なぜ潰れた?Ⅱ

2009-08-31 14:04:00 | 塾あれこれ
一方的に誰が悪いと言うことはありえない。
教員が職人集団であり競い合っていたということは
コントロールしづらい面々であったということでもある。

今思えば創業塾長は普通なら務まらぬことをやってのけた。
我慢をしながら塾の一定方向を示したのである。
悪口を言えば、それしかできなかったのかもしれない。

そういう連中が上で蓋をしていて
下から若いものが育つのは難しい。

私が知る最後の数年はそういう30くらいの若い層に
室長などを任せるという体制もとっていた。
ただ実力者は誰か、生徒も親も知っていたのである。

これを解決するに塾経営コンサルタントという発想も
分らないではない。
ただ、少なくとも結果としては失敗であった。

世代交代の必要は誰もが感じており、その道を拓こう
ともした。
現実に若い中で数名は実力がついていたのである。

それを盛り上げられなかった責任の幾割かは
コンサルタントにもあるはずである。


いろいろあったが、若い者を立てた新山口塾ができた。

私はそれからすぐに塾を辞めた。

50を過ぎれば好きな仕事をやりたい。
それが山口では不可能ということは分っていた。
とうぜん独立に不安もあった。
残って楽をしたい気持ちも大いにあったのだが
新体制では仕事の居場所がなくなっていく筈だった。

若い連中が一番嫌っていた私が辞め、他の古株も
様子を見つつ辞め始めた。
井上で大丈夫なら、である。

もちろん塾としてはお辞めいただくほうが有難い
というサインは出ていたろう。


塾長も異母弟に禅譲され順風に見えた矢先である。
室長を任されていた若い連中が突然こぞって退塾し
新しい塾を作った。
めぼしい生徒をごっそり引き連れてである。
(声がかからなかった子も可哀想)

自分達の思うようになったのになぜ?と思ったが
自分達の思うようにならばともう一歩進めたのかも
しれない。

古株が多く残っていたら難しかったろう。
下剋上、やるなら今、であった。

いずれにせよ業界の常識や吾らの世代の価値観
からは非難すべき背信である。

かなりのトラブルがあったのだろうけれど。

これが引き金となり山口塾は衰退し始めた。

十年も潰れずよく持ったというべきかも知れない。

没落貴族のタケノコ生活。
少しずつ給料の安い教員にシフトをしたはずである。

実力のある教員は逃げ出し、なんとか居座るものには
肩を叩いたのではないか。

経営的な余裕がなくなっていたのである。


しかし、だ。

山口塾の強みは何であったのか?

私が辞めた後、仕事の組織化は進んだであろう。
シラバスなども充実させたのではないか。

だが最も大切な部分は個々の教員の中にあった
はずである。

私も辞めるとき一切の資料は置いて出た。
しかしそれを見て誰が使いこなせたろう。
威張るわけではない。
その人でなければ言えぬ「ギャグ」を残されて
後の人の財産になるか?
私の考えを知る人も次々と辞めたのである。

人でもっていた塾が人を手放したのである。
自らノウハウを捨てたに等しい。

他にも書きにくいことはある。
公にすべきことではないものもある。
ではあるが人を見誤ったということ以上の失敗はない。

業界の競争はすでに激化していた。
弱みを見せれば受験に強い生徒の獲得合戦において
勝てるわけがないのだ。

こうして縮小再生産、悪いことが雪だるま式に
膨らんでいったのであろう。

置いてきたつもりの私の遺産は灰に帰した。


TVで靴のABCマートの仕事が報道された。
ちらとしか見ていないが同じABCの店と店とが
お互いに競争をしていた。
あれ、なのである。
内内でも競争する。

そのためどこまで意思を統一し
どれほどの自由度があるか。
その加減に成功すれば結果がでるのではないか。

山口塾はなぜ潰れた?

2009-08-30 07:03:32 | 塾あれこれ
山口塾はなぜ潰れたんだろう。

いや吸収されたが潰れてはいない、脈々と続いて
いるというお考えもありうるでしょう。
(引き継いだのは蝉の抜け殻ちゃうん?)

