ネコ貰う?

2008-04-30 10:35:57 | 塾あれこれ
A ここに、熊谷守一の絵があるとします。
本物ならばとても高価です。
金持ちでないと手が出ません。
たぶん数千万円(有名な絵でも億までは?)
宝籤の3億円が当たれば買えるかもしれません。
もっとも、売ろうという人もいないでしょうが。

B ここに、塾に住んでいるネコがいます。
全くの雑種でノラでもよく見かけるタイプです。
なぜ箱入り娘の如く飼うのか町の七不思議・・・

ABどちらかのネコを只で上げると言われれば
100%の人がクマガイを選ぶでしょう。
でも、世界にただ二人、カミサンと私はウチの猫を
選びます。
いくらKUMAGAIが好きでも代えられません。

絵のネコは生きているネコに及ばないという話では
ありません。
ご近所の超カワイイ高そうなネコかクマガイか、と
言われたら私だってクマガイ!と叫びます。
自分んチ以外のネコなら芸術を選ぶのは当然です。
お値段も張るし。

ではナゼさように自分ンちのネコが大切か?

家族だからです。

なぜ家族か?

一緒に住むからというだけでは不足でしょう。
たとえ一緒に住んでいても自分んチを走るゴキブリを
クマガイより上におく人はいません。

ネコには愛情があるから家族なのです。

ではナゼ愛情が沸くのでしょう?
互いをよく知るからです。

知るほどに愛情は増します。


私という人間を一番よく知るのはカミサンです。
(同等に知っていた母は亡くなりました)
地球上でも2番目に知ってくれているのはネコ。

擬人的にそういうのではありません。
本当にそうだと思っています。

十年間同じ屋根の下に住み、お互い外出しません。
四六時中狭い家の中で顔をつき合わせているのです。

ネコですから人間の難しいところは分かりません。
お笑いは誰が好きで、などなど。

が、私にある動物的な部分は大変よく知っています。
どういうときに眠いか、機嫌が良いか悪いか、
声はどうで、体調がどうで、どう甘えれば動くか
などなど。

物ですら長く付き合うと愛着を感じます。
ましてや相手が私を知ってくれているのですから、
可愛くないはずはありません。

(懇談の時間です。あと少しですが明日)

ネコ派の塾へ?

2008-04-29 09:49:52 | 塾あれこれ
犬派のご家庭が猫好きの塾へ通わせない?
ありえませんよね。(希望的観測ですが)

では宗教は?
「あの先生は熱心なキリスト教徒だから」と
仏教の方が忌避されるか?
やはり少ないでしょう。
特殊なものなら別かもしれませんけれども。

政党支持となるとどうでしょう?
少なくとも塾では影響があるかもしれませんね。
アメリカならば余り影響しないと思いますが。


日本では会議で反対意見をいうと、あと付き合って
いただけないなんてことがあります。

どうもこの国では、個人の意見を相対的に捉えず
全人格、人間存在全部と結びつけたがるところがあり
民主主義の発達に影を落としています。
仲間にならないといけないのですね。
異見は歓迎されない。

ナニナニの件に関してはカクカクの根拠で私は反対
の意見を持つ、といっても
あの人には失望した、裏切られた、メンツを潰された
という反応が返ってくるのです。
一つのことに関する意見なんですけど・・

個人の意見が表明しづらい社会です。
黙っておいた方が得らしいのですね。

それは世界と付き合う場合に妨げになります。

これからの人たちには異なる意見を一定程度は認める
ことが出来るようになって欲しいと考えます。
「不寛容」はギスギスした世界を生みますから。

意識をしっかりと持つことが大切と述べました。
そのためには反対の意見、異なる発想、心情を知り
自分の意見が如何なる根拠に立つか明確にしておか
ねばなりません。
その過程で相対的なものの見方ができるようになり
民主主義的な能力が育つのです。
そうすると自分の意見を押し付けないことができる
ようになるハズです。
必要があれば自分の根拠ある意見を述べるが強要は
しない、のです。

