維新不信

2015-10-31 15:54:37 | 塾あれこれ
橋下党が出来た頃は期待がありました。

口で言ってることと行動に繋がりがあるだろうと
誰しも思いますから。

しかしその後、国政に色目を使い始めて
おかしくなったように思います。
政治というドロ沼に嵌っちゃったようです。

言行不一致、権力へのすりより、離合集散
国民を舐めているとしか思えません。

今回の分裂騒ぎも自分たちの利益だけを考えている
そういった風にしか見えません。

何が何だか、何をどうするんだか、分からない・・

優秀な政治家が持つ、ビジョン、筋だった言行、など
微塵も見えませんね。
隠れ保守派のミニ政党と同じ。

振り返れば、初めからこのようになる恐れはありました
ただ、「頑張ってるだろうから取敢えず信じて」と
思った私が馬鹿だった。

こうなるだろうというお粗末なシナリオ通りです。


どうすれば権力に近寄れるか、こればかりを考え
行き当たりばったりの行動が目につきます。

大阪が東京になりたいだけ、なのです。
そこらの地方とは大阪は違う、と言いたいらしい。

卑屈さと傲慢とが混色しているようです。

こんな政治家に任せていたらどんな政治運営をされるか
たまったものじゃありませんね。

しかし、大阪では人気があるようです。
大阪人の欠点がそこにあるから気にならないのでしょう。

伝えたいこと

2015-10-31 10:21:31 | 塾あれこれ
教育・学習の目的とは何か。

漢字を覚えること、計算ができるようになる事、・・などなど
実用的な必要もあります。

更に、それら技術習得を通じてのことになりますが
「人間形成」という大目標もあります。

一個の人間としてその人がどう生きて行くか、の
基礎形成にかかわります。
一部分ではあるでしょうが。

さすがに「全く無い」とは思いたくないですね。


目の前の子が、どんな人間になっていくか。

こつこつと歩む人となるか
爆発的なエネルギーを武器とするか
論理的な人間になるか
感性豊かな人となるか
・・・などなど、等々、etc

この方面では一斉授業より個別対応のほうが
力を発揮しそうです。

一斉授業は、教師の側の伝えたいことで成り立つと
昨日も書きました。
「それは、あんたの勝手な思いじゃ」と。

個別対応は、より子供中心になります。
長所短所にあわせてゆきやすいですから。

スキルの課題であろうと
人間形成であろうと

もちろん、そこに教師の側の価値感も存在し
「今は飽きっぽいけれど、粘ってやることも大切」
などと対応していきますね。

それも「お前の勝手」に過ぎないけれど。

教員たるもの、自己の「偏り」を正確に認知し
生徒に接しなければならないのです。

そうして発信する教員の思いも受信されません。
意識下では、あるかもしれませんけれど。

生徒は、かれ自身の思うように生きるのです。

大人が関わるといっても、思う様にはいきません。
逆に、それで救われるのかもしれませんけれどね。

・・でありながら、なおかつ、発信をしなければ。

「お前、自分に甘いんちゃうか」
「もっと大きな夢を持つべし」
「自分を信じろよ」
「ミスをしちゃいかんぜよ」

先生は、勝手なことを言い散らし
生徒はスルーしまくる


・・でも

「先生のあの一言、大きかった」

「そんなこと言った?」
(↑ホントに忘れてる)

結局、何も

2015-10-30 16:52:11 | 塾あれこれ
自分の仕事を振り返る年齢になりました。

塾からは多くの人が巣だっていき、立派に活躍している人も
多いようです。

しかし、私はそのことに少しでも関われたか?

答えはNO。
自信もないし、証拠もありません。

常識的には、生徒各自が本来持っていた力が
大人になって花開いたと見るべきですね。

塾は、やはり教育機関ではなくて受験請負だったか。

あの頃は「受験は当然。言わずもがな。教育をいかに」と
自分たちの間では考えていましたが・・・


伝えたいことの一つでも、届いていたか?