以下は私の勝手な見方になります。
山口が潰れたのは、教える力が衰えたからでしょう。

私が山口塾を辞めて十年以上になります。
肝心なときを知らないので的外れかもしれません。


経営者が自塾の分析を間違えていたと思われます。
教員の年齢別構成に偏りがあったため世代交代に
失敗した面もあるでしょう。
トドメは飼い犬に手をかまれたことです。

上記3点が大きいと思いますね。
昨日も書きましたがマニュアル、カリキュラム
シラバスなどといったことを軽視した組織です。

それらがないわけではありません。
各人の頭に入っていたし運用は融通無碍でした。

細やかに書類を作る時間があるくらいならば
さしせまった現実の対応に力を注ぐほうが有効です。
(マニュアルなどの作成能力は、さほど・・・でしたが
 それらに時間をかけすぎることの愚は知っていました)

固定的なものを軽視する分、柔軟な運用をし
会議その他で細かく進行をチェックしていました。

従って個人の競争が激しく、それぞれが自分の
持てる力を存分に出せる態勢ができたのです。

組織論としては稀有の集団でした。
創業者の個性がなせるワザ、もしくは雑草の強さ。
ボスがよほど我慢強くないとできない組織です。

イメージはデパ地下。
独立した店舗が競い合いながら共存しているのです。
リスクもあります。
デパートだって他の階は客より店員が多いでしょ・・

山口塾の場合、デパ地下にいるほうが、自分で店を
つくるシンドサや不安がないという連中が揃っていた
ともいえます。
そういう年恰好だったかもしれません。

私が入った頃、30代前半の教員ばかりでした。
気力体力が充実した人間の集団ができていました。

しかし、その長所が次第に短所になります。
50近くなっても主な人員構成が変わりません。

店舗の拡大路線を、ほぼ取らなかった、取れなかった
そのツケが回ってきたのです。

後から入った私が中学部を立ち上げた以外は五日市と
己斐の2つの教室のまま、ん十年が過ぎました。
のちに高陽で潰れた塾(奇しくも若手に生徒を連れて
ごっそり逃げられたという、のちに山口が同じ憂き目
にあってしまうのですが)を引き受け3店舗めと
しましたが当初その実態は窓際族予備軍の飛ばされる
先と言うものでした。

元の塾を引き継ぐときには、その長所を受け継ぎ
経営的には山口がしっかりと責任をもつ、なんて
説明をしていました。

もちろん、勢いのある大きな塾が、生徒に逃げられた
塾のノウハウなど引き継ぐはずがありません。

暫くの間山口は実質2箇所の教室のままでした。

それでは若手が育ちにくいですよね。
いつもの連中が上にどっかといるのですから。
その連中は技能は年々上がっていますが
フットワークは衰え始めます。
給料の問題もありますね。
しかもいずれどっさりと定年退職です。


創業者は我々より一回り年上で将来の塾をどうするか
決定しなければならない年齢でした。

世間でよく見かけるような「良い組織」を作って
経営に専念したかったのかもしれません。
60過ぎればシンドイ仕事です。

デパ地下の良さが分らなかったのが敗因でしょう。

出した結論が、
若手にシフトすること。
組織的な運営をすること。
これで長期的な安定が得られるはずでした。

この結論を歴戦のツワモノに納得させなければならず
そのために経営コンサルタントを導入するという形を
とったのです。コソクだね。

塾に詳しいコンサルタントという触れ込みでしたが
結論ありきを隠しての「改革」はきつかったでしょう。

そうと気づかぬ私は反コンサルタントの筆頭になって
いました。
自分から進んでなったわけではなく、いつの間にか
他の人たちは後ずさりしていたのです。
私はまた(空気が読めなかった)わけです。
情けないですねえ。

「今までの山口を分析し、良いところは生かす改革
 をしなければならない。
 それでこそユニークな塾としての脱皮である」
何度言ったことか。

会議でコンサルタントに向かって問いました。
「山口塾は成功しているがその要因をあなたは
 どう分析されているかお聞かせ願いたい」

今思うと相当のタヌキだったか、結論ありきで
無能なのを頼んだのか、直接の返事は出来ず
ありきたりの組織を説くだけのオジサンでした。
説得力のある対論など聞いたことがありません。