反対に無意識はどうでしょう。
「~は…」と思い込んでいるので強いのは強いです。
「日本人だから当たり前だろ!」なんてすぐに
振り回す人がいますね。
ブレませんが、往々にして他との意見のやり取りが
なりたちません。

悪いばかりではなく、良いこともあります。
家庭教育でもっとも重要なことがこの無意識の教育
によって可能です。
「宿題するくらい当たり前だろ」とかね。
ちょっとたとえが小さすぎましたか。

「弱いものいじめはいかん」とか。

無意識に当然のこととして教える文化が大切です。
多くは「背中で教える」ことで口に出さないもの。
口で言うならば親の実行が伴わねばなりません。
自分が勉強しないで子供に「勉強しろ」は×

ただし、より難しい問題になると無意識では
危険な場合があります。
一定の価値観を強要し、しかもそれに気づかない
おそれがあるのです。

ですから、教育に関係する者は意見を持て、と
申し上げるのです。
どんなことにも意見が必要です。
場合によっては「~以上は分からない」でもね
根拠と考えの道筋が大切です。

当ブログで様々なことを書くのもそういう考えから
のツモリです。
たかが極小塾のオッサンがえらそうなことを、なの
ですが、まず皆で言うことが大切です。

武原はん

2008-04-28 18:04:22 | 塾あれこれ
先週から懇談を始めています。
本日は時間がとれたので久しぶりの散歩。

公園は若木がすっかり葉桜になっていました。
でも大島桜は葉に隠れるように花を少し残していて
それなりに美しいものです。
暫く歩くと花蘇芳が見事な満開。

よい季節になりました。


犬を散歩させている若いご婦人。
すらりとした体型は「日本人離れ」←古いね
向こうからこちらを見ると「ゲ」でしょう。

昨日はメタボ擁護でしたが、やっぱりスラリと
したお姿もよろしいものです。


昨夜就寝の前にTVのチャンネルを回していましたら
藤村志保さんが何か話しておられます。
それはそれは美しい絞りの着物につられて見ていると
武原はんさんの話でした。
暫くしてはんさん59歳の時の古~い、決して状態の
良くないテープで『雪』という地唄舞が映りました。

いやその素晴らしいこと。

流れるような舞のどこを取っても絵になっています。
目線や掌のわずかな動きで辺りの景色も人生も分かる
のです。

舞台の上下に和蝋燭を点け金屏風の前で一人静かに
舞われるのですが、手にする傘を放すと傘までが優雅
に演じるのでした。

こんな美しい文化が存在していたことはもっと誇って
よいと思います。


もっとも私が若い頃見ていたらきっとタイクツしていた
でしょう。
歌舞伎の踊でも分かりませんでしたから。
人の美を抽象化の極みにまで凝縮してみせるワザを
理解できたとは到底思えません。

今の若人はヒト歳とって彼女の舞が分かるか知らん?
日本の誇るべき美しさはどこへいく?

でもね国際人になろうと思うと自分たちの文化をこそ
理解する力が必要なんですけれど。

全て教育につながる

2008-04-27 11:51:33 | 塾あれこれ
バンドエイドがアフリカの飢餓を訴えたのは80年代前半でした。

Do they know it's Christmas time at all?

同じ頃アメリカ人は飽食にあけくれ、太りすぎを悩み
ジョギングとかジム通いで誤魔化そうとしてました。
いや70年代のアメリカ映画でも見た光景ですね。

飢餓に苦しむアフリカの子供たちが、必要以上に喰い
すぎては汗を流す人達(大した仕事もしていないのに)
を見てどう思うでしょう?
こんなアメリカはおかしい、
そう思っていたら日本がそうなってきた・・

私もメタボにはなってきたけれど、カッコ悪いからと
いってジョギングで不要な体重を落とすことはしませ
ん。

格好悪いと思うなら、喰うな!

