TVだと信じ私だと信じない

2007-06-30 10:29:44 | 塾あれこれ
カミサンは私の言うことは信じません。
同じ事でもテレビがいうと信じます。

以前勤めていた塾のボスがそうでした。

東京出張から帰ると講師連中に色々話をされます。
ときどき我々が突っ込むことがありました。

「それいつも我々が言ってることじゃありませんか」

我々が言っても耳を貸さないくせに東京でエライ先生
に言われると「分かってしまう」
悪い癖でした。

カミサンはTVのみならず、新聞や本まで動員して
私の権威を傷つける作戦をとります。
「前に俺が言ったろう・・」
「そう?」
一言で蹴とばし
「テレビでね。。。」

まあ、人の悪口も言えません。
実は私も同様で
カミサンが何か言うと「え~!うそだろ」
テレビが言うと一応信じる。

人間とは「権威」に弱いものです。

もちろんTVもアヤシイとは思っています。
ただ、いつのまにか信じている。

たとえばお店紹介がある。
なんとなく良さそうに思ってしまいます。
「割引して見ないと」などと言いつつ結構ね・・・


半世紀近く前。中学生でした。

ある先生が授業で話されたことと本に書いてあること
に食い違いが出ました。目ざとい生徒が突っ込むと

「私と本とどっちを信じるのか」

皆で「本で~す」

冗談も交えてですが先生の方は激怒。

「じゃあボクの授業は不要だね。本を読み給え」
職員室へ引き上げられた。

「そうは言っても」と言いつつ本にも疑問を抱き
始めた経験です。好い教育でした。

本は正反対のことを書いているものがあります。
つまり100%は信用できないということです。

辞書など通常の本より権威があると思います。
それをボロカスに言われるのが高島俊男先生。

目からうろこが落ちるとはこのことでした。
(『広辞苑の神話』文春文庫など)

それでも何か読むと取り敢えず信じてしまいますね。

新聞やテレビなどはもっとアヤシイ。

メディアリテラシーと言われますが、なにオッサン
たちの得意技でもあります。
ツッコミですね。
テレビなどを見ながら「それは間違い!」
ラジオに「それ何の辞書か言え!」

私もそのうちヒマになったら電話魔投書魔に
なりそうで、じわっと怖いものがあります。

(さてこの話どう展開すると思います?
 明日は安芸津のジャガイモを褒めます。
 明後日は小論文の採点と指導。
 いつも通りの強引な展開の予定です)

社保庁地獄へ、と言いたいが

2007-06-29 09:57:36 | 塾あれこれ
昔なら確実に地獄へ堕ちたでしょう。
社会保険庁。

地獄が存在していたころは「あいつはあの世で
地獄行き」と思うことで庶民は救われました。
言われた側もご臨終まで気になるかもしれません。

ところが地獄が上昇志向なのか現世に現れてしまい
悪い奴は大喜びです。
地獄へ落ちる心配がなくなったのですから。

肉を誤魔化そうが賞味期限ギレの牛乳を使おうが
ご当人達は「この世は地獄、もっと悪いのがいる」
という安心感をえられるのかもしれません。

社会保険庁だって、当事者は大したことじゃないと
思っているのでしょう。

子供に説教しにくい世の中になりましたねえ。
私達の子供のころは「地獄に落ちる」が脅し文句
として生きていたものですが。

しかしねえ、社保庁の皆様。
仕事とは人間の生き方そのものではないですか。
法を超えた規範があることを子供たちに教えたいとは
思われませんか?

悪い事をすればバチがあたる、こうありたいですね。


金で済ませてはいけません。
貧乏人の気がおさまらない。

社会保険庁の全ての関係者には福祉ボランティアを
してもらいたいと考えます。
もちろん死ぬまで。

交通事故の加害者が一生かけてつぐなうように。

社会保険庁の仕事をただ働きで、はいけません。
意思の有無に関わらず再度ミスするかもしれません。
反対にきちんとできたら、過去のミスは何だ?と
なりますしねえ。

第三者機関で対象者の個人情報を登録しましょう。
もし正当な理由なくボランティアをしない人間が
いれば、その個人情報を公にします。
その際はみんなで押しかけようじゃありませんか。

