お恵みアリガトウ

2008-10-31 15:29:16 | 塾あれこれ
お国が給付金を恵んでくださるそうです。
有難いことです。
遣ろうと仰って下さるのですからイタダキマショウ。


消費には回りにくいともっぱらの噂ですね。

前回の同様な景気浮揚策の時には3割しか消費に回らず
残りは貯蓄されたとか。

そういうものをナゼまた、と聞かれた首相は
「今と経済情勢が違う」と答えられました。
直接の答えになっていませんね。

質問の意味は、より有効な手段はないのか、
これがベストか、というものですから。

今回も同様と仮定すれば2兆円の7割は金融機関に
行くのですから、銀行への間接的な資金注入といえ
国民の目を誤魔化すものと思います。

少なくとも金融機関を通すわけでしょうから
喜ぶむきはどこでしょうね?

(後日追記。上記は間違いでした。給付方式はあちで
 役場の窓口と決まったそうです。過疎地は役場まで
 遠いので大変でしょう・・)

実施する際も経費がかかるでしょうに。
他にテはなかったのでしょうか。

結局負担は国民に回って来るので消費心理に効果が
あるとも思えませんしね。

どこかの政治家がばらまきで票を買おうとしている
と言っていました。

チャップリンが「人を殺せば殺人罪であるが
戦争においては英雄になる」と言った映画を思い出す
話ですね。
国が大々的にやるなら何でもOK?

所得の再配分効果はあるでしょうがそれも将来消費税
を上げるならば元は十分すぎるほど取り戻されます。


他の対策にしてもサプライズはなかったですね。
日本が率先主導して世界をあっと言わせなきゃ。
本日の日銀金利下げもそうです。評価は小さい。


それにしても、お金何に使いましょうか?

お袋が生きてたらどうするでしょう。

あ、私は骨折の治療費充当だった。

私の「教えない」

2008-10-30 15:11:02 | 塾あれこれ
自分の話は書きづらいものですね。
多少、模式的になるかもしれませんが書いてみます。
一度に書き終わる話ではありません。少しずつ。

「先生、今の話わかんないんですが、
 もう一度説明してください」

これを言えない子が多いですから
決して悪い発言ではありません。

生徒がこう言ってくれる授業は通常でもよい授業に
違いありません。
ダメ授業では、もう一度聞いてもどうせ分らないので
生徒も諦めて聞きませんから。

「この問題の解き方が分りません」
なども似ていますね。

良いことではあるのですが、場合により?しばしば?
自分で考える努力をしないで楽をしよう、という
つもりであることもあります。

もしそれが分ればこちらから聞き返します。
「どこまで分って、どこが分らないのですか」
「質問したいことは何ですか」

厳しくしても大丈夫な生徒には強く言い
「自らの努力を放棄している」事を分ってもらいます。

「折角、聞いたのに教えてくれない・・
二度と聞くもんか」となってはいけませんから
加減が大切です。

大方はハナから突き放すわけにはいきません。
状況によりいろいろなリードをします。

「~をやってみましょうか}
「もし~ならどうなるでしょう」
「自分ではどう考えましたか」
「どうして気づきましたか」
「~と仮定すると?」
「こういう場合に先ずすることは?」

