デンキ族

2010-03-30 14:45:07 | 塾あれこれ
『あ~あ。しょーがなーのお』

朝一番に病院につめかけた主にお年よりの方々が
デンキと呼ばれる一連の治療を一斉に始める時です。

とある方が看護師さんにデンキの準備をして頂きながら
広いフロア全体に届く大きな声で『あ~あ、しょーがなーのお』と
おっしゃった。
御自分の体について(思うようにならない)ことの嘆きです。
暗い調子ではなくどちらかというとヒョウキンな声に
私の隣の難しそうな顔をしたオジイサンまでがプっと笑いました。

笑いムシがつきやすい私は暫く腹が痛かった。

(しょうがない)時は笑いとばすしかないようです。
お年寄りの知恵ですね。


著名な作家の多くは日本語のみならず外国語に堪能です。

明治以降でも、鷗外、漱石、百、荷風・・
現代は当然です。

言語学者になろうと云うレベルの才能はともかくも
外国語に堪能であることが日本語上達に資することには
間違いがなかろうと思います。

よく似たことに詩人は方言の達人というのがありますが
これは私がそう思うだけでして、異論もあるかなあ。

地方からの大詩人が圧倒的に多いですね。
詩が上手くなるためには地方出身でなきゃならないような
気さえおきるほどです。

上記のオジイサンの広島弁でも言葉に力があるから
ユーモアになっています。

言葉というものは持ち合わせ種類が多いほど力を発揮する
ようですね。


私が30を過ぎて塾業界に入ったとき、暫くは授業を共通語で
していました。
なんとなく当たり前のような気がしていたのです。

あるとき広島弁での授業の方が圧倒的に力があることに気付き
というか他人の広島弁の授業を聞いて気付いたわけです。

照れくさくはありましたが広島弁に変えました。
ギャグもすべらなくなりましたね。

方言には力があります。
共通語で授業する人は方言を使わない自分を大切にし
方言で授業をする人は生徒のために気取りを捨てた人とも
いえるかもしれません。


おかげで私がときたまキレて営業マンなどにクレームを
つけるときの方言には力がありますねえ。

さすがに「カバチたれんなやー」のレベルにまでは
届きませんけれども。

(もし、そんなのを言われたらビビルでしょうね)

「なにょー言いよるんなら」程度は言います。
まあ、オゲヒン。。。

クロワッサンのグラタンなんて作ったなあ

2010-03-29 21:50:23 | 食べる
2006年の10/26当ブログにクロワッサンのグラタンを書いています。
初めのころはレシピもマジメに書いていましたね。

あれからずいぶん色んなことがありました。

体重もダイエトしたものの少しリバウンドしかけ今は63㎏
もう少し落とさないと、とは思いますが
安定しちゃってます。


さて、米飯は太るか?

弟は結構アルコールを飲む方ですがたまに断酒すると
太ると云います。

米飯がそうさせるのでしょうか?
アルコールそのものは体に残らず、酒に含まれる糖類が
蓄積可能な部分ですから、場合によれば米に変えると
太るかもしれません。

昔は痩せた酒飲みが多かったですねえ。
ツマミなどなく酒ばかり飲むのですから。

米飯そのものは茶碗一杯で200Kcalくらい 
カロリーの割には結構重たいですね。120gくらい?
(厳密な数字を知りたい方はネットでお調べください。
私は例によってアバウトですから)

クロワッサン一個でも200Kcalくらいですが
重さは米飯の1/3くらいです。

同じカロリーをオリーブオイルだけでとれば
大匙2杯だそうです。
重さは米飯の1/5以下でしょうね。
(イタリアの農夫は以前、油だけの朝食だった)

