と、誇大広告です。
50年以上前の写真が出てきました。
母が残していたものです。
肖像権を主張する方はおられないとは思いますが
写真をあまり長く載せる予定はありません。
関係の方がおられましても少しだけお許し下さい。
(削除しました)
尾道でエスペラントを学んでおられた方の写真です。
この写真の時点で私は幼稚園でしょう。
当時は今よりもエスペラントを習おうという方が
多かったのかなあ。
熱心なK先生がいらっしゃったからか?
理想ということを真剣に考える方が多くおられた
時代であったとも言えるのではないでしょうか。
○
後列中央に横向き加減で居るのが私の叔父。
なんだか「新生中国」の写真にでもありそうな
表情ですね。
母と叔父はどちらかというと疎遠と思っていましたが
写真が出てきたのには驚きました。
私はこの叔父に影響を受けました。
より正確に言うと、そのように生きることができれば
と思いつつ、何も出来なかったという次第です。
叔父も諦めていたようです。
塾の仕事もスケールが小さいから辞めろ、といわれて
いました。それは全く正しいのですが私はこの仕事が
向いていたようで。
途中からは何も言わなくなりました。
○
彼は一歩でも上昇しようとした人です。
戦後すぐは某・政党の党員であったはずですが
党が路線変更をした時に離れたようです。
気分としてはよりラジカルに、ね。
大きな事はここに書けませんので些細な例をあげて
おきます。
コーヒーを飲みませんでした。
次に茶も飲まなくなりました。
白湯でよい、と。
若い頃は飲んでいたのではなかったか?
途中で少しずつ生活を変えていったのでしょう。
サヨクがコーヒーを飲んではいかん!とか。
プランテーションの労働を考えるとコーヒーを
楽しむわけにはいかないようです。
(それに比べよくコーヒーを飲む私たち・・)
ウイスキーも止めビールもやめ
酒は焼酎でした。
今と違って焼酎は労働者の飲み物でしたね。
年金など悪くもなかったはずですから経済的理由
ではないようです。
○
仕事で海外にも長くいた人間ですが晩年はどこへも
行かず、素足に下駄。
これで移動できる範囲で生きると言っておりました。
少しずつ生活を「改善」していったわけで私など
なかなかマネはできません。
エコ生活をと考えていますけれども実行が・・
人間、意志の力こそ必要なのですね。