兄弟姉妹の話

2012-04-30 14:41:37 | 塾あれこれ
我が家には決して家から外に出さない
箱入り娘たちがいます。

チドリとイノウエ・マリア・カラス

目があいたばかりのころ我が家に貰われてきて
以来全く同じ条件で育てているのですが
彼女たちの(人がら)はずいぶん違いそうです。

不確実な話ではあるのですが、世の中のクロと白黒の
兄弟姉妹猫は、おおむね黒が環境に対して強い。
白黒はびくびく臆病。

もしかすると黒は鈍感、白黒が繊細。
脳味噌の働きを示すかもしれません。

チドリは近未来の予測が優れます。
反応が早い。

干した布団を「とった」と言うのはチドリで
ずいぶんたってからカラスが巨体を運んでくる頃には
もう飽きています。

腹が減ったと大声をあげてくるのはカラスで
じゃあ挙げようかとなるとチドリが先回りしています。

そうすると、甘え上手は?ご機嫌伺いが上手いのは?
チドリなんですね。

カミサンも私もどうしてもチドリのほうが可愛い。

どちらも可愛いしその程度の違いは小さいものです。

0.0000001%くらい。

でも、それが大きいのですね。

両方が一緒の時どうしてもまず先にチドリに目がいくのです。
(カラちゃん、どう見ても女の子とは思えないし・・・)


ネコと人間を一緒にしてはいけませんが
同じ兄弟でも親から見て可愛さに差があるのではないか?

・・こんなことを塾から言うのはタブーですがね。

ほんの少しの違いですが、それが大きい。。。

私は姉と弟がいます。
姉は戦中に生まれており、年に開きがあります。

父が遅くシベリアから帰って生まれたのが私。
弟とは2歳の差があります。

一応、家をつぐ子供(古いね)だから大事に=甘やかされた。
大人から見て「よい子」が私。

弟はワリをくった。

祖父母や父母からの目線ですら弟は兄と比較されてばかり
可愛げのない、言うことを聞かない、甘えん坊末っ子。

その分、外づらは良いようです。
親戚のウケは彼の方が圧倒的に良いですからね。

母からみても、手がかかり大変だけれど可愛さがある。

私は無難。
安心して頼れるけれど、どうもそれだけで。
老後の面倒は長男で大丈夫と言い、他の子供への不満を
私にもときおりこぼしていました。

それでも三人なりに母親としては等しく可愛かった。

私は、晩年圧倒的に面倒を見たのはオレと思うので
平等に可愛いというのはどうもワリに合わないような。


塾の仕事をしていて時おり思うことがあります。

兄弟への視線の温度差が、微妙でも、やはり存在する場合
子供の勉強や成長に影響がでるのではないか。

我が家は箱入り娘だけだからよいのですが
子供をもつ親というものは難しいだろうな。

年金でも専門家が「想定外で・・」

2012-04-29 17:33:59 | 塾あれこれ
政治家も官僚・学者、みなさん「想定外」と言えば
責任を逃れられているようです。

大震災や原発・・「想定を超えることがおきて」

経済や国防でも・・「事態がここまで進むとは」
       「出来うる限りの努力は惜しまないで・・」

会社でも・・「この円高は我々にはいかんともなしがたく」

みんな同じことを喋っておられます。
戦後の(一億総ざんげという無責任)とよく似ていますね。
想定外で何でも済ませちゃう。

「こうなるとは予想できないことで、遺憾ながらやむをえぬ・・」


あのね、あなたがたはプロでしょ。
まんいち予測できなかったとしたら、無能。
それを口にして恥ずかしくないのかなあ。

人間だから失敗はありますよね。
でも、責任はとらなくてはいけません。

少なくともそれ以上の任は続けられない話ですね。ところが
「これを反省の糧とし、今後、職責をまっとうすることが・・」
なんて、よくも恥ずかしくもなく言えるものだと思います。

もしくは、相手を(なめきってる)?
面倒なことは手を染めず問題がおきれば「想定外」で済む。

苦渋の決断っていう手もありますね。
口外しないから(苦渋の決断)なのであって
逃げ口上として言うのは卑怯です。
自分の利益のため他人を犠牲にしてよいのでしょうか?

