「父が桃太郎に殺された」という新聞の一面広告が
評判で賞もとったとか。
私も何度か見ていますからインパクトのある広告に
違いはありません。
鬼の子が小さく可哀そうに描かれ
日本国民ならだれもが知る御伽噺も
視点を変えれば・・というメッセージです。
○
実は私、違和感があるのですね。
「間違いだ」とは言いません。
でも「それだけじゃちょっと違うだろ」
私の受け取り方が浅いのかなあ。
そもそも桃太郎が鬼を「殺した」のかどうか
はっきりしませんよね。
けれども「はっきりしない。証拠はない」なんてのは
安もんのウヨクみたいで気色悪いですか。
戦前の「桃太郎」なら威勢よく殺しまくっていたかな?
○
違和感というのは言葉が強すぎるかもしれません。
一つひねっただけじゃないか、と思うのですね。
視点を変えようということは大事です。
米国がイラクやアフガンを爆撃するのを
どちらの視点で見るか。
しかしそれだけでは「かたき討ち」の時代と
何も変わらない発想です。
講談でも浪曲でも視座の転換はできますからね。
親子の情も大切です。
けれども親が間違えていたらどうでしょう。
子供はその親の遺志をつぐのか?
これも古くからある問題ですね。
桃太郎が実はテロリストだったとしたら
子鬼はいったいどうすべきなんでしょう。
逆に親鬼のほうがテロリストだったら・・?
子鬼はどうすべきなんでしょう。
「桃太郎に殺された」ので恨みを持つのか。
正義ってこの世にあるのか?
権力を握っちゃえば勝ちなのか?
人が人を殺すって、アリか?
死刑執行は?
外敵から祖国を守るのは?
テロをするウイグル人が悪いのか、
漢族警官が良くないのか。
更には、殺さなきゃ、あとは良いのか・・
デモしてもテロだと石破は言ってたぞ。
もの言わぬ羊が良いのか?
見て見ぬふりも加害者と同じではないのか?
○
困りましたね。