ご飯を食べる量によっても違いはありますが
同じカロリーを摂る人でも上記のようにとりあえず
おなかにある重さが違うということになります。

食生活により1kgくらいは違うのではないか?
それを、米飯は太ると云うのかしらん。

美味しいから米を食べ過ぎるということもあるでしょう。
でもアメリカ式の食い物の方がデブを招きますよね。

米飯ならばこれくらいは食べる、というイメージがその人なり
にあると思います。
で、イメージどおりに食べないと満足しないのではないで
しょうか。

それが加齢にしたがって食べすぎとなる→私です。

洋のものならば、クロワッサン一つでもよいとなるのに
和ならばご飯半膳にしづらいものです。


学生の勉強においても、どれくらいが(当たり前)か
人によって違いが大きいようです。
家庭の文化の違いも大きく影響すると思います。

その辺りの話は明日続けますが、話の持っていきかたが
いつもに増して強引ですねえ。
下手な文!

趣味は無料で

2010-03-28 14:30:57 | 塾あれこれ
折角、楽しいことをやろうというのに金の心配では
面白くありません。
趣味にお金をかけてはいけませんね。

お金を使うことを趣味にできる人は別です。
使える金が殆どない人間はタダの趣味が宜しいようで。

もっと良いのがお金が増える趣味。
趣味で金を使うのよりエライ。

一時「仕事が趣味です」というのが流行りましたが
お金が入ってくるから最上の趣味かなあ。

ただし、仕事の種類によりますね。
少なくとも普通のサラリーマンは趣味に向かない。
塾講師というのは、なおさら向きません。

以前進学塾に勤めていて「外から見るのと違って
中に入るとそんなに良い仕事じゃない」とこぼすと
上司が「合格した子や保護者の方の笑顔があるじゃん」
と言われました。

確かに報われるような気がします。
(本当はこちらがお礼を言うべきなのに)

単なる受験請負業ならそれでOKでしょう。

でも、もっと別の可能性があったかもしれないなら
手放しで喜べるか。
100%希望通りの結果が出せているか。

自分の仕事がいかにあるべきか方向が定まっているか。

レベルが低い愚痴は別としても上記を考えると
やはりお勧めできる仕事と思えませんね。


閑話休題。

金のかからない趣味でした。

・・散歩、作句、TV、ラジオ

くらいしか出てこないのが恥ずかしい。
もっとも、どれも、ほぼ金は掛かりません。

必要経費は電気代くらいかなあ。
習いに行くことはしません。
ハウツー本での勉強なども極力しません。

(ハウツーを書いて教えるのが趣味)の人間に儲けさせることは
ないじゃーありませんか。

金儲けのために作られ続ける季語、規則なんてねえ。

ちょっと可愛いオネーチャンならひどい俳句を作っていても
有名になって「活躍」できる世界って、落語に出る横町の
オッショサンの稽古事と変わらないんですけれども。


私があげた散歩やTVを趣味と言えるか、は問題ですが
ほぼ無趣味の人間がムリに挙げるのですから
大目に見ていただきたいものです。


昔は映画観賞が趣味でしたが、最近はトンと御無沙汰です。

『オーシャンズ』とか『アバター』とか地方都市でも
見ることができるものに食指は動きかけたのですが
結局止め。

Jデップの『アリス』には行きたいですね。
あとは当面の予定ナシです。


金のかからない超簡単料理は趣味と言えますか?