あるいは「家族のため」・・

ご自分の家族のためだったら他人を犠牲にしてよろしい?

マスメディアも突っ込みませんよね。
仲間だからでしょう。


AIJで再び激震が走る年金問題。

ここでも予想を超える現実だそうで「想定外・・」

国民の生命ともいえるシステムを預かる仕事をしながら
よくもヌケヌケと。

ことは2千億にとどまらず、大変な事態を招きかねないのに。


官や偉いさんを信じない中国人のほうが「正解」かもしれません。
日本人は甘い。

とはいえ人を信じない文化というものはなんとも嫌なものです。


ところで塾や学校などの世界ではどうでしょうか。

(これではこの子は将来伸びない恐れが強い)と分かってても
問題を先送りにし、目先の数字をとらせます。

やり方主義、訓練主義、分かるまで教えましょう・・

それでうまく行く子も多いでしょうがストレスすら感じられない
モヤシっ子の山もできるのです。
一人の人間の大切な一生を左右する大切なことなのに
「言うとおりにしてくれないので責任を持てません」だって。

先にならないと現実化しない問題だから面倒は回避しておき
ババヌキのババを他へ預け、進学すれば一安心・・・
「将来問題が解決することもあるから、伸びを期待しましょう」

責任をとらないで済む国だから上記のようなことも
ありうるのではないか?

居直れば済むのです。

「責任ってどこまでとれますか?
 私は出来ることを精いっぱいやっています」

どっかの国の、美辞麗句首相、中身空白でも居直るノダ
彼は国民の多くを映す存在かもしれません。

寺子屋のイメージ(学問は確定部分を伝えるのみだから)

2012-04-28 10:14:45 | 塾あれこれ
久保田万太郎、最近は流行らないようですが
私が好きな作家の一人です。

彼の有名な戯曲に『大寺学校』(昭和2年発表)があります。

1967年に文学座が新派の大矢市次郎を招いて行った公演の古い
お宝ビデオを、何年か前にNHKが再放映してくれました。

当ブログでは2008年3/8に触れています。
できればそちらを先にお読み頂いて、以下をお願いします。


公立の学校整備が遅れたため、民間の教育機関を「代用」として
認めていた時期があったのですね。

『大寺学校』は、そうして認められていた代用学校の人間模様
を描いた傑作です。

現在の学習塾とは性質を異にする部分が大きいとはいえ
学校の規模や経営の苦しさは今の小さな塾に通じるでしょう。

作者の久保田万太郎も代用学校に学んだといいますから
結構リアルに空気を伝えてくれる作品だと思います。

学校ですから文部省の統制下にあります。
現在の学習塾からみれば運営の自由度はより小さいでしょうが
それでも民間教育の精神のいくばくかは推測できそうです。

「教育で金儲けはいけない」と公言しながら、その実
しっかりと蓄財しておられる現代の塾経営者よりも
人間的な明治の人物像が魅力的な作品でした。

ドラマは経営・運営のほうに比重が置かれていますけれども
寺子屋と現代の塾の間に代用学校という存在もあったのです。
もう少し光が当たっても良いよね。


ドラマや小説を史実と混同することはいけません。

けれども生き生きとしたイメージを持つためには
大いに役立つ場合があります。
もちろん、どれだけ真面目に描かれているかは気をつけて
おかねばなりません。

人間模様が真面目に描かれていても時代考証は穴がある、
なんて時代劇も多いですから気をつけないといけません。

小説家の佐藤雅美。
当ブログにも何度も登場して頂きますが、立派です。

安心して読めますね。

諸小説中の寺子屋の描写も手堅いようです。

寺子屋の先生が主人公という小説もありました。『手跡指南』

また実在した寺門静軒が主人公の『江戸繁昌記』も面白い!

