「教えない」で「責任感」を

2010-02-27 20:54:01 | 教えない
一定の責任感がなければ勉強がいまひとつ伸びない
ということもありそうです。

もちろん「逆、必ずしも真ならず」
勉強ができないから責任感がない、とは云えません。


無責任だと、勉強が適当になります。

たとえば、確かめなどもしないでしょう。
やる気も持続しません。
競争しても途切れます。

宿題ができなくても平気
自分の実力が発揮されてなくても平気
覚えるべきことを覚えられてなくても良心はとがめません。

「無責任」という言葉はオオゲサかもしれません。
「テキトウ」かもしれないですがね。


「あれ、おかしくないかい。どうやってこうなるの?」
「さ~?」

私はこんな場面で(無責任?)と思うのです。
もちろん色んな「さ~」がありますからすべてを
無責任と思うわけではありません。

現在の日本では教え方のハウツーが進歩しており
丁寧に、分かりやすく、あきないように、教えてくれます。

でも、受け取る側の中にはそのことによって
自分で考えることをせず、自立しない分、一種の無責任
が生じているように見えるのです。


社会による影響もあります。

ハングリー精神が満ち溢れる社会では、やる気も起き易く
責任感が育ちやすいと思います。

大人、他人とのかかわりによる影響もあります。

「~は当たり前」という気持ちが責任感に結びつきますね。

宿題位するのが当たり前でしょう、という子なら
成績は伸びますよね。


スポーツをすることは勉強にプラスでしょう。
もちろん無責任な子もいるでしょう。
ただ比較的責任感が生まれやすいですね。

その責任感が勉強によく作用するのです。

もちろんスポーツで勉強に割く時間が減りますから
練習量の確保には気をつけなければなりません。

とはいえ一定以上の量をする必要はありません。


人により必要量は違うはずなのに、一斉に宿題を出す
ことが普通になっている日本はヘンですよね。

ムダやオーバーワークをひきおこします。

ただ保護者の方はたくさんの宿題が出ていると安心される
傾向が強いようです。

塾の中にはそれを逆手にとって、オリジナルプリントなる
ものを思いっきりだす処が多いようですね。
(どこがオリジナルなんだか・・)

使いこなせなきゃ意味がないのに。

塾の責任転嫁に役立つこともあります。

「これだけやってくれないと」
「覚えさせてください、さもないと通りません」

覚えてくれれば、目先の点は上がりますが
いつまでも受け身でよいのかなあ?


社会全体が無責任だと、子供もそうなりやすい?

省エネ、とか口先で云いつつ実行が伴わない社会で育つ
子供に責任感を求めるのは無理というものですね。

悪戦苦闘する背中を見てもらうのがよいのですが。


話がずれてきました。

(教えない)の世界では自立心が育ちやすく
責任感が強くなるものですが、その話は別の機会に。

(・・タイトルに偽りありですかね)

どうやって削減可能なの?

2010-02-26 21:56:19 | 塾あれこれ
温室効果ガス削減です。

このところTVや新聞は五輪報道ばかりで
国際公約?の重大問題25%削減など先送り
になっているようです。

2月4日付の朝日新聞に驚く記事が載りました。

温室効果ガスの削減目標設定を政府が行うのですが
環境大臣が素案を提示されたというものです。

政府目標の25%削減のためには、産業部門は
すでに省エネが進んでいるので負荷を少し下げ
家庭部門は排出量が増えているので大きく下げる
必要があるというのです。
(産業界は国際競争力が大切らしい・・)

2020年までに、家庭部門は05年比40~49%削減だとか。
どうやって10年間で現在の半分にできるというのでしょう?

もしも、私がそんなことを言い出せば
「おっさん、アホちゃう?」と云われそうですね。

ただ数字を出せばよい、というのでは無責任でしょう。
世界中から「やっぱり本当はやる気がないようだ」と
いわれるに決まっています。

そんなお仕事で給料をもらえる官僚っていいなあ。
その給料も元はといえば税金なんだけど。


マスメディアが思考を停止したかのごとくに何も云わない
のも、ここまでくると笑ってしまいます。

国際競争力保持のため産業界はイジメないように、
とは仰るのですがねえ。
エリート意識が目を曇らせている典型的な例でしょう。


昨年10/8,10と14、一昨年も削減に関するオシャベリを
当ブログでいたしております。

各家庭での省エネなど、実感として大変です。
これはほかのご家庭でも同感頂けるでしょう。

もちろん先の政府素案は各家庭が直接40%全部を
削減する負担を負うと云うものではない、と思いますが
利用料金の大幅な上昇など、我が家ではすでに削減努力を
しているのに、なんて不満もでるかもしれません。

とにかく1年で5%でも大変です。
それを毎年続けてゆくのは至難の業。
落としたままを維持するのだってシンドイのに
翌年その上に5%、さらにまた5%、これをず~っと
続けなければならないのです。

余裕がある人は省エネ装備ができるでしょう。
現在の価格で太陽光発電とか、どこの一般家庭で
設備できるでしょうか?

