羽生善治と本田圭佑。似てる

2013-03-31 10:29:07 | 塾あれこれ
羽生さんの新刊『捨てる力』PHP文庫
相変わらずこの人の本はINTERESTINGですね。
勉強になります。

さすが20年近くも将棋界のトップを続ける人は違いますね。

逆説的なことも多いのですが、突拍子もない話はなく
読んで納得できます。
おこがましいことを言えば、想定の範囲内。
「ええ・・そうなんですよね」が多い。良い意味で。

我々の生きるレベルと羽生さんのレベルは大違いがありますが
(相似)の部分も多くあるはずです。
よって、読んで「役に立つ」わけですね。

例えば
少年野球でも練習は大切、大リ-グでも練習は大切
言葉は同じですが中身の深さはおおきく違います。

違うけれどもイチローが「練習はきちんとしている」と言えば
少年野球の選手も、そうだ頑張ろうと思います。
これが(相似形)の有り難い処。


若いころの私は今よりもっともっとバカで(今も馬鹿だけど)
(相似)というのは気をつけないと大小の事実を忘れる、と
いうことに無頓着でした。

不十分な努力でも「自分は十分頑張ってる」などと思い込むので
始末が悪いのですね。
あの人たちの頑張りとはレベルがまったく違うのに・・

今時の若者が、オンリーワンと言われて、何も努力せず
それでもプラス思考で成功すると夢想するようなものです。


羽生とサッカーの本田。
どちらも若くして日本一になった人ですが
良く似た処がありそうです。

先日NHKの特番で本田を取りあげていました。

このところケガで泣かされてばかりいる本田ですが
選手生命を危ぶまれるかもしれない事態に
「ピンチはチャンス」と言い切ります。
神様に感謝する、と。

羽生は「何をやってもダメなときは、これ以上は
悪くならない」と思うのだそうです。
このプラス思考は本田に通じますね。

「不利な状況を喜べる人間」となれと言います。
ピンチになると奮い立つ!
(『捨てる力』P201)

プラス思考だから上に登るのでしょうか、
上に登った人だからプラス思考を説くのでしょうか。


朝日新聞にウィリアム・スターという人の紹介記事が
載っています。
ヴァイオリンのスズキメソードを米国に広めた方。

彼は「子どもを勇気づける」ことを大切にしていると
言います。
ここでもプラス志向が重要と説かれますね。

学校でもプラスを引き出す教育がなされている筈ですが
ふたこぶラクダの分布曲線が顕著で、下のグループには
実は自信をなくさせる方向に働いているのではないか?


これに関して私が言えることのひとつ。

プラス思考で練習をどんどん続ければ力は伸びる、のは
事実ですが、だからといって保護者や教育者が無理やりに
練習を積ませるというのは、間違いです。
「やればできるようになるのよ!頑張りなさい」・・とか。

個別に教育をするメリットは、プラス志向の正しい導入。

相手をよく掴んだうえで、正しいタイミングで
エンカレッジしてやりたいですね。

TPPでどうなる?

2013-03-30 10:17:28 | 塾あれこれ
TPPには世論調査では賛成の国民が多いですね。

私は、反対です。
理屈以前に、まず感覚として。

これ以上日本をアメリカ化してどうするんでしょう。
彼らと同じ土俵に上がってどうします?
勝てますか?

資源も資本の蓄積も米国の比ではなく、食糧も米国に頼り
軍事的・政治的には首根っこを押さえられています。
組み込まれているといってもよい。

そのくせ二等国民的な扱いしか受けていません。
(米国の一州にもなれません)
オバマの視線は差別の塊ですね。

戦後の不平等な日米関係の総仕上げがTPPなのです。

政府が言う「足し引きすれば結局お得」というレベルの
話ではありません。
たとえ最初がそうでも(そうとは思えないのですが)
あとから断れない話が死ぬほど持ち込まれます。

その時には安倍(たぶん元首相になっている)先生は
「苦渋の決断であった」と言って見せるだけでしょう。
まるで佐藤栄作の焼き直しじゃないですかね。


医療がキツクなります。
貧乏人は早く死ねば良いとばかりに。

米国の保険会社ばかりが儲かります。
ロクでもないやつらですからね。

今でも実態が日本中心のアメリカ系保険会社ばかりが
TVでCMを流しています。
安いからと加入した日本人はお金がどこへ流れるか
無関心なのでしょう。

我々が現在加入している日本の保険会社の保険は
確実に目減りしますね。
潰れなきゃまし、潰れたら減額確実だから。

教育も変わります。
司法も変わります。
(裁判を起されては負け続ける日本)

最後に日本は米国式経済圏への労働力提供国になる!
フィリピンみたいに。

景色も替わるでしょう。
スタバやコストコのようなのばかり増えてね、
日本は駆逐される。

日本で環境の良い処はアメリカのセレブの街になります。
その町はずれに日本人の政治家や官僚が住むでしょう。


では、日本の庶民に何か手があるか?