大学生の論文のような(学術的)レポート(=パッチワーク?)
よりもよほど役にたちます。
「寺子屋ってこんな風だったんだ。」

「寺子屋がそうであるならば、現在の学習塾は・・・」


フィクションばかりでは叱られるかもしれません。

京大教授の辻本雅史先生の『「学び」の復権』
(現在は岩波現代文庫に入っているそうです)

この本は小さな真面目な塾をやっている人間に
勇気を与えてくれます。

我々がたどり着いた地点は思想史上の繋がりが存在する
極めてまっとうなものであった、と。


金儲け、とか、塾「経営」とかとは無縁の世界があります。
それが本来の寺子屋的初等教育を受け継ぐ塾です。

高等教育への基礎を築き人間形成にあずかること大なる
教育機関です。

交換されるものは(純粋な気持)と(生きるための糧)とで
十分です。
それ以外の夾雑物は人育てのジャマ。

自分のための入用を考えるのではなく、必要最低限の対価で
行うのが寺子屋であったはずです。
(だから江戸時代の教育は成功していたのです)

しかしそれではご自分の将来が不安ですって?
では、どれだけ貯めればご安心ですか?


インフレ、外国為替変動、株価不安、先物、消費税、銀行金利、
保険会社の倒産、信頼ならない政府・官僚、日本経済の空洞化、
自然災害、社会保障崩壊、医療費高騰、TPPによる国家構造の変質、
世代間戦争、環境問題、勤務先消滅、ETCえとせとら

いったい幾つの変数を考えておかねばならないのでしょう。
その一つとして個人が対応できるものでしょうか?
関わりがあるもの一つ一つに捉まり、おびえて暮らすのです。

だからできるだけ安全に、蓄財ですか?
泥棒、脅迫、詐欺、相続争、・・ご苦労様です。

ポートフォリオとは常にどこかで損失が出ているという
損失を大きくしないだけに役立つシステムであり、
安全機構とは、破ろうと思うものへの努力目標の掲示です。
破解侵入されたら、その後は・・救いは遅刻常習者。

普通の人間は、まだ貧乏の方が気楽なようです。

我々夫婦も死んだあとには何も残らなかったというのが
神様に喜んで頂けるカタチでしょう。
カミサンには異論があるかもしれませんが。


はい、そうです。
そこからスタートする寺子屋精神、塾運営こそ!

チュウシャクシギ

2012-04-27 21:18:10 | 塾あれこれ
本日2度目の投稿です。
一本目がちょっと暗かったので。

今日は風がさわやかで、日差しがたっぷりという
一年に何度もないような好天でしたね。
(太陽光発電も17.9kwh)

今年初めてチュウシャクシギを見かけました。
写真は以前のものですが、水面と岸とがこれくらいの時
彼らをよく見かけます。

今日は5~6羽おり、エサを咥えておりました。
渡り鳥なのに比較的人を恐れません。


他にもよく見かける鳥が種類多くいました。

ツバメやチドリ・・10種類は軽くいましたね。
耳なれない鳴声もしていましたが・・種類は不明。

鳥がいるのが平和です。


人間はヘッドフォンをつけて歩いていたりしますが
優先順位を間違えてるよね。

静けさや鳥の声を聞くほうを優先させなきゃ。

音楽なんかいつでも聴けるでしょ。

それとも語学の勉強?

私も昔はウオークマンで散歩をしてたので大きな口は
たたけないのですが、ね。

前も書いたと思いますがモーツアルトのピアノ協奏曲
特に10番~19番が散歩には合うと思います。

あれ、話がヘンになってきたか。

ハナズオウもハナミズキも

2012-04-27 10:47:12 | 塾あれこれ
『葉桜や 私信途絶えしあの人は・・』

『残されし鴨のツガイも 雨上がる』

下記は随分前のネコ句です。難しかった。。。

Cat with a diseased eye
at sunset sitting under a cherry tree
on a cool spring day

『目を病みて西日まぶしき花の冷え』


最近左手の指が震えます。
子供のころ何か怖い体験をしたときにブルブルと
振るえたように。

人差し指や親指がほんの軽く力を入れてると震えだし、
あと少し力を加えると止まります。

今のところ日常生活に支障はないのですが
余りよい感じはしませんね。

アル中か?
パーキンソンか?
もっと悪くなればどこで診てもらう?

