50年前のエスペラント

2008-02-29 10:22:26 | 塾あれこれ

と、誇大広告です。
50年以上前の写真が出てきました。
母が残していたものです。

肖像権を主張する方はおられないとは思いますが
写真をあまり長く載せる予定はありません。
関係の方がおられましても少しだけお許し下さい。
(削除しました)

尾道でエスペラントを学んでおられた方の写真です。
この写真の時点で私は幼稚園でしょう。

当時は今よりもエスペラントを習おうという方が
多かったのかなあ。
熱心なK先生がいらっしゃったからか?

理想ということを真剣に考える方が多くおられた
時代であったとも言えるのではないでしょうか。


後列中央に横向き加減で居るのが私の叔父。
なんだか「新生中国」の写真にでもありそうな
表情ですね。

母と叔父はどちらかというと疎遠と思っていましたが
写真が出てきたのには驚きました。

私はこの叔父に影響を受けました。
より正確に言うと、そのように生きることができれば
と思いつつ、何も出来なかったという次第です。

叔父も諦めていたようです。

塾の仕事もスケールが小さいから辞めろ、といわれて
いました。それは全く正しいのですが私はこの仕事が
向いていたようで。
途中からは何も言わなくなりました。


彼は一歩でも上昇しようとした人です。
戦後すぐは某・政党の党員であったはずですが
党が路線変更をした時に離れたようです。

気分としてはよりラジカルに、ね。

大きな事はここに書けませんので些細な例をあげて
おきます。

コーヒーを飲みませんでした。
次に茶も飲まなくなりました。
白湯でよい、と。

若い頃は飲んでいたのではなかったか?
途中で少しずつ生活を変えていったのでしょう。

サヨクがコーヒーを飲んではいかん!とか。
プランテーションの労働を考えるとコーヒーを
楽しむわけにはいかないようです。

(それに比べよくコーヒーを飲む私たち・・)

ウイスキーも止めビールもやめ
酒は焼酎でした。
今と違って焼酎は労働者の飲み物でしたね。

年金など悪くもなかったはずですから経済的理由
ではないようです。


仕事で海外にも長くいた人間ですが晩年はどこへも
行かず、素足に下駄。
これで移動できる範囲で生きると言っておりました。

少しずつ生活を「改善」していったわけで私など
なかなかマネはできません。
エコ生活をと考えていますけれども実行が・・

人間、意志の力こそ必要なのですね。

音があやしい

2008-02-28 10:41:14 | 塾あれこれ
私が覚えていたのは♪よーよーよーと夜は明けて、
というもので昨日書いた歌詞とは大違いです。

昨日の文に『橘中佐』と思いついたとあるのは
まったく不正確な書き方でした。

本当は「ああ、よーよーよーとだな」と思ったので
あとで調べるとそんな歌はなく、やっとインタネット
で確認できたのが昨日だったのです。
調べる時間そのものは短かくて済みましたけれど。

何かのドラマで効果的に使われていたので耳について
いたのだと思います。
それにしても「遼陽城頭」が「よーよーよーと」?!
ウヨクの方に叱られますね。モノを知らない、と。
サヨクからは軍歌ネタそのものを批判されそうだし。


向田邦子の有名なエッセイに「蛍の光」の歌詞を
♪明けてゾケサは別れ行く
と思っていたというのがありますね。

あれは子供だからいいのでしょうが
私の場合は大人ですからねえ。
なんとなくオカシイとは思っていたけれど・・

しばしば引用させていただく高島(ウヨク)俊男先生
に『アリャーターンシタア』という愉快な文が
あります。(文春文庫・「同期の桜」)
文庫で5~6ページの短いものですから立ち読みでも
すぐに済みます。

私は笑ってしまった文です。ご注意。

文の主眼は
他国の言葉を聞くときは「音でなく言葉で聞け」
けだし名言。

たくさん聞いていると、あるとき音でしかなかった
外国語が突如として、言葉のつながりで聞こえる
ようになるのです。

文の題「アリャータンシタア」は「有難うございました」
を店員が言っている「音」
いう本人も聞く人もそれで通じています。

(音)で聞いていては分からないのですね。
いわば「意味で聞く」必要があります。

もちろん、聞くなという話ではありません。
きちんと勉強をすることも、沢山の量を聞くことも
両方必要だという話です。

念のため:高島俊男先生は中国文学。
     中国語も音が難しいですよね。

ヒマ人オールtheピープル

2008-02-27 10:28:30 | 塾あれこれ

3日前の日曜、雪の中を所用で尾道へ出かけました。

(写真はごちゃごちゃしてますがその日の尾道
 雪はちらちら舞うくらいでした)