将来を決定する一番重要な会議のときに独り者のオジ
が死に、葬儀のために私は欠席せざるをえなかった、
なんてオマケもついて、
めでたく新山口塾のスタートとなりました。

新しく動き出した体制の中、私はすぐに塾を辞めました。
円満退社です。

話が長くなっています。
なぜ潰れたか、続きは明日。。。

内側からみた山口塾

2009-08-29 10:56:29 | 塾あれこれ
授業をするものは、生徒が分ってくれるように
やる気がでるように、面白く、飽きのこないことを
と考えることは当然です。

授業をする条件整備には個人をこえることもありますが
かなりの部分は自分の工夫が可能です。

進学塾では必死ですよね。


ただ、進学塾は最終目標が入試合格ですから
何よりもそれが優先するというシバリがかかります。
保護者が受験で月謝を払うのですから「私は受験より
本来の教育を優先させます」とは言えません。

契約時に保護者と諒解を得るのなら別でしょうが
一定規模以上の進学塾では営業政策として合格優先と
なるでしょう。

保護者の中には、お前らが教育とは笑わせる、受験で
結果が出ればよいのだから要らんことはするな!と
おっしゃる方も。
十年たって、今はどうなんでしょうね。

もちろん教壇に立つ側の良心として教育への配慮は
できるだけしておこうとはしますけれども。

本当に良い授業が出来ていれば受験と本来の教育と
両立できないことはないのですが、ね。


広島は中学受験の競争が激烈な街です。
高校からは入る枠がほとんどないのです。
めぼしい学校の大半が高校からの募集がありません。
従来は公立高が弱かったのも一因です。

その広島でK社と山口塾が中学受験の二大勢力だという
時期がありました。
私は偶々運よくその頃の山口塾にもぐりこめた訳ですが
それ以上に自分にとって良かったことがあります。

そこはマニュアルらしきものが皆無の仕事場でした。
カリキュラム、シラバスといっても名ばかり。
職人ばかりで成り立つところだったのです。

まる九年、一般の会社で勤めた後に入った私は
ド素人として苦労しなければならなかったのですが、
かえってそれが良かったのです。

教員間の競争は激しく、火花が散っていました。

「あいつ、ぶっ殺してやる」なんてそのうち私も
思うようになりましたし
「ここを辞めるときは○○を一発殴る」とか
殴ったとか。。

そんな気が起きるくらいの職場でした。
それでも仲良く?一緒に飲みに行ってましたがね。


負けたくないから、どんな授業をしているか気になり
良い所を見つけては感心し、同じ事をしても効果は
ないので「さて自分ならどうする」と。

ギャグに頼ってはいけません。
生徒は笑ってくれていますがギャグだけだと冷たい
評価しかくれないのです。
それはあくまでも手段。

とはいえ、子供文化には気を使いました。
時には先回りして「何々を知ってるか?」


ある程度競えるようになったころ
「○○よりオレは良い授業をしている」と思っていても
テスト結果では負けて、悩むことも多くありましたね。

ヨシモトの芸人が悩むように、どうすれば数字が上がる
か、多分考えられることはすべて考え、できることは
全て挑戦しています。

私からは他の先生は楽そうに見えましたが
今から思えばそれなりの努力はされていたハズです。


それら個人的技能の向上は仕事では当然です。

よい授業をすればそれで済むのか、
子供がハッピーで先生になついてくれれば終了か
塾という存在をどう考えるか、

塾の中では受験請負と割り切っている意見もあり
いやそれではいけない、もあり

少なくとも問題意識としはて共有していました。

受験で結果が出なかったらどうフォローできるか
結果が出そうもない子にいまどう向き合う
授業で付いてこれない子は?
更には、やめてしまう子は?

合格した子もそうでない子も十年たって大人になった
ときに大丈夫なことをなしえているか。
少なくとも成長のお手伝いができているか。

成績優秀で性格も良かった子が高校や大学で自殺したり
すると皆で落ち込みましたね。


大きなことは誰か上のほうで考えるから自分の個人的な
技能を伸ばせばよい、という若い人も近年多いように
モレ伝わります。

後悔の少ない人生を願うばかりです。  

分る授業を・・ですか?