ピーマンを強火で30秒ほど炒め塩を振る、とか
牛脂で玉ねぎを炒めて丼
ご飯だけの焼き飯に鰹節、醤油
スジ肉の蒟蒻煮
などなど

近年は前日の残り物を翌日どうするか、のアイデアに
参加するのも楽しいものです。

カミサンの許可が出ないのが
バターと醤油だけのパスタ

はは、何だか油ものが多いですねえ。


そうでした、ブログって趣味?
ならばこれも電気代以外は無料でした。

私の目にはいったい何枚のウロコが。。

2010-03-27 14:40:43 | 本の話
いったい何枚ウロコが張り付いているのか、
鼻炎の時の鼻水もあきれるほど出ますが
今回は目です。

本当に何枚?と思うほど次々とウロコが落ちてゆきます。

『漢文脈と近代日本』齋藤希史著 NHKBOOKS

言葉に関心がある方ならすでにご存じの本かと思いますが
未読の方、ぜひお勧めいたします。

特に教育関係者、趣味で言葉に拘わる方(俳句をひねる、とか)
そして歴史や政治に興味がある方など。


『竜馬伝』を見るのでも、この本を読んでいれば・・

先週に終了した『特上カバチ』でも、例えば『特捜検察の闇』を
読んでいれば櫻井君演じるタムラの気持ちがもっとリアルに
分かったように。


幕末あれだけの人々が国を憂い、維新後も自由民権運動などに
つながり、日本の近代化を促していった力はどこからきたか?

経済情勢、外圧、など多くの分析が可能でしょうが
言葉の面からとらえなおそうとした本です。

比喩的な表現ではなく1ページ進むごとにポロっですよ。
ウロコが落ちる音。

なんでこんなことに気付かなかったのだろう。
疑問にも思わなかった自分のウカツさを恥ますね。

また言葉を扱う(たとえ小学生の作文指導レベルでも)人間として
基礎知識を整備しておく必要があります。

江戸時代=古文
明治=言文一致~鷗外、漱石

なんていう教科書的イメージだけで教えているのは
語感を間違えるモトかもしれません。


本は、幕末の状況と日本語だけのもではではなく
その内容についていろいろ触れたいのですが
ネタバレは慎まねばならないでしょう。
(日本語がどう出来上がったか、興味深いものです)

とにもかくにも、一読をお勧めします。

筆者は1963生まれの若い?学者、本来は難しい漢文や訓読文
なども、読みやすいように工夫されています。
(二項対立ばかりのレトリックには途中から飽きますが)

貧乏人にビンボーと言うな!

2010-03-26 10:55:56 | 塾あれこれ
半世紀以上モテナイ君を続けた今だって(ぶおとこ)などと
言われたらムっとしますな。

年取れば味わいの一つも出るか、と期待していたのですが
んなものカケラも浮かんではきません。
ぶお~っと生きてたらダメなようです、やっぱし。


きつい話ですが貧乏・自己責任論なんてありますね。
本当かもしれません、違うかもしれません。

ただ一つ言えることは「ビンボー」と言われたら
良い気はしません。
ブオトコと同じですな。

なぜか・・
そこに差別の臭いがするからでしょう。

発する方は「そんなツモリはない」などと言い逃れをする
に決まっています。
「そんなつもりだと云い切れる証拠でもあるか」
なんてギャクギレしてみせたりして、あとで笑っています。

もしも本当にそんな気がなかったとしても
相手のことを考えれば言えるわけはありません。

そもそも、そんな発想があること自体が問題、ってことも多く
ウヨクの範疇に入る人にこの手の居直った言動が多いですね。
「傷つくなんて勝手に言うな」とタチの悪いことを言います。

こういう連中に付けるクスリが、また、無いんだよね。


報道されているところによると、広島市の五輪誘致に関して
市議会が反対を打ち出したところ
JOCのエライさんがコメントを出されたそうです。

いわく
「市議会は五輪誘致を経済的にプラスではなくマイナスと
 見たのだろう」

耳を疑るような発言ですが、ホントウかなあ?
「お前らは金、かねとしか言わない」ってんだから
バカにした話です。

もともと招致活動が一つの政治運動かもしれません。
同時に市議会の反応も政治対立優先かもしれません。

しかし、それらとは違うレベルで市民の反応もあるのです。
招致反対派には地方財政の状況が論拠の一つという人も
おられ、それなりに分かる話ではあります。

であるなら「経済的にプラス」なら良いのか。
だれがそんなことを云ったのでしょう?

