作ったような話

2008-11-30 11:16:31 | SONGS
まるで作ったような話です。

私は長い間韻文が苦手でした。
少数のものを除き、どこが良いのかも分らない。
とくに作るのは嫌でしたね。

最近、真似事で作るようになって初めて少しずつ
韻文の良さが分るような気がしてきました。

作るといっても何かあればその時だけですから
平均して一ヶ月で一句か二句、そんな感じです。

始めたのは十年ほど前です。

前の塾に勤めていた頃、腰痛に悩まされていました。
とある正月、まったく動けなくなったのです。
カミサンは前からの約束で田舎に戻り、
私は一日家で寝ているだけ状態です。
読書も面倒、TVも飽きる・・

なぜか俳句をひねろうと思い立ったのです。
時間は(死ぬほど)あります。

・・出来ませんね。

塾では子供に作れなどというくせに、情けない。
結局、そのあと一ヶ月かかって数句ひねりました。
探せば手帳はあるはずですが駄句ですから不要です。

それから何年も作りませんでした。
ある時期、ふと川柳を作り始めて、そのあと俳句に
移りました。
それもバラバラと自己流です。勉強はしません。
時間がとれませんよね。

やっとヒトサマに見せられる二十句がたまり
4pのホッチキス綴じを母に見せました。
どんな人でも分る句でなければなりませんしね。

母は小学校卒、本などメッタに読みません。
勉強することにコンプレックスを持っていたかも
しれません。

読んで一言
「こういうものはよくわからない」

自費出版してデディケイトする淡い気持ちも失せ
ふたたび時たまの作句だけになっていましたが
四、五年前でしょうかポロリと短歌ができた。

それまでは大変難しいと思っていたのに俳句より
楽だと分ったのです。

こんなことも分らなかった?と思いましたが
長いぶん作りやすい人が多いでしょうね。
気持ちを書きやすいし。

私も何かあれば、久しぶりの友に会ったとか
一年前のように気持ちの整理がつかないときなど
短歌を作るようになりました。


最近少しずつ母の遺品を整理し始めました。

小さな手帳が数冊。
メモに混じって歌があります。
ヒトサマのものを写しただけではないようです。
自作もある。

驚きましたね。
そんなことは全く予想していませんでしたから。


母にとって最も可愛かった末っ子=弟は勉強しないで
高卒で就職し、それから一念発起で大学受験。
一事が万事そのような心配をかける子だった様です。
予備校にも行かず浪人しましたが運よく合格
そのときに作ったと思われる歌です。

『浪人になべてきびしき受験をば独学で得し栄冠の光る』

上手くはありませんが気持ちが分るような気がします。


さっきラジオで♪丘を越えて、が流れました。
大好きでよく歌っていました。
細い声を思い出します。

明日が命日です。

ないないづくしで情けない

2008-11-29 10:20:01 | 塾あれこれ
今に始まったことではない。
わたくし、可愛くない男である。

以下ぐぢぐぢとした話にはしないつもりだが
面白い話にはなりそうもない。 (やっぱりね)

文才があればひょうきんにも書けようが。。。


最近、ないないづくしである。

お金はないがその話では、ない。
女性にもてないがその話でもない。

なにしろ(ない)ので困った。

見舞いに行ったらいなかった・・これは書いた。

どうも悪い癖で何でもブログネタにする。
子供なら「~に言いつけやる」だが
いまの私は「ブログに書いてやる」となっている。

当ブログに書かれても相手は痛くも何ともないのが
情けないとゆーか、人畜(推定)無害だなー。


見舞いに行く前に別件で知人の個展に挨拶に行った。

相手は来客を応接中でもあり、こちらは見舞いの後
仕事が待っている。
土産だけを置いて、そそくさと失礼した。
「ごめん、ちょっとこれから県病院・・じゃあ」と

ご機嫌を損ねたようである。
こちらの詫び状にも暫くして印刷葉書一枚。

下手な絵で来いというほうがズブトイんじゃない?