金でケジメとは何と美しい国だろう

2007-06-28 08:53:15 | 塾あれこれ
新聞の投書みたいなタイトルですね。

腹立ち収まりきらずというところです。
直接の被害の有無ではありません。
どんな仕事をする国になったのか、その情けなさと
政治家の厚顔への憤懣です。

多分、金でモノゴトを解決する姿勢が身についている
ので「けじめとして返納」などという発想がおかしい
とは思わないのでしょう。

また、百歩譲って当人にとっては大変大事なものを
思いきって差し出す、というのであれば、ことの重大
さを自覚している金額ではありませんよね。

ついこの間まで法律に基づいていれば構わないとして
なんとか還元水を擁護していた人達が、今度は何の
法的根拠もなく社会保険庁の関係者に「俺を見習って
金くらい出したらどうだ」と言っています。

これも矛盾した話です。
法律を守っていればよかったのではないですか?

(そのくせ法律で返納できない部分は除くですって)

ずるいとも言えます。
難しいかもしれない他人にふってそちらへ責任論を
ふりむけ、自分は免罪を得ようというみたいです。

国民も若い世代を中心にぼーっとしている人が多い
ようです。
「自分には関係ない。」
高齢者も案外多く「もう貰っているから」

自分の利害だけで済ませるな!と思います。
こんな人たちは後の世代のために世界を少しでも
良くしておこう、などとは思わないのでしょう。

教育に携わる人間ですらそうですから情けない。

自分の損得は棚上げにして世の中を考えるべき時
もあることを知らない、金の亡者ですな。

お金は大事ですよ。
私も欲しい。
でもね、プライオリティーをどうするかです。

国の機密を守れない防衛省。
社会の信頼を壊す社会保険庁。
食の安全などどうでもよい農水省。道。
国民の健康を損なってばかりの厚労省。
国より個人の外務省。

民間では
報道を放棄したマスメディア。
肉を誤魔化す、肉屋。
介護を儲けとしか考えない企業
製薬会社も、建築士も・・・

わが業界でも
NOVAとか、アンビシャスとか。

どうやって子供たちに現代日本を教えれば良い
のでしょうか。

ケジメで月謝を一部返納しましょうか?

塾が選択してはいけない

2007-06-27 10:00:03 | 教えない
月曜の続きです。
より小さな塾に話を移します。

進学塾もあり補習塾もありますが、入塾テストを行う
ところは小さな塾では少ないでしょう。
その代りに面談をするところが多いと思います。

お出でいただく前に、塾に合う合わない、通塾の
目標は何か、などなど意思疎通を図っておきたい
ことは沢山あります。
場合によりお断りすることもあるかもしれません。

面談をするのは「当然」なのでしょう。

当人のためになりそうもない所へ通っていただく
のは良いことではありません。
ご家庭のためにもならず、塾は詐欺商法に近い
営業をするわけにはいきません。

従って、経営的には「ノドから手が出るほど」でも
やはり良心的にお話すべきです。
まっとうな塾は規模が小さい所にはまだまだ存在して
いると思います。

もちろん塾の一種の「自己防衛」でもあります。
長い目で見た営業判断です。
現在通っている生徒のためでもあるでしょう。


実は私は上記の「門前払い」には再考を望みたいと
考えています。

気をつけないと塾の都合が前に出すぎる恐れがあり
ます。結局、最終的には営業を考えていることになり
大手塾の「教育で金儲け」を批判する資格がなくなる
のではないでしょうか?

誰でも入れるのが民間教育機関としての「義務」

自塾にとってやりづらい生徒を引きうけられないで
どうします?
人情としてはお断りしたいケースがあることは
分かりますけれどもね。

また塾のバイトやスタッフの状況にもよるとも
思います。

でもそれも自分の側の都合。


自塾のことを十分に説明し、厳しい受験志望であれば
それを明確に伝え、やり方や状況をしっかりと賛同
してもらえればよいのです。

選択するのは塾ではなく生徒、ご家族です。

「~でよろしければどうぞお出で下さい」
が塾の立場であると考えます。

塾に入って後に辞めるということはあるでしょう。
場合により退塾をお願いすることもあります。

それは入塾時の約束を守っていただけないからで
やむをえません。

しかし、辞められて良い所は何ひとつありません。
塾の負けです。不徳のいたすところです。

私が業界に入ったとき「辞めさせるのはタブー」
ときつく言われたその教えと反しますが、あえて
お辞め頂くことが大事な場合もあると申し上げます。

辞めて万事解決とはなりません。問題は山積。
生徒もかわいそうです。(塾も・・)