先に省エネ対策に手を付けた人は、今回の住宅
エコポイントで損したと思っていますから
なるべく新しい対策は先送りをしますよね。

こういう次第で、地球環境のためには直ぐにでも手を
つけねばならぬ話が、グズグズと伸びているのです。

政治家にしてからが、鳩山首相が目標を打ち出した後
機器の購入は別としてどれほどの努力を?

私はこうしていると範を示していますか?
国民に呼びかけていますか?

首相の家計を騒ぐよりもですよ、
マスメディアの関係者、公務員・・・
まず隗より始めよ!!


ついでに塾の先生もね。
生徒に聞かれた時に具体的に云えるように。
それだけ?と笑われないように。
いついつから努力していると公言できるように。


前も書きましたがダイエトと同じで初めは頑張れる
のです。ペースが出てくれば面白い。

でもガマンして続けているのではシンドクなります。

リバウンドがくる。
あるいは体を壊す。

日本が世界に率先して、たとえ他の人、他の国がして
いなくても、頑張って実践する価値はあることです。
それを実現させるためには実行する段階での知恵と注意。
慎重にいかないとコケますから。

『弾左衛門とその時代』

2010-02-25 22:54:17 | 本の話
昨日のブログは格調たかく?書くはずが何かしっくりきません。

後で気づくのも情けない話ですが
私は収入が少ないので、納税などにあまり言及できる
立場ではないのでした。ハハ・・

何でも書けばよいと云うものではないのですよね。


今日は久しぶりに本の話です。

塩見鮮一郎著『弾左衛門とその時代』河出文庫

著者は小説も書かれますが、この本はノンフィクション。
13代浅草弾左衛門(弾直樹)をメインに江戸時代の
身分制度における被差別の世界を表した本です。

たいへんに勉強になりました。

難しいテーマで硬い内容ですが、小説もモノされる筆者は
読みやすく書いておられます。

たとえば、奉行所へ差し出した文書が残っており
まずそれを引き写しますがすぐに現代語訳をつけます。

「・・御訴奉申上候処御聞被置候」
「・・訴えて聞き入れられました」というものだ。

(本文はもうすこし前後分かりやすく書いてあります)


この本では、幕末から明治にかけての被差別の世界を
分かりやすく読めますが、それだけでなく、革命ともいえる
激動の時を人はどう乗り越えるか、あるいは時代の流れに
飲み込まれるか、そのドラマにも圧倒されます。

同じ著者で河出文庫『車善七』がありますが
これは被差別の階層の更に下があった、という話です。
一対の作品で、こちらもお勧めです。


文化、文化といいますが負の側面もある
(きっと世界中どこの文化にも大なり小なり)
という話でもあります。

もしも万引きを見かけたら

2010-02-24 18:16:38 | 塾あれこれ
小学校低学年の頃、一度見かけたことがあります。
それも知っている子供でしたからショック。
私がもう少し大きかったら対応も違ったでしょうが
その時は黙ってしまいました。

もし今スーパーか何かで見かけたとしたら、
やはりビビルかなあ?
その時にならないと分からないような気もしますし
小心が前面に出てしまうような気もします。


仮にどこかのお金持ちのご婦人が万引きをしたとしましょう。

「え?あんな人でもやらはるの?
 ウチらもやろうか、最近生活きっついし。
 バレなきゃエエんちゃうの」

という反応があれば、それをどう思われます?

決してお勧めの反応だとは云えませんよね。
我々は神様じゃないんだから誘惑がいっさい起きない
わけではないでしょうが

「人として、良くない」
という考えが絶対的に正しいし、無責任なTVのコメン
テーターですら同じ意見を云うに決まっていますよね。

世の中には悪い人もいるかもしれないけれど
やってはいけないことをしてはダメです。


では、ある意味で国を代表するような人が脱税をした場合は
どうでしょう。

鳩山総理が「脱税」かどうか議論があるかもしれませんから
単純に話を「した」ということに仮定して話を進めます。

偉い人が脱税をするのなら皆もそうしますか?