親戚に(お返し)を送ったら何も言ってこない家が
ある、

~してるハズなのに案内が来ない知人もいる、

Eメイルの返事がない若者がいる、

・・などなど。

いちいち書けばそれなりに私の言い分を納得いただ
けると思うが、それもシャクがつのる。

ブログを書くこと自体が私の場合自己顕示欲の表れで
けっして品が良い行為とはいえない。

さらに書いた記事も読む人がいなければ、情けない。
秋葉原の犯人と似た状況になりかねない。
・・危ないネ。

品がない毎日であるが、それと(ない)のとは別の話。

年賀状に返事がない程度の軽い失望感に捕われるが
軽いジャブでも数打たれりゃ効いてくる。

期待をすること自体が甘いのである。分ってる。

それでも、フられてあとひくモテナイクン。


昔は手紙でよく悩んだ。
しばしば返事がないのである。
悪いことを書いたかといつまでも気になった。

なに、自分だって同様のことをしている。
張り切ってよい手紙をなどと思っているうちに
タイミングを逃してしまうのである。

手紙だけじゃない、恥ずかしき失礼の数々、
思い出すと暗くなる。

今回の私は偶然が重なったのであろう。

日ごろのバチがあたっているかもしれない。
そう思うとヘコむ。

救いが(ない)

わかっちゃいるけど止められねえ

2008-11-28 09:33:45 | 塾あれこれ
植木等は「やめられねえ」でしたが
このタイトルでは「とめられねえ」

今回はじけた米国のバブルは多くの人がそれを認識し
またその崩壊をおそれていました。
アメリカ自身が昨年夏にはサブプライムローンを
騒いでいましたよね。

それでもはじけるまでは何とかなるかもという気分が
あったようです。

はじけるまでバブルの認識が薄かった米人も案外多い?

他には、はじけるまでの間に稼いでやろうという人も
結構いたのではないでしょうか。
一種の(確信犯)ですよね。


詐欺とか使い込みとかいう犯罪のニュースを見る
たびに、なぜ直ぐ分ることをするのか、不思議
でした。
よほど追い込まれるのかなあ、と。

最近、それだけでもない、と思い当たりました。
このトシまで気づかないとはウカツにも
ほどがありますが。

直ぐバレることは計算に入れてあるのです。

捕まっても構わないから金を稼ぐ、のです。
とんでもない話ですが、犯罪でなくても似たケースが
多いようです。

上記バブルで儲けるのもそれ。

会社経営で、潰れても構わないから、潰れるまでに
儲けておこう、というのもあります。
可哀相なのは雇われているほうです。

経営者のハラも読めないで勤めているのだから
負け組予備軍かもしれませんがね。

たとえそんな経営者の支配する企業でも大きすぎれば
潰すわけにはいきません。

世界同時不況が深刻にならないように皆で手をうち
必要があれば多分事実上無制限に資金を注入します。

デフレになるかもしれない、不況が心配だ、という時
他のリスクを構っている余裕はありませんから。
これ以上悪く出来ないので投入もやむを得ません。

そうして、現在でも過剰になっている通貨の流通が
更に更に増えてゆくのです。

次には世界同時インフレの危険が迫ります。
私に言わせれば、必ず!

但しいつまでデフレが続くか、いつハイパーインフレ
に変わるか、時期は誰にも分りません。

「リーマンショック」は突然に襲うのです。
庶民は、なすすべを持ちません。

今の若い人は貯金がお好きと聞きます。
せいぜい貯められればよろしいですが万一インフレに
なったら損することくらいは知って欲しいですね。

とはいえ、年寄りでも性懲りもなく外貨で損する人も
おり、株で損したり、商品取引それも先物で損したり
いつの時代にも歴史に学ばない人が多いようです。
ポートフォリオなどと吹き込まれてそれを信じた
ツケが回ったのでしょう。