うむ、気が抜けた今の日々が悪いのかもしれない。

両腕をさげたまま、背を丸め加減にぼんやりと立ち、
それだけで既に精神の弛緩なのに、手が震えていたんじゃ
下手な役者の演じる老人みたいじゃありませんか。

やだね~。

句も暗いし、やっぱドーパミンの不足かなあ?
良いこと、面白い事って少ないですものね。

オタール・イオセリアーニ『汽車はふたたび故郷へ』

2012-04-26 10:24:33 | 映画
イオセリアーニの『汽車はふたたび故郷へ』を見ました。

よい映画ですね。
またまた横川シネマさんに感謝。
広島ではお客様が少なそうな興行への(蛮勇)?

カミサンは「分からない部分がいくつかあった」と言って
ましたが、日本では受けない映画かもしれませんねえ。

日本やアメリカとは違う独特のユーモアがあります。

大笑いではなく、分かる「人種」だけがニヤリとしたり
胸のうちでパチパチ拍手したり、ですね。

よってカミサンが言うように、歴史や社会主義官僚制、
グルジア文化などを知らねば分かりづらい面があるでしょう。
(もちろん私もほぼ何も知りません)

たぶん内田百をグルジア人が分からないであろうように
日本人にはなじみがうすい外つ国ですから映画も分かりづらい。

マジメなのか、怒っているのか、笑うべきなのか・・

それでも見ていると監督の人柄が伝わるような気がし
幾重にも仕掛けてあるユーモアや人情に気づかされる
そういう映画です。

内田百の『阿房列車』が内容よりも語り口を味わう作品
であるように、この映画も語り口、その名人芸を楽しむ
べきかもしれません。

(いや自伝的な内容も大切ではあるのでしょう)

ぶっきらぼうに、説明を省いて、長い文章が続くような
シ-ンの繋がりが多いのです。
独特の(文体)ですね。
それを味わう映画です。

かと思えば子供が大人にカットつなぎされる(分かり易さ)
そのタイミングを楽しめれば映画代のモトはとれます。

よって「あの人魚は何?」などと突っ込まないことです。

う~ん、遠い世界にはそんなこともあるかもしれない。


食事で、苦さも必要な味です。
映画で描いて見せる内容にも(理解されない=苦さ)が
ありますが、サジ加減が上手いので、なんだか美味。

塾と寺子屋

2012-04-25 10:35:11 | 塾あれこれ
山口塾の初代塾長、我々の間では塾長といえば
この恭弘先生しかおられないのですが
ええ、あの「あんたちら、ね~」の方。

私が、高くて(@5000-)手が出ないとグチをこぼしていたら
他の塾の分とあわせて私にも1冊頂戴できることに
なりました。
昔から「気前がよい先生」と、我々の共通認識です。


さてその本ですが『学習塾百年の歴史・塾団体五十年史』
全日本学習塾連絡会議発行です。
今月初旬に発行されたばかりですが、A4版1200頁近い
持ち重りもしっかりとした大冊。

この本が出ると言うことを初めて知ったのは
福島県いわき市の「わたなべ英数塾」のブログです。

渡辺先生もこの本に寄稿されているのですが
昨年の大震災、その後の復興と、大変な時期の中で
30頁にも及ぶ仕事はさぞ大変だろうと思います。

世の中には重圧に負けることが想像できない
強い方がおられます。


取敢えず気になる、存じ上げている方の寄稿を拝読

ついで上記渡辺先生の「寺子屋と学習塾」
岡田保雄先生の「明治時代の寺子屋廃止と・・・」

急ぎ一読しただけですが、勉強になります。

限られた紙幅ゆえ全てを論じることは難しく
私が期待した部分も、物足りないところはあります。

それは本の趣旨から出てくる物でやむをえません。

もちろんそれが欠点と言うことでもありません。
そんなことを言えばきついお叱りを受けそうですね。


さてこれから。
上記の気になる処を精読し、他の部分も少しずつ
読みすすめてゆくことになります。

こういう出版をしていただけることは
後から行く者にとっては大変勉強になります。

とくに近年の(資本が勝った塾業界)を見るにつけ
今だから振りかえるべき業界の歴史です。

教えない問題集

2012-04-24 11:39:27 | 教えない
完全個別対応の塾として宣伝したいところですが
もっと完全な塾から「お前の所は完全対応じゃない」と
言われそうな気もします。