TPPやっちゃったら手も足も出ないでしょ。

せいぜい英会話の勉強をすることでしょうかな。
英語が上手になれば米人などにお仕え出来ますから。


アメリカが異常に日本政府へ圧力をかけるわけです。
「おいしい」んだもの。

修道・鈴峯吸収合併

2013-03-29 14:37:15 | 塾あれこれ
昨夜TVで報道され、驚き、また
やっぱりねという感じもしました。

パナソニックによるサンヨー合併のような結果に
ならなければよいのですがね。

関係がある処を救ってあげると言うのは難しいことです。
重たいものを抱え込むわけですから。
修道にとってメリットがどれほどあるか。


まず、修道大学の偏差値が下がるおそれがないか。
中学高校は一緒になるすべがないので、
当面の偏差値異動はないでしょうね。

鈴が峯中→修道大というラインができるかもしれないので
鈴が峯にプラスに働くことが考えられます。
しかしその時まで鈴中が保つかなあ。
(修道女子中・・ですか?)

かなり以前からこれに似た話があったように思います。
資本等に関係があるのですよね。
もちろんそんな類の話は様々に浮かんでは消えの繰り返し。

今回だってこれからどうなるか、まだまだ分かりません。


しかし時代は変わりますね。

ずいぶん前から学校経営の環境が変わり、破綻する処もと
危惧されてきました。
鈴が峯も前の校長時代に改革を考えられていた筈です。

しかし改革の足取りは重かったようです。
一部の人が頑張っても全体としては・・・
私立なりの必死さが薄く、官僚的な方が多かったのでは?

校長が替わられて、学校改革というより、経営面での修正を
中心に置かれたのは、学校の重さ故もあったからでしょうか。

上の方からの修正意思かもしれませんが、部外者には不明です。

結局、小手先でしかなかったのではないか。
結果論としてはそうですよね。

大変だという意識がどれほどあったのか。。。
長期的なイメージを共有できていたのか。
目先では思いきった修正を打ち出せていたのか。

多くの塾関係者は、やはりね、という感想を持ったのでは
ないでしょうかね。

辛淑玉(シン・スゴ)さんへの反論

2013-03-27 15:29:15 | 塾あれこれ
昨日の続きです。

自分の意見と違うものを見聞きすることは
たしかに大変です。
「何言ってんだ、このやろー」という
品のない反応が心に生まれますからね。

でも、発言は認め、反論や対話は続けねばなりません。

先日、在日の(←たぶん)辛淑玉さんの短い文を読み
反論と言うのもおこがましいですが、一言申したくなりました。

彼女の文章を要約しますと
「日本では外国人についての噂話が根拠もなく流されている。
 反韓デモもその流れにあるのではないか。

 日本は社会格差が大きく、捨てられそうな人々が不安の中で
 反韓を言いつのり、日本人であることに救いを求めている。

 朝鮮を叩くことでかろうじてアイデンティティを保とうとする
 日本人の姿は、幼い」(DAYS JAPAN 2013/4 P9)

短い文ですから、やむをえないとも思いますが、そのように
断定される根拠が分かりませんね。
ご自分の考えを言い散らしているだけです。

こちらは「そう見てるのか」と、ある種の参考にはなりますが
納得はできませんね。
よって文章としては残念ながら出来が悪い。

こいつらバカじゃねーの、とこちらは思ってしまうからです。

しかし、そういうものにコリ固まった人に何かを申し上げるのも
難しいことです。
どんな風に反論すればよいのでしょう・・

(無視はできません。民主主義の否定になる。)

どんな国でも社会的な負け組で対外排斥にエネルギーをそそぐ
人々は多そうです。
煽る為政者も多そうですね。

しかし、現在の反韓デモがそれであるかは疑問です。

また、例えば対馬の人が「もう韓国には我慢ならん」と
思うのを、負け組の気分発散と言えるか、を考えれば
辛さんの対日分析はあまりにも単純でしょう。

むしろ自分たちの姿を相手に投影しているのではないか。

韓国人のアイデンティティを保つための反日。
であるからいつまでたっても新たに言い募るのです。
チンピラやヤクザに譲歩したら付け上がるのと同じ。

事実の歪曲と虚言化。恨みがましい根性。
彼らに取っては必要悪なのかもしれません。

もちろんこれも相手から根拠がない、と言われるかも
しれません。
だったら、それと同じ「日本人分析」は天にツバする行為だと
反省するような人たちなら宜しいのですがね。