何でそんなバカに金があるのか、妙な国ですが
老後の生活設計が狂ってカワイソウではあります。

そこへゆくと貧乏人は気楽だねえ。

お金持ち、タイヘンですってね

2008-11-27 13:48:15 | 塾あれこれ
オバマ新政権への期待もあり世界経済は少し休憩を
とっているようです。

ただ1929年の世界恐慌などでも時間の幅が広い
ですから、なりゆきによってはこれから更に
悪くなることも十分に考えられます。

中学くらいで習いますが1929年10月のNY株暴落
から始まった世界恐慌だって日本などはそれ以前
からタイヘンな不況でした。

同年5月すでに『蟹工船』が発表されています。
その前1927年には、かの大臣失言から始まる金融
恐慌で銀行が潰れています。

29年の世界的状況を深刻に捉えられなかった日本は
1930年金解禁を断行し、結果として世界恐慌を強く
呼び込んでしまいました。

逆に言うと不況は連続的に悪化するということで
政府でさえ予測できていないのです。

現在も安心している場合じゃないかもしれません。

先の話を続けると日本では32年くらいまで大不況が
続いたようです。
その間、満州事変が起き五一五事件がありました。

海外へ向かった日本も国内の冷害や不況は続き
37年の日中戦争に向かうのです。

米国だってニューディール政策だけでは回復せず
第二次大戦まで引きずっていたのです。

歴史が教えることは、不況を長引かせると
戦争が誘引されるということです。

戦争になると不況とは比較にならない死者が出、
破壊が進みます。
武器も世間に流出します。

世界中がそうはならないように努力をしている
のですが、特に日本は戦争は困りますね。
食料輸入が困難になることだけでも・・

ただ「なんとかなるさ」は甘いかもしれないと
32年の人間に42年の日本は決して想像をできない
ことであった、これらを踏まえて経済の見通しの
暗いことをもう少し述べますが

ハイ、例によって続きは明日、・・たぶん。

八幡川の水鳥

2008-11-26 22:18:56 | 塾あれこれ
写真もない短いブログです。

先日新聞の地方面に八幡川河口にヘラサギが
と出ていました。

日本では鹿児島辺りまでいる鳥だそうで
広島には迷ってきたのでしょう。
双眼鏡を持っていつもチェックしていないと
珍しいのに出会う事はありませんね。

それでも今年は鴨の数が多いようです。
いつも数百羽はいます。

どこか他におりづらくなったのかもしれませんが
当場所でのワッチャーには有難い光景です。


塾の先生で写真が趣味の方がおられ
この一、二年「八幡川はどう?」と聞かれます。

暗に案内せよ、と言われているのかもしれませんが
私は冷たいので内心「自分でいけば~」

若くて美しい女性になら態度は違いますが
オジジじゃいけません。(失礼)

ところが、今その方が入院されているのです。

今年は八幡川に水鳥が多いのに入院していては
写真が撮れないじゃないですか。

早くよくなって頂きたいと心から思います。
生徒も待ってますから。

川へのご案内はしないけど。

きちんとしていれば忘れない

2008-11-25 12:45:43 | 塾あれこれ
忘れる、ということは
先に覚えていることが必要です。
覚えていないことを忘れることはできません。

駅の雑踏ですれ違った人を後で認識できなくても
忘れた、とは言いません。
もともと覚えていないのですから。

覚えていたことがあって、初めて忘れるのですね。

確かに十分に覚えていなくても「忘れた」という場合
もあります。名刺はあるが顔は忘れた、なんてね。

それは、今認知できない、あるいは思い起こせない
という使い方ですが、記憶することを(忘れた)に近い
といえるでしょう。

通常は、忘れるとは覚えていたことに対して使います。

あるいは、覚えていなければならないことを忘れる
または、覚えていてもよいことを忘れる・・

繰り返しますがキチンとしたインプットが前提です。


さて昨日書いた大学教授の話です。

分数は出来ないのか、忘れたのか。

じつは二者択一にはならないことです。
(究極の選択には気をつけねば)

大学生になった時点で「できない」ので
忘れていても「できない」のです。
「出来ないじゃなく忘れた」というのは少し変。
(できないのは忘れたから、ならありうる話)

では分数について(忘れた)ということが当てはま
るでしょうか。
忘れてよいものかどうか、私は年号を覚えるのとは
ワケが違うと思います。

分数ができないということは割合の考え方ができない
ことであり算数数学では致命的です。
実生活においても同様で割合の考えができないと
たいへんです。

大人になって微積分やルートの計算ができないのとは
違いますね。

分数はできていなければならないものです。
お金の数え方と同じくらい、といえばオオゲサかな。

とにかく、忘れたでは済まないことで、だから
『分数ができない大学生』がショックだったのです。

ルートができない、とは違いますね。

そこで、忘れたというよりも、もともとマスターが
できていなかったと思われるのです。


大学の教授が「忘れた」というとき、もとはマスター
していたというイメージを与えますよね。

やりかただけで対処することをマスターすると
思っておられるのかなあ。

本当はマスターしていれば忘れる類の話では
ないのですけれども。

若干、現状肯定的な話に聞こえますね。

一流大学の生徒を相手にしているので認識が甘い?