JOCの理事が何サマか存じませんが広島市議会を
(地方のビンボタレ)とは失礼な話です。
いかにも中央からの蔑視光線が出ているじゃありませんか。

私は「可能性の薄いことに金や時間をかけるな」と考えます。
これ以上ハコモノに注ぎ込む余裕は無いはずだとも。

アジア大会で懲りたはずなのですが。

たとえ経済的にプラスでもJOC委員が五輪やりたくても
地方政治には優先順位が低いことなのです。

五輪には夢がある、だの言うなっての。
金が絡むとは言えそうですが。

世界平和の発信とか言うな。
五輪じゃなくて発信しろ!

半世紀を超えてモテナイおじさんは何故か怒りっぽい。。。

竜馬の地層

2010-03-25 19:21:55 | 塾あれこれ
『竜馬伝』快調ですね。
素材と言いますか主人公としてのイメージがよいから
(実際は、ああではないかも)という知識が多少あっても
それとは別の次元で楽しめます。

昨年の紅白の感想でも触れましたが
福山雅治という人への追い風もすごい。


同じNHKの『タイム・スクープ・ハンター』の演出が
ドラマらしくない仕立てにしてあり、そうだったかもしれないね
という感覚にさせてくれます。
新しい試みですね。

結構、笑えるところもあります。
笑っちゃ叱られるかもしれませんがSF仕立でフザケテルといえば
そうなんですから、それはない!と大笑いしてもよいでしょう。

『竜馬伝』もどこか上記『T・S・H』と似ている空気があり
これも、今の時代を反映しているのかも知れませんね。


竜馬の演出といえば40年前の大河ドラマ『竜馬がゆく』
あの時、演出が途中で和田勉に変わり、そこからモーレツに
リアルなものになっちゃったのには驚きましたね~。
今でも鮮烈に思い出します。

賛否両論。大騒ぎでした。
竜馬、という世界は新しい演出を呼びやすいのかしらん。


幕末、多くの人が熱い心で国を語りました。
真剣に「憂う」のです。

竜馬や武市は傑出した存在であったとしても、それ以外にも
大勢の人間が「沸騰」していたわけです。

沢山の人が生死をかける意気込みで、悩んだのです。

大勢がそうだったから(武市や竜馬)が出現したのです。

しかし・・・民主主義の時代でもなかったのに。
ただ黙って仕えていたらそれでも良かったのに。
口角泡を飛ばし、目を吊り上げ、時には友人を失って。

どこか'70年ころの若者にも似ていますね。

そこまで真剣になっても世の中が簡単に変わるわけはない
のですが、沸騰していましたねえ。

幕末の志士たちは、国を支える官僚である侍であっても、
意思決定には参加できず、上意下達で動くしかなかったのですが
それでも国を憂えた。。

建白、直訴、脱藩・・果ては暗殺まで(幅広く)政治参加を
する人間も出てくるわけです。

もちろん人様々ですから、侍以外でも憂う人間もいたし
侍でもクールなのもおり、超現実家もおり
もちろん腐った高級官僚もいた。
(以前、ブログに書きました)


その幕末、国を憂う人々のベストセラーが
頼山陽の『日本外史』でした。

推計の人口が3千万の時代に、木版で25万部。
今の人口なら百万部を超える大ヒットです。

齋藤希史著 NHKブックス『漢文脈と近代日本』には
「発行部数は30万とも40万ともいわれている」と
書いてあります。
幕末維新期という長い時期での数字であるにせよ
もし40万なら、現在では160万に匹敵するメガヒット。

本は『バカの壁』より難しいですよ。
漢文ですから。

たとえば

「欲忠則不孝 欲孝則不忠」

(忠ならんと欲すれば則ち孝ならず、
 孝ならんと欲すれば則ち忠ならず)
有名なところだけれど、若者は知らないでしょうね。

今の目から見れば不正確な内容が多いそうですが
当時はみんなこれを読んで、世情を憂えたのです。

(続きます)

夢を語らない政治家は要らない

2010-03-24 14:20:41 | 塾あれこれ
夢を語らない人間を信用できますか?
子供に向かってどんな大人になってほしいですか?

