遠いということ

2011-11-05 14:40:24 | 塾あれこれ
新聞で池澤夏樹が嘆いていました。

タクシーの運転手さんが東北被災地に無理解であった、と。
そうして、遠く離れているということでやむをえない
だろうけれども、もっと理解をしてほしいと。

おっしゃる通りだと思います。


インドネシアの大津波は私にとってやはり遠いもの
でした。
塾に通ってくれていた生徒のアメリカンスクールでの
友達が津波で流されたと聞き、ニュースを見る目が
より恐ろしいものを見るように変わったと覚えています。
バカンスが悲劇に一転、行方不明になられたそうでした。

神戸の震災はイトコも影響を受けるなど、より怖い
思いが伝わってくるものでした。

けれども、やはりそれなりに遠い出来ごと。


今回の東日本大震災に関して、東北や東京の人々の
話を伝え聞くにつけ、ふとよぎる感想があります。

ヒンシュクを買いそうなのですがあえて書きますと
「おや、神戸の時は何にも感じていなかったの?」

どちらが大きいとか、先であったとか、そんな
レベルでなくとも、神戸の震災は東京の人には
やはりどこか「遠いできごと」だったようなのです。
今回、関西が関東よりシンパシーが万が一薄くとも
オアイコのような気もするのです。
やはり遠い。

それを非難するわけでもありません。
人間ってそんなものだと思うのです。

自分の母親に死なれて初めてそのことの大きさを
実感したバカモノがここにいます。

友達や知人の場合のつらさが初めて分かるように
なったのです。
それまでは頭でだけの理解に留まっていました。

遠い出来事と感じるのもやむをえないから、それでよい
というのではありません。

池澤さんの嘆きも分かります。


あるいは風評被害。
あるいは、がれき搬入処理。

理性では答えが明確すぎるようなことでも
感情では「正直言うとじつは・・」
というのが人情だと思います。

また、その無理解に対して関係者が憤りを持たれる
気持ちも分かります。

福島県いわき市の中心で塾を営まれている渡辺稔先生も
ブログで静かながらも憤っておられます。
(ヤフーブログの「渡辺稔の教育談義」)

そのお気持ちとはずいぶん下のレベルの感想なので
お叱りを受けそうなのですが、人間って遠いことは
どこかピンボケしてしまうのです。

それらも前提の一つとした国等の対応をしてほしいし
そのなかで恥ずかしながら出来ることを少しでも行って
いきたいと思います。
(日赤などへの義捐金、やはり多くは捻出できなかった
 など、大きなことは言えない私です)

繰り返しますが、人間そんなものだからと居直ることは
決して良いことではありません。
人さまの足を引っ張ることなど、最悪です。

しかし、できれば心の振幅の幅広さも認めて欲しい。

たとえ狭量な品のない意見・感想があっても
「確かにそうも思えるよね、でもね・・」と。