バナナダイエット

2008-09-30 15:00:45 | 塾あれこれ
先日、『天声人語』で新聞に載るようではブームも峠を
越えているようだと前フリしてバナナダイエットに
触れていました。

少し前から取り上げられていたように思いますが
今月半ばにまた火がついたようですね。

カミサンに訊くとこの辺りでも一時品薄であった
そうです。
もともと流通している絶対量が大きいので店頭から
姿を消してしまうことは少ないのではないか?

ココアとか寒天は長く手に入りにくかったですね。


ブームで品薄になると以前から食していた人間は
困ります。
供給者も嬉しい悲鳴でしょうが、後の落ち込みが
ありそうだし喜んでばかりもいられないのではないで
しょうか。

私はもう何年も朝はバナナ1本とお茶です。
それがダイエット(本当はダイエトと表記したい)
になったか、かなり怪しいという話を書きます。

もちろん今でも続けていますしバナナは良い食品と
考えますが、すぐに痩せますかねえ。


少年の頃までは虚弱で体重も多くありませんでした。

大学生になったころでも162cm47kgくらい。

会社に入って新入社員教育で自衛隊研修に行かされ
ブタになりそうな食事をした後50kgを越えていた
のが印象的です。

その後おおむね1年で0.5kgずつ増加していきました。

40才を越えて一時減量に努めたことがあります。
そのころ56~57kgにまで落としたのですが
以後また少しずつ増えてゆきました。

手元に平成12年春の検診記録がありますが62.1kgと
なっています。

そこから「順調に」増えこの春には65.5kgを越えて
しまい、さすがに「減量を考えねば」となりました。

この増えていった間、バナナを食す習慣あったのです
から、バナナでダイエットは私の場合効果がなかった
ことになります。

(つづく)

市民球場

2008-09-29 14:54:59 | 塾あれこれ
広島市民球場での公式戦が終了しました。
最後が福地でしたね。
なにか不思議な巡り合わせです。


昔はレフト側の内野席と外野スタンドの間が
外から少し覗ける構造でした。
自転車の上に立ってスコアボードを見ていた人が
いましたよね。

電車からはボードが良く見えました。

学生の頃バイトで市内電車に乗っていましたから
いつも覗いていました。
800型だったか床が高い電車のときは特に良く見え
原爆ドーム前、上り停留所は楽しみでした。


小5で広島に転校してきて暫くのころ父がナイターに
連れて行ってくれました。

思えば照明設備が出来たばかりの頃だったのですね。

横溝、とか大和田とかの時代でした。

照明に映えるグランドの眩しかったこと。

わが生涯でも数えるほどの明るい思い出です。

別世界でしたね。

以後、父に何度もせがみましたが多分経済的理由で
行くことはありませんでした。
後年、東京の後楽園には一緒に行った記憶があります。


高校生の頃、カープの若手練習を見ていました。

ライン際の鋭い当たりを横っ飛びで補給するスゴイ選手
がいました。
打っても他の選手とはライナーの勢いが違う。

入団して間もない衣笠でした。

後に娘さんを教えることがありましたが人柄の可愛い
ステキな子でしたね。
お母さんは美人だったし・・


色々な人と球場に行きました。

高校野球の応援にも行きました。

大学くらいからは友達と行きました。
そのころから野次る、品のよろしくない、カープファン
らしい?客になりました。
今と違って客はガサツが多かったですねえ。

死んだkとは一番多く行ったのではないでしょうか。

塾の人とも行きました。
鬼籍に入った人もいます。

場所がよかったのですね。
いかにも平和の時代を思わせてくれる空間でした。

あれもこれも消えてゆきます。
人生って短いですねえ。
あのときの明るい球場が、つい昨日のようです。

岩澤さんは耕さない

2008-09-28 14:35:42 | 塾あれこれ
岩澤信夫さんが不耕起栽培という農法を実践されて
います。

岩澤式農法というのだそうで
今月NHKTVで紹介中です。

田んぼを一切耕さないで米作りをするという
すごい発想ですが近年評価が高まっているとか。

田んぼには蛙、メダカが泳ぎ、アカトンボが
群舞する、
これで美味しい米がきちんと取れるなら理想ですが
その理想があったのです!