喰うのならデブを引き受けるべきです。
というより太る=醜いと思うことは一つの価値観にし
かすぎない、しかも欧米風の、と知るべきでしょう。

何をかっこいい悪いとするか、は一つの文化です。
でも一つの文化でしかありません。
他の価値観もありうるのです。
恣意的であることを意識しなければなりません。

未だにTVでは白人がカッコよいとされ、CMにも
よく登場されます。
私にもそういう目がないとは言い切れません。
ただし、それは絶対的な価値ではないのです。

教育の前提には価値観の自覚が必要です。

わが子の教育をするときでも。
(余計なお世話ですが)
社会のありようが「教育をしている」と知るべきです。


不要にカロリーを摂って痩せる運動をしている人の
何割が世界の飢餓の人に手助けをしているでしょう?

もちろん運動は大切、健康も必要です。
自らをコントロールすることも大切です。

自分のことだけで良いのでしょうか?

自分が金を稼いでどう使おうが勝手だと
思っている人の多い日本です。
でもそれも欧米風のひとつの考え方なのです。
アフリカなどの飢餓に施しをする程度で誤魔化すのは
好ましくありません。

何が本当に大切か、何が二義的か。
たとえば男の化粧は二次的ですよね。

何であれ一つの価値観を強要することはいけません。
そのために自覚的であれと自分に言い聞かせています。
無自覚であれば他人に強要する恐れがあるからです。

化粧すっトですか?

2008-04-26 09:48:32 | 塾あれこれ
子供に偉そうなことを言いつつ自分は何もしていない
というのは落ち着かないものです。
「そうだよ、琵琶湖を守ろうという条例だよ。
 合成洗剤は環境に良くないのさ」
なんて言いつつ自分でそれを使っていては
いけませんよね。

そこで石鹸生活を徐々に実行し、環境に負荷をかけな
いことをしている内に男性化粧品も不要だと。
無駄な出費を抑えられるのも大きいですね。

とはいえ初めは不安でした。
でも、結局何も使わないで構わなかったのです。

もちろん色気が無くなるトシなので構わないという
面も大いにあるでしょう。

ただ、化粧品の原価を考えると不要ならば買わない
という考えも成り立つと思いますね。

化粧した「から」モテルのでしょうか?
私も一生懸命似合わないお洒落に挑戦しましたが
さっぱりモテませんでした。
少なくとも化粧品ダケではダメなようです。
(↑アンタは無理、ムリ?・・ですよねえ)

女性の方には違う原理のある世界ですので
以上は男に限る話です。
関係の会社を非難中傷するつもりもありません。


友人から久しぶりの電話があり、いろいろな話を
している中でブログの手前勝手さに忠告を頂き
ました。
有難い話です。

昨日の電話の後で上記の文章はお叱りを
倍にすることになるので躊躇しましたが
実は続きがあるものなので書かせてもらいました。

自分個人の趣味を書いているものではありますが
かねてより言行不一致の教員やオトナを見かけます
ので、若干の不満を口走ってしまいました。

随分とえらそうなことで・・
(いつもか?)

男の化粧好かんト

2008-04-25 10:46:53 | 塾あれこれ
私は一切化粧品を使いません。
石鹸生活に統一したのです。
洗髪も石鹸シャンプーです。

男でもトニック、リキッド、ローション、クリーム
ムースなどなど沢山の化粧品がありますね。
近年はもっともっと多いのでしょう。
私も色々使っていましたが次第にやめました。
(東京銀座Sって、あそこです)
ヘアトニックとアフターシェーブローションが最後まで
手を切りづらかったですね。

やめた理由は病気などではありません。
一つは環境、もう一つは経済。

何か影響が出るか、ビクビクしながら減らしましたが
悪影響はまったく出ませんでした。
ルックスも大差なしです。
もともと化粧しても役に立たない土台でしたので。

世間にはかなりセンスがあるとか、やりがいがある
容姿の方がおいでですが、そういう方は更に磨く必要
があるでしょう。
一般人はサラリーマンでも実は不要ではないかと
ひそかに思っています。

