年明けてするにははバカバカしい話

2006-12-31 11:53:59 | 塾あれこれ

新年になってするには馬鹿馬鹿しい話なので今のうちに
ただ、少しだけにします。

塾のことを言われたので塾から反論というのでは
いかにも「さもしい」感がありそうなので。

新聞報道などによると教育再生会議というものがある
そうで、学識豊かな方などが日本の教育の将来を考え
ておられるのですが、そこで彼の世界的なN賞受賞者
の大学者N氏が「塾は禁止」と言われた。
それを役人が取り合わなかった様である。
まあ、こんなニュースでありました。

あくまで報道によっての話ですから間違えていれば
ゴメンナサイ。

塾も批判される処は大いにありますからそんな意見
も一般論としてはありうるでしょうね。

ただ「教育を再生したアタツキには塾を禁止」と
ある。
これにはお役人ならずとも???でしょう。

再生されれば誰が塾へ金出して行かせますか。

「気に入らない」のであればそう言えばよろしい。
「教育は再生させるから禁止」などというから論理
が成り立たなくなる。
今日ビ、賢い小学生なら変な理屈と思いますよ。

まあN賞を得ようと思う若者にはよいニュースかも
しれません。あの程度でよろしい?

気分の問題で「自分は塾には行かなかったがエライ
学者になった」と仰っているのでしょう。
それへ突っ込むのはルール違反かもしれませんが
案外気分とかイメージも大切なものですから一言。

「昔はなかった」(=誤認)から今も無しでという
のならば
警備保障会社なんてつらいね。
警察を建てなおしたら禁止されちゃうぞ。
ケータイも禁止だね。
そんなものなくてもN賞はとれる!
水洗トイレはなくても立派にN賞をとれる学者に
育ちました、これも禁止です、なんてね。

暮もおしつまりました。アーノンクールいいでしょ?

2006-12-30 14:19:13 | 塾あれこれ

年末はバテます。ふだんサボっているバチですね。

受験生の人には暮れも正月もありませんから、私も
ノンビリするわけにはいきません。
とはいえ、よる年波でバテルと先週末辺りからは
医者通いです。情けないですね。

私からみると、受験生で正月毎日勉強するのは悪くは
ありませんが、できれば1日間はまるまる空けると良い
でしょう。これが一番で、毎日勉強漬けは次善。

これ以外は参加資格を貰えないでしょう。

でもまるまる1日空けると言うことは前後の勉強は
かなりハードになります!

気が入っていれば風邪などひきませんが
注意だけはしましょう。
急に寒くなってきましたから。


昨夜、広テレでアーノンクールをやってました。
拍手は消えていましたね。
音楽を聴くということでは結構なことですが
なんとなく寂しいような気もします。

咳なども全て消してあるので逆に臨場感が乏しい
感もあります。難しいものですね。

指揮者としてはモチロン音楽だけの方が良いんで
しょうね。

モーツアルト。
思い切り粘らせるところと疾走感あふれるところと
絶妙の按配ですよね。

昔のタイプの演奏を聞くと物足りなく思えるのが
今という力なのでしょうか。

例えば、私が好きなヨッフムだともっとさらっと
全体的に速く明るくいかにも饒舌です。
これはこれで気持ちが良いものですけれど。

現在の眼からは陰影が足りないかもしれません。

優劣の話ではありませんが。


アーノンクール再び

2006-12-27 11:20:18 | 塾あれこれ

年末、再びアーノンクール・ウィーンフィルを放映と
いう番組宣伝が流れているそうです。
広島テレビがどういう形で流すか楽しみですね。
(11/5と12/2の文を参照下さい)

1 当日会場であったままを流す
2 音を消す
3 問題の楽章だけをとばす
4 先日の放映をそのまま

私は希望もあり3を予想するのですが。

それにしても楽章の間毎にCMを入れるのって
恥ずかしいね。
広テレさん!

昔サッカーの試合途中に中断してCM
があったけれど、似てません?

本気の判断

2006-12-23 11:19:42 | 塾あれこれ

本気モードになっているかどうか、受験勉強では
一心不乱、あるいは髪振り乱して集中している、
こういう状態ならばかなり「来て」いますね。
顔つき目つきが変わってきます。

(ご家庭で変わったと思われてもプレッシャーが
 かかっているだけ、ということもあります)

本気になれば宿題なども早く沢山できて、また
よく合います。
ケアレスミスはせず覚えることは1回で覚えます。
計算間違いなどもしなくなります。

ご家庭ではこの辺りが判断材料でしょう。

塾ではこれらの他に、生徒が塾を「追いたてる」
ようになると「真剣になったな」と思います。
もっとも、若い先生ですと表面的なことで
読み間違えることもあります。
形だけ宿題をもっと多くくれ、とか質問を多く
するとか、本人はそれで「本気」なのだが
実は表面的でしかない、のです。

本気になっていない、ときは
いつまでも同じ事を覚えていないとか
簡単な計算間違いをする、問題を正確に読んで
いない、苦手な処が進歩しない
など「歩留まり」がよろしくありません。