途中、西条盆地では降り方も強く、歩いている人など
見かけません。道路も真っ白。
斜めの雪が絶え間なく落ちていました。

本郷辺りまで行くと道は黒く濡れ、家々が白いだけに
なり、三原まで行くと殆ど降っていません。

わずかの距離でも天候がまったく違いますね。


雪のせいかJRも人が少ない。

西条辺りで乗ってきた老人が10mほど先の席に座り
私までの間に人がいないほどです。
ローカル列車ですねえ。

彼は黒いジャンパーのまま肩をすぼめています。
もしかすると家族は居ないかもしれない。
遠目にも深いシワが見え、近づけば老人性の
シミなどもありそうです。

何をするでもなく一人窓際で外を見ています。
時折、人さし指の先をガラスに当て、何かを認識
しているかのような動作をします。
「あ、納屋に雪」とかね。

少年ぽい仕草に見えなくもありませんが
積極的に楽しんでいる風ではありません。

離れていても向かい合って間に人がいませんから
ジロジロ観察はできません。

もっとも観察して面白い対象でもないですよね。


気がつくと左手で膝を叩いてリズムをとり
歌を歌い始めました。
小さな声でしょう。もちろん聞こえません。

義太夫?謡?そんなタイプではないですね。

パタパタパッタ(ノン・トロッポです。)

そばで聞いても「うーうー」には違いないですが
何を歌っているか次第に気になってきました。

民謡ではない、コブシを回していないから。
演歌でもない、引っ張っていないから。
もちろん新しいものではない、第一リズムが、ね。

もしSHOWTAだったら、ぶっとぶけど。

さて、分からない。

・・・そうか軍歌か。

「さーらーばラバウルよ」
それとも古い歌謡曲
「そおーりーいのすうずうさあえ
 さびしくひいびいくう」

ちがうなあ、リズムが単調です。

明治時代の軍歌『橘中佐』はどう?
案外ピンポンかもしれない。

♪遼陽城頭夜はたけて
 有明月の影すごく
 霧立ち込むる高梁の

しかし私もヒマジンですねえ。
本でも読めばよいのに、
ここに到るまでじっと考えていました。

彼と私とどっちがヒマ人?

ヒマ人オールTHEピープル・・

こんなことを書くとジョン・レノンが怒るか?

ただの10進法だけど

2008-02-26 09:35:43 | 塾あれこれ
小麦は1ブッシェル10ドルを越え
石油も1ガロン100ドルを突破し
近々金が現物でも1000ドル(トロイオンス当り)
になるかもしれない。

ニュースになる数字です。
先物など条件が付く事ですが「分かりやすい」から
十進法の大台に乗る乗らないがニュースになるので
しょう。

心理的なインパクトも大きいですね。

タダの線なのですがそこを挟んでの攻防戦もある
ようです。
経済における心理の影響力は強いのですね。

ですから、日本政府や日本銀行の「手詰まり感」は
困ります。
経済心理に良いはずがありません。

もしかすると日銀の政策委員会で一人金利据え置き
に反対されていた方の案を採用していたら今少しは
違っていたかなあ。

・・居酒屋談義レベルの話ですね。
  もう少し・・

ユーロが何故強いか、政策パフォーマンスも大きいと
思います。
日本は「注意深く見守る」しか能がない?
アメリカの子分だしね。


エコノミストでスタグフレーションを警戒している筋
がおられるとラジオで言ってました。

懐かしい言葉ですね。

当時は中学の教科書にも載っていました

歴史は繰り返す、なんて解説されてたけれど。
その先また繰り返してデフレに?

似たのに個体発生は系統発生を繰り返すというのが
ありますね。
受けやすいけれど、どーなんでしょう。
株の世界は「繰り返し歴史観」がお好きですが。

話を戻します。

石油高騰、ドル安、ゲンブツの値上がりなど
スタグフレーションを思わせる条件が多いです。
戦争の後遺症である点も似ていますね。

当時と違うのは世界経済の規模、就中、インド
中国などの経済状況ですね。
人口増加や気象変動も大きい。
日本自体も人口構成が違っていました。

やはりインフレか。

マッチもタオルも

2008-02-25 10:24:11 | 塾あれこれ
このところ公私ともに忙しく、滞り気味ですが
母が遺した物の整理もしています。

予想を超えて多く遺されているものは何でしょう?