2009-08-28 10:02:54 | 塾あれこれ
よく言われますね。
「生徒が分る授業をしましょう」と。
まあ、当然の話だ、と思いますよね。

私もいくら(教えない)派でも分らない授業をしよう
とは思いません。
口幅ったいですが分る教え方ができないと
(教えない)を実行できないのです。

もっとも、個別を初めて以来授業はしていませんが。


分る授業を、という発言を聞いてまず思うのは
え?まだそんなこと言う必要があるの?

分らない授業というのは形容矛盾ですけど。。。
そう、授業というものは分って初めて成り立つもの
だからです。

しかし大勢を相手にして授業をし、つねに全員が分る
というのも神の業。

授業で分らない子がいるとすればその子には
授業が成立していないということになります。
(そういう子がでる可能性があるから一斉授業形式
 には疑問があるのです)
教員複数化・補習などでカバーすればよいというもの
ではありません。

予算がない、お金がない、から仕方ない?

それ、大人の側の都合を子供に押し付けてますよね。
あるいは組織の上部に向かって現場がなすべき上申や
改革努力を放棄していることになります。

下だから何も出来ない、給料はもらう、子供は犠牲で
しかたない、という人は魯迅によれば食人をしている
ことになります。
良心があれば早く仕事を変えるべきです。


「分る」を面白いとか楽しいに言い換えても基本の
問題は変わらないでしょう。

ゆとり教育でお題目になったそれらを支持する方は
楽しければ脳が活性化するという根拠を持ち出します。
けれども授業形式に存在する問題が解決できているか
には言及しません。

脳の活性化など持ち出さなくても「楽しい」が良いに
決まっています。

ではなぜお題目のようにそれを唱えるのでしょう?
他の問題が解決できるような空気を滲ませたいのかな。

いや、「楽しい授業をしていれば結果がでる」と
ドコソコの実績を持ち出されるかもしれません。
けれど、たとえばゲーム機で楽しくしたら平均点が
少し上がったということを、本気で歓迎しているので
しょうか。
また問題が解決すると思っているのでしょうか。

ぞっとしますね。
DSを使うことは構いません。
それより私などはつい
「ふ~ん、平均点が上がればよいんだ」
なんて思ってしまい、その人の感覚を疑います。

平均点だけでは問題が解決していることにはならない
ということが分ってて、そう言うのならタチが悪い。

いやもっと大きなことがあります。

短期のデータで大丈夫か、ということです。
人間は何十年も先まで生きてゆくのです。

それに気づかないはずがないとすると・・・・・・・


プロのラーメン屋さんにむかって
「オイシイラーメンヲツクリマショウ」とか
「明るく楽しい店の雰囲気を」
などと言えば「バカにするな」
と叱られるでしょう。

同様に「分かる」「面白い」「楽しい」って
授業するプロにとって必須の条件なのです。
そんなことを言われたら怒るはずですね。

それを大きな声で頑張ろうと言わねばならぬとすると
現状が憂うべきものであるという証拠になりますね

ゆとり教育で楽しくやってその結果どうなっているか
については誰もがご存知でしょうから触れません。

甘いものを与えすぎるとああなるんですよ。


家での学習ですか?

勉強が身につき、理解できていれば、考えたりワークを
したりすることは自然と楽しくなるハズです。
ルーティンワークでも、苦痛でしょうがないなんて
あまりおきないことでしょう。


前フリのつもりが長くなりました。
明日は広島では中学受験の双璧と言われた頃の
山口塾の授業について少し書くつもりです。

『医療のからくり』

2009-08-27 10:06:41 | 本の話
カミサンにブログは尾道か本しか書いていないね、
とツっこまれているのですが官僚主義に関する
本について、もう一冊だけ書きます。

和田秀樹著『医療のからくり』文春文庫です。

現役の医者でもある和田秀樹さんが同じく医療に
関わる方々と対話をされている本です。
鎌田實、川島隆太、南淵明宏・・

この医療の世界でも役人、大学、医者、製薬会社などに
自分の目先の利益だけを考えた世界が広がることを
様々な方向から書き示しておられます。

もちろん、反論、異論、疑問などいろいろな指摘はある
と思いますが、ここまで書いてあると本の内容が
まったくのデタラメであるとは到底思えません。

医者の世界も相当な官僚主義です。
人を助ける、なんてことは二の次でいかに自分が出世
するか、金を儲けるか、そればかりのようです。
(詳しくは本でどうぞ)