「命は大切に」とか
「戦争はいけない」とか
「あなた、自分とは何か」とか

本当は、それを発信することが良いのかどうか。

(教員=自分)の思い込みに過ぎないからです。
生徒を勝手に染めてはいけません。

けれど、世の中、上手く出来たもので
講師の側の「勝手」は生徒が受けつけません。
染められないのです。


発信型は一斉授業で行われやすい(講師の自己満足)

ただね、上記の摺れ違いを認めた上で申しますが
発信をしない先生には生徒はノりませんね。

「立派な大人になれよ」と言われた生徒は
内心、『なに、言ってんだか』と思いつつ
何も言えない先生よりちょこっとマシか、と
どこかで思っているはずです。

それはそれとして、少なくともここで言えることは、
先生の言いたいことは生徒では実現不能ということです。

この社会を見れば分かりますね。

マンションの杭、たぶん業界では常識です。
誰がそんなことをやらせているのでしょう。
何時の間にそんな「プロ」が生まれたのでしょうか。

学校教育では、ありませんよね。。たぶん。。。
そんなことをしてはいけません、と教えられていても
身につかなかったから、ああなる。


個別指導を個人塾でやっていると、どうなるか。

ずいぶん違う事になるのですが、すみません。
明日。

辺野古から

2015-10-29 17:05:08 | 塾あれこれ
辺野古で工事を始めたそうです。

いくら沖縄知事が反対しても政府は強行、
それはウチナンチューへの差別観を政府が抱いている
からに過ぎません。

金はくれてやってるだろう、の気分が明白。

行政権を握っている限り、何でもできる国です。
裁判所が駄目ですからね、三権分立ができません。
中国や韓国とおよそ同じレベルなのです。

沖縄県は長い道のりを、一つずつ踏み始めています。
辛抱強くね。

あれもやった、これもした、という「手続き」のあと
世論が煮詰まるのを待つのですね。

今までは「一部の人たち」の『反抗』だったのが
今回「地方自治体 対 政府」に段階があがりました。

しかも、選挙で大きな争点になって選ばれた
地方自治の意向です。


これで駄目なら次は何か、となります。

それに対して米軍に頭が上がらない日本政府は
行政権がある、鉄砲もある、と威張っていますが
鉄砲より強いものが一つだけあるのです。

それは「民意」

今の日本政府は、民意を見誤っているようです。
我慢に我慢をして、その結果吹上げてくる民意を。

ヤマトンチュにも大いに関わりがあるのですが。

今の者は

2015-10-28 21:08:08 | 塾あれこれ
またまた「小さい」話で恐縮です。

先日の外食時、流行る店のようなので開店時刻前に
覗いたことがあります。

あとで、行列の長~い、待ち時間をとられる、程ではないと
分かりましたが、もちろん客の多い店でした。

開店前と言っても11:00に10分前くらいかな。

店の隣に駐車場があり、そこに40~50代のカップルが
おられました。
どうも我々と同じらしい、と思って、私たちはスっと
店の入り口に並びますと(1番、2番じゃ)
クダンのお二人も移動して、私たちの後ろへ並ばれます。