未開封のビニル袋に入ったタオル
只で頂いたティッシュ
店のマッチ
他には紙、ヒモ、輪ゴム、ビニール袋、・・・

こんなに溜めてどうするの?
タオルだけでもタンスにぎっしりです。


高齢の方はモノを捨てられないと聞きます。
母もそのクチ。

ただ単に捨てられない、勿体無いという以上に
モノに乏しい生活体験に結びついた気持ちが
ありそうです。

ほんの数十年前、モノは貴重でした。

石油ショックでトイレットぺーパーが不足になり
大会社の幹部がホテルで盗んだりして大騒ぎ。

東京の有名デパートでもトイレに紙を置かなくなって
結構みんな苦労しましたね。

私も、自分の会社のトイレに行くと紙が無い、
ならば前のビルがデパートだからと駆け込んだら
無かった・・わー!どーする?

あの時どうしたのか、記憶がないのですけれど
どうしたのでしょうね。


当時だれが駅前でタダのティシューを配る時代が来る
と予想できたでしょう?


昭和30年代、ガスに火を付けたりタバコを吸ったり
マッチも重宝でした。

子供のころの私はマッチをするのが下手で、何度も
こすって火が出ず、挙句に頭を折ったりして困った
ものです。

最後の一本だったら緊張しますよね。
失敗するとご近所に借りに行かなきゃなりません。

思うにタオルなども新しいのを気軽に下ろせなかった
のではないでしょうか。

ある程度以上の余裕がある家はベツですけれど。


時代が進み貴重品であったタオルは新聞とか銀行とか
タダで下さるのです。

マッチやタオルに泣いたであろう母の世代はその有難
さを身にしみていたはずです。
タンスにぎっしりとなるまで溜め込みますね。

脳と皮膚感覚が別々に働き、タオル一本でも粗末に
扱えないのです。
もしかすると、いつかまたモノ不足の時代が来ると
思っていたのかもしれません。

若い頃、戦争を体験し、戦後インフレ、などなどを
通り過ぎればそうかもしれません。

それにしても晩年は電化生活でマッチなど不要だったの
ですがねえ。


数年前から「モノが値上がりしている」と母が言い
私も教えられたものです。さすが敏感。

タダでタオルを頂く時代でもなくなったようです。
少しずつ厳しくなってきましたね。

ものを捨ててはいけない時代が始まったのではないで
しょうか。
日本や先進国だけに可能であった浪費による経済発展
は行き詰まると思うのですがいかがでしょう?

整理は「捨てる」から、ですと?
何ていうバチアタリな発想でしょうねえ。

前から時折「妄想」を書いておりますが
世界的インフレが近いかもしれません。

今から、物を大切にし、なるべく自分で作り
サバイバル可能なチエと体力を養わねばなりません。
特にこれから大人になる人たちは。


タオルの中で人様に差し上げられそうな物はお世話に
なったデイケアセンターに貰って頂く事にしました。
(余りに多いので)