その証拠に「教えない問題集」が欲しい・・私です。
ちょっとばかり安易すぎますかね。

現在は普通の一斉授業でも使っておられる問題集を
メインの教材の一つにしています。

つい、もっと自分の使い勝手のよいものがないかと
甘い考えを抱いてしまうのですね。

個別対応ならば、教材は理想的には(全て手作り)で
あるべきでしょう。

ITを最大限利用しても、塾の細かい準備は必要です。
出来あいのソフトから先生が抜きだして使わせる、或は
生徒が引きだす、のは生徒が完全に自学自習をできれば
可能でしょうけれども。

私の「今」はやはり問題集にも頼ります。

楽をしたいというケシカラヌ根性もなきにしもあらずですが
バランスの悪さを恐れるのです。

定評ある教材出版社の研究スタッフが作り上げる方が
私よりも偏りがないでしょうから。
生徒・保護者の方もそのほうが安心でしょう。

塾で作る教材はあくまで「プラス」

で、それを前提の(教えない)に対応する問題集があれば
・・・もう、あるのかな?

出版社が作られるものは最大公約数ですから
極ミニ塾が勝手に喋っても通じないとは思いつつ。


(個別+教えない)ですと勉強している単元と本人の
勉強姿勢の確立とが個人ごとに千差万別になります。

初めから(教えない)でよい人は、ほぼいないでしょう。

勉学内容やその姿勢の発展状況がバラバラですから
固定化された問題集の使い方が限られるのです。
もちろんそれなりに活用は出来ますがね。

ある程度、教えないで済むような段階に来た生徒が
使う時に不便さが増してきます。

最終的には一切の説明をせず自分で新単元に入り
勉強を進めて頂くのが「教えない」

もちろん質問は大歓迎ですが、自分で考えないでおいて
「何が何だかわかりません」
・・なんて状況にならないようにリードしてゆくのが
塾の仕事となります。


そうして優秀な学生生徒が出来あがった時以降は
また「教えてゆく」ことができるのです。


話が飛びますが、「教えない」とパタン練習とは
基本的には相いれないものです。

(教えない→自学自習→反復練習)を繰り返す

という流れの塾があるそうですが、自ら考えることを
阻害しやすい「反復練習の直結」は疑問です。

もちろん練習は大切ですからそれをどう組み込むか
これも塾の力の見せどころでしょう。

機械的な対応は諸悪の根源となります。

アクセス数

2012-04-22 14:33:11 | 塾あれこれ
ブログもネタがあるような、ないような。

当ブログは2006年から続けています。
当時はgooブログの登録が30万人に届いていなかったように
記憶しています。
今は170万を超えているのですねえ。

今日はネタが無くなれば一回分と思っていた話題です。
当ブログのアクセス数。

昨日現在でトータル閲覧数 501242
       トータル訪問者数150709

最近は毎週ほぼ訪問者数が1100人台で
gooブログ内では順位が8000番台後半が多いですね。
(先週が1104人で8601位)


すでに全て削除してしまいましたが当ブログの前に
一年間、猫句を毎日一句というものをやっていました。

『どこですか?か細き声よ花曇り』

『遠雷に小耳動かし ZZ・・ZZZ・・・』

『ふと目覚め人恋しさにニャアとなく』

途中からは多少文章を載せましたが最初は句のみ。
さすがに面白くないですよね。
始める前に友達や知己に公言し、訪問してくれと頼んだの
ですが、誰も?読んでくれません。
一日に2人なんて日もあり(1名は私)こりゃいかんと。