突き放すことから手取り足取りまで
(無段階変速ギア)が必要です。

まず発信できるように
次に質問になるように
論理性を作ることを教え
・・考えることを徐々に手助けします。

生徒が間違えていても褒めることだってあります。

論理のやり取り、心のやりとり、が重要です。

厳しく追い詰めることからサボっていても見逃す
ことまで、相手を見つめつつの調整です。

答えを当てにかかる子が一番嫌いで、顔色を見る
子供も嫌いですが、思う通りにゆくには時間が
かかります。
待つのはシンドイ事ですが一番大切なことでしょう。

一本道では進めません。
行ったり来たり、待ちぼうけにシビレがきれたり・・

平均点競争は。。

2008-10-29 11:48:45 | 塾あれこれ

県別平均点競争の様子になりつつありますが
ダイジョーブかなあ。
例の文科省、全国学力テストです。

もちろん多くの人はそれだけでは不十分と知って
なおかつ問題提起をされているのでしょうが
秋田は一番で沖縄はダメで、日教組の組織率と
関係があるとかないとか。

カマスビシイことですね。

マスメディアなど少しずつ競争をあおる方向に
進んでいっているのが気になります。
少なくとも本来の趣旨とは、ずれてきました。

専門家の地位が下がってきた社会ですが
それにしても現場や学者その他関係者の意見を聞かず
なりたての政治家が騒げるテーマになってしまった。

もちろん、学力が低下していることは事実だし
大きな問題です。

ただ全国テストで本当にどこまで分るのか?
学校の所為だけなのか?
ノーベル賞受賞者のお嫌いな塾のせいなのか?

きちんと考えての「教育」でなきゃなりません。

ただ単に県別競争ではいけませんね。


90点の子を1割伸ばすと9点アップします。
20点の子なら1割で2点です。
どちらも同じ時間労力で1割上がるとすれば
90点の子に力を入れるほうが平均点を上げ易い。

人数が多い中間層を上げる手もあります。
1点のアップでも10人をあげれば90点1割よりも
平均点では効果があります。

けれどもこれらでは下位の子に手厚くならない恐れが
大きいのです。
平均点ばかりノルマがかかるとそうなります。

そりゃ理屈としては下位をグンと上げても平均点は
あがりますが、現実には難しいことですから。


傾向と対策だとか、補習漬け、カンニング
さらには出来ない子を休ませたり、データをいじったり
いろいろ弊害が出てくる国です。
ついこの間失敗してやめたのに・・
始めればわーわー騒ぎになるのは目に見えていたのに・・

できない子受難の深刻化がすすみます。
これも自助努力ですか?
格差社会ねえ。


写真はシラサギ。
垂直に近い堤防に器用に止まっています。

滑りませんね。
どこかのおじさんは水平でも滑った。。。。。

骨折

2008-10-27 22:11:41 | 塾あれこれ
やっちゃいました。

風呂上りに濡れた足でつるっと滑り手をつきました。
本日、医者に行くと骨折。
左手の薬指、手のひらの中にある骨が派手に。。

痛いですう~
痛さに弱い軟弱人間ですのに薬を出さない・・

固定して暫く様子を見、場合によっては手術です。

今は右手だけでワープロ打っていますが、仕事は、
難しいのなんの。

頁などをめくるのも片手では案外難しいですね。
封筒にモノを入れる、何か運ぶetc

壜を片手で持ってもう一方で蓋を開けるとか
歯ブラシを手に歯磨きをチューブから出すとか・・
片手は生まれて初めての生活でタイヘン。

んなこと言ってたら水木しげる翁に叱られるかも。

それにしても痛いね。

何かのバチが当たったのかもしれません。


朝、家を出て病院から戻ってきたのは夕方近く、
沢山の外来の中、痛て~とか思いつつ順番を待つのは
イラつきます。

昨夜のうちに救急車を呼んでオオゲサこいてれば
早くに楽になれて待ち時間もなかったのに、
それが出来ないよね。

処置をしてもらう間に「滑ったのは加齢か」と
聞きかけてやめました。
分りきった愚問だから。

年寄りってカワイソウって見られるのも、ねえ。

あんたの教育が・・

2008-10-25 10:21:32 | 塾あれこれ

頭の上で大きなアオサギが喧嘩をしていても一向に
平気なカモですが、人間は嫌いです。
気配があるとすう~っと岸から離れます。

このご夫婦は喧嘩をしていたのか逃げませんでした。
子供の教育方針でモメていたか?


一昨日の散髪屋さんに親がおられれば子供を教育
されたでしょう。
「客を大事に。
 色んな人間がおるから気をつけて」と。
私が言うのは余計なお世話かな?

わが母は「金より人間関係」と教えてくれました。
教えられても出来ないのが私。


親が背中で教えたり、理屈抜きで伝えたいことには
どんなものがあるでしょうか。

価値観、文化ですね。
結構、無意識のうちに教えています。

こういうものは本来、学校教育にゆだねません。
教育権は親にあります。

万一親がきちんと教えないで、他人の教育に任せた
ならば、多くは効果が少なかったり、伝わりにくく
あるいは手遅れになるかもしれません。


なぜ勉強するの?
これをなぜ他人が教えなければならないのでしょう?