忘れたらまた勉強すればよい、では不十分で
なぜ「忘れる」ような勉強になっていたかが問題です。


上記の話よりさらに重要なことは

分かっていないことを大人が把握できていない、
分かってなくても次第に分かってゆくような成長を
しない、
分かっていなくても進学できてしまう

これらが問題です。

一斉授業形式から少人数個別に変わってより強く
感じるようになったことです。


実は阪大教授の話にはもう一つ大きな?が。
教科書作りにも関わる方だけに気になることです。

・・いずれ別の機会に。

分数を忘れた?

2008-11-24 15:13:00 | 塾あれこれ
ラジオで、とある有名な方のトークがありました。
土曜日の放送です。

言葉の専門家、作家、劇団指導者、大学教授・・
という肩書きですが、ひとつひとつが立派な仕事
ばかりです。大学だって超一流国立大学です。

なかなか興味深い話題が多かったのですが
中に引っかかるところもありました。

潰れかけた塾のオッサンが何を言うか、ですが。


番組で教育問題に話が及ぶと

「分数ができない大学生という本があります。
 できないじゃなくて忘れたんですよ。

 日本の教育の悪いところで短期決戦、テストの
 時まで覚えていればよいのです。
 その欠点を何とかしなくてはいけない」

話の後段はまったくそのとおりです。
分かっていなくても、やり方だけでマルをとれば
それが勉強であるという気分が蔓延してますね。

実はコトが複雑で、そういう一夜漬けでも次第に
学力がつくという面もあります。
絶対ダメというなら単純明快なのですけれども。

全部分らなくても次のステージに進んで大丈夫
もしくは全部分ろうというほうが弊害もあるのです。

たとえば、正負の数を100%分らなくても文字式に、
文字式が70%できれば方程式と進んでよいのです。

今は難しい文字式は避けますよね。
触れなさすぎ、ではあるのですが。

ただ、近年は「いつか分る」ではうまくいかないほうが
目だってきているようです。

上記、大学教授の指摘されるとおりですね。
一夜漬け的な害が多くなっています。

以前には余り気にならなかった問題が近年に
大きな障害となってきたことの理由を明かすことが
本当は一番大切なことです。

けれども絶対評価の世の中になって反対の方向への
流れが強まっているほうが急ぎの課題です。

学校が個別にプリントをさせているのも心配です。
マルになればいいのでしょうかね?

塾でも試験対策をウリにしますし、保護者の方は
内申点UPを優先させて塾を選ばれます。

どこかの塾へ行かせたら実力テストでは点がよいのに
中間・期末が思うほど取れない、高校受験を考えて
塾を変えようと思う、という話を聞きました。

大手有名進学塾、ですよ。ご同情申し上げました。

内申と実力とどっちが大切かなあ?

例によって話がズレてきました。

分数を忘れた、という話は違うと述べねばなりません
のに、スミマセン、時間切れ。

風のガーデンⅢ

2008-11-22 11:39:56 | 塾あれこれ


ドラマ中、老医師の車が農道で故障しました。
北海道の広大な畑の中です。

少しずつ車の周りに人が集まり、何時間もかけ
日が暮れてやっと直ります。
最後は皆でエンジンを(押しがけ)ですね。

このシーン、カメラは遠くから撮っており人を
アップにしません。
どんな人が集まってくれ、どんな作業をしているかを
細かく見せることをしないのです。

田舎の人の親切って(自然)ですよね。
大「自然」の中の小さな人間存在だから。

車の周りに集まった人たちはまるで蟻ん子たちが
協力しているようにすら見えるのです。

人間も大自然の中では動物なのです。


上記シーンは短いカットをいくつか繋げるだけで
大したエピソードの扱いではありません。

挿話自体も平凡で、だれでも書けるが、陳腐にもなり
やすいものです。

ところがこのドラマではひと味もふた味も違います。
ドラマ全体のテーマとつながっているのです。
こういうところまで細かい神経が行き届いて初めて
良い作品ができるのは言うまでもありません。