過度な受験勉強は逆効果ですが
競争があることですから
相手が毎日必死になって集中しているのに
「リーズナブルな家庭生活」を優先させるようでは
勝負は見えてきます。


人間の成長にとり異常な受験勉強や競争は有害です。
けれども、世の中では「いざ競争」と迫られる場合が
あります。全く競争しないで済めばよいですが。

ギアチェンジして集中できるかどうかは、とても大切
で受験勉強はそのための良い機会でもあります。


ただし重ねて強調しますが、本人をムリヤリひっぱる
と切れてしまうおそれがあります。

難しいのは
本人が伸びきって無理をしているのか
持てる力を精一杯出している最中なのか
この区別です。

ご家庭で心身の健康に気をつけて上げられますよう。

もっとも、受験塾の経験からすると
頑張りすぎ、という子よりも
ツモリだけ先行、という子が多かったように思います。

タイミングがずれましたが

2006-12-20 22:29:36 | 塾あれこれ

いささかタイミングを逸してしまいましたが日曜日の
サッカーは大方の予想に反しインテルNが勝利しまし
た。紙一重の差の勝利ではありましたが、自力で大差
のついている相手と対等に戦っての勝利はいくら褒め
ても褒めすぎではないでしょう。

バルサのコンディションなどを差し引いても素晴らし
い力でした。
マーク・レスターに似たアレシャンドレ君は緒戦ほど
活躍できませんでしたがそれでも先が楽しみですね。

この試合で分かることはモチベーションの大切さ。
余りに常識的ですが、こんなトップクラスですら気持
が大きく左右するのです。

翻って、受験生。
気力が大切であることは同じです。
これからの頑張り次第で追いぬくことも可能です。


毎日必死で取り組むことが受験勉強の最低限の条件
ですが、どのくらいやっていれば一生懸命といえる
のか、とても難しいですね。

昔から言われていることですが
「人並みにはしている」と自分が思っているときは
そこまでのレベルには到達していません。

人並み以上に必死で頑張っている、と思えばそれが
人並みのことしかできていない、サインです。

塾の仕事を続けてよく分かります。

自分には見えづらい事ですから、ひどい人になると
他人以上と思って人並みにも届いていない、なんて
こともあります。結構しばしば。

今回のバルサだってナメていたわけではないハズ。
プロですから。ただどうしても甘くなっていた。
ほんの少しの差なのでしょうけれど。

プロですらそうですから受験生は気を引き締めて
かからないといけません。
(もう1回続きを書きます)

ロナウジーニョの言葉

2006-12-18 15:26:12 | 塾あれこれ

日韓開催のときのあの若者が世界一になって久しい
ですね。
その彼が今回の来日で日本の子供たちにメッセージ
を出したニュースを見ました。

「生きろ、自殺するな」

そうです。これですよね。

私の先生が言われた言葉を思い出します。
(11/29と11/20の文をお読み下さい)

立派な教育者であられた我が師と世界一の選手が
同じ言葉を発しています!

私たちも折に触れ子供たちにメッセージを
出し続けましょう。

識別が苦手

2006-12-16 15:53:11 | 塾あれこれ

自宅から一歩も出ない日があるほどの運動不足を補う
のが八幡川河口の散歩です。
歩く時間帯がほぼ一定ですので潮の加減などで野鳥を
見かける具合も大きく違います。

天候にも左右されるようで、雨が上ったばかり、道は
まだ濡れているという時には多くの鳥を見かけます。
尤も、辺りに人が少ないセイもあるでしょう。

望遠鏡やカメラなどを持たず、ブラブラと歩くだけ
ですから、いつもと違うのがいるな、位のことしか
分かりません。

家に帰ると、どんな鳥であったかを忘れ去っており
調べようもない。
調べても違いが分からないことが多いし。

カモの仲間、くらいはわかってもそれ以上は区別が
つきません。オナガガモ、ヒドリガモ、コガモ、
カルガモ・・・?
カモメもカラスさえも識別不能。

セグロセキレイか?ハクセキレイか?声は?
で、これもいまだに分からない。

シギでも、くちばしに特徴があれば別ですが多くは
さっぱりです。

今年はシギを見なかったのですがここにきてやっと
何種類かのシギを見かけ、コチドリか?イソシギか
などと噴飯モノの思案であります。

カミサンにはパンジーもビオラも区別できないので
バカにされていますし。

生徒には勉強しろと言いつつ、自分は勉強不足で
ダメですね。

でも野鳥を気にするようになって少し世界が広がった
かもしれません。

先日はたぶんカイツブリが数十羽おり見ものでした。


自作のコシオレから

『虹色の冬雲目ざし消えゆける渡りの群れを人は仰がず』


写真はウチのまな娘。

めったに撮らせてくれないのでボケてはいますが
皆様にご紹介です。

今年の漢字

2006-12-14 11:34:44 | 塾あれこれ
恒例になった「今年の漢字」は「命」と新聞に出ていました。
なるほど。

今年の課題、話題からいうとこれしかないでしょうね。

ただ自殺問題だけに絞れば「命」より「生」かなあ。
これは3位でしたね。

この二文字のsれぞれのイメージは
「命」はそこにあるもの、授かったもの。
「生」はそれよりも動きがあるように思います。
主体的に生きてゆくということです。苦労も伴う。

それで「命」が多いとしたら現代人はスタティックな
ものが好みかもしれません。少し甘い?