もちろん、その説明は他人でも簡単にできます。
ただし、相手が納得して勉強してくれるかは難しい。
言葉での説得は難しいことかもしれません。

つまり(説明以前に教えておくべき)ことなのです。
勉強するのは当たり前。

日本人が日本語を喋るのが当たり前と同じ程度に。

価値観とか文化や思想は言葉以前の伝達が大切、
理屈で人間が動きますか?

生命を大切に、当たり前ですよね。
それを弁えた子供として就学させるべきでしょう。

勉強意欲もしかり。
人を尊重する、権利を侵さない、などなど。

これらは子供でも分る事です。
大きくなってから他人が教えるのは大変です。
説明する以前のものを後から説くのですから。

答えがないことを問うてはいけないのと似ています。
ザルで水を掬うようです。

いそぎ付け加えましょう。
社会も人を育てます。
間接的ですが人々のありようが親を通じて伝わります。

金借るなら・・今

2008-10-24 10:40:41 | 塾あれこれ
母は「金の貸し借りはしなさんなよ」が口癖でした。

絶対に借りるべからず。
仕方なく金を貸すときは、戻してもらうことをアテに
するな、とも言いました。
さし上げるつもりで、と。

少額しか貸すことがないので言えることです。

お金持ちなら全く違う「家訓」があるはずで
いかにも金に苦労した母の言葉だと思います。
(ケチでしたねえ。節約も上手でした。)


