中学入試

2009-01-31 10:49:55 | 塾紹介
中学入試が終わりました。少し前ですけれど。

終わるも何も、当塾の受験生は一人ですからねえ。
去年も一人。。。
いくらミニ塾とはいっても、同情をかいますか?

いわゆる広島の難関校(偏差60以上)に通ってくれました。
有難いことです。

「通るのは本人の力。
 落ちたら塾が悪い」

生徒数が少なければ楽とはいきません。
本人の力はバツグンでしたが、塾としては一人とは
オール・オア・ナシングですから
気持ちはそれなりに辛いものです。クタビレタ。


野球と両立させたい、ということでした。
夕方の2時間を週2回です。
さすがに最後の2ヶ月は週3回でしたが。

あまり負荷がかからずに受験をできたのでは
ないでしょうか。
(今までの受験生もね)

宿題も少ないですよ。
(中3の場合は最後多めになりますが)

こんな小さな塾のトリエでしょう。


ん~、ここまで書いてやはり宣伝臭いですか?

人にはそれぞれ最適の方法があるはずだ
ということを言いたいのです。

本人や家庭の自覚が一番ですが、塾の体制も
色々な「ベスト」に対応できるものが望ましい
のではないかなあ。

当塾が受験の神様なのだ、なんて宣伝ではけっして
ありません。数百人も通るのですから。

繰り返します。

「通るのは本人の力!」

塾なんかに行かなくても通る子は通ります。

ただ、地域で、地元で、お近くで
ちょっとサポートしてくれる塾が増えれば、ね。

団塊はイイトコドリか?

2009-01-30 15:16:36 | 塾あれこれ
団塊世代はイイトコドリして食い逃げ??

雇用条件も退職金も、年金とか福祉とか、さまざまな
面において、団塊世代は戦後の恵まれた成長社会の中
良いことばかり漁っているにもかかわらず、受け取る
ばかりで社会的貢献が小さいという批判です。

下の世代は福祉など負担が大きい割りに保証は小さく
制度の存続すら危ぶまれてる、つまりワリを食って
いるという感情論です。

もっといえばイイトコドリの団塊世代を助けるために
何で下の世代が負担をしなきゃならんのか、あいつら
運が良かっただけなのにさも自分の力のように思って
大きな口をたたいて説教するんだよね~・・・とか。

少なくとも自分達の負担はキツイ、もうしたくない、
というところでしょうかね。

分るような気はします。
でも少なくとも正しくはありませんね。


団塊の世代は約束事としての負担を果たしてきました。
上の世代と共に社会を支えてきたのです。

年金なども、親やその世代が貰っているのに、その子の
私が払わないということはありえない、と思いました。
シンドイとか、役人を見てると腹が立つとか、いろいろ
ありますがそれはひとつ低次元の話ですからね。

そうやって創り上げてきた豊かな社会の中で下の世代は
育ったのです。
あえていえば「ぬくぬくと」ね。

自分の未来が見えないのに上のリッチな世代を支える
というのは不公平な感じはするでしょう。

ただ、嫌われることを覚悟であえて言うならば

「さもしい」

他人が築きあげた豊かさを楽々と享受しながら
それは当たり前で、自分達の番にまわってきた苦労は
引き受けたくないとおっしゃるのですから。

(すっげー説教たれてスミマセン)

中学の教科書まで少子高齢化社会を騒いでいます。
逆三角形の人口構成をなげいてばかりですが
それだけの大勢が支えてきた社会である、その財産を
享受したのである、とは書いてありません。

多くの外国の若者に比べどれほど恵まれているか。
昔の日本人に比べどれほど楽をしているか。

いま甘い子供が多いというのはその証拠でもあります。

人間の社会というものは生物学的にも皆で生きてゆく
ということが基本です。

社会を支えるのは当然の義務なのです。
ここまで育ててもらったのだから。


昔よく母親に叱られました。
「あなたは自分ひとりで大きくなった気でいる」

そうでした。

大人になるまでは育ててもらい次に支える義務を負い
その後に福祉を享受する、
そんな流れを意識できていなかったわけです。

きちんと義務を果たそう、ってオバマなら言うね。

団塊食い逃げ論なんてありえない、でしょう?