私の場合は若い頃効用を説かれて次第に数が増え
惰性が続いていました。

サラリーマンをやめ塾に勤め始めた頃です。
生徒に私の化粧品の匂いがきついと言われました。
仕方なくお値段が高い微香性に変えるとOKでした。

一斉授業では生徒から若干の距離を置いて立ちます。
二日酔いで授業などというツワモノもいましたね。
それでも期間巡視や質問など生徒と距離が近くなる
ことがあるので生徒の苦情をうけたのです。

以来、ニンニクなども気をつけ始めました。

現在は加齢臭ですね。
個別形態ですからなおさらです。

なお、化粧品をやめてからフケがぐんと減り白髪の
増え方も止まりました。
直接の原因かどうかは分かりませんが実害どころか
実利があったのです。


本願寺展

2008-04-23 12:42:45 | 塾あれこれ

広島では久しぶりに本格的な展覧会です。
現代美術以外で中々マトモな展覧会のない町でね。
最近の良いものといえば靉光回顧展くらいです。

さて本願寺展。
私の家の宗旨は違うのですが行ってきました。

広島は門徒の方が多いので土日は大変な人出になる
と思い昨日ムリに時間をつくりました。
それでも来場者が多かった。(広島としては)
みんな同じ考えで土日を避けたのかもね。

普段の美術展とは人の感じが違います。
お年寄りも多かった。ぶつかってはいけないので
展示を見づらかったです。

中々の展示物でしたね。
ジミ~ですが。
広島のお近くの方にはお勧めです。

国宝はどれも「いふもさらなり」

私の勉強不足で(字が苦手)何も知らなかった
のですが、蓮如の字はさすがですね。
「有難さ」を字にするとこうなるか・・

秀吉の正妻ねねの手紙もすごかった。
ただものじゃないですね。


近年、仏教美術や日本美術の質の高い展覧会や
特別展示が多くあります。
線香臭くて苦手でしたが、さすがに奥が深い。
少しずつ面白くなってきました。

服装の乱れがなどと

2008-04-21 22:21:08 | 塾あれこれ
私たちが学生の頃よく言われていました。
最近も言われているのでしょうね。

「服装の乱れが生活の乱れにつながり
 生活の乱れが勉強や人間形成に悪影響を」

あてはまる場合もあるでしょうし、案外そうでない
こともあるようです。
本来、個別に判断することですよね。

ただ集団を相手にしているとそうも言ってられない
というお考えで服装とか時間とかを言われるのです。
もちろんキチンとした大人になるためにはそういう
ことも大切ではあります。

くりかえしますが本来は個々に判断すべきことです。
外国人なら自由な格好をしても「不良」にならないが
日本の学生は、というのはヘンですから。


企業を判断するには、服装では分からないので
電話の対応などで判断すると聞きます。
かなり当たりますよね。

事務処理の正確さでもよく分かりますね。
(わが塾はちょっと下手でヤバイ・・)

細かいところでは封書のノリづけなどでも分かります。
きちんとしたところは丁寧です。
セロテープで半分、などはいい加減な会社。

適度な糊付けがよく、がちがちにしてあるところも
イマイチですねえ。

私立学校など案外当てはまると思いますが、いかが?


JRの可部線がなくなるときでした。
沿線町村が人を招きいれることで鉄道を残そうと
いう試みをされました。
私も各駅の電車で終点まで行きましたね。

その時、町に気になることがあり、トイレの様子とか
職員配置とか、おせっかいにも役場にメイルをしまし
た。
リピーターを呼ぶためには・・と。

で?
ハハ、無視です。

民間なら心中(オッサン何言ってる)と思ったとしても
「貴重なご意見ありがとう」くらいは返事をするもので
それがない会社は電話の応対が下手以上に問題です。
やはりお役所仕事と思いました。
公務員は口先だけの仕事はしないのでしょうね。

私はリピーターにはならずJRは廃線になりました。
もう一度くらい乗ってもよかった。。


HK
広島市内の私立学校のホームページです。
みょうな郵便番号が載っているのですね。

またお節介にも先日HPにメイルいたしました。
「間違えていたらスミマセンが・・」

で?
ハハ、無視です。

私立の学校と言ってもお役所に近いのかなあ。

まさか学校で「服装の乱れは・・」
なんて言っていないことを祈ってしまいました。


追記します(5/13)
上記の郵便番号は私が間違っていました。
お詫びして訂正します。
返事がないのはないままですが、正しければ
そうかもしれませんね。

NHK公器高齢者視聴制度?