開封されているものは私たちが有難く頂きます。



『パラパラと箱より落ちるマッチ棒勿体無いと母の声する』

貧乏ヒマナシ

2008-02-23 09:42:14 | 塾あれこれ
相続がらみの話から始めます。

母の銀行通帳が出てきました。
残高は20万くらいです。
当該銀行へ電話で問い合わせました。

さすが地元では超有名なH銀行です。
懇切丁寧に話して下さいます。

ただ、相続などほぼ初めてのことですからピンと
きません。こちらがぼーっとしているのです。
で、やはり銀行へ出向くことにしました。

月金は避け、更にゴトービも外し比較的空いている
と思われる日を選びました。

用件を告げると暫くして行員のご案内があり、
相続に関してはセンターで一括処理しており説明も
そこが行うことになっている、とのこと。

ディスプレイを通しセンターの担当とテレビ電話の
形式で話をうけるのだそうです。
む、進んでるじゃんという感じですね。

セッティングに案外時間がかかり、向こうと何度か
電話をしてやっとカウンター越しにテレビが説明を
してくれました。

相手が美しいお嬢様のせいもあり「よく分かります」

いや世の中変わるものですねえ。


ただし、問題がありました。
私が支店に入ったのが10時、説明を聞き終わったの
が12時前、説明の時間は正味3~40分というのに
随分と待ち時間が多かったのです。

ン億円も相続するのならそれで構わないのでしょう。
貧乏ではあれ(だからこそ?)忙しいのです。
説明をしていただくだけでこれでは、ね。

何でセンターでやるのだろう?
帰りの電車で考えました。

おそらく
安全かつ的確な説明が可能であること。
経費も総合的には安くつく。
契約社員などが多くなり手が回りにくい。
正社員に金かけて教育するより良いだろう。

・・・なんてところでしょうか。
ほとんど銀行の都合じゃありませんか。
回りまわって顧客にも良いことにはなるので
しょうけれど、私は「時間が勿体無い」

テレビ電話など無くても良いから昔の郵便局
みたいに対応してくれる方が有難いですがねえ。


強引ですが
科学の粋を集めた最先端の軍艦が見張り不十分
というのと似ている気がするのです。

大金を投じて立派なものを作り上げ機能はスゴイ
のでしょうが、末端で人が困っている!

銀行で何が一番大切ですか?
客の利便じゃないかなあ。
プライオリティーを間違えてませんかねえ。

自衛隊で何が一番大切ですか?
国民の命を守ることですよね。

新式のシステムのほうが大切にされているように
見えるのはヒガミでしょうか。

更にいえば、客の安全を考えて出来たコープが
あれでしょう。
経済性を優先させているようです。

近代化、大規模化、国際化、効率化、経済性
こんな流れの中で、人間が粗末にされています。

何のための仕事か?
仕事のため?人のため?

私たちが習った仕事の仕方は一にも二にもお客様を
大切にし
自分たちの都合は後回しでした。

そんな仕事が減ったのですかねえ。

翻って塾はどうだろう?

早春の月

2008-02-21 22:24:59 | SONGS
空気が乾燥しています。
寒さも冴え冴えとしていますね。

先日、清んだ青空に昼の月が出ていました。
横に浮かんでいる雲と同じくらい明るく白く
大きく見えます。

夜ともなれば「いふべきにあらず」
月光は輝きわたります。

古来、月といえば秋ですが今の月も美しいですね。
ただ、「寒い」



猫の春が近づいてきました。

わが娘たち、手術はしていますが多少落ち着きが
悪くなることもあります。
季節の変化で毛の抜け変わりも始まりました。



鳥は気配を感じる力が鋭いものです。

庭木に鳥が来たのをそっと見ようとしても
部屋の中からの視線や人の動きを察知して
逃げられてしまいます。

音にも敏感なのでしょう。

その鳥がウルサイ所に棲んでいる場合もあります。
JRの駅に鳩がいたりね。

交通量の大変に多い橋があります。
1秒に何台も大きな音で通り過ぎますが
その橋の下に巣を作る鳥たちがいます。
ハトだけではありません。

煩くないのか不思議です。
ガマンしているのでしょうね。



このところほとんど散歩に出られません。
年が明けて3度かな。

浅い水に鴨、鴎、鴉などが群れています。
冷たいけれども明るい水が揺れています。

鳥インフルエンザが気になる?
咳き込む鴨などいませんけれどねえ・・・



♪春は名のみの風の寒さや

♪あした浜辺をさまよえば

♪さ霧消ゆる港江の

良い歌が多い季節ですね。


一句浮かびました。

『梅咲きて去年(こぞ)と変はらぬ母の家』

どこかパクリっぽいですね。

沖縄、よそ事の反応

2008-02-19 09:57:04 | 塾あれこれ
某大臣は「米軍には、もういいかげんにしてくれと
言いたい」と発言されました。
趣旨は分からなくもないのですが、意地悪くいうと
少し位なら仕方ないが、続くので流石に怒ったのか?
コメントがどこかよそ事に聞こえました。

某「公共」放送は全国ニュースで
「あいつぐ米軍の事件に地元ではさらに怒りが
つのっている」と言っています。

これも意地悪くみれば「地元が」怒っていて
東京はどうなの?全国は?
と思ってしまうのです。

これって私の根性が良くないから、そんなに
受け取るのでしょうけれどね。
でも、どこか「他人事」に聞こえませんか?

身内とか知り合いに事件があったらどうでしょう。
ご近所だったら?