だから団塊の世代は堂々と頂戴すればよろしい。
ただし、社会へ還元することも必要です。

今いちばん不愉快なのは遊びほうける団塊世代。

自分の金をどう使おうが勝手とばかり、へらへらと
遊び、田舎を汚し、札びらで得られる愛想に酔って
いい気持ちになっておられます。
お金持ちがチャリティーで自己満足を得る様なまね
をして社会貢献をしたつもりになってるとか。

このような団塊世代が日本文化を受け継ぐことを
してこなかったのではないか?
子供への教育を堕落させたのもこの世代から
ではないか?

もっと上も怪しいけれど、割合の違いは歴然。

おじゃまむし

2009-01-29 17:29:33 | 塾あれこれ


またあ、チドリちゃんそこはダメでしょ。

去年の1/9に乗ってたよ。それ以来じゃん。
ここはダメですか、どしてですか?

そこはお仕事をする所です。

でも仕事ってフケーキなんでしょ?

誰かがおっちゃんのPCはワープロしか機能を
使いこなせてないって言ってたよ。

こんなんやめて、遊びませんか?
ジンセーゴジューネンとか言うんでしょ?

遊びたいけどね、ブログもやらなきゃ。

何でそんなに毎日ガチャガチャやってるの?

そうしないと私はブログが続かないんです。

続けなきゃいけないの?

読んでもらいたいからねえ。
実はチドリちゃんらをダシにして別のブログを
書いてたんですよ。1年間ね。

それを始めるときに、友達なんかに頼んだの。
生まれて初めてだから見てね、よろしく、ってさ。

後から考えてみれば言われる方も困るよね。
一度か二度覗いても面白くないしさ。

暫くして殆ど誰も読まないのが続いたんですよ。
がっくり、友達甲斐がないとか逆ギレして。
落ち着いて考えればこっちが悪いん。

で、塾のブログにしたとき、よほどの友達以外には
読んでくれって頼まなかった、
その代わりに続けて書こうってね。
忘れられないように。

でもさ、営業に結びつかないというか逆効果というか
ある人に「何ですか、ナニやってるの」って叱られた
くらいなんだけど、こうなるとヤブレカブレかなあ。

書くって何書くの?

そうだね、いろいろ。
チドリだから言うけど、自分でも生意気なことを
しばしば書いてるのですよ。
「ナニサマ?」ってやつ。
自分を見ればそんなには言えわけない、わけで。

ネコには分らないけどオシャベリだねってこと。

そうか、そっちもあるか。
でもさ、チドリ。
明日、カラちゃんに何言おうなんて考える?
ないでしょう。
私もカミサンと明日何を話そうかなんて考えないよ。

その時に思っていることを書けばいい、って感じ。
何もなきゃ書かなきゃいいんだし。
そう思ってると書くことはいろいろありますねえ。

チドリだって言いたいこと沢山あるでしょう。

何もないよ、幸せな家庭に恵まれたから。

お得意のゴマスリだねえ。

じゃなくて、おっちゃんは不満ばっかりあるから
ダラダラと書いてるンじゃない?

そんなんいいから、あそぼー。。。

解雇するのは食い逃げ?

2009-01-28 21:58:35 | 塾あれこれ
派遣ギリが問題になっています。
また正規の社員も非正規の後を追うようにして
雇用情勢が厳しさを増す、との報道ばかりです。

会社の生き残り、という口実ですね。
「苦渋の決断」をした結果ということだそうですが、
果たして全てが世に言われるとおりなのか?

今がチャンスとばかり、やりたい放題の組織もある
のではないか?
自分達に都合のよいような人事態勢をとるために。

労働契約問題が煩いときには目立ちたくないと控えて
いたが、世間のドサクサ状態に隠れる様に経費削減と
人事強化と一石二鳥を狙っているのではないか。


・・いや、証拠がない話で、もしかするとそんな
フトドキな所もあるのじゃないかという推察です。

本当に厳しいところは、上記のような言われ方を
されると怒り心頭、でしょう。

ただ、どうにも対応が早すぎるのではないか
と思えて仕方ないのです。
ギリギリの対応をしてるのかなあ?
リーマンショックが昨年9月、それから数ヶ月も
持ちこたえられないものでしょうか?