隣同士は欧州でも仲が悪いものです。

日本と朝鮮も同じでしょう。
なるべくならモメたくはないですよね。

ただ、だから日本人はお人好しで良いとは思いません。
少なくとも厭な隣人である正体は知るべきでしょう。

そこから正常なお付き合いが始まります。

ふくべ三

2013-03-27 11:12:31 | 食べる
「ふくべ三」3/24で店を終わられたようです。

今月の初旬に武田さんから「ふくべ三」閉店と教えて頂き
あわてて食べに行きました。

その時に、一年間の勉強・充電だということ
将来は未定である、店は再開されるにしろ
場所は変わる可能性があるというニュアンスを感じました。

再開の折には連絡を下さるとのことで、連絡先をメモして
帰りました。
しかし足がない我家にとって、通うに楽な場所での
開店ならばありがたいのですけれどねえ。

その折に閉店までの予約状況も聞いたのですが
結局行かず仕舞でした。

あと一、二度は食べたかったですねえ。


なぜ行けなかったかと言うと、混雑が予想されたからです。

客席も多くないし、回転が期待できる料理でもありません。
我々が行かなくても、行っておきたいお客様が大勢おられる筈。

何よりご主人が御疲れのように見え、わいわいとすることを
憚る感じでしたから。

何年も前、初めて伺った頃の初々しい彼女を思いだすにつけ
「充電、大賛成」と思いました。

あんなに純粋に取り組んだら草臥れますよ。

とはいえまた早く蕎麦を頂きたいですね。


店が終わったので、一つだけお酒について注文を。

有名なよい酒をそろえておられましたが
燗に向くものが弱かったのかなあ。
美味しかったのですが、もっと良いものがありそうな
気がします。

一升瓶でも扱っておられた様子。

でも出来れば4合とか5合でお願いしたいですね。
いくらワインの栓(空気を抜くタイプ)を遣い、冷蔵庫に
置いていても、酒により回転がよくないものもあるから。

こちらが瓶一本呑めば良いのではありますが。

もちろん、蕎麦屋はソバが良ければそれでよいのですが。

残念

2013-03-26 15:46:00 | 食べる
東広島市西条、酒造りの街ですね。

直接か間接か存じませんが、酒蔵の経営?で
食べ物屋を開いているところがいくつかあります。

今回古い街並みの残る通りに面したとある店に
伺いました。

お客さまは多くて結構なことですが、私はパスでした。
もし尾道でこの内容なら名前を出して文句を言います。
(どうも尾道には厳しめの私ですね)

今回の西条のお店は、田舎の観光地、萩とかそういう町で
下調べもしないで適当に飛び込んだら、不味くはないけれど
リピーターにはなれない、第一、高いし愛想もない・・
そんな感じを受けました。

西条は観光地にはまだ「昇格」していませんが。

実は同級生が社長であるらしい酒蔵の系列和食店みたいでした。
夜は一皿千円以上のようです。
西条にしては取るじゃん。

社長?MK氏は柔道が大変に上手かった。
背負い投げが得意でね、カッコよかった。

今回、お店で背負い投げ食っちゃったけれど。


三段の御重弁当で1500円、刺身や天麩羅など定番ですね。

11時半に入ったけれどご飯がぬるめ。
少し硬めの炊きあがりは好みの問題でしょうが、味が弱い。。
サタケのすぐ横で、このご飯じゃいけないね。

小さな茶碗蒸しは出汁が薄い。味噌汁も同じ。
せめて鰹節の香りくらい立たせろっての、和食だろ。

天麩羅は見かけを大きくする技術はさすがです、
うっすく切ったイモなどを揚げてありました。

刺身は普通です。
つまようじの先ほどの山葵が付いていたのに、驚く。
ケチるならチューブでも宜しい。

それで、多分、鯛の刺身にレモンが添えてあったのでしょう。
旨い鯛に欠かせない、香りが飛んでしまいます。
前夜の残りを冷蔵庫から出したか?