議会が宣言をしなくても
抗議集会に行かなくても
ニュースの度に怒っている人間も大勢いるはずです。

米国人の人種差別はなくなっていません。
日本は準植民地かもしれませんね。
実質的な治外法権ですから。

右翼じゃなくたって怒らねばなりません。
フィリピンですら米軍を追い出せました。
ブログで文句くらい言いましょう。

フィリピンとの違いは理解しますが、
「申し入れ」程度しか政治的に手が無い現状に腹が立
たない人は、他人に面倒をおしつけている身勝手に気
づかないのでしょうか。
多数の横暴です。


従来こういう話は政治的に偏っていたり思想のスゴイ
人であったりというイメージが強いので塾のブログと
しては似合わないと思ってきました。

でも自分の考えを子供に押し付ける事さえしなければ
個人的にはこんな気持ちである、ということを公にす
る方が言わないで黙っているよりも良いのでは、
と思うのです。

普通は黙っていればいいことでしょうし、商売的にも
どうかとも思うのですが、そうして黙っている人は
私の好みに合いません。

長江哀歌

2008-02-18 10:01:06 | 塾あれこれ
年に一度かもしれない映画を何にするか悩みました。
『スウィーニートッド』か『長江哀歌』か。

『スウィーニー』は一度見逃したこともあり、やっと
広島に来た『長江』にしました。

近年の映画は乗れないし、評論家も信じられないので
期待しないで行きました。
それが奏功?
たいへん面白かった。

中国映画では『花様年華』も大変に良い映画だった
けれど、この映画でもここまでの政治批判ができる
ようになったかと政治と映画の技術に二重の驚きを
感じました。

あたりまえのことですが映画をよく勉強している感じ
が伝わります。
時にはシツコイところもありましたがね。

何も予備知識なしで行ったのでロケットにはかなり
驚きましたが、悪くはありませんでしたね。
ある種、唐突ではないシカケをしてあったように
思います。(それにしてもビックリ)

あまり具体的に書いてはいけませんけれどね。

で、もう一つだけ。

カメラをパンすることが好きな監督なのか
この映画でだけそうしているのか
通常のパンよりもう一つ先まで振ります。
そしてそこに見えてくる景色が・・


船が画面に入って来るタイミングとか
二つのメインストーリーの交差のさせ方とか
沢山カミサンにおしゃべりをしてしまったのですが、
彼女は「それほど・・ロケットも唐突・・」

イマイチ意見が合いませんでした。


昔から[邦題]にはヒドイのがあります。
この長江(哀歌)というのも腹がたちますね。

映画を見にゆくひとをバカにしてるのかも。

ダムが出来る、美しい自然が破壊される、人々も
波にのまれて嘆きにくれ、涙流れる・・

という現実=中国共産党の長年の夢かもしれないが
未来都市のような、何でもありの世界。
その中でみんな必死に生きている、負けていない
そういう映画です。

しっかりとスパイスをきかせています。
にやっと笑えます。
決して甘ったるいお涙映画ではないのですから
(哀歌)はないでしょう。

人間の描き方に深沢七郎を思わせる所がありますね。
そういえば深沢原作木下恵介監督の映画『笛吹川』も
実験的な映画でした。

発奮する子がいるか?

2008-02-16 10:00:45 | 塾あれこれ
小説家宮本輝は父親が晩年になり諦めていた頃に出来
た一人子で、溺愛されて育ったそうです。
精神的にも経済的にもリッチな家庭環境だったのに
ある時父親が事業に失敗します。
家族も苦難の道を歩みます。
生きることで精一杯。

父は落魄の中、子供が日々に追われることを心配した
のでしょう、立派に育って欲しいと一計を案じます。

金を出せといって息子を酒に誘い、飲みつつ
問わず語りに
「今まで父としてお前に過大な期待をかけてきた。
 さぞ重荷であったろう。こんな父を許してくれ」
そう話してとぼとぼと帰っていったそうです。

これで若き宮本輝は発奮した。
「よし、今に見てろ」


今の子ならどうでしょう。
「オヤジイ、よく言ってくれたよ。有難う。
 オレもしんどかったよ。マジ。
 でもさ、これで肩の荷がおりたぜ」

感謝して(たんたんと)生き続けるでしょうね。
良いんだか、悪いんだか。

もし発奮させるツモリだったらあわてますね。
「いやそんなつもりじゃなくて・・」
これを後のマツリといいます。

人間の育ち方が変わったのか、育てる社会が変わった
のか。

難しい世の中になりました。


そうは言っても、まだボーンとぶつかれば
跳ね返るモノを持っている子も少しはいます。

遺伝子の問題というよりも育ち方でしょう。
社会の空気も大きいね。

大人がリードして発奮できる子に育てねば
なりません。

気短に怒るばかりでは今の日本の風土では
ホネのある子は育ちません。

褒め方も難しい。
甘すぎるのはよくありませんから。
('06 8.9の文を参照下さい)