総理や幹事長の疑惑はきちんとすべきでありますが
万一、人が悪いことをしているのなら、自分もよいのだ、
ということになるのは、許される話ではありません。
(たとえ相手が総理でも)

気持は分からなくはありませんがね。

マスメディアも、禿で有名な評論家M氏も
「国民の納税意欲をそぐ」と声高になられますが
そう云うこと自体が国民の気持ちを削ぐのです。
「取られるのか、ヤダなあ」と。


「たとえ万一、総理の行為が脱税目的であったとしても
 国民は正しく税を納めるべきだ」
と強く叫ぶのが人間として当然でしょう。

なぜなら、納税は人間が社会を形成して生きてゆく上で
最大の義務であり、また尊い行為であるからです。

誰だってお金は払いたかありません。
でも社会に生きる以上当然すぎることなのです。

不備も多いでしょう。
不満もあります。

でもそれと納税の義務とは別次元の話なのです。

兵役の義務は尊いことです。
(良心的兵役拒否は別の問題ですから
 棚にあげておきますね。
 徴兵の是非も同様タナアゲです。)

納税の義務も兵役も同じ重さで尊いことなのです。

マスメディアはなぜそれを云わないのでしょう?

彼らの精神構造がいかに品のないものであるか
このことだけでも明白な証拠になりますね。
「ウチらも万引きしたなるわ」に同調しているのと
同じことですから。

反権力とか云って対案も出さず好き勝手に政府に反対
とばかりしゃべっていますが
ひとたびファッショの世の中になれば
お先棒をかつぐのが目に見えるようです。

いつからこれほど倫理感の薄い国になったのでしょう?

米国式文化が昭和の日本にどんどんと浸透し
「武士は食はねど高楊枝」を追いやった時期と重なる
ように思うのは邪推が強すぎますか?

勤勉さがうすれ、正直をバカと同義に扱い
気がつけば勉強意欲の低い子供が増えている

こんな(症状)ともシンクロしていそうで・・


いまこそ大人がバカ正直をなすべき、と思いますが
塾に来る子供たちにそんな話もできません。。。

「教えられる」から「教えない」も可能

2010-02-23 22:04:19 | 教えない
ご家庭で「教えない」を段階的に導くことは難しいでしょう。
塾や学校の先生をなさっているとか、教える技術が
格別の方なら別なのですが。

もしも「教えない」という世界を塾などと協力して
子供に身につけてもらおうとするならば、思い切って
「塾に云われたから、家では一切教えないことにする。
すべて塾で聞いてきなさい。」と子供に諭すのが
間違いが少ないと思われます。

なぜならば、「教えない」を導くためには
「教える」ことが十二分に出来なければならないからです。

(こう書くと「ふ~ん、あなたはずいぶん自信がおありで」
 と云われそうで恥ずかしいのではありますが、少なくとも
 業界で数年しかキャリアがない、なんて人には大変に難しい
 教育法であるのは間違いありません。
 急いで付け加えますが、キャリアが少なくても上手い人も
 おられます。絶対数が少ないだけで。)


ときおり診断が的確でかつ早いお医者さんがおられます。

一目見るなり「あ、これは」と言い当て我ら患者は驚くのですが
よほど勉強され、また経験を積まれていることが分かります。

それと一緒にしてはお医者様に叱られますが
塾も長い間やっていると「あ、この生徒はここで躓いている」
とすぐに分かるようになります。

色んな教え方に通じ、生徒とのやりとりを重ねしているうちに
ストックが増えるのですね。
教え方も上手になろうというものです。

勿論、瞬時に「処方」ができなくてはならず、加減も必要です。

(白状しますが、私は教え方がそれほど上手ではありません。
 前の塾にいる時は「オレほどの奴はいまい」と勝手に
 うぬぼれていたのも事実ですが、根拠のない自信で・・)

ま、私個人はさておき、仕事を一生懸命にやっていれば
技能もあがりますから、その段階になって初めて「教えない」に
挑戦できるのです。

会社にお勤めなどのお父さん、お母さん方は教えるにしても
一つか二つの方法論しか持ち合わせがおありでない・・
ということが多いのではないでしょうか。


またね、「教えない」ってシンドイんですよ。
(教える)ほうも、(教わる)ほうも。

一直線にそればかりやってたら疲れ果てますから。

(壁を越えるべきときには、それもアリに変わるので
 人により大変につらい時期がくる場合もあります・・)