研究だけが立派な医学で、診療は劣った仕事である
なんて空気があるようです。

大学教授になり、学会の会長になりどんどん出世して
臨床医とか開業医に対すると威張るのだとか。

偉くなるためには論文の数が必要なのだそうで、
論文に向かない長期の調査研究などは、重要な事でも
敬遠されるとか。

本当にイヤになりますね。

また繰り返しますがせっせと教育して医学部に送り込み
その結果がこうだとすると教育の罪も重い。


本の中で臨床医が進むべき道についてスペシャリスト
も大切であるが(「~ガンは○○先生」みたいな)
それだけではなくて、幅広く患者を見ることが出来る
ジェネラリストも重要である、と指摘されています。

ん~、これは医者の世界のみならず言えそうですね。

学校や塾の先生も中等教育程度まではジェネラリスト
がもっともっと必要なのではないでしょうか。

ハハハ・・自己宣伝です。

少なくとも受験に関しては一人が、できれば全教科を
見るほうが有利です。シンドイけど。

生徒の無用な負担を軽減できますし
受験指導もバランスがとれます。

受験以外の勉強でも言えそうですね。


個別システムの個人塾ならピッタリじゃあ~りませんか。

ソウメンウリ

2009-08-26 11:00:06 | 塾あれこれ
日曜日は横川シネマで映画を見ました。
想田和弘監督の『選挙』

11:20AM~一日一回上映です。
10分前に行くと客は一人、モギリのおいちゃんが
「選挙、でいいんですかあ」

上映時間が2時間なので昼が遅くなるし、かといって
先に食べるのは早すぎるし、悩んでコンビニでむすびを
買って上映前に食っちゃおうとなりました。
カミサンと一つずつ!買って、映画の後で蕎麦にします。

違う種類のむすびを一つずつ買いましたが二人共の感想が
・・濃い味、塩辛い味
世間ではこんな強い味が「おいしい」らしい。
(おにぎりはローソン、だとか)


私も結婚以前はスーパーやコンビニでばかり食料を
調達していました。
そのころは濃いとも辛いとも思わなかったなあ。

外食も多かった。
というか、飲み屋だけれど。

今考えれば少なくとも高血圧になる食生活だよね。
若い頃は体が勝つけど、加齢と共に体力が落ちると
年齢に応じた病気が出やすくなるでしょう?
早い目に抜け出して良かったと思います。

じつは主に経済的理由から結婚後しばらくしてから
外食が極端に減りました。
(結婚前の約束を破ったことになります)

そして家では少しずつ薄味を目指してきました。

自分んチで寿司とかウドンとか、最初から作って
みますと塩の投入割合を舌が認識しないのです。
ウドンなんかあんだけ塩を練りこんで、出汁に一杯
醤油入れてねえ。やっと普通になります。
寿司の塩も「結構」入りますよ。

脂もそうですね。

ラーメンの汁にあれだけ入っているとは思えませんが
冷たくしてみると氷が張ったように脂がびっしり。。。
なるほど汁を飲むとデブになるわけだと納得できます。

けれどそれをプロに供されると美味しいのですね。
(一般に濃い味にすると塩分も高くしないとバランス
 が悪いみたいです)