そんな不幸を減らすために塾は発信をしなくては
なりません。

予め塾や私自身をお分かりいただき上記のリスク
を減らす一助になるようにとブログを書いている
ツモリでもあります。

もっとも、つい反営業的になり困っています。
これじゃあ、生徒は集まらね~

でもよく考えると、どんな塾か宣伝になっているから
妙なお問い合わせがないのかもしれないですね。

好きではなかった美空ひばり。。

2007-06-26 10:26:38 | 塾あれこれ
土日はTVで美空ひばり特集を見ました。

中で1980年の番組、
以前に自分が歌った『りんご追分』を聞くシーンが
ありました。
1952年の若い歌声です。
その姿を見て涙が滲んでしまった。
私もトシですねえ。

彼女がプロとして若い自分の歌を聴いている、その
向こうにそっと「時」を感じている『加藤和枝』が
少しだけ覗き見えるのです。

若い頃は美空ひばりは大嫌いでした。
個性が強すぎるように思っていましたね。

それに世間からの毀誉褒貶の激しさ。
戦後間もない頃の大人からは「教育上好ましくない」
という風に見られていたのではないでしょうか。

伝説となった今の美空ひばりからは当時の嫌われ方は
想像できないでしょう。
もちろん強烈なファンも沢山いらっしゃいました。


私の好悪がいつ変わったかはハッキリしません。
晩年十年間くらいでじわじわと変わりました。
特に昭和30年代前半までが好きです。

いいじゃないか、と変わり始めた頃、
「あれもひばり」と思い出した曲がありました。

『花笠道中』
さっき調べてみると昭和33年。
私は9歳でした。

今でこそリバイバルが数多く流れていますが
一時期は忘れ去られていた懐メロです。
何で思い出したのか、とある光景と共にふいに
浮かんできたのです。


私は一人で畳に座っていました。
叱られたわけでも、友達と喧嘩をしたわけでも
ありません。

窓からは柔らかな日差しが滲み美空ひばりの歌
だけが聞こえています。

私は世界でたった一人でした。
大人になってオオゲサに表現すると
存在の絶対的孤独、といえるもの。

年齢に似合わぬ幼い絵本を、読むでもなく
ぼんやりと広げていたような気もします。

じっと永遠を感じていました。

孤独に耐える、という言葉を知らなかったのが
幸いです。
知っていたら耐えられなかったでしょう。

♪これこれ石の地蔵さん

明るく開放的だけれども、同時にどこにも頼る
ことのできない浮遊感もありました。

私に悲壮感はありません。
明るくて、歌が流れて、いつまでも時が止まって
いました。

ただ、ただ、ひとりでした。


大人になってそのころを思い出した句です。

『お留守番 鳥影過ぎし すり硝子』

『母恋し 光ひとつぶ冬の土間』

出来る子争奪戦

2007-06-25 10:54:18 | 塾あれこれ
私が進学塾を辞めて自宅で小さな塾を始めたとき
私より年かさのご近所の方が仰った言葉が上記の
「争奪戦。出来る子を集めれば勝ち」

業界のことなど何もご存知ないはずの方にも
常識だったのですね。

その方は上記の話で私にも頑張れと励まされた
のでした。
「いや私のやりたいのは少し違って」
などと説明してもよかったのでしょうが
「はい、有難うございます」
営業ができていませんね。

受験塾は、仰るように出来る子の争奪戦です。
生徒の持っている力で決まる、ようなものです。

指導が上手い人とマニュアルだけで教える初心者と
同じ集団を教えて差がつくか?