それから比べると「教える」って何と楽なんでしょう。

子供も喜びますしね。
「塾で分かった!出来るようになった!」
教えてあげる方もうれしいものです。

「なんでウチの子に教えないんだ」と保護者から
お叱りを受けることもありませんし

上手に教えてみんなハッピー、は今の日本向きです。

が・・

長いスパンでみてスポイルしていないことを願うばかりです。

(↑これも、以下のことを申し添えますが
 つねにスポイルしている、などというわけではありません)


話題が変わりますが
西広島タイムスに乗せたEメイルが今使えません。

申し訳ありませんが、もし資料請求などがおありの時は
電話を下さるよう、お願いいたします。
お手数で恐縮です。

段階的に「教えない」

2010-02-22 21:57:53 | 教えない
子供「かーちゃん、分からん」
親「自分でやんなさい」
これが少し前までの(標準)・・かな?

現在は・・

お子様「ママ、分かんな~い」
お母様「どんなこと?ママに見せて。」
あるいは「塾で聞きなさい!」・・かな?

塾では「家で教えないでください」とお願いするところも
増えていると思いますね。
私も以前は「なるべく教えないでください」とお願いして
いましたが、最近は多少ゆるやかになっています。


子供によれば、分からなくてもじーっと黙り込んだまま
などという子がいますから「分からん」のサインが出ることは
それだけでも進歩といえることがあります。

自分から分からないと云わなければ教えてはもらえないと
早めに身につけさせる必要がありますね。

次の段階では、いつまでもすぐに「分かりません」だと
依頼心が強くなり自分で考えようとしない恐れがあります。

そうすると「すぐに分からないと言ってはいけない」という
ことを理解してもらう必要が出てきます。

ただ、それを分かってもらうのは大変に難しいことです。

「何をどう考えたらよいか」すら分からない人もいます。
冷たく突き放すだけでは今の時代に合いません。

少しずつ、行きつ戻りつ、様子をみて、深めるのですが
ある場合にはプレッシャーが必要なこともあります。

もしも、「ママ、これって、何々となるはずなんだけど
少し変なんだよね。何故だろう」などと言ってくれると
ありがたいですねえ。

こちらが「どう考えたの教えて」と云えるところまで
小学生では行きたいものです。
(あくまで目安として、ですけれども)

難しい話ではありますが、ここまでくれば入試にも強い!

ただし、入試のために「教えない」のではありません。

またその反対に、人により状況により入試を優先させて
「教えない」は別の機会にという選択も十分にありえます。


中学は人としての自律性を高める時期です。
自我も格段と強くなります。

「分かりません」とは云いづらい、少なくとも
友達などに聞かれたくないという心理になりやすく
質問ができないまま時間がたつこともありそうです。

時間に余裕がある場合は、もったいないですが
一見無駄な時間も必要になるでしょう。
悩んでいても・・教えない!

結局、自分から適正な質問ができなければためになら
ないと骨身にしみてもらわねばならないのです。

恥ずかしさより大切なことがある、
叱られても聞かねばならぬこともある、
これが身につくと有り難いですね。


私「○○くん、ン頁を開いて。
  今日からはこの単元に入りましょう。
  自分で説明を読み質問がなければ、演習!」

予めの説明は一切省きます。
早ければ中2の途中にここまで進む子もいますね。

慣れてくると生徒がこぼします。
「何にも教えてくれん」

さすがに「それで月謝を取るのはエグイ」とまでは
云いませんが、蔭ではどうでしょう?


云わずもがな、ではありますが上記は一つのやり方
です。
それが合わない生徒だっています。

私が(効果がある)と考えるだけの話ですから、
生徒に無理強いしてもよろしくありません。

合わない子はこんな塾とはかかわりをもたねばよいので
そこが学校と違う「塾の強み」です。

自分の土俵で

2010-02-21 14:32:41 | 塾あれこれ
「君たちが大きくなるころには世界を相手にするんだ」と
私たちが高校生のころ学校の先生に云われました。
40年以上も前の話です。