老医師は亡くなりそうな老人へ往診の途中でした。
生きること死ぬことの小さな暗示です。

往診先でオオゲサに大丈夫か?なんて場面は一切
ありません。モチロンですね。

暗示をうけて車の小さなエピソードのイメージが
変わるのです。

ああ、あれは皆が生きているということだった。


とても平凡ではありますが、生と死は対立しない、
車を直す人もいずれ亡くなります。

よく生きることがそのまま(亡くなること)に繋がる、
すなわち、死を受け入れる事こそが良く生きること。

いま往診を受けて死のうとしている人も
ついこの間まで車を直しに集まっていたのです。

たしかにドラマの主人公がそうであるように
死ぬことはツライ
怖い、痛い。

でもカメラをロングから捉えたらいつか皆通る道、
ごくごく平凡な話なのです。

風のガーデンⅡ

2008-11-21 15:38:14 | 塾あれこれ
今さら私が申し上げることもないけれど
さすがに良くできていますよね。

倉本聡の総決算というか渾身のシナリオです。
演出も完璧に近い。
見る人に媚びない、もしくは諦めている、感じです。

これくらいは細かい神経を使わないと。
話の展開に過不足がありません。

最近ハヤリの劇的な話の連続というのもいいけれど
それはもはやジャンルが違う世界です。


大切なところでセリフがないでしょ。
あるいは少ない。
こうでなきゃなりません。

前回の
「父をよろしくお願いします」
それを受けた「父」の顔。

これを多くの言葉でつないでは、ね。

上記のような決め処があちこちにあります。

そのシーンのために今までの計6回の話であった
かのような丁寧な運びです。

で、他にも、そのために今までの話があるような処が
いくつもあります。
それを組み合わせてちっとも複雑に感じさせない・・
名人芸ですね。


話自体は平凡と言えば平凡。
どこかで見たような聞いたことがあるようなことの
連続です。
多分、このドラマで言いたいことも同様でしょう。
しかし上手く組み上げてあります。
というか自然に湧いてくるのではないか?

確かに「重たい」話ではあるけれども
普通に楽に、だけども一生懸命に、生きる話です。

車が故障して直す短いエピソードがありました。

こんなところも(生きる)(死ぬ)がちりばめてある
ドラマを下ささえしているのですが・・明日

ネコもシットする

2008-11-20 14:10:31 | 塾あれこれ


SHIT(ねこばば)じゃ、あーりません。
シッコでもありませんよ。
嫉妬です。
(samuギャクで失礼!)


二匹いる片方を可愛がっていると必ずもう一方が
近づいてきます。
「私も」なんでしょうね。

毛づくろいは彼女達の健康に欠かせませんから
ナゼナゼしてるとゴロゴロとノドがなります。
するともう片方がすぐにやって来ますね。
知らん振りするとニラまれます。


町でノラにエサをやってる人がいます。
気持ち、よく分りますね。
私はキリがなくなりそうでやりません。
ときたま心動かされますけれどガマン。

エサをやる光景は何かに似ていると思ったら
戦後、米軍のジープに群がったギブミーチョコレート
あれと同じですね。


昔も今もモテなかったオカマチャン(に違いない)
オッサンがよく公園のネコにエサをやっています。

何匹も寄ってきていますね。
「ギブミー」でしょう。

その「エサくれ」も吾がネコの「さすってくれ」も
同じですね。

すると嫉妬とは?
擬人的感情というより逆に人間の嫉妬が案外動物に
近いものかもしれません。

ところで上記のノラちゃんたち、私に向けても
「エサくれ」と言います。

どうも、私が彼のモテないオッサンそっくりに
見えているらしい!


ネコも長生きすると化けると言われます。

状況判断が良くなるのです。

ネコを飼っている方はお分かり頂けると思いますが
長く付き合うとこちらが言うことを理解し始めます。

「二階へ行くよ!」
こう言うと先にたって歩き始めますね。
まるでワンコじゃん。

近未来予測らしい。
状況判断です。
言葉はどうであれ、意思が通じます。

人間だって言語不明瞭で通じさせていますよね。

「スミマセン」「ド~モ」「ええ」
状況次第で様々に使えます。

私の言葉も状況によりニャ~で通じるハズでしょうが
場合によりバカにするなと叱られる恐れがあります。

人と話す英会話はまだしも電話では難しさが増すのも
状況の見えやすさの違いです。


介護の方が、相手の(言葉になっていない部分)を読む
と言われます。
言語以外の情報交換が人間でも多いのですね。

人間が言語を操り始めて、たかだか数万年ですから。

言葉にならない部分を読むことも大切ですが
こちらからの「言葉にならない発信」も重要ですね。