板前が一人しか居ないようでお忙しいのでしょうね。

他に見た目かわいらしい、日本料理らしいものが並べて
ありましたが、味にメリハリがない。
小さければ、そこが命なのに。

香の物は塩辛すぎた。

デザートの珈琲。水はさすがに良かった。
個人的には豆をローストした香りを立たせてほしいな。

以上、常連の方も同じ三段重ねでしたから、イチゲンだから
手を抜いたというわけではなさそうです。

しかし、これがアテじゃあ折角の西条の酒が泣く。
(最近は黒瀬~呉の酒が良いですねえ)

残念でした。

気にいらなくても

2013-03-26 09:04:46 | 塾あれこれ
ハナから「それは違うだろ」と分かるご意見に
付き合うことはエネルギーが要ります。

まったく相手にしないほうが楽です。

とはいえそれでは人間の偏りが修正できません。
ひいては民主主義を妨げます。


民主主義とはやっかいで不完全、迅速性に欠け
運営もまどろっこしいものです。

しかしこれ以上に良い、人間を統治する手法は
ありません。
どうしてもこれを教え、維持する必要があるのです。

維持すると言うのがやっかいで、ちょっと油断すると
民主的に選ばれたヒトラーが狂気に走ります。
いったんそうなると、なかなか止められません。

権力を把握すれば自分の思う通りをまい進し
人の意見や少数者の立場に目を向けない・・こんな
恐れがあるか、は普段から民主的であるかどうかで
判断できますね。

近頃のTVに討論をエンタ的にした番組があります。

たかじんの『委員会』なども面白いのですが
人の意見を聞かない、大声で喋り続ける、
こればっかりなので、多少大げさに言うと
この国では民主的討論はなりたたないのではないか?

なぜ気にいらなくても相手の言うことを聞かないのだろう?
また同じか、であろうとも。

私も大きな口が叩けるわけではないのですが。

ただしなるべく色々な話を聞こうとしているツモリです。

極右でも極左でも、原理主義でも、怪しい宗教でも
何か理解できる処があるか
どこが間違っているか
なぜ間違っていると言えるか
相手を説得できるか
自分の方に間違いはないのか

こうしないと固い頭が、ますます・・

(あと少しだけ続けますが、次回)

カット繋ぎ進化

2013-03-25 10:34:29 | 見る
沢山見ているわけではないし
その方面の勉強をしたわけでもありません。

ですから以下はすごく的外れかもしれません。
記憶違いもあるかなあ、不安ではあります。


最近見た映画『最初の人間』(2011 仏ほか)で
印象に残るシーンがラストにありました。

年老いてきつつある母と、久しぶりに訪ねてきた息子とが
部屋で食事をしています。
植民地アルジェリアに残るという母と安全を気遣う息子。

カメラを引くと、さっきまでいた息子の姿がありません。
それどころか食器も片付いています。
母はひとり。

立ちあがって窓の外を見下ろす姿はアルジェリアに残る
ことの安堵感と一人で生きる寂しさが交錯しています。

ここは通常のカット繋ぎで①息子がいた②母が一人でいる
・・としても通じますが、この映画の不思議な画面づくりが
母の心理を現して秀逸でした。

ふと気付くと、ひとり。


カメラが途切れずに続いて撮影しているのに
映っているものは時間が跳んでいる、というのは
時折見受ける手法です。

テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』にありました。

それより随分前、木下恵介も使っていましたね。
この監督、けっこう意欲的な手法を使っておられます。

家の中でカメラが360度パンします。
当時はそれだけでも珍しかったのに、ぐるりとカメラが
戻ってくると、あきらかに時間が跳んでいるのです。

時間の経過、状況の変化を印象的に表現します。
撮る方は大変でしょうが。
カメラ、セット、照明・・


時間の経過は通常カットつなぎで現せます。

(家で叱られた少年、カットが変わると、岡に佇む)という
具合です。

場面が同じだと間繋ぎを入れます。
さっきまで喧嘩していたのに、すぐに落ち着いていたら
見ているほうは、何のことやら、混乱します。

そこでツナギをいれ
(喧嘩をしている){部屋に下がる照明器具}(落ち着いてる)

・・あまり上手な譬えではありませんね。
映画監督は私には無理なようです。

ともあれ間に何か挟むと、繋がります。
見ている側が理解できるのです。

上記の照明器具のカットはほんの少し長めに映します。
そうすると落ち着くまでに時間があったと伝わります。


上記が伝統的な手法ですが、それだけでは物足りず
あえてすぐにつなぐと言う手法もあります。

見る側は瞬間「あれ?」と思いますので逆に注意を
喚起できるのです。
見る側も(大人)でなければなりませんね。

『最高の離婚』で4人が深刻にモメるシーンがあり
うろたえ気味に綾野さんが「鍋でもしようよ」

何でこんなときにと3人は反応しますが
すぐ次のカットで、もう鍋をつついています。

こう繋ぐことで、状況を消化不良に棚上げした4人
ということがうまく伝わりました。

そうしておいて、ラストの山場に移るのですね。

誰のための「成長」?