私など全くピンとこず、そのままうかうかと過ごし
後になって反省しましたが、・・・遅い・・

現在の子供たちには何と云えばよいのでしょう。

社会のグローバル化、国際協調、などと共に
国際的な競争の激化も避けられないところです。

良い車を作れば世界中に売れ、諸外国との関係ができますが
相手の社会状況・政治状況に否おうなく直面せざるを得ず
ぼーっとしていたらバッシングを受けますね。

必然的に会社内での国際化が急速に、かつ、大きく進みます。
子供たちは世界とつきあう強さを育てねばなりません。
また、厳しい競争を生き抜かねばなりません。


そんなときに外国人と同じ土俵では不利。

日本も外国と同じシステムを取り入れ、彼らに負けないだけの
エネルギーを注ぎこむことは可能です。
しかしそれでは勝てません。
ベースとなる部分が違うのです。

中国なら中国の文化があり、一人ひとりには「長い歴史」
という財産が蓄積されているからです。

アメリカにはアメリカのスピリッツがあり、浸透力と
普遍性は図抜けています。
日本でThe black eyed peasは何十年も早いでしょう。
徹底した競争社会を成り立たせる文化も敵いません。

韓国の集中力、インドの思考力、欧州の論理世界ETC

日本は何が可能でしょう?
他の国が真似できないこととは?

それを見つけ出す、あるいは再確認する、ここから始める
仕事が日本人全体に求められています。

教育も事情は同じです。

否、もしかすると教育界から社会に問いかけをできるかも
しれません。


日本人の優れていたと思われることを挙げてみましょう。
(すでに滅びかけているものもありそうですが)

個々人のまじめさ、倫理観の高さ、人を信頼できる心
嘘がつけない、規範順守精神、責任感の強さ、
ばらつきの少なさ、一を聞いて十を知る、工夫ができる
マニュアルが不要、などなど。

司馬遼太郎の『アメリカ紀行』から浮かび上がる
日本の良さを再確認したいですね。

日本の長所は「教えない」という教育法に結びつくものです。

完璧とは云えない教育法かもしれませんが、長い歴史が有効性を
証明しているものです。

明治の初めに世界を驚かせた日本人の優秀性は
塾や寺子屋が作り上げたものでした。
そこでは基本的には「教えない」教育です。

明治以降、学校教育が定着しても日本社会には古来の「教えない」
精神が生き続け、学校教育の欠点を補っていたのではないか
と思われます。

教育の伝統が薄まるにつれ学校教育の弱点が見え始め
現代につながると私は考えています。


丸ごと「昔に帰れ」は非現実的です。

どのようにすれば再び「教えない」教育を根づかせる
ことができるか、塾も及ばずながら頑張らねばならない
と考えますが、・・笑われちゃうかなあ?

大騒ぎ 一位逃して 銀と銅

2010-02-19 18:18:51 | 教えない
すごいですね。オリンピック。

私はライブをほぼ見られませんがニュースなどでも
真剣勝負のすごさが伝わります。

今、中3だったらオリンピックは見たいし
受験勉強もしなきゃならないし
つらい時でしょう。


それにしてもちょっと騒々しくありませんか?


本日は風が冷たい広島でした。
『早春賦』そのままですね。

TVではバンクーバーからライブ中継をしているであろう頃
いつもより早めでしたが、八幡川に散歩しますと
初めて見る野鳥の群れがいました。

映画『オーシャンズ』のCMでイワシか何かが水中で縦に渦を
巻くように泳いでいるシーンがありました。

それと良く似た光景を鳥が空中で繰り広げているのです。

ものすごい勢いで渦をまいたり、散らばったり
上下に波をつくるように飛ぶさまは、長崎の龍踊りを
ハイスピードにしたような爽快さです。

なんだろう?
鋭そうな羽、カモメくらいの大きさで
鳴き声はせず、羽が空気をきる音がササーと聞こえるばかり

五輪のフィギュアもすごいけれど、後刻TVで何度でも
見られます。

この百羽ほどの鳥のフィギュアは広島ではそうは見られない
ものではないでしょうか。

早めの散歩にでかけて良かった。

(五輪LIVEも本当は楽しみたい・・)


タイトルの川柳もどきは、別に金メダルでなくてはならぬ
というつもりではありません。

何位だろうと素晴らしい結果を出したという人もおられる
でしょうし、力が全く出せなかった人、
あと一歩!惜しかった人
さまざまでしょう。

良く頑張った、というコメントばかりTVから聞こえますが
それと同じくらい「やるからには金メダルをとれ!」があっても
よいと思うのですが、どうなんでしょう。

すべての選手がオンリーワンで楽しめたらよいわけ?
(出るだけでスッゴイとは思いますけれど。 でもね。)


ナンバーワンとオンリーワンと
語呂がよいので二者択一のように扱われます。

私はこの選択自体に問題があると思います。

もともと世界が違うもの、次元が違うもの、なんです。
したがって二つは同居もできるのです。

オンリーワンの自分を大切にしながら、オリンピックでは
ナンバーワンを目指す、それの何が悪いのでしょう?