本当はいかにあるべきか、という分析・検討を行う
ことなく「バスに遅れない、チャンスは今」の
感覚でやっている=経営者も我が身の保身だけを
考えているのではないか。

切る側の人間は、しかるべきときまで会社に留まり
退職金さえ頂けば後は野となれ山となれ、かなあ。

何か都合が悪いことがおきて後から突っ込まれても
「あの時のあの条件下ではやむをえなかった。
 誰でも同じような決断をせざるを得なかったろう」
という便利な言訳を持ち出すに決まっています。
他と同じであれば免罪と思っているのでしょう。


私などがいうまでもなく、社員という宝を捨てること
の代償は大きいものです。

社内の不活性化、蓄積した「力」の剥落、気力減退
などなど。
組織には恐怖政治に似た気分が広がるでしょう。

リーマンショックのはるか以前からジワジワと進んだ
慢性疾患ですが、ここにきて一気に悪化しそうです。


日本の製品やサービスが評価されてきた原因の一つに
顧客のニーズを細かく把握したことが挙げられます。

性能が良い、壊れない、安価である、これらも
ニーズに応えることではありましたが。

そうしてクレームが起きないような仕事をして
モノというより会社を買っていただいていました。

ここが他国と比べ日本の良い所であったと思います。

いまやその長所が薄らいでおり、日本がそれらの点で
差をつけることができなくなってきたと聞きます。

会社の中まで官僚主義がはびこっているのですね。

嫌われてまで頑張るのはアホくさい←まったくその
通り!一人ぼっちはさすがにツライ。
人間って、もともと弱いものですから。

そこへ負の力をかけられたら萎縮するのが普通です。


オバマは国民に向かい「強くあれ」と演説しました。
アメリカの文化にかなうことで、演説で勧めるだけ
でも効果がありそうです。

日本人は上に書いたように強くなれません。
一人で頑張るなんてキツイのなんの。

そのかわりに相手の立場を思ってあげることは
得意でした。
この国ではそういう力が大切ではないでしょうか。
それが仕事でも大いに役立っていました。

ただし演説で言うだけでは難しいことでしょう。
やはり、教育。
社会全体の、ね。

泣きそう

2009-01-27 12:17:53 | 塾あれこれ


大分前に使った写真です。

以前、公園で見かけたシロ猫の二代目じゃないか?

散歩していたら、丈の低い植木の中をガサガサっと
勢いよくやってくるものがあります。
写真のネコでした。

何度も書いて恐縮ですが、もてないニューハーフ?の
オジサンがエサを遣っておられるので
その方と私と間違えたのでしょう。

時々、間違えられるんですよね。
ムっとするけど、ネコ相手じゃ向こうが正しい。

それにしても勢いよく走ってきたなあ。
オジサンが来ず腹減ってるのだろうか?
目は汚いし毛づやも悪いし

でも「ゴメンな」

最後まで面倒見れるのならエサもやりますが
半端じゃそれも結局良くないと思うのです。
以前エサやってた半ノラも結局可哀相だったし。


エサをやる人、それはそれで温かい行為です。

見ておられない気持ちよく分ります。

やってる方は大抵が貧しそうに見えますから
同情しちゃうのでしょうね。
(ご大家の奥様が飾り立ててネコのエサヤリって
 見かけませんよね)