先に来てたのに悪いね、と店が開店と同時に
黙って「お先にどうぞ」とジェスチャーをしました。

さっさと店の中に入って行かれましたが
「どうも」のひとこと、とか、軽く会釈するとか、が
ありません。

別に礼まではいらないけれど、堂々と
「あたしらが先じゃん」ちゅーのも、どうかね。
駐車場に行列、はマズイしょ。

店の入口に並ぶ勇気も無かったクセに。

傍を通って店内に入るのですからね、何か欲しい。


もしそのお二人がご夫婦なら、子供の教育に悪い・・・

でも、今の保護者の方に結構多いらしい。

私の言う「日本人の中国化」は進むようです。

『黒衣の刺客』

2015-10-28 19:48:18 | 映画
映画館で見るべき映画ですね。
どっぷりとその世界に浸れます。


ホウ・シャオ・シェンは、もう終わったと思っていました。

黒澤の後半の作品群がまったくダメだったように。

新しい世界を作るタイプの人は、どうしてもネタ切れに
なりやすいのではないでしょうか。

『童年往事』『恋恋風塵』『非情城市』と、映画界を圧倒
していたホウさんですが、90年代に入ると、思うほどの
映画を作れなくなってしまいました。

見る側の感性のほうが悪いのかもしれません。
それとも、ただの期待しすぎかな。

ま、少なくとも私にとっては1/4世紀ほど前に終了・・・

と思っていたら、驚いたの何の。
(わが歴代ベスト10)に入りそうな凄い映画でした。


チャン・イー・モウが『赤いコーリャン』『菊豆』
『あの子を探して』『初恋のきた道』と傑作を撮ったあと
『HERO』で娯楽路線も魅せてくれました。

ホウ監督は、それにぶつけるかのように、チャンバラ物を
作って見せてくれたのですね。

消えゆくフィルムでの映画撮影に、ラストの名作を、という
意気込みもあったのではないでしょうか。

デジタルじゃないほうが迫力が出ます。
でも、我々には分からない大変さが沢山あるはずです。

希望通りの天気になるまでじっと待つ日々とかね。

ワイヤーを使っていないというだけで、すごい。


画面を広くとり、人間がとても小さく映っているシーンが
目につきました。

アップの少ない日本のチャンバラ(七人の侍、など)に
刺激をうけつつ、とてつもない美しい画面で、
あのころの歴史世界が描かれます。

この映画を見た後に、唐や宋の絵画を見れば、何と美しいと
思える筈です。
あれは空想ではなかった、リアルだったのだと。

また現代にも通じる世界なのだ、と。

芸術的表現では、そのジャンルでは、こう表現するのが一番
というものが評価されます。

絵であるならば2次元で時空をリアルに表現する、
彫刻なら3次元でしか現わせない世界を展開します。

映画では「時間の流れ+2次元」で、どう表現するか。

セリフが少ない、というのもそのひとつの結論です。
したがって、映画を見て、台詞が多いか少ないかで
出来がおよそ判断できます。

映画館で見る方が圧倒的によい物も出来が良い映画、
逆に、TVで見ても大丈夫、ならダメでしょう。


光の具合で深い心理まで表現しようとしているようで
これぞ映画でなきゃ出来ない表現でした。


何度も見たくなる作品ですが、毎度、映画館へ、てのも
ちょいキツイなあ。
何とかならないものでしょうかしらん。


『雪の轍』と『黒衣の刺客』
今年は映画の当たり年でしたね。

巨人は特別か

2015-10-27 16:44:29 | 塾あれこれ
プロ野球の選手が賭博をしていた、安いシナリオでも書かない
ような事件です。

他のスポーツとは重みが違うので、けしからん度合いも
高かろうと思います。

全国の少年野球の指導者がお困りではないでしょうか。

しかし、それにしてはニュースの出て来かたが
遅いし、少ないですね。

やはり讀賣だから、と勘繰ります。
何しろ日本一の新聞ですからね。

他のマスメディアも、此処で叩いてどこかで
仕返しをされちゃうのでは、と無難路線。

民主主義の基本の一つに、きちんと透明な報道、が
あるのですが、巨人賭博問題をみていれば
内内のことなら誤魔化しちゃえという程度の
正義感しか持ち合わせていないようです。

もし、他のチームの話なら、ここぞとばかり
叩きにかかるでしょう。
自分たちを神様みたいに思っているフシがあります。

後輩を悪の道に誘うって私には信じられないのですが。

地域エゴ

2015-10-27 09:10:33 | 塾あれこれ
原発であろうが、基地であろうが、
この国には、積極的に引き受ける地域があります。

「金がないから、仕方がない」

なるほど。
一理も二理もありますね。

俺達の死活がかかっている、と言われれば
引き下がらざるを得ません。


もし、それで地域が裕福になってきたら
原発や基地を廃止できるのでしょうか。

少なくともそう言う声が出るかもしれません。

うるさいですね。

では、
そうならないように、何時までも平均未満の
裕福さにキープしておくでしょうね。

「俺たちの街は原発がなきゃダメだ」と
思わせないと。

つまり、基地や原発を受け入れさせるような
地域にしておかれるのです。

一部には金銭をバラ撒きますが。


それでも、引き受けた処は、まだ金が出ます。
周りの地区にはさっぱり。

原発事故があれば、当該自治体だけでは済まないのに。

伊方で事故があれば、北へ100kmの広島も危ない!

岩国基地の航空機は周りでも落ちるかもしれない・・

という状況で、自分たちの経済のためだけを思うかの
ごとき当該自治体の長の発言は腑に落ちません。

地域エゴと結びつきませんか?
そうしむけている政治家もいるようです。

古典的な手法ですが、有効なのです。

下町ロケット

2015-10-26 20:05:39 | 見る
TBSドラマ『下町ロケット』

まずまずですね。
ドラマはTBS、ですか。

最近、TVドラマが見られるようになって来ました。
それまでは良いものが少なかったですね。

もちろん、のめり込むほどは良かーない、
「まずまず見られるじゃん」なのです。


裁判のシナリオは笑えますね。
リアリティがありません。
私が子供のころのアメリカ製TVドラマみたい。


NHKの朝ドラもそうですね。

まずまずでしょうか。

前が悪過ぎました。
ここんとこ何度もダメで、今回はやっと。

江戸時代の場面でナレーションに「一週間」
というのがあり、ずっこけました。

細かくチェックすると変なところも散見できそうですが
大きな流れが「朝ドラ」になってりゃ、良いのじゃ
ないですか。
じいっと鑑賞する、ものでもありません。

とはいえ、他のドラマとセットを使い回してるのは残念。
もうちょっと手を加えておいてほしいですね。