ナンバーワンを目指していながら、結果が叶わなければ
オンリーワンって旗を持ち出してきたりすると・・


勉強でも同様です。

勉強ができない子も現実には居るでしょう。
勉強だけが人生ではありません。
自分らしさ、オンリーワンで生きることが大切です。

でもだからといって大勢の生徒が自分にとっての上を
目指して、ナンバーワンになろうかという勢いで勉強する
そのことも大切なことなのです。

「都合良く手抜き云い訳オンリーワン」・・字余り

オンリーワンを持ち出しては甘くなる、というのは
そういう意味です。

勝てる相手には力を発揮できるが、対等以上になると
もどかしい試合しかできないどこかの国のサッカー
なども似てやしないかなあ?

ナンバーワンへのガッツが何より優先する世界なのに
2流の大会、本番への準備と思い込んでる情けなさ。

(それを見抜けないから二流監督なんだけど
 彼にいま以上を求めるのは無理でしょう。)


個々人をいうのではなく、全体をとらえて
日本の学力って大丈夫と思われますか?

♪すっとん とろりこ すちゃらかちゃんちゃん

2010-02-18 18:48:47 | 塾あれこれ
様々な方がお亡くなりになられます。

私が何を書くといっても新しいネタがあるわけでなし
ブログでは訃報の話は避けようと思っているのですが
さすがに藤田まことさんの報には時代を感じました。

もうそんなに経ってしまったか。

いえね、まことさん、といってもただTVを見ているだけで
特に何が良かったとか、特別な思い出があるとかではない
のですが、それにしては何だか・・さびしーい。

そういえば財津一郎も『てなもんや』で初めて知りましたね。


代表作は、色々ありそうですがやはり『てなもんや三度笠』
ですかねえ。
喜劇の面白さを知りました。
団塊世代はそういう人が多いのではないでしょうか。

前田のクラッカーもよく食べた。

主題歌もよく歌いましたが、上記タイトルの挿入歌が
特に懐かしく思い出されます。

♪すっとんとろりこ・・・
 街道名物ご存じないか~

って、覚えてらっしゃいますよね。(お年の方なら)

明るくて、のびやかで、得難い役者でした。
これから先、あんなタレント出るかしら?


『すちゃらか社員』でのギャグ
「ふじくーん」も懐かしい。


ハハ、高校受験の真っ最中というのにこんなノンビリとした
感想を書いてて良いのかなあ?

「教えない」のココロ

2010-02-17 18:39:05 | 教えない
塾の営業に反するようなことばかり書いています。
これは(いつかもこのブログに書いているはずですが)
自分の考え方を相対的に捉えていないと
塾で生徒に接する時に却って危険だと思うからです。

自分にはこういう考えがあると認識し
それは伝えてよいことであるか、
偏っているかもしれないので注意して触れないでおく
べきか、そういう事を普段から繰り返して考えないと
自分の原理原則がブレたり、無意識に偏った話を伝え
子供をミスリードするおそれがあるからです。

別にブログで自分の名前を出して書かなくてもよいの
ですが、そうしたほうが私は責任がはっきりすると
思います。

また、営業に障りそうな事はハナから触れないでおく
という今の日本の営業に良く見られるセコイ姿勢に
不満を感じているからでもあります。

(本当は自分ちで細々とやっているからできる話でも
 あるのですけれども)

少し前に「○○党の寿司屋へ行くか」と書きましたが
学校や塾は「偏ったことは教えてはいけない」という
ことから先生自体に(偏った考え方)はいけない
という妙な短絡が流行っていることへの反発もあり
ます。

生徒に個性を持て、自立せよ、自分の意見を大事に
なんて教える先生に個人的意見がなくてはヘンでしょ。

ただ、こんなブログのまねをされるような塾はないとは
思いますが、ご覧になって分かるように、今の日本では
絶対的に反営業的行為になりますから
くれぐれも真似などなさいませんように。
(私は隠居仕事だから頑張れるのです。
 人間、ビンボで構わないと思ったらつおいですよ。
 ただしカミサンには頭が上がらなくなります。)

前置きというか自己弁護が長くなりました。

教えない、といってもいまの子供に急には実行できません。
時間をかけて最終的には教えないで済むレベルに上がって
もらうことが目標ですが、以前と違って難しさが、より
増してきているように思います。
(つまりこういう塾の必要性もある、と)

・・そんな話でよろしかったら明日またお読みください。