私も時折、同情して負けそうになります。
「寒いだろうな。。」


どんどんと寒さが増す旧正月です。

小鳥もエサがないのかよく道に降りています。
近づいても以前よりは逃げません。
腹が減ってるのでしょう。
ケンカもしていますね。

より大きな動物はさらに厳しいですよね。

彼らは不景気といっても分らないでしょうが。


『ネコ見捨て泣きそうになる帰り道』

告知

2009-01-26 11:23:42 | 塾あれこれ
学習塾の宣伝チラシの季節になりました。

世の中の厳しい経済情勢をうけて競争も強まり塾の
生き残りをかけた宣伝も激しさをますでしょうね。

こういう矢先のT学習会のチラシには驚きました。

どのような経緯かなど、ある程度は聞いて回ることも
できるのでしょうが、そんな気にもなりません。
「済んでしまったこと」

前々から少しは分っていたことでもあります。
「Y塾、やばいんじゃない?」
言われ続けて何年か、ついにその日がきたのでしょう。

人間て、その日が来なければ分らないものですねえ。

リーマンショックでもそう、やばいぞって言いながら
その日が来るまでは何となく現状が続くと思います。

自分自身のことでも、いつかは死ぬと分っていても
まだしばらくは大丈夫だろう、ってな具合です。


とある方が聞いてこられました。
「あんたんとこ、チラシどーするん?」

「チラシは今まで撒いた事がないです。」
(十年前、当塾を始めるときには撒いたけど・・)

「毎年一回、ミニコミ誌にご案内を載せてきました」

「Nタイムスじゃろ、見たことはある」

「今年はそれもしません」

(なぜか嬉しそうに)「お互いキツイのー、でもY塾
 みたいにヤバイからよう出さんのか思われるで」

(少しむっとして)「そうですねえ、でも実はいま小5
 と中2ばかりなので来年は募集できないんです。
 回数増もありうるし」

(むこうもむっとして)「うらやまし~話じゃ」

(あわてて)「いや今度はその次の年が誰もいなくなる
 ので、大変なんですよ」

(複雑に)「まあ取りあえずエエじゃん、次は大変でも」

塾の保護者の方には月報でも書きましたが
上記のやむをえない事情で今年は案内を出しません。

お金をケチるという意味もありますがね。  

そうは言っても実行は

2009-01-25 14:03:36 | 塾あれこれ


先ごろ若干のダイエトについて書きました。
これからまた体重を落とさないといけないのですが
落ちるどころか、微増中。
この傾向は危ない。

ネコのようになるかも。


忙しさもあります。

それに、同じ散歩時間でのエネルギー消費は
冬では少ないのでしょうね。

30分の散歩では汗もあまりかかないし。
これが1時間だと違うのでしょう。
さて、それが・・

評論家の方なら、毎日の生活にあと30分を捻出
すればよいのだから、朝30分早く起きればよい
ごく簡単なことではないか、と仰るでしょう。

睡眠時間の問題は、もともと惰眠なのだし
眠りを深くすればさらに安心。
散歩が長くなれば運動のオカゲで眠りもよくなる
ハズです。


なんでもアタマで考えれば簡単です。

それがなかなか思うように行かない、のが人間。

エライ学者がお考えになってもそのとおりには
いきませんよね。
特に経済学、教育学。

これらは上記のような人間の「思うようには
動けない」ところからきます。

勉強すればよいのは分かってるけれど、そうは
いかないのが、ふつーの学生です。

それを織り込んで考えなければいけないはず
ですが、こんどはリクツの方が

「そうはなかなかいかない」


今日は久しぶりのお天気、
これから散歩にでかけます!

大都市も観光地価格

2009-01-24 18:48:54 | 塾あれこれ
いわゆる観光地価格っていうものがあります。

山の上にある休憩所のコーラが高いようなもの。
運搬費とか需要の不確かさ、さらには需要供給の
アンバランスからくる高価格はやむをえません。

観光地価格はそれに似ていますが、相手がイチゲンだ
からボってもよいという商売の感覚もあるようです。
好みではありませんが一つの商売のやり方でしょう。

リピーターというのが見込薄なだけに、それは計算
から外しておいて儲けようという合理主義。
それでは神様に叱られる、というのは精神主義。
現代日本では昔にもまして後者が衰退しています。

いつもいうアメリカ的合理主義商法です。
(アメリカだってそれ一辺倒ではないはずですが)