2008-04-19 10:05:54 | 塾あれこれ
なぜNHKに注文をつけるか。
それは金を払っているからです。
若い頃は見ませんでしたから「取られる」感覚でした
が、払うのには良い面もあります。
堂々と注文をつけられるのですね。
民放なら注文つけても「なら見るな」でしょうから。

高齢者を中心に視聴されるNHKです。
見れば金を払っても「もとをとる」ことができます。
見ない若者からは金を取りづらい。

そこで番組改編で若者路線を打ち出してきた様です。
何のことわりもなくボンと「新しくなりました」

まあ、私に断りがないのは当然としても、全国の年寄
に十分なご説明が無かったのではないでしょうか?
どう作り変えようがNHKの自由、ということでしょう。


さて始まってみますとやはり若者向き=ウルサイ番組
という事になっているようですね。
随分見くびられたものですが、それともそのほうが
多少なりと視聴率はあがるのかなあ?

もう一つ明白なことは民放で流行っている番組を真似
するということ。
どうやったら若向きか分からないのかもね。

真似して民放に勝てるか?
遠く及びません。
もっと面白い民放があるのに亜流を見るか?
見ませんよね。

若者向きのウルササで老人は離れます。
若者はほとんど寄り付きません。
結局視聴者総数は減ります。
あるいはガマンして見る。
いつでも他へ変わりうる層が増えるのです。
(実はTVよりラジオの変わり方がひどい)

金をかけて番組を改変しなくても分かる事です。
優秀な人材の宝庫でしょうから。
では、なぜこうなるのでしょうか。。。


老人は将来性がない。
金だけはとるが今までが過剰サービスすぎたので
「現役世代にも目を向ける」姿勢を示そう。

これは後期高齢者医療制度か?
公器高齢者視聴制度か?

なぜこうなるのでしょうか?


老人向け公共放送で何が悪いのでしょう。
何時の時代でもそうではないですか。

若者からも金を取ればよいのです。
見る番組がない、といえばNHKで勉強しろ
と仰れば宜しい。
レベルが高い、多少古臭いことができるのは
お金をとるからです。


役所の事務処理能力が落ち(読売新聞が認めた)
衛星は故障続き
企業は外国においつかれ
こんな日本とNHKのモタモタとは似ています。

優秀な人も多いだろうに。
なぜ?

人徳も死語か

2008-04-18 09:33:41 | 塾あれこれ
ある学校の校長が年度末で退任されました。
昨日ご挨拶の葉書が届いて知った次第です。

誰も永久に仕事を続けられるわけではありません。
長い間のお仕事に敬意を申し上げます。

残念ながら完成していないかもしれない「改革」は
引き継がれてゆくでしょう。
たとえ現在未完成でも仕事の評価は高いと思います。
何事も動かし始めることこそが最も大変ですから。

共にお話をする機会を下さるような校長だっただけに
お辞めになったことは私としても寂しい気がします。

K校長の様な方は存在自体が学校の教育方針を示して
下さる感じがしておりました。
お話も上手とは言えないまでも、訥々として説得力が
ありましたね。


およそ教育者には2つのタイプがあります。
人徳で進まれる方と理論をしっかり実践される方と。

司馬遼太郎風に言えば
西郷と大久保、近藤と土方、のような感じです。

K校長は人徳派のように思えましたがどうでしょう?


一般に人徳派は少なくなったのではないでしょうか。
人間が小粒になってきましたからね。

昔はサヨク運動の学生をウヨクの校長が庇ったりした
ものですがねえ。

より上層の人たちが人徳派を評価しなくなってきた
ような気もします。
人徳派がいてもサポートが弱いこともありそうです。

そんな現代日本にあって人徳派の校長として勤められた
K校長。

次のステージでの活躍を期待いたしております。