話は嘘っぽいですね。

であるのに一定の場所で「イジリとイジメ」のように意識されてる
こと自体がイジメ問題の深刻さのひとつだと思われます。

きっと学校の先生がたが「イジメとは」と学習される折などに
持ちだされることでしょうが、私は不要な話だと考えます。

私も子供のころ他の子供たちと一緒に「や~い」などと囃し
それは遊びのつもりでもイジメだったかもしれません。

また、あとでじっくり考えて「いじめられてたか」もありました。

大人になっても引きこもり状態になったことも時々ありますが、
数日でまた出社していました。

多くの人間はイジメたりイジメられたり、その近所にいたり
しているハズですね。

大人になって教師職を選んだ人が、一人の人間としてキチンとした
意見がないほうがおかしいでしょう。
マニュアルがなきゃ、対処の仕方を教えてもらえなきゃ動けない
そんな人間が、人を教えられる??


子供たちに「死ぬな」と教えようという動きが教育界にも
あるようですね。

学校では取り組みが不十分になっているそうです。

TVから聞こえてきたその理由は
「マニュアルがない、教材がない・・・」

それがなければ生徒にモノを言えないなんて・・・教師?

自分が生きてきて、一人の人間として、後から来る子供に
「生きよ」とすら伝えられませんか?



私の尊敬する、小学校の時の担任、T先生は唐突に
「君ら、死んじゃいかん」

ときおりそう言われ、発育の遅い私などは「何、それ」と
ポカンとしていました。

けれども未だに覚えていますね。

T先生の人間的な声が伝わったのでしょう。

教師とは、人間とはかくあるべし、と思います。


上から目線の生意気でスミマセン。
他人様にはキツクいう性質でして。

『「超」入門 微分積分』

2012-10-21 10:12:13 | 塾あれこれ
数Ⅱで「微積」に入ると落ち着きません。

計算のやり方などは、こうやると教えられます。
ちゅーか「教えている」と言えるかどうか。

これで面積が出る、とか接線が分かるだとか、言いつつ
私自身がまったくピンと来ていないのです。
さすがに内心恥ずかしい。

簡単な処は分かったような気がします。
しかし・・・

つまり「分かっていない」!
(山中先生も微積分は、そうみたいですが)

そんな人間に向かって著者の神永正博・東北学院教授が
「これなら分かるだろ」と渾身の力を込めて(・・たぶん)
書かれた新書です。

さすがに「ピンときているかも」という気になりますね。
もちろん、後何度も読まねばピンとなんか来るはずがないし
自分で数式を導けるようにならないとダメです。

式が並んでいて、こう計算すれば、この結論が得られますね
というところがあります。
一回目は読み飛ばしましたが、次はそこを追っかけて行く必要が
ありますね。
生徒に計算をしてみせて「オっ」と思わせなきゃ。

そうして説明していくうちに「ん、ピンときてるかも」と
なります。

俳句を教えるのなら自分で月並みを捻れるようになって
初めてピンときた授業ができるように。

(すべてではありません。「柿食へば・・」は私には
 どこが良いんだか)


ということでブルーバックス『「超」入門・・』は
勉強になる、面白い、分かりやすい本でしたが
さて、塾を辞める人間に読む必要があるのか?

いつ死ぬかも知れない年齢に近づいて、ごく簡単な
数学が分かって、それがどうした?

死ぬまで勉強、は一応納得しています。
趣味でも新しいことに挑戦していれば楽しいでしょう。

で、それが人間社会に何の益があるというのでしょう?
デイケアで簡単な折り紙を教わって、それが何?(極端かな)

生産に関係がない「消費だけのお荷物」は不要では?

もちろんこれは私だけに向かう話でひとさまのことを
云々するものではありません。
井上はヒドイ奴と思われませんようお願いします。


もっと進めば「私の人生って何だったの?」
平凡かつ厄介きわまる自問に辿り着きます。

結論から言うとそれはアポリアで、考えても仕方がない
ことです。

答えがないことを悪魔が次々と問いかけます。

あなたの人生がひと様の役に立ったか?
あのときこうすればという重大な反省はないのか?
知らないうちに自分を愛してくれる人を傷つけてないか?

・・悪魔のワナに落ちてはいけません。
魔女裁判と同じで、どう答えても有罪とされるのです。

そんな問いには近づかないのが一番ですね。


でも、ときどき落ち込みますね。「人生って・・」

なぜそうなるんでしょう。
どうしても(自分を高く評価したい)からなのでしょう。
完全否定したら生きていけませんし。

人様のお役にたつ、立派な人になるようにと
学校その他でさんざん教育されてきましたしねえ。

べつに良いんですよ、とか言いながらオンリーワンに
なりなさいと余計なプレッシャーをかけてくれます。
なぜ、暖かくサポートするだけにしてくれないのか?

親ならばある程度やむをえませんけれどね。


数学の超入門本からなんでこんな話になるのかしらん?


何で役に立たない本を読むのか?
それは面白いから。
腹が減ったら食欲がわくのと同じではないでしょうか。

私の場合は本を読むことぐらいしか能がないようで・・・