客にもひどいのがいますからそんな気分にもなるのは
分からなくもありません。


そこで旅行に行ったら地元の人が行く良い店を発見
する能力が大切になるのです。
地元の人にはリピーターになってもらわねばなりませ
んから妙なモウケ主義には走れないということです。

(モウケ主義が悪いといっているのではありません。
 私はそんな店に行きたくないというだけです)

本やネットなどでは一定の検索はできても最後は自分
のカンが便りで「地元の良店」を探します。
時によって悩みに悩んでぐるぐる歩き回ることも
ありました。

年寄りと一緒の行動で、ぐるぐる歩き回ることもでき
ない場合は予約を入れておかなければなりません。

最近やっと気づいたのですが予約を入れるという事は
イチゲンを適当にあしらったり、モウケの対象としか
考えない店ならば格好の情報提供になるのでした。

カモであるぞ、と教えるようなものです。

リピ-ターになってもらうように良いサービスをして
客を喜ばせるのか、その可能性は小さいから儲けちゃ
えというのか、残念ですが後者が多いでしょう。


今はほとんど外に出ませんが、昔は結構出ていました
のでひどい店の記憶も多いですねえ。

尾道でもあります。
ここは観光地特有のセコい店も多いようです。

出身ですから弱点が見えます。
そんな魚じゃ尾道が泣く、とかそれは瀬戸内の魚じゃ
ないけど、とか。

堂々と「ヨソの魚は売りゃーしません」と言う
すごいオバサンも少なからずおられる・・かな?・・

旅行案内本にのっている料理店でも、それです。
(食事処Aはいけませんでしたねえ)
「広島市から予約」くらいでそんな扱いになります。

東京だって大阪だって・・
大都市は飛び込むべきです。予約はいけない。
探す場所は多いのですから。
(超有名店は入れないから予約でしょうけれども)

福岡でもありましたね。

アラという魚が九州以外では知名度が低かった
三十年近く前、塾の人間を案内すべく店を調べて
予約をいたしました。
「あらコース」です。高かった。。

で、当日「アラ、が入荷しない」と詫びを言うの
です。
そうかフグコースで仕方ないな、と思ったのですが
「広島じゃ、こげんフグは食べられんとでしょ」
これで怪しいと思いました。
たぶん、アラなど出すツモリはなかったでしょう。

出たのは普通のフグ、不味くはないけれど威張られる
ものでもない、広島でもその程度ならザラにある、
それにしては値段が高かろう・・

福岡=都会、広島=田舎と見くびった判断ですね。


私が子供の頃は関東ではあまり食さなかったセイも
あり、尾道では安価にフグを食べられました。

(大きな声では言えませんが広島市は尾道より
 魚が落ちます。有名店SとかYなんかでもね)

上野池之端の専門店、見栄はったデート。高かった。
大阪難波の劇場街裏手の専門店、安くて美味かった
などなど

フグには多少うるさい・・今は金がないから不縁。
よって、この話いま思い出しても腹が立つ。

福岡ではちょいと有名な店だったが、バカヤロ。

コマギレお好き?

2009-01-22 14:47:25 | 塾あれこれ
肉ならお値段が安いからコマギレでもよろしい。
話のコマギレはいただけないですよね。

当ブログもまとめて書くなり、投稿をまとめるなりす
れば、ご覧下さる方はさっと読めますよね。
それが出来ていないのが弱点の一つです。

じつは書く側=私の都合でコマギレが多いのです。
時間が取りにくいのに毎日書きたいのです。
間を空けるとナマケモノが顔を出しますから。

「今日は書いたか?」というプレッシャーをかけないと
続かない私なのでした。

さらに(書きながら話がずるずると引き続く、追加が出る)
という構成力のなさも災いします。

なんとかマトメを頑張って書くときもありました。
けれどもそれらは堅苦しかったり、ひとりよがりで
文意が不明だったり、ほとんどオクライリになります。

え?
投稿したものすら分りにくいですか?

しみましぇん。


アナロジーの話が途中でした。
ABC三種類あると書きましたが、続きです。

Bのうち「託す」というアナロジーは危険なことが
あると書きましたね。

暗喩のような言い方をされる人がおられます。

「今こそ濁流を前にした革命の先人の心構えが必要」
という風に、何だか分らなくはないのだが
具体的にはさっぱり分らない事が多いでしょ?