私は生涯で一度少しだけバブリーな時がありました。
その頃、友に十万円を二回ほど貸した事があります。

生意気ですが、返ってこないと覚悟の上でした。

暫くして、相手に対し若干疑念を持ちました。
返す気があって借りたのか、2回続くとは?と。

根拠などないのに自分で勝手に思ったのです。
ケチくさい根性が出たのでしょう。
私が何か言い、彼が「今これしかない」と
一部を書留で送ってきました。

その後、気まずく仲が疎遠になり、今はどこに
いるのかも分かりません。

貸し倒れではありますが、それよりも数少ない
友達の一人を失ったことが残念です。
無償貸与のつもりを貫徹できていたら・・

親の言うことは聞いておくべきですね。


母も理屈で考えたことではないでしょう。

自分の体験から子供にはどうしても伝えておき
たいことだったに違いありません。
大事なことだから失敗をしないように、と。

バカ息子はそれでも失敗してしまいました。

いくらバカでもさすがに親の言うことの有難みは分り
ましたから、一定の効果はあったことになります。

・・ということで私から金を借りるのならば
返す必要はありません。
借りるなら今。

ただし今度は私に貸せる金がありません。
残念。 

貧乏人は強いです。
無いんだもの。

危ない散髪屋

2008-10-23 14:38:23 | 塾あれこれ
ワリと近場の散髪屋。

この家に越してからずっと行ってたのですが
ある時期から店にその子供がいるようになりました。
就学前後くらいの子供です。

初めは無邪気なものでしたが途中から雲行きが・・

オヤジが私の顔を剃っているときにその側へくる!
危なくて仕方ありません。
私のノド元へ剃刀があたっているのですから。

また、オヤジも気にしません。
「ああ、○○ちゃん、あとで」くらいです。
託児所と散髪屋が一緒になってしまった。

でもまあガマンしてました。

そこへ散髪屋のカミサンが出入りするようになり
まあデッカイ声で子供を叱り、噂話をし、待合の
イスを占領しているのです。

散髪屋のオヤジはこれも黙っています。

何度目かで、ついに行くのを止めてしまいました。

散髪するときくらい、頭を真っ白にできるときはない
ので、客がいても関係ない神経のオバチャンの大声に
耐え兼ねました。

以来、千円の散髪に切り替えています。
口もきかず機械的に切って安い。
最高ですね。
技術はイマイチだけどこの年では髪は短ければOK


時にあの散髪屋一家はどういうことだ、と考えます。

彼らにはあれで「別に」なのでしょう。

ただ私と(当然だろ)のありようが違うだけ。

私が当然だと思うことを他の人もそう思うかどうか
これは色々ありうるのです。
ごく当たり前のことでした。

様々な世界がありうるということは優劣もなし
ということです。
自分にとっては自分の考えが一番ですけれども。

価値観の違いを理屈で改めるのは困難です。


親が子に、先生が生徒に、当然!と思うことを
伝えるときも言葉や説得では難しいでしょう。

親が背中で教えるのが一番です。

勉強する親の子供は勉強します。
親が勉強しないで子に勉強しろは通じません。

もちろん親が背中で示してもベツの要因があれば
うまく伝わらないこともあります。
兄弟でもずいぶん違う子に育ちますよね。

背中で伝えがたいこともあります。
言葉で伝えねばなりません。
説明は不要です。
してもいいけど、しないほうがずっと良いでしょう。

私の母は「金の貸し借りはするな」が口癖でした。
父は「会社の金で飲むな」
こんな類のことは世知として親が教えるのが一番
ですよね。

それを守らないで友達を無くした話は明日また。

とある温泉にて

2008-10-22 14:15:22 | 塾あれこれ
いつもながらの昔話です。

私は独身が長かったので一人旅をよくしました。

独身が長いといっても、それを選択させられていた
だけのことです。
そう、モテなかった。

40を過ぎて結婚が可能になったときに私を知る人は
親戚、年来の友人、から行きつけの飲み屋まで
皆さんにしっかりと言われました。

「最初で最後だからオクサンに逃げられないように
 きちんとした人間になるんですよ」

そう言われて腹が立たなかったのは私自身も納得の
有難い忠告であったからです。

あのころは意識が確かだったのですがねえ。。。
実行が伴わないまま時が流れています。


一人旅の話でした。

ガイドブックで翌日の宿を探し予約を入れて移動する
というパターンが多かったですね。
当時は飛び込みでいくと断られることが多かった。
女性の一人旅ほどではなかったでしょうが。
宿で銚子を傾けながら次の泊まりを探すのも面白い
ものです。

ある時「誰も知らない東北の小さな温泉」をテーマの
一人旅。もちろん調べないで飛び込みです。
国鉄で移動しますから秘境にはあまり向かいません。

で、福島県、磐越東線で宿を探し・・

さびれた駅からタクシーで行き先を告げると
どうも様子がおかしい。
あとで「言えばいいじゃん!」と思いましたが
その宿に用がある人間かもしれないと思われたかな、
運転手から忠告はありませんでした。

私も旅する人間というより(会社を抜け出した)風の
旅行をしていますから。

宿に着いて驚いた。
普通の、ごくごくごく庶民的な、小さな家なのです。
民宿にしてもちょっと、と思いながら
いちおう玄関らしきものから入りますと
紙くずがいっぱい散らばっている!

江戸か明治、あるいは昭和大恐慌の農村
娘さんを身売りに出し・・のイメージです。

客間にはさすがに紙くずはないけれども
小さな子供が使っているという形跡があります。

まあこれでもガイドブックに載って仕事をしている
のだから温泉だけは良いのだろうと・・・

・・家族の使う風呂でした。

なんなんだ~!!!!

そこから後の記憶がありません。
どんな食事を出されたのか、
次の日どうやって最寄駅までたどりついたのか・・

二十代後半でしたから驚いた。

宿にしてみればそれが昔からの姿だったのです。
ただし、時代の流れからはズレていた。
当たり前、という意識の怖さです。
(今となっては妙に懐かしい思い出です)