塾で生徒と向き合っていても自分で動くということが
難しい人もいます。
二十年くらい前の塾の生徒よりは増えていますね。

何かあればすぐ聞く。
もちろん聞かないよりも、遥かに良いことです。

ただし、自分で考えることをしないで聞くのでは
「助けてくれ」といっているだけで自分で動こうと
していないことです。

成績が良い子でも良くない子でも共通の傾向がある
ように思います。

「命をみつめる」より「生きる努力をする」こちらの
比重が小さくなった現代社会の反映でしょうか。

お金で解決できる便利な世の中になったことが
却って自分が動かない人間を増やしたのでしょう。
情報も即座に豊富に手に入ります。

ただ自分の力を伸ばすためにはどうしても自分で
動かねばならないことが多いのです。

具体的な場面で一つずつ
「よい質問」であるか「何をどこまで考えたか」
常に常に大人が気をつけてリードしなければ
ならないのです。
そうしなければ「自分で考える」子は育ちません。
現代の日本では時に気をつけるべきことでしょう。

フにおちる

2006-12-13 14:15:09 | 塾あれこれ

腑におちる、というやつですね。
もっともこれは美しい日本語であるか多少疑問です。

難しい話は結局タナあげです。
苦労してみたのですが今の私にはまとめられません。

勉強不足を痛感します。
あるいは今まで勉強した中に「分かる」ということも
あったかもしれません。忘れているのかなあ。
「分かっていない」オジサンの証拠です。

繰り返しますが「本当に分かる」ということは哲学的
な話です。
ここではそうではなく通常の学習で「分かる」という
瞬間について。
腑に落ちなかったのが、ある時に「落ちる」

どうも気持の問題のように思えます。
その証拠に、錯覚のような「分かる」も多いですね。

また人によっても、同一人でも場合により理解の程度
に差がでますね。これも裏付けになると思います。

それらの程度の差は自問自答の深さの違いが大きい
ようにも思います。

難しい問題を勉強したとしても吸収する時に軽く
いわゆる上滑り状態で「納得した」と思う生徒は
「分かっていない」ということが多いでしょう。

直ぐに訊いて直ぐに分かる、というタイプでは
「頭が良い」子か成績が伸び悩む子か両極端になる
ことが多いと思います。

自分の言葉に直して吸収しているか、も大切です。
イメージとして言えばデジタルよりアナログの世界で
納得するほうが剥落が少ないと思います。

「分かったつもりにさせる」教え方も大切です。
けれどもそれだけでは不充分、あるいは危険です。

まず「分かって」もらい、次の段階で正確なものに
グレードアップしなければなりません。
ただし理解能力の成長を見極めなければなりません。

個別で教える、所以です。

教育とは、一人一人のカリキュラム、シラバスを準備
し、運用を柔軟にする作業なのです。


新聞に「水伝」のことが載っていました。
学校で流行っているとか。

これは教える方便にはなりませんね。
「分かり易く」するために敢えてうそをつく、という
範疇から外れてしまっています。

まず、修正する可能性の問題があります。
また、間違いの内容の深刻さもよくありません。
タチが悪い、という記事は納得できます。

・・教える側が信じていたりして。
まさかそれはないでしょうけれども。

本当といっても

2006-12-11 13:26:47 | 塾あれこれ
敢えて本当のことは言わない、といっても
そもそも本当のことって、場合により確定できない
ことも多いですよね。

天体の動き一つとっても視点をどこに置くかで
無数の動き方ができてしまいます。

細かすぎる話は子供にはできません。
厳密なことは言わず、というより私など一定範囲
のことしか言うことができないのです。

例えなどを使って分かりやすく話をするといっても
自分自身がそれでしか分からない、といのが正しい
のかもしれません。

何はともあれ・・?
分かりやすく教えてもらう、ということと
それで本当に分かっているか、とはセットになって
考えられるべきですが、後者が弱くなりがちでしょう。

塾ではどうしても問題演習に比重がかかる
のですが、その量を増やすと言うことは

○分かったツモリのままにしない
○練習量をふやして理解を進める
○応用できるかチェックする

などを行なうと言うことです。

ただし、出来るから分かっているとは限りません。

やってみて○を取れているので分かったと思うこと
が多いですよね。
○を取ることが勉強だと思っているフシがあります。


われわれでも何か説明されて「わかったか」と言われ
ると「いいえ」ということは言いづらいものです。

説明をしてもらうと、その話を追っかけれられただけ
で「分かった」と思ってしまいがちですしね。

(明日、まとめます)