昨日のオバマ大統領演説ならば文意は鮮明でしたね。

似たような事を言っても文脈で違ってくるのです。
つまり、言いたいことの方向がはっきり見えていない
ものなら「思いを託し」ても伝わらないのですね。

意思を伝達する際の宿命として、自分は分っている
から、伝わるものだろうという思い込みが強く働き
伝わらなかったり、間違って伝わったりすることに
思いが至らないのです。

伝わらなければ、いくら思いが深くそれを託したと
しても表現としては無価値無意味なんですよね。


わざと「禅問答」にして高級そうに見せるとか
自分の考えの不鮮明を誤魔化す、あるいは
つっこまれて体面を汚されたくないとか、
暗喩を好まれる方のクセではないでしょうか。
日本では大きな肩書き「~長」という方が
しばしば使われる手です。

明らかな比ゆであるとかアナロジーAだとかで
はっきりと仰ればよいのですが
見栄の一種で、なかなか直らないようです。


Cのアナロジーは有効なことが多いようです。

「そうか、塾のプリント管理もトヨタのカンバン
 方式が応用できそうだ」なんてね。


佐藤信夫は「レトリックとは思考そのものである」と
言われました。
政治家が操る雄弁詭弁のタグイばかりがレトリック
であると私も思っていましたが、それは間違い。
もっともっと幅広いことなのです。

三浦雅士は佐藤を解説する中でこう書いています。

佐藤の本を読めば分ってくる大切なこととして
「レトリックは人間の本質にかかわっている」と。


「ボクは初めから一貫して同じ事を言ってますよ」
と言いつつ実質的に話を変えてゆくどこかの国の
トップの姿勢もその人の本質が見えることですし、
人々に責任を呼びかけながら分りやすくて美しい
言葉を使う新大統領演説もその人の本質を見せて
くれるものでした。

言葉こそが民主主義である、それが生きている国=
アメリカは、問題が多いし好きな国ではないのですが
やはり大した国家を作っていますねえ。

日本は「言葉の力」を教えることから見直さないと
いけませんね。

オバマ

2009-01-21 14:33:39 | 塾あれこれ
まだまだ私にはよく分らない新大統領ですが
少なくとも言葉の力は素晴らしいですね。

日本にこれほどの力がある言葉を語る政治家は
いないでしょう。

私は生まれて初めて米大統領就任式をTVライブで
見ました。
こんな気にさせるだけでも期待が持てる人ですね。

就任演説を聴いて2時半だったかに就寝、
あまり聞くほうではないのですがそんなシロウトが
聴いても、なかなかよい演説だった・・


それゆえかあまり良く寝ていなかったようで
今朝は大失敗をしてしまいました。

塾用教材の展示会に行ったのです。

一番乗り!

なんだかフライング気味で会場の方々が発する
「お呼び出ない」光線を万能KY盾で防ぎつつ
必要なだけチェックして帰りました。

ところで私が乗り込んだのが10AMちょうど
帰宅して案内を確認したら展示会は11時~だった。。
どおりで寒い空気でした。

確信犯でそれが出来るようになればかなりのタヌキ
ですが、私はただのボケオヤジです。
会場の皆さん、ゴメンネ。

(Y塾→T塾のチラシを今朝見て驚いたのもあります)


ところで、オバマ大統領。

言葉のセンスが良いですよね。
グリーン・ニューディールというのが今私の
気に入っている言葉です。


演説の最後に建国の苦労と先人の言葉に触れ
続いて

IN THIS WINTER OF OUR HARDSHIP,
LET US REMEMBER THESE TIMELESS WORDS
WITH HOPE AND VIRTURE
LET US BRAVE ONCE MORE THE ICY CURRENTS・・

この厳しい冬に 時を越えたこれらの言葉を
思い出そうではないか
希望と美徳を手にもう一度勇気を持って
氷の流れに立ち向かおう


良い指導者になるかもしれませんね。