あまりつきませんね。僅差。
ついてもせいぜい1~2割です。
若い人でエネルギーがあれば勝つかもしれません。
サッカーの勝負みたいです。
実力が下でも勝つこともあります。

近年は受験指導の技術もある面進みましたから
人間やシステムによる差は小さくなりました。
出来る子はどこへ行っても通ります。
(出来る、といっても受験勉強に限定した話です)

違いがでるとすれば相性。
塾との相性が万一合わない生徒はたとえ力があっても
発揮し難いように思います。

合否のボーダー線近辺の子には重要な要因です。

教える側の力では差がつきにくいと書きましたが
小さな塾で受験オンリーという所は指導力が自慢。
サスガのものがあります。

もちろんそういうところでも「出来る子」のほうが
楽でしょう。
私はこういうタイプの塾ではありませんので細かい
ノウハウは分かりませんけれども、ま、大体。

「ましてや」学校は出来る子が欲しいのが本音。
勉強だけでなく
人柄のいい=徳育的に「出来る子」
スポーツ・音楽など才能の要る分野で「出来る子」

塾ならまだわかります。学校はこれで好いの?

少なくとも発想がアメリカ的ですよね。

入ってはみたけれど

2007-06-24 10:35:15 | 塾あれこれ

昨日は規模が大きい進学塾の話でした。
(書くのに結構時間がかかる事柄ですね)

次に規模がそれほどではない塾の場合。

テストがあり下位で入塾したときはどうでしょう。
例え能力別編成になっていても大手塾ほどの細かい
クラス分けはできません。

もちろん各塾で工夫をこらされています。
ただやはり仕組みというよりも「目が届き易い」と
いう無形のことが一番のウリになると思います。

しかしこれは決定打にはなりにくいですよね。
大手塾も先生次第で目が届くことも十分にあります
から。
小さい方が目が届くのならば、より小さい方が有利
になります。

成績が上がり難ければ、やはり流動性が・・

個別対応は仕組みとして目を届き易くしたものとも
いえます。
ただし、力がない講師では「個別」でも効果は
あがりません。
本当に見ているか、怪しいのです。
個別指導が頭打ち状態になった原因の一つです。


合格率を誇る塾の場合。

予め点数の出そうにない生徒は断るハズです。
通り難い子まで引きうけて合格率が高いという
ことは通常考えられませんから。

塾に入る時点では数字が出ていないが何らかの
データで伸びる子を知ることはあります。
体験入塾での手応えも判断に有効です。
とはいえやはり多くはありません。

無理な子を引きうけないのが良心的です。

引きうけておいて途中で自然に辞めてゆく場合
もありますね。ボーズマルモウケ。

良くない例ではかなり引っ張っておいて見こみが
小さくなったら強引に辞めさせる、それを前提に
大勢引きうけるという所もあります。
収入を確保し、かつ合格率を高めます。
下で入ると。。。

月謝を前納させ中途解約でも残金を返さない塾が
あります。
これは法律違反ですから取り戻せます。

「契約書に書いてあるしハンコも押したし」と
言われた方に再交渉をお勧めしン十万を戻させた
経験もあります。
(その生徒は別の塾に通って難関校合格!)

辞めていただくのはカンタンです。

ついて来れなくなれば辞めてゆく子が殆どですし
「受験ですからやっていただかないと」という
スタンスでは辞めざるをえなくなります。

それでも粘って辞めないと?
ワザがおありのようですがここでは触れません。

塾としては結果が出せていないのですが
それで月謝を戻す、なんて話はありませんねえ。

落ちたら塾が悪い

2007-06-23 10:55:08 | 塾あれこれ
入塾テストで「下を拾う」の続きです。

嫌な言葉ですが「下を拾った後」どうするか。
規模の大きな塾は能力別クラス編成をして点数の低い
生徒に対応します。
入塾時に低い位置から一歩ずつ上っていけばいい。

どれほどの生徒がそれを可能にするか、塾によって
多少の違いはあるでしょうが、多くはないでしょう。

能力別クラス編成をする進学塾というのはおおむね
下のクラスには実質的サービス、つまり受験向けの
実践指導は弱くなります。
やむをえないところがあります。

合格者数で塾を選ぶと、下で入った生徒の場合は
塾のウリの恩恵を受ける事が少なくなります。
通塾の「流動性」が高くなってくるのです。

合格者数を誇る塾は「出来る子」が行く所です。

・・なので
「通るのは生徒の力、落ちたら塾が悪い」

進学塾の多くの講師のホンネ、
「通るのは塾の力、落ちたら生徒が悪い」
は間違いです。

繰り返しますが、難関校の合格者数はほぼ決まって
いるのですから、通りそうな生徒をいかに集めるか
が肝心で、あとは鍛えればよいだけです。

下から伸びる子もいますけれども。

(時間がかかる文章でした。
 まったく途中ですが明日続けます)