逆に当たり前の良さも沢山ありますが、それは明日。

おせらしゅうなって

2008-10-21 11:11:09 | 塾あれこれ
高島俊男著文春文庫『お言葉ですが…⑨』に

『小生(=高島先生)が子供のころ、「おせらしい」
 という言葉があった』と書かれています。

(おせ)・・なんと懐かしい言葉でしょう。

上記の文に続けて引用したいところですが叱られる
といけませんから、大意だけ申します。

『方言である。
 各地に似た言葉はあるのではないか。
 子供が大人びてゆくことを褒めるときに使う。』

そうして次に、現代は反対に子供であることの優位な
社会であり、それに疑問を呈されるのです。


ここでは懐かしさだけに触れておきます。

(おせらしい)という文字を目にしたとたんに
子供の頃の思い出がぱっと浮かんできました。

どれも瞬間的断片ですが、あるときは近所の大人が
あるときは親戚のオジサン、オバサンが使って
おられました。

その顔、声音、言われた人物の面映そうな表情など。

「ずいぶん大人に成長したね」そんな感じでしょうか。
現在では死語になりつつあります。
・・なってる?

(忘却の河)に沈みますか。

そのうち特殊な辞書にだけ残るのでしょう。


辞書に残っても(言葉の剥製)です。
命はありません。
どう働いていたかは分らないでしょう。

どのような音であったのか。
使い方はどうであったか。
映像は浮かんでこないでしょう。

体格が大人になった?
立ち居振る舞いが子供を脱した?
考え方がしっかりしてきた?
社会的に認知される存在になった?

どれくらい肯定的か?否定的にも使うのか?
皮肉で使うことはありえたか?

(大人っぽい)と同じか、違いがあるか?
(立派になった)(ませた)(ひねた)
などと、同じか違うのか?

しかもデータは豊富に必要です。
言葉と言うものは個人差や地域差が大きいから。

言葉が生きて使われている間は個人差は問題に
なりませんが、いったん死語になると言葉を
甦らせるには一定の量が必要でしょうから。


高島先生は同じ本で、語源探しは難しいと
書いておられます。
それで触れておられないのでしょう。

何かと悩んでいたらカミサンがさっと辞書を
引いてくれました。

大背=オーセだろうと。
(大兄?「吾がせこの」のセです。
 背中じゃないでしょう。)

色々な説があるかもしれませんけれども
何かピッタリくる感じですね。
(感じだけで納得するのはアブナイのですが)

方言は「河に沈みかけ」ても力があります。
私がオセラシイに反応したように。

聞けば懐かしくても私達はすでに使わない言葉が
沢山ありますね。

大人たちが方言を使わなければそこで途切れます。
今の子供達は言葉が弱くなるに違いありません。

方言で育つから日本語が豊かになります。

立派な詩人をみれば分ります。
そのほとんどは日本語でも方言とのバイリンガル!

中也、賢治、茂吉、まどみちお、山頭火、山之口獏
ああ、きりがありませんね。

徳川のお姫様

2008-10-20 17:49:34 | 塾あれこれ

昨日は法事がありました。

「乗り放題3千円」というJR乗車券で、ついでに
福山まで足をのばし歴史博物館を訪れたのです。

「初音の調度」を久しぶりに見ることができました。
本当にため息がでるような御品ですね。

他にも、よい意味でのセレブなものが一杯です。
目のお宝でしたね。

篤姫さまもそれらのお宝がひしめく徳川家に入る
のですから大変だったことでしょう。


これらのお宝を支えるのが有名無名の職人たちです。

良いものができれば、それだけで満足する人々がいた、
もちろん世界中に数多くいたのです。

名前を残そうという発想はカケラもなかったでしょう。

考えてみればうらやましい生き方ですね。
自分の中で満足を完結できるのですから。
これほど充実した仕事は、ないでしょう。

現代人が戻ろうとして戻れないユートピアかもしれ
ません。


あえて言えば会場の規模が小さすぎるためでしょうか
展示品が少なかったですね。

え?これでもう出口?
・・1000円は高いんじゃないかな。

常設展は10年以上前とそれほど変化もないようです。
初めて行く人ならば面白いでしょう。
こちらはお客が少なくノンビリと見られます。

とゆーことは・・?


入場料の話はケチくさいですけれども、
徳川の名品を理解するには、その量も必要だろうと
考えますから展示品の少なさはかなり残念です。
圧倒的な量を見せ付けられて初めてわかるスゴサが
ありますから。