仕事をする大人は別ですか?
どんな仕事で夢が不要でしょうか?
私には思いつきません。

ところがなぜか政治家は現実主義で夢は語れない
とされてきたようです。

そんなことはありませんよね。
現実主義的に仕事をすることと夢を持ち・語ることと
矛盾するものではありません。

兵隊であれゴルゴ13であれ超リアリストであると
同時に夢がないわけではないでしょう。
遠い将来の目標、課題を持たなくて仕事はできません。
ルーチンワークだけを仕事と思う人はダメな仕事人。

国際政治だって現実に足をおきながら理想も必要です。

自民党系の政治家や御用学者は間違えているのです。

夢が要らないのであれば政治家は要らない。
官僚が仕事をすればよいからです。

現実主義とばかり言ってきた政治家は自己の存在意義を
官僚に預けそれ以外のこと(何だろう?)をしていた。
したがって現在の官僚主導型政治という、妙な怪物が
できあがってしまいました。

実は官僚も政治家の被害者かもしれません。
本当に良い仕事がやりにくくなっているのです。


温室効果ガス25%削減を云う鳩山首相は政治家には珍しく
夢を提示しようとされます。
これは評価できることですね。

もちろんその実現可能性には大いに疑問が残りますし
いまだに何もアクションを起こしていないように見えることに
不満もあります。

けれども諸外国にはとりあえず評価しておくという処が多いはず
で、今までの日本とは違うかもしれない、という目が生まれて
いると思われます。

唐突ですが、クロマグロの禁輸問題で日本の案が支持されたこと
の裏には、いつまでもアメリカの子分ではいないという姿勢への
理解が横たわるはずです。

米軍基地問題も同様です。
あの日本がアメリカにモノを言おうとしている!
日本も少しは本気かもしれない。

そんな日本にむけ、アメリカはEUのマグロ禁輸案に賛成し
嫌がらせをしかけているようです。

日本がやっと普通の国に歩き始めようとしている、ならば
ここは日本の側に賛成してもよい、という空気もあった。

もちろん、採決の基本は利害関係が一致しただけです。
中国の力も大きかったようです。

しかし嫌われっぱなしの今までの日本であれば票の伸びが
違っていたのではないでしょうか。

繰り返しますが、クロマグロの逆転勝利には蔭で鳩山首相の
政治姿勢が力を与えています。
これこそが政治家のなすべき仕事なのです。

川口元外相が鳩山首相に「あなたは夢想家」と云ってましたが
では彼女は外相時、何か仕事をしたのかねえ?
現実主義者は仕事ができない、ってのもヘンですね。


今回、珍しい逆転勝利がよほどうれしかったのでしょう、
外交の裏話が沢山ながれています。
成功を宣伝しておきたいのでしょうけれど
ちょっとハシャギすぎかなあ。

つらいことも多い責任を果たす努力が待っています。


寒い日にはどうしても電気を使い、悩む毎日です。

鳩山さん、政治家の家庭での温室効果ガス対策
早く開示してください!
よろしく。
25%がよいとか10が良いとか言わず、とにかく
スタートしませんと。

地球温暖化が正しかろうが正しくなかろうが
とりあえずエコを実践し始めるべき緊急時なのですから。

小野竹喬

2010-03-22 14:28:31 | 塾あれこれ
今、東京で大規模な回顧展をしているそうですね。
NHKの「新日曜美術館」でも取り上げていました。

見にいきたいですねえ。
金がないからムリだけど。

竹喬の故郷、笠岡に竹喬の美術館があり
訪れて良かったことは昨年10/12にも書きました。

その訪問時に東京での回顧展の予告も見ましたが
やはり見にはいけませんでしたねえ。

代表作が並んでいるところを一度見たかった。


もともとはそれほど惹きつけられる画家ではなく
(悪くない)程度でしたが近年少しわかるような
気がしています。

鬼面人を驚かすタイプのほうがメディアを通しては
目立つし、若いうちは面白く思います。
従って大人しく見える竹喬はさほど、でしたね。

しみじみと空を見る、なんて若者にはあまりない
というか、何か事件があって印象に残った空ならあっても
何もなくても美しい空、海ってのは平凡な感性しかない
私には縁遠いものでしたから。