耕さない、農薬をまかない、除草しない、
化学を使わない・・
それで反当たり収量もしっかり。


近年アメリカが遺伝子組み換えで不耕起栽培を
可能にしていますが、それと正反対の農業ですね。

もともとはかの福岡正信さんの自然農法を学んで
そこから出発したそうです。

先ごろ亡くなられましたが、福岡さんの哲学も
すごいものでした。(・・そうです)

この農業は一切耕さないので土が固いままです。
稲の根はストレスがかかり初めは伸びません。

耕す田んぼの稲はぐんぐん伸びます。
けれども楽をする分だけ、ひ弱なのですね。

不耕起栽培の方が後から追いつき追い越します。
比べ物にならない立派な根が出来ている!
冷害にも強いのです。


自然に伸びる力を信じ甘やかさない。
初めは伸びなくても、ガマンして待つ。
長いスパンで必ず結果が出ることを信じる。

こういう面が「教えない」教育と似ています。
表向き似ているとは言えますが同じことであるとの
証明はできません。

よく似ているというだけでは、ただの我田引水
なのですけれども。

初めは気持ちが大変で、農業の場合はご家族なども
心が揺れるそうです。
「本当にうまく行くのか」
かけがえにないことで失敗しているのでは?

そのあたり、教えないで教育といえるのか、という
気持ちにそっくりです。
人が行っていないと不安ですよね。


農業は一年待てばいったん結果が出ます。
不耕起栽培でも初めは結果が出ないこともあると
聞きます。
それを粘って続ければある時期から結果が出ます。

(教えない)はもっと長いスパンが必要です。

ただしこちらには歴史と言う強い味方があります。

何千年もかけて造り上げてきた教育法です。
これ以上の証明はありえないでしょう。

逆に近年の教育の浅薄なこと。
右往左往の繰り返しです。

それに比べてやはりこれ!というのが(教えない)
であります。

もちろん不安もあります。

現在では古びてしまい時代遅れではないか?
現代社会におけるデータが少なすぎる・・

それに対しては、真摯な塾の多くが(教えない)
という結論に至っているということ。
また、(教える)学校が苦戦をしていること。
{補習という時間延長しか手がないのです}

何よりも現代より昔の方が教育の必要性が高かった
ということで、そこで行われた教育法が価値を持つ
と申し上げておきましょう。

江戸時代、社会保障は未発達で自分達の子供を教育
することしか将来性はありませんでした。
泣く泣く「勘当」というのもそういう事情があった
からです。

現代日本の子供が親を扶養する義務は薄くて
相続の権利がどんな子にもある、というのは少し変な
気がするのですが、これも時代遅れの考えですかね?

外国から見た日本

2008-09-27 13:54:26 | 塾あれこれ


8月に新聞数社で取り上げられたCDです。
今朝もFMで一部紹介されていました。

THE ROUGH GUIDE TO THE MUSIC OF JAPAN
の第二弾です。

外国人が日本音楽をラフガイドするという趣向が
受けたのでしょう。
日本人が同じ仕事をしていたら?
ここまで取り上げられたかどうか。
外国を見上げる(遺伝子)が生きているようです。

とはいえ大変に面白いCDになっています。
紹介されている曲はどれも興味深く楽しいのです。

もちろん一種(外から見た日本)を味わえるという
テイストもありしばしば聴いております。
毎日は飽きるけれど。


新聞記事でこのCDを知りました。

登川誠仁、宮内庁楽部、天台声明、笠置シズ子
それに国本武春。
こう並ぶと聴いてみたく、AMAZONを覗くと
輸入盤が二千円以下、半値近くで買えるので
可処分所得も少ないながら買ってしまいました。

実は大変恥ずかしながら武春堂の方にメイルで
沖縄の三線とのコラボなんかも、なんて口走り
恥をかいておりました。

コラボではありませんが誠仁さんと一緒のCD
というだけで嬉しい。

日本音楽の幅広さがわかり、また現代にきちんと
息づいていることに感動すらします。

明治時代の演歌なども入っておりそれが外国人の
見る日本の原イメージなのかと思います。


『トプシータービー』という映画がありました。
日本ではあまり評判にならなかったようです。
オペラ『ミカド』を創り上げるという内容。

この映画の面白さは外国から見た日本が感じられる
ところにあります。

私達が見ると「ふ~ん、そう見えるのか」
視点を変える面白さに溢れていました。

このCDラフガイドにも通じるものがあります。

日本人もアメリカというと二丁拳銃のカウボーイを
イメージしますよね。
同じようです。

しかしイメージというものは根強いものですね。

世界を変えた箱

2008-09-25 14:57:00 | 塾あれこれ


大変面白い本があります。

白幡洋三郎著、講談社学術文庫『プラントハンター』
読みやすい本で、面白さもバツグンです。
(ただし第二章の途中から、第一章はダルイ)