塩分は、あとで咽喉が渇くので分りますね。

そうするとザル蕎麦は外食に良い食べ物です。

わが家では蕎麦を打てませんし。
塩分調節はつゆに浸ける加減を変えればよいのです。
粋人は先をちょっとつけるだけでいいんだい、って。

なにより近年広島で、まともな蕎麦屋が増えたことが
有難いですね。


我が家に来て食事をするような変人はいないので
良いようなものの、もしも誰かがやってくると
薄味にすぎるといわれるでしょう。

日ごろ偉そうに言ってるのがコレかよ、ってね。


ソウメンウリ、ソウメンナンキン、イトウリ
いろいろ呼び名があるようですが、今お気に入り
です。

といっても力仕事の部分はカミサンだけれど。

皆様、ご存知とは思いますが食べる部分がまるで
ソウメンのような瓜です。

煮たりするとグズグズで子供心にイヤでしたが
最近サラダで頂くと食感が良いのなんの。

本物の素麺は塩が一杯入っているので量を多く
食べられませんがこれならカロリーその他気にせず
に頂けそうです。

スモークサーモンとか、色々な味と合いそうですね。

この前は柔らかめ薄味の大豆水煮とソウメンウリ。
ドレッシングは市販のジェノベーゼ。
冷たくて歯ざわりが良くて最高!ですね。


映画の感想は30日の総選挙の後に書きます。
とても面白い映画でした。

地震誤報Ⅱ

2009-08-25 22:14:11 | 塾あれこれ
追記です。
今回の誤報は下請けのミスだったそうです。
でも下請けだったからといって全体の問題がない
とまでは言い切れません。

少なくとも下請けのミスをチェックできる態勢が
できていなかった、これは問題ですね。
下請け自身がやることと上部組織がチェックすることと
二重の体制が必要です。

それから一箇所のミスが全体に及ぼすというシステムが
どうか。
これも問題である気がしますね。

更に誤報の訂正が遅くかつ徹底していなかったとも報道
されています。
これは大切なことで、いかにもお役所仕事である証左にも
なることです。

仕事を十分に考えていないのが役所のつね?


社会の側も弱い処があったといえそうです。

お役所を信じすぎてはいけません。
こちらからチェックをいれておかねばお客様に迷惑が
及ぶのです。

これが大規模地震の前兆だったら、誤報とか解除とか
大変な影響がでることなのですが。

お役人は税金を使っているということを忘れないで
欲しいですね。
特に気象庁、みんなお偉いから・・


ただしそんな東大を頂点とする無責任な官僚体制を
ささえる人たちをつくった責任の一端は教育界にも
あることを認識しなければなりません。

塾だって多少の責任はあります。

有名中学有名高校への合格を請け負っただけ、という
逃げ口上は、こうも官僚主義が蔓延してくると
もう使いづらくありませんか?

地震・・

2009-08-25 10:20:26 | 塾あれこれ
今日は食べ物かなあ、とpcをつけ、とりあえずニュースを
チェックしますと
今朝、緊急地震速報が出たのだが誤報だったらしい、と。

個人的には昨日のブログを書いたあとだけに
「ほらね、島村さんがいうとおり」
と思ってしまいました。

せっかく多額の税金をつぎこみ多くの労力を費やし
ながら(おおかみ少年)を作っていたかもしれない。。

まずはシステムの見直しをしないと。
私が言うまでもないか。

誤報のたぐいが多すぎますよね。

ふつうきちんと動くものにしてから運用するけどなあ。

それから速報が出た後の態勢も、見直しでしょう。
安全優先とは思いますがおおかみ少年の思う壺でも
困りますよね。


わが教室のチェックもしなければいけないのが
頭が痛いところです。
本棚の上にダンボールおいてたりしてるので。
(芸予地震の時は本棚固定のおかげでモノが落ちる
 ことはありませんでしたが、もっと大きいと・・)

・・でも、もう他に置く処がないんですよね。

こまった。

『地震予知はウソだらけ』

2009-08-24 13:56:03 | 本の話
たかじんのそこまで言って委員会、に東大の
ロバートゲラーさんを呼んで地震予知は可能か
と何度も聞いています。

ゲラーさんが「できません」
たかじんがずっこけてみせます。

ご覧になられた方は忘れられないあのキャラですから
面白おかしく軽く軽くというTVにはピッタリなので
しょうが、スタジオに呼びつけて道化のように扱い
皆で笑っている番組作りに後味の悪さを感じます。