自然は芸術を模倣すると云いますが
笠岡の海は美しい。
竹喬の世界そのままです。

町は昔の残像をほとんど残していないようですが
さすがに、海と光は結構昔をしのぶことができそうです。
海岸に無粋な工場などが目立つけれども。

よい海だったろうな、と思えるのは
竹喬のおかげでもあります。
芸術の力ですね。

またこの海を見れば竹喬の世界が良く分かるともいえそう
です。

経済格差と学力格差

2010-03-21 11:00:33 | 塾あれこれ
以前から言われていたことであります。
最近強調されることが多いようでもありますね。

経済格差が深刻になり学力との関係で問題が大きい
との認識が強くなっているのでしょう。

まず、押さえておかなければならないことは
よく分からない面が多いということです。

「きっとそうだろうな」と思い易い面があるだけに
逆に気をつけなければならないのです。

現実は、数値になりやすい所だけを研究しているのに
勝手なコメントがつくのですね。

教育の失敗の原因がここにあったぞ、と押しつける元凶
またはイケニエが見つかったフリかもしれません。

分かっていることは、親の経済力と子の学歴に相関関係が
見られるということでしかないのに。

学者や国の機関その他の調査研究で、たしかに、その相関は
明らかになってきているようではあります。

しかし、マスメディア等で気安く言われるような因果関係
までが証明されているわけではないのです。

親に経済力があるから子供が高学歴を得やすい?
・・これは証明されていません。

親に経済力がある家の子供は高学歴に占める比率が高い
・・これは事実のようです。

経済力と学力、学歴に関係はあるようなのですが、
何が原因で、どういうメカニズムが働いているか
などは分かっていないのです。

最近の、まるで因果関係が成立しているかのごとき報道や
コメントには腹が立ちますねえ。

まったく別のところに原因があり、経済力と学力の双方に
一見因果があるように表れているのかもしれません。

従って
(親が金持ち)→(塾に行かせられる)→(高学歴)
(親が低所得)→(塾に行けない)→(成績悪い)
なんて一概に云えるわけがないのです。

学校は何をしているの?となりますよね。
多額の税金を注ぎ込んでいるのに。

学校は(受験勉強のような下らないこと)は教えない?
じゃ、入試って何をしてるんだろう?
別の基準での人間選別かなあ?・・かもね。

(塾に行くから高学歴)とは宣伝になりそうな話ですが
正しいとは言い切れない話で金儲けしますか?

塾とはもっと可能性のある存在であるべきだ、と信じる
私にとってはあまりよい話とは思えないのです。

受験とは目的ではありません。
自己実現の手段です。


とりあえず、話をもとに戻しますね。

塾に行かせているから通る、という証明はありません。
ない以上「それは幻想」と云われても仕方がない
かもしれません。

もちろん幻想であるという証明もまたありません。

一定の相関はありそうですが、因果までは・・・

金さえ積めば誰でも東大とまでは言えないでしょ?
アメリカは金持ちだから賢い人が多い?