丸まる一年欠かさず続けたあと早々に逃げ出しました。
そのころの訪問者数が一日7~8名でしたかね。
たまに10人を超えると嬉しかった。


塾のブログを始める時は知った誰にも話をしてません。
期待していると現実が厳しいですから。
自分の、もの欲しげな姿が寂しいですよね。

始めて何年も順位など付きませんでした。
やっと1万位以内になれたのがこの数年。

いつからか投稿の編集画面にトータル数が載るようになり
訪問者が15万に近づくにつれ、越えたら何かネタにしよう
と思っていました。

それが、本日気づくと何日か前に越えてた。

コップの嵐みたいで規模が小さな数ですけれど
私としてはお読みくださる方への感謝の一言を
申し上げたく。

(誉める)Ⅱ

2012-04-21 14:09:05 | 塾あれこれ
民放(日テレ?)のニュース番組の中で
『学校などで「誉める」ことの効用が・・』と
始まったので、これは要チェック、と背を伸ばしたら
ボンってTVが切り替わりました。

別番組を録画していたのです。
上記のレポートは見られず仕舞でした。

大切な問題である、とは再認識した次第です。


4/4に、現代の誉め方について愚見を吐きました。

誉めすぎは良くない、と。

だいいち、普段誉めない人が誉めてくれるのと
いつも誉める人が同じように誉めるのと、どちらが効く?

私は仕事場だけは、難しい顔をしてて、怖い。
人を誉めるのも下手くそです。
それで上記のような意見に傾くのでしょうか。

・・子供には迷惑な話です。
早く塾を辞めたほうが世のためかもしれません。


ところで「誉める」について段階を意識すると書きました。

相手が認めてほしい時、それに呼応できればよいのですから
誉め方にもいろいろな段階が生じます。

もちろん同じ言葉を使っても、心のありよう、表情、音・・で
段階に差がつきます。

また同じ程度の問題を同一の生徒が答えても、誉める
具合が変わることもしばしばです。

相手の体調、勉強の流れ・・などでこちらの「認める」程度も
変わりますからね。
調子が悪い時にはワンランク上で誉めるのも一つ。

一斉授業ではそこらへんの加減が難しいところです。

「何であの人だけそんなに誉めるん?」
「この前と違うじゃん」
・・・などなど。


とにかく心に思うまま正直に表現することが大切です。
叱る時も同じです。


一覧にするのはあまり適当なことではないのでしょうが
私のランキングを書いてみます。
参考にはならないかなあ。

書き言葉ではなく喋りとしてのものです。
また普通の方とレベルが違う使い方もありそうですね。


レベルⅠ
   よし、OK、good、グ、はい、ウン、好いです、マル、そうそう

レベルⅡ
   よっしゃ、very goo、いいねー、すごい(すげ)、なるほど
   合うねー、ええよ、おいおい、誉めとこ、まあまあかな
   その調子、早いね

レベルⅢ
   なかなか、けっこう、やるじゃん、へえ~、素晴らしい、鮮やか
   えらい!、うまい、さすが、かっこいい、うそ!、おっ!
   ふつーは出来んけどね、気がついたねえ、それもアリ

レベルⅣ
   ぶちエエじゃん、驚くね、考えたね、本当にいいよ
   まずまず、参ったね、威張れるよ、よう頑張った
   苦しかったね、このままなら東大でも行けるマジ、
   今みたいに粘れるのが一番じゃ、
   エクセレントって英語でね・・・
   今日はよくできたからついでに~まで行っとこうか

レベルⅤ
   同じ○年生でここまで出来る子は少ないよ  
   帰ってお母さんに塾で誉められたってここを見せてもいい
   このままの調子でいけば○○校は受かるじゃろ
   昔、塾で教えた子に○○がいたが負けてないかもしれない
   お前オレより偉いかもしれない
   はあ~


・・・少ないものですね。

なお「けなす言葉」は使いようで数多くが誉め言葉になります。
私はそちらなら得意かもしれない。

「バカじゃお前、これなら出来とろうが・・」
「普通ならマルじゃけど、あんたはもっと高いレベルを」
などなど、∞かな?

人間関係が必要ですから安易には触れないのが宜しいかも。