最近は番組の視聴率も上がっているようですね。
内容が薄まると毒が減って視聴率があがるようです。

ショーとしてワーワーと討論もどきをやってみせる事は
ありますが、全体に以前の緊張感がありません。
つっこんだ意見や見方が披露される事もありません。

パネラーの様子を見ていれば弛緩した空気が分ります。

「放送できない」発言をピーで隠す回数をある程度だけ
流しておけば、突っ込んだ番組つくりをしている風に
見えるのでしょうね。

んとに面白くなくなっちゃった。


いや辛坊氏の悪口を書くつもりではありませんでした。

先の佐野眞一の続きで地震の本を読んでみました。
地震関係と言うことでね。

ゲラーさんも言われるように地震予知は現在のところ
できる見込みはないようです。

ゆれが来るぞ、というのも実際には役にたたない
ようです。

島村英紀著『「地震予知」はウソだらけ』講談社文庫

これはよい意味で(読んではいけない本)です。
読まなければ安心しておられたのに・・
こんなにひどい現実か、と驚きます。

佐野眞一が指摘している内容が、一つの学問分野から
見る世界とぴったり重なるのです。

劣化というよりシロアリでボロボロというほうが
イメージとしては正確な「学問の世界」ですね。

学者はもちろん、官僚も政治家もひどい。
ということは国民が劣化しているということですが。

地震予知の世界がよく分り、またモノの考え方も
勉強になる本です。

一部に意見が突出し、政治的なバイアスがかかってるか
と疑うところがありますが、そこは読者が判断すれば
よいことでしょう。

大きな問題であるだけに必読書ともいえます。

もっとも、この本のおかげで著者は各方面から睨まれ
「国策捜査」と妙な裁判でひどい目にあったようです。

そういう意味でもよい子は(読んではいけない)

『これでいいのだ』

2009-08-23 10:13:21 | 本の話
自伝は信用できない。
改めて言うほどでもありません。
記憶は変質し美化されやすいのです。

悪質な場合は虚偽を書いていると認識すらしています。

とはいえ自伝でなければ書けない真実もあります。
万一誇張された面があるとしても著者の頭に残る
(真実)を伝えることは大切なことです。

普通は読む側が留保していればよいのです。
資料として使う場合はその人が精査する、
これでいいのだ。


赤塚不二夫の自伝も上記の面は避けられないでしょう。
彼自身がそのことを繰りかえし自伝に書いています。
さりげなくイヤミにならないように。

この人はなんて意識的な人か、それで分ります。
自分に向けて正直な人でもあるようです。

無意識の誇張があるかもしれませんが、記憶は鮮明。
そういう世界で天才が育まれたわけです。

タモリが赤塚の葬儀で白紙を前に弔辞を読みました。
凡人には計り知れない彼らの世界を垣間見せること
でした。


赤塚不二夫著 文春文庫『これでいいのだ』は
面白くてかつ、ためになる本です。

彼の成長を年代順に読みながら
 満州における日本人の様子
 みんな貧しかったこと
 父のシベリア抑留
 彼は帰還後心身ともに尾をひいた
 家族が別れて暮らすこともあった
 父は怖く、母は必死で働いていた
 学校に小児麻痺の子供がいた
 家計が苦しく様々な副業をしては挫折した
 親戚とトラブルもあった
 最大の娯楽が映画であった

戦前は知りませんが、団塊の世代なら御馴染みの
世界が広がります。
私たちもよく似た世界を生きてきました。
(私もこの本とかなり重なります)

団塊の世代は戦後生まれにもかかわらず戦前の事を
感覚では分るというのは戦争に負けても文化の変質が
一気におきていなかった証拠です。

戦前、戦争、戦後暫く残っていた古き良き日本。

こういったことを知らない世代こそ読んでもらいたい
ですねえ。


その文化に育てられながらそれを引き継がなかったのが
団塊の世代です。

私の知る同世代人も「子供に対しては友達感覚の親で
いたい」なんて言ってましたもの。

世界的な流れが日本も例外扱いしなかったということ
でしょうが、無意識といえるくらいそれに飲み込まれ
今頃になって失ったものの大きさを感じ始めている
のではないでしょうか。


佐野眞一が指摘した(劣化が続く日本人)
その劣化する前の世界が『これでいいのだ』

本当の教育はここにある「父母の姿」でしょう。
道徳の時間に習うような世界とは反対ですが。

私たちは思いつきの教育論や文化論よりもむしろ
こういう本から学びを始めるべきなのです。


赤塚が漫画で数学や科学を教える本を出しています。
(『ニャロメのおもしろ数学教室』など)
歴史以外ではそんな試みを知らなかったので
新鮮でしたねえ。

今は無き山口塾の授業でも使った記憶があります。