先日、更にあくどいコメントを聞きました。

学力には生活態度の相関もあるとされていることに
ひっかけて
(貧乏)→(子供の世話ができない)→(生活習慣が
 きちんとしない)→(基礎学力がつかない)
というものです。

こうなると「差別」ですね。

どんな根拠で仰るのでしょう。
しかもTVの報道番組です。

報道している側の知能指数が怪しいか(高学歴のワリに)。
あるいは、頭のよい人のとても悪質な宣伝なのか。

貧乏家庭には「努力も発展もない」というイメージを
作り出そうとしているのです。

しかもずる賢く「すべての低所得家庭がそうだというワケ
ではもちろんありませんけれども」と付け加えるのです。
突っ込まれたときの逃げ道。

こんな報道こそが子供の将来をスポイルしているのに
日本人はもう怒らなくなってしまったのでしょうか。
日本全体の将来にわたっての活力を削ぐのに。

経済的に恵まれない、といっても(高所得ー高学歴)
という循環を拒否しているだけかもしれません。
生きるということには別の価値もあるからです。

もちろん、現在恵まれていないけれども努力をして
(高学歴ー高所得)の循環に入るのも可能です。

大切なことは「低所得者層にしかるべき援助をすれば
問題が解決する」ような話に乗らないことです。
金がすべて、なんですかねえ?
も、もちろん金銭などの援助はある方が良いでしょうが。

偏見をもってボランティアの塾を低所得者向けにしている
ことだってあるかもしれません。(キツクて失礼)
繰り返しますが、金では解決しないことが多いハズです。


証明されていない話を私も一つ。
ワルノリかもしれません。

(親が高学歴)→(親の経済力がつく)→
(高学歴のメリットを子にも伝える=家庭の文化)→
(子供も努力しやすい)→(塾も応援する)→
(入試に結果が出やすい)→(高学歴)→(経済力)

この流れで社会が固定化していそうです。
俳優の子供が俳優になるように
政治家の子供が政治家になるように。
江戸時代と大差ないんじゃないかしら。

これを変えるのはお金がらみの手段ではありません。

多くの人々の(ものの見方、考え方)これを変えて
教育に力を注ぐことです。
大人への教育も必要ですねえ。

観光地

2010-03-20 11:49:10 | 塾あれこれ
観光地ではなるべく食べずにすませたいですが
そうもいかない時だってあります。

行くなら、なるべくその土地らしい店に行きたい。

どこにでもありそうな食堂でウドン定食なんて頼み
観光地価格を払わされると頭にくるし
だいたい、待たされるは、サービス感じ悪いは・・ね。

母と行った富良野の昼がそれでした。
何かあるだろうと調査が不十分で、失敗した。

観光地の店にはしばしば
「お前ら嫌いじゃ、二度と来るな」とでも言いたいのか
と思える店を見受けますね。

尾道もご他聞にもれません。

(写真は尾道ですがその店の悪口ではありません。
 昔はこんな店はなかったな、と写真を撮っただけ。
 厳密に言うと、二階から海が美しい店はあったらしい)


宮島と尾道を結ぶ太いルートをと、県庁のHPにある
御意見コーナーに書き込みをしたことがあります。
(私もヒマですねえ、つくづく)

案の定、お役人の模範のような返事がきました。
私のメイルがどうこうというより、どこでも金太郎飴式
「何を云ってもそつなく答える月給ド○○○」かな。

外部有識者に依頼して慎重審議をし活性化を図ってまいる
のだそうです。
一般の人間のチンプなアイデアは聞きたくもない、らしい。


宮島でときたま能とかの公演がありますが、それではなく
観光客向け、とくに外国の方むけに
短時間でよいから毎日何かやっているということは
できませんかね。

雅楽、神楽、能、狂言、各種邦楽・・

できればロケーションがよいところで
できれば無料


尾道なら映画上映ですね。
もとの松竹で毎日一本小津とかね。


話は変わりますが(観光地良く支隊)みたいな
ボランティアも面白いのではないでしょうか。

市や県が観光客や市民を巻き込むのです。

団塊以上が結構やってくれたりしてね。

施設、衛生、価格、サービス、などなど多岐にわたり
チェックしてもらうのです。

覆面などしなくても、恒常的にやっていれば
広島県の観光地もよくなると思います。