19世紀、世界中に珍しい植物を探して歩いた男たちの
ことを教えてくれます。

ナサニエル=ウォードという男が(箱)を発明しました。
ウォーディアン・ケースと呼ばれるものです。
これが世界を変えました。

植物を海上輸送で遠隔地に枯らさないままで届ける
ことに成功するのです。
女性でも抱えられる小さな箱でしたが
とても大きな役割を果たしたのです。

1834年、実験で6ヶ月海上を輸送し、その有効性が
確認されるやプラントハンターが皆それを使って
植物を届け始めたそうです。

それまで遠隔地への輸送はほとんど枯れてしまって
いたのでした。

種子や球根などで運ぶのはどうか?
それ自体は枯れなくても、中々発芽してくれません。

実際には、土地や気候が変わると発芽が難しく
どうしても生きた植物を海上輸送できる技術が
必要だったのです。

ウォードの箱によって珍しい植物が欧州に送られ、
学問や園芸趣味にも大いに貢献しましたが。
同時に実用的にも経済的にも力を発揮しています。


19世紀は工業製品の貿易もさかんでしたが、現在の目
からは想像できないほど植物の価値が高い時代でも
ありました。

英国が中国から茶を買い、売る物がないのでインドの
アヘンを買わせた、それが原因で1840年アヘン戦争に
なりましたね。
簡略すぎる説明ですが19世紀とはそういう時代でした。

茶はロバート・フォーチュンがウォードの箱で
1848年に中国からインドへ送ることに成功し
以来インドも世界的な茶の生産国になります。
(フォーチュンは『幕末日本探訪記』の著者です)

当時マラリアの特効薬キニーネを採るキナノキも
この箱で移植されて安定生産され多くの命を救い
ました。


80年代にヘルツォーク監督の『フィツカラルド』と
いう映画がありました。
(製作に困難を極めて有名になっちゃった)

19世紀、ブラジルのアマゾン流域の都市マナオスに
世界的なオペラハウスが実在していました。
そこでエンリコ・カルーソーという稀代の名歌手が
公演し、それをきっかけに映画物語が始まります。

当時のブラジルの繁栄をもたらしたのが天然ゴム
この辺りでしか採れないものでした。

これも過剰生産や病気をさけ東南アジアへの移植
でプランテーション作物となりました。
これもウォードのお陰です。


たった一つの製品が世界を変えることがあります。

現在はさしずめ携帯電話がその役目を果たして
いるようです。
日本では革命の感じはしませんが世界中で情報伝達
の革命がおきています。
経済、政治などに大きな変革を与えていますね。

マイナスの影響を与える発明もあります。

製品ではなくCDSという金融商品
世界経済の足を大きく引っ張っているそうで
貧乏人には気のもめる今日この頃ですね。

一斉授業の負の構造

2008-09-24 15:04:11 | 塾あれこれ
以下はあくまで私の経験した範囲での話です。

一般論として成立するかどうか、不明です。
留保してお読み下さい。

進学塾で集団を相手に一斉授業をしていました。
小中、できるクラス、できないクラス、色々です。

授業ではクラス毎におよそのラインを想定し
その辺りが理解できるように授業をします。

もちろんクラスにより設定は様々です。

この想定とは別のレベルのこととして塾のスタンス
カリキュラムやシラバス、会議などによる調整などが
あります。

しかし授業でのパワーは上記のライン設定が一番の
役割を果たしましたね。


クラスで一番下を設定することはありません。
全体の成績を考えるとあまり低い所に焦点を当てる
授業は効果が薄いでしょう。

一番下を設定しないということは、最初から全員が
理解できるということを放棄した面があります。

それでも良い授業をすれば皆クリアーしてくれること
もまったくないとはいえません。
ただ現実問題としては分らない子が出るのが通常。

そういう構造を作っておきながら
実際の感覚はどうであったかというと

「ついてきてもらわないと」

あまりに申し訳ない話ですがそういう感覚を
持っていたというのが正直なところです。

以下当時の自分勝手を続けますと

この教え方で大半の生徒はできていますよ。
だれそれにできてなぜこの人が出来ない!

分らないなら質問すれば良いでしょうに。
補習にきて下さい。

だいたいやね、もっと授業を真剣に聞けば
分るはずです。
こちらが言うことを守ってやってくれれば
誰だってできるようになっているのです。

「それ、家で覚えてきなさいよ。」もありました。

或いは次のような考えを持ちました。

友人など人間関係で気持ちが盛り上がらない
のであろう、とか
これまでの学習のどこかでつまづきがあったか
などです。
原因を他に求めているのですね。


旧軍隊では何かにつけ競争をさせたそうです。

順位をつけ最下位に罰を与えます。
つまり罰を与えるのが目的で競争をさせている構造
ともいえるわけです。

一斉授業というのはどこかそれに相似の構造が
あるのではないでしょうか。

成績に上下をつけ、下のものは自己責任を
果たしていない、と。
「おまえ自身のせいで成績が悪い」

実は遅れを作ったのは授業をする側ではないか?
長いスパンで人間の成長を見守るのではなく
「細やかなシラバス」を強引に押しつけて。

補習でカバーします、ですって?
本気かなあ?