形だけの入塾テスト

2007-06-22 10:08:51 | 塾あれこれ

昨日、合格発表に関して成績で行なうか経営判断を
加味するか、葛藤があると書きました。

多くの塾で同様のことがあるのではないでしょうか。

大学は全入時代に突入、似た悩みがありそうです。
いや邪推かもしれませんけれども。

中学・高校は・・?
お叱りを受けそうなので憶測は止しましょう。

塾の話をいたしましょう。
上記の、成績と経営の葛藤があるような塾は、それが
進むと、入塾テストが形だけになります。

実質的には全入になってしまっているのに、進学塾と
しては、誰でも入れるような景気が悪い所ではないと
ポーズをとらねばならないのです。

状況により、極端に数字の悪い人だけお断りするかも
しれません。
落ちる子もいるぞ、と。

あまり数字の出ない子でもテストをして受け入れる
と、全入と見破られてしまいます。

塾の内容がよくないから、テストをするのに関わらず
全入に変わってしまった、と評判になると困ります。

生徒本人のことはそっちのけで近視眼的経営にばかり
目が行ってしまいます。
自分たちの都合ばかり、は寂しい。

持論の「教育で金儲けは良くない」はこういうことも
含んでいます。
経営者としてリッチになることを批判するだけでは
ありません。

何が何でも生き残る、というやり方もあるでしょう。
私はこのような逆風だからこそ、やせ我慢をしてでも
本当の仕事をして生き残るべきと考えます。

経営に余裕が出たら良い仕事をする塾に切り替わる?
胡散臭くありませんか。
(続きます)

合格不合格

2007-06-21 11:36:00 | 塾あれこれ
「塾ってなんで入るのにテストするんですかあ?」
独身時代、仕事場の前にあったクリーニング店での
話です。
いつも古い話題でスミマセン。

子供が中学生くらい、自宅で取り次ぎ店をおやり
でした。
ただ預かるだけでなく生地などの知識も相当で
もしかすると結婚される以前はプロだったか?

店にクリーニングをお願いするようになって会話も
増えた頃、私が塾に勤める人間であることをご存知
の上で、上記の発言をされました。

以前、とある塾に行かせようと打診したら入塾テス
トがあるというので止められたそうです。

子供さんは公立中→公立高と進まれたハズですが、
高校受験で少しイラついておいでの時期だったか
もしれません。

立ち話しでは十分なことも言えなかったのですが、
店の奥さまの言い分もわかります。

当時勤めていた塾は進学用でテスト入塾でしたから
こちらの話もしましたけれど、納得されなかった。

全入に近い現在からみると競争が厳しく、通塾人数も
多かった時代でした。

進学塾の場合、その時点での学力が授業に向かない生
徒を受けいれると、まず生徒が可哀相。
つぶす恐れがあります。

長い目で見た塾の営業にも差し障りがでるかもしれ
ません。

自分の都合で言えば授業がやりにくい。
月謝だけ貰って「辞めたければいつでもどうぞ」と
いうのは経営者の感覚で、現場はそうはいきません。

責任が持てる範囲での生徒を、というのが正直な
思いですね。

経営を考える中間管理職以上はそうとばかりも
言っておれません。

一定の人数確保のため、合格最低点を下げることも
しばしば起きうることでしょう。

そうです。
まったく自分の都合優先であって生徒が困るかも
しれない、という視点は入りこみません。

いや下から入っても面倒を見て成績が上がる子もいる
だから入って頂いて大丈夫、という人がいますが
だったらテストなどしなけりゃいい。
少なくとも合格最低点を下げておけばよい話です。

偽善者風な自己韜晦。