2013-03-24 13:52:09 | 塾あれこれ
朝日新聞のコラム(社外者担当)に
以下の趣旨のものがありました。

世間では、特にTPP賛成論では、ごく一般的な意見だ
と思います。
もちろんそれなりに分かるのですが、出発点が違うのか
視線の先にあるものが違うというか、ともかく古い!

リーマンショックや大震災を経験してそこから何を
学んでいるのか、はなはだ情けないご意見なのです。

旧来の安易な「進歩観」に依存しきっていますね。


3/22付朝日新聞・広島版朝刊。ペンネーム(H)さん
タイトルは「守るから生むへの転換」

安倍政権のTPP交渉参加表明を評価し
「経済大国の一角としてのポジションを保ち続けるには」
・・米国と連携し、かつアジアの成長を取り込む。
・・日本経済再生につながると期待したい」

反対派は国益を損なうというが、その国益とは何か、と
続けられます。
生産性の低い今の日本の農業を守ることが国益か?
ただ保護を続けるのは結局は衰退につながる、として

「TPPへの参加交渉は国益を守るのではなく
 国益を生みだすというスタンスを期待したい。
 守りからは何も生まれないし、成長にもつながらない」
と文を結んでおられます。

まず、最後で分かるように「成長」とは好いものだ
という思い込みからして、古いですね。

☆誰のための「成長」ですか?
☆成長を延々と続けようとした結果、今どうなっていますか?

たとえば成長が必要だといって原発であんな無責任をして
きました。
現在も、成長が必要だからやはり原発、と「のたまう」人は
フクシマを何と見ているのだろう?

☆これからも成長することが本当に良いのですか?
 エネルギーや環境の問題はどうするのですか

☆乱暴ですが、「成長」にはフクシマがつきものならば
 もう成長自体を見直さねばならないのではないですか。


成長があれば結局はみんなが潤うと言われます。

今の日本、成長論者には不満なのでしょうが、
もう十二分にリッチで幸せな国ではないですか?
これ以上「成長」?

今見えてきた課題は格差です。
閉塞感もそこから来る。

いずれ貧困層にも「成長」の効果が現れる、とは
格差を考えていない意見ですね。

成長が必要なのは勝ち組のほうです。
オタメゴカシで負け組にも富は回ると言いますが
回す富は「必要経費」であって、貧乏人が感謝する
スジのものではありません。

貧乏人抜きで成長して見ろ、ってこと。
それは不能。
人間社会とはそういうものです。

格差を誤魔化す成長に浮かれてはなりません。
もしかするともう限界かもしれないのだから。

これまでは「成長重視」で良かったのかもしれません。
しかしもう限界でしょう。

生き方の転換を迫られているのではないか、
そう思うのですが、いかがですか?


一気に変わるなんて不可能です。
私有財産は守らねばなりません。
お金持ちだって例外ではありません。

舵を切る先を見定めようというのです。

そして第一歩。

ゆめぴりか、食べた

2013-03-24 10:24:21 | 食べる
北海道米の「ゆめぴりか」は旨い。

先日カミサンに「ゆめぴりか、買うてぇ」とお願いすると
「だめ、そんな高いもの」即座に却下されました。

「マツコがTVで美味しいって言ってたじゃん」
「いまので十分です」

「一回くらい買ってみないと」
「ふだんもっとお米を食べないとダメです。 
 ビールばっかり呑んで」

「・・旨いもの食わせろ」
「あたしのは美味くないってことか」

・・・勝てるわけがない。

しばらく間をおいて
「ゆめぴりか、賞を取ったらしいね。
 そのわりには高くないし」
「いつまでぐじぐじ。。。おとこらしくない」

「なら、ブログに書いてやる」
「買わなきゃ、こっちの勝ちだよ~~ん」


・・・と何回もバトルがあって、あるとき機嫌が良かったのか
買ってくれることになりました。

歯触りのもちもち感がしつこくなく、炊きたてという旨さが
ひきたちますし、冷めてもほぼ変わりません。

コシヒカリの固めの食感とはずいぶん違います。
やはりコシヒカリは若者向けか。

もちろん、味もいい。

たまにはブランド米も良いですね。


暫くして買ってくれなきゃ、またブログに書いてやる。

ちょっと間をおかないとムリですがね。