いつもいつも補習に来させられる人間の気持ちは
どうなるのでしょう。
劣等感を定着させているだけではないのかな。

一斉授業をしながら(個別も対応します)という形は
怪しいと思うユエンです。


私は塾で「個別」をしているのですが
ここでも成績の下の子は苦労して勉強しています。

学校などで劣等感を(教育)してくれますから
彼らは勉強の即効性を望むのです。

すぐに出来るようになりたい。
地獄を抜け出したい。

長いスパンでの勉強が必要なのにそういう生徒に
限ってホンネは「すぐ○をとりたい」のです。
二重の苦労を背負ってしまっています。


もしも公教育が完全に個別になれば
世の中の塾はその殆どが不要になるでしょう。

そうなる見込みは現時点では100%ありませんけれども。

食欲の秋

2008-09-23 11:39:47 | 塾あれこれ


くたびれたなどと言いながら食欲はあります。
三枚肉のブロック、脂が多いのを買います。

これじゃあダイエトできませんね。

いったん茹でこぼして酒、出汁、黒砂糖、醤油で
煮るだけですから簡単です。
時間もそれほどは掛かりません。

写真ではそれほどに見えませんが旨いですよ。
カロリーは大変でしょう・・


ラマダンの最中にしかも豚とは何事!!!!と
イスラムの方からお叱りを受けるかもしれません。

気配りがないことになりますかね。


昔、ふつーのサラリーマンをしていたころこんな
(事件)がありました。

大きなフロアーにいくつもの課が机の島で広がって
います。

私の島だけ女性にお茶汲みをしないでよいと
(命令)したのです。
昔は女性の仕事になってましたから。

ある程度してから女の子がおそるおそる私に
「井上さん、やっぱりお茶汲みしていいですか?」

訊いてみると他の課の女性からいろいろ言われる
のだそうで、他と一緒が無難だと。

女性の方々を説得する
他の課に話をする
総務部長や本部長に話して上から(改革)

いろいろと考えられましたが私の結論は
じゃ、もとに戻しましょう。

色々な考え、立場があるのだから変わるとしても
徐々に変わればよいのだろう、といえばカッコ
つけすぎでガリガリと摩擦を起こすことを避ける
だけのことでした。
今も昔も根性が足りませんネエ。

一回読切で連載って大変でしょ

2008-09-22 15:51:03 | 塾あれこれ
あんどーなつ←また?

今日最終回ですね。
今日のドラマは当然見ていませんので当ブログで
は最終回、と。

毎回話を完結させながら連続して見ることもできる
というのは我々シロウトが考えても難しそうです。

ドラマを盛り上げるとか伏線をはるとかいっても
読みきり一回では効果が上がりにくいでしょう。

状況説明も大変です。
毎回説明してあげなければなりません。
(手を変え、工夫しておられますね)

説明のためのナレーションを多くするとうるさく
なるので限度があります。
ナレーションは別に使いたいですしね。

話が横道にそれますが小朝のナレーションは良い
ですねえ。
いつか志ん朝のナレーションに近づいて欲しいな。
あれは名人芸だった。


それはともかく連続を念頭に一回ずつ続けるというの
はどこか我々の仕事に似たところがありそうです。

生徒がいつ辞めるか分らないのですがずっといること
を前提に仕事をしています。

(やめる理由は様々でしょう。塾が合わないで辞める
 だけとは限りません)

塾にずっといる、というよりも一人ひとりが大人に
なって以降までを視野においているはずですね。
もちろん様々な塾がありますからスタンスも色々とは
思います。

受験請負と割り切っている場合はもしかすると教育
というより多少視野が狭い場合もあるでしょう。
それはそれで保護者以下納得のことでしょうから
文句をいう筋合いのものではありません。

逆に「あなたがえらそうに教育と言えますか?」と
言われるかも知れません。

それでもめげずに最小限は眼前の人の生涯を視野に
私達は毎日何ができるか、を考えてゆかねばならな
いと思います。
「をこの沙汰」と笑われようとね。

その人にとって基礎教育とは何か
いま何をなすべきか

学校教育と塾とスタンスをどうとるべきか

受験と学力をどのように交叉するか

この塾をやめて他のところへいく場合に
本人のためになる財産をどれだけ築いているか

などなど、一人ひとり。

自分で祖母と書くかい?

2008-09-21 15:06:28 | 塾あれこれ
「あんどーなつ」当ブログに何度目でしょう?
悪くはないけど「芋たこ・・」ほどでは
ありませんね。

ミスと思われるところがあるのです。

脚本が悪いのか演出段階の問題かは分りません。
毎回一~二箇所は見受けます。

例えば
なつが久しぶりに帰郷して御祖母さんに会う回
見舞いも済ませて東京に帰ろうというバスターミナル
に親戚のオバサンが見送りに来てくれます。

勤め先の満月堂のオカミサンへ土産をという心遣い
・・昔はよくありましたよね。

夜行バスでお祖母さんの手紙を読みながら良いシーン
があって、翌朝早くには仕事場に立っています。

朝一番の準備をしている処へオカミサンが顔を出し
「もう戻ってきたの?」と声をかけます。
「ええ・・」と応えて芝居は続きますが
私は(土産は~アンどーなったの?)と思うわけです。

夜行のバスでも気になる処がありました。
お祖母さんの思いが伝わる泣かせ処です。
手紙の最後が「祖母○○より」

しらけるね。
お祖母様が孫に宛てる手紙に自分で祖母○○と書く?
今の高齢者ではふつー、ありませんよ、ね。

最近はすぐ忘れるので具体例が少ないですが
こんな感じで「決め所」にミスが目立ちます。

別の回
隼のお母さんがおみくじをひきます。
別れ際に子供の隼に「持っておいでよ」と渡します。

(あのときもそうだった)と思い出のおみくじを
フトコロから出す隼。

ちょっと、何十年前のおみくじを持ってる?
そういうこともあるかもしれないけれど
もう一カットあるほうが自然じゃないかな。
折角の良いところだから。

例えば(つたないシナリオで申し訳ないですが)
別れる朝、隼が机に引き出しを開けていると
馬渕母さんが「何してんだい、行くよ」
あわてて引き出しをあけたまま出かけます。

別れ際、おみくじを母さんが渡したときに
引き出しへカットを戻せば、そこに昔のがある。

なんてほうが自然でしょう?
ふつーだけど。

お茶? ほらよ ボコン

2008-09-20 14:37:46 | 塾あれこれ
数日前、朝日新聞に小さな記事がありました。
青鉛筆というコーナーです。

徳島県議会が委員会などでのお茶サービスを止め
ペットボトルにすると決めたという内容でした。
折からの水不足で、そうしたらしいのですが
事務局の試算で飲料費が20%削減できることも分り
更にはお茶汲みをしないですむのが助かるとの声も
あるそうです。

スっと読み飛ばしたのですが、あとから気になり始め
待てよ、家庭なら経費削減でペットボトルにするか?

水事情は分るとして、経費の話は正しい?

政治家の先生は高いお茶を飲まれるのかなあ。
そうだとすると税金の無駄遣いだね。
そもそも水じゃいけないのか?
税金を茶コーヒーに使うか!

あるいは茶汲み人間の経費を加えておられるのか。
それならば家庭では人件費を考えませんからネ。

お忙しい職員が高い人件費でお茶を淹れるより
ペットボトルのほうが安くつくでしょう。

であれば担当の人間がたとえ管理職であれども
自分で淹れればよいのですね。
それくらいの時間は捻出できるでしょう。
会議にむけての気持ちも込められます。

まだ人件費が気になるなら勤務時間外で管理職が
ペットボトルにつめれば人件費はかかりませんね。
お茶か水を自分達でボトリングし冷蔵庫へ。
買うことはないでしょう。

サービスが面倒ならセルフ。
アメリカみたいにサーバーがあってもよいですね。
金がかかりますか。


ペットボトルにつめるのは非衛生?
それはありえません。

キレイな空ビンを購入できるのではないですかねえ。
会社でもするようになればアスクルで売るでしょう。

会社製であれば安心な世の中ではなくなりました・・
買ったボトルの方が安心かどうだか。

ペットボトルはエコじゃないしね。
リユーズしづらいし。

みんなが水筒を持てばよいのです。
別にお茶など出さなきゃいいのです。
社会の空気を変えればよろしい。

それでも特別にサービスをしたければその時は
お茶でもコーヒーでも淹れてあげればいいのです。

心も費用もこめた特別サービス。

工場で作ったものをポンと置いてサービスした
つもりになるのは間違いちゃいますかね。

家でお茶下さいと言った時にペットボトルをポンと
出されたら喧嘩になりません?