不信任は通るか

2011-05-31 21:30:38 | 塾あれこれ
カミサンが、内閣不信任は通るか当てろ、と仰る。

今夜から明日にかけて進行し場合によっては激変するものを
いまの時点で当てられるワケがありません。

ただ、素人ですからお気楽に「当てもん」を楽しみましょうか。
確率は理論上、二分の一もあるのですから。

プロの政治評論家ならばご自分の希望とは違うことでもクールに
予想されると思います。

こちとら、情報もないので予想なんてできるわけがありません。
あてずっぽ

(マズければ最悪、投稿を削除しちゃえばよい・・・不誠実?)

よって自分の希望的観測を述べる、ということになります。


いま政権を交代するとか、首相を変えるとかいう時期ではない
と考えます。

(私はアンチ菅ですが、優先すべきは震災復興です)

政治家ってよほどヒマなのですね。

復興にむけての能力がまったくないから、そこは官僚と
地方自治体に任せ(彼らにはそれしかできない政局)に
血道をあげるのでしょう。


現時点での不信任は通りません。
(希望的観測です)

万が一、通ることになれば総辞職はありえないでしょう。
衆議院の解散です。

選挙が下手な菅でも、今ならば勝つチャンスがあります。
復興が最重要なときに政局を混乱させた、と攻撃できます。

ついでに(憎き小沢)も叩けます。
可決していたら、小沢派も賛成していた公算が大でしょうから。

上記の可能性が強いということになれば不信任は
通りません。
現在の議員バッジを大切にしたいもの。

反菅の議員も、通らなかったら内心ほっとするでしょう。
選挙が厳しいかもしれないですからね。

ではなぜ出すか?

ここまでやったというアリバイ作りでしょう。
「不信任まで出したんだがあと一歩だった。」

もしこれが当っているとすれば何という連中・・・


菅内閣はヒドイ政治ですよ。
どうなってる!ということばかり。

でも今は政治家なら中に入って正しい政治へ引っ張るべき。
日本の方向を出してから政界再編をおやんなさい、
こう思うのですがねえ。


とはいえ、私がオオハズレで明日は大変になってる
かもしれません。
渦中の政治家が驚く流れが生じることもありますからね。

でも・・・まあ、ないでしょう。

ここで総選挙じゃ東北の人のみならず多くの日本人が
怒るよね。

政治家は「あっちが悪い」とお互いに言うけれど。
安モノの八百長相撲のようなケンカにみえて仕方ない
のですが、選挙民が悪いのかねえ。

ナショナルジオグラフィックが変わった

2011-05-30 20:59:33 | 塾あれこれ
6月号から誌面が少し変わりました。
ウェブサイトもリニューアル。

そういえばデイズジャパンもウェブサイトが充実して
きつつあるし、少しずつでも(進化)するのですね。


情けない話ながら加齢とともに変化を好まなくなり
瞬間の反応として「変えずともよかろう」なのです。
私、古すぎますか?

教育テレビの名称をEテレに、など最悪ですね。

なんていう語感をしているのだろう。気持ち悪い。

「~てれ」は略称や業界用語なら構いません。お好きに。
正式名称ならば困るのです。
その語感はないだろうと思う年配者がいるのですから。

お下品なたとえで恐縮ですが「ボボテレビ」とか
「テレビマンコ」なんて、ありうるか?
九州から「ボボとは何事と」関東から・・・
省略しましょう。

言葉は変わるとか、違和感のない人が大多数、では
済まない話ですね。

Eテレも似たようなものです。

教育テレビで良いじゃん、
どうしても使いたければ「愛称Eテレ」でどうぞ、
などと思っちゃうのですね。

多くの支持があるから構わないではダメなのです。

そもそも「多数であれば何をしても良い」ということは
・・話がデカくなるのでこれはまた別の機会に。

(多数の横暴ばかりしてると民主主義の危機!)


多少強引な話ながら、雑誌の編集その他もそう。

変えればよいとか、新しいメディアを大切にとか
若い人向けにしないと、とか
今までいかに多く同種の失敗があったことでしょう。

ライトな感覚で、情報は多く、簡潔に・・・との
お考えは良く分かるつもりですが、別に変えなくても
というくらいのマイナーチェンジは不要。


書けば書くほど古臭い。。。けど


最新号のナショジオで一番大切な特集はトルコの遺跡
ギョベックリ・テペについてでしょう。

世界史での農耕の起源、他に関係するので塾の先生も
知っておかねばなりません。
教科書的な常識を覆す話ですから。

とても興味深い記事で、多くの日本人が知るべき事ですが
表紙の扱いがとても小さいのです。
(女性差別の特集も同様に小さな扱い)

今月号で一番ページも多いのにどうなってる?

と、トシヨリは思うのですよね。

「何を考えてんだか、付いて行かれんなあ」

新編集ともきっと関係があるんでしょうね。


ともあれ
ナショジオをたまに読む方は今月号は要チェックです。

表紙に惑わされませんよう。

PS
中国における再生可能エネルギーへの取り組みも
興味深いですね。

中国は環境に悪い国の代表ですが(米国も)
真剣な取り組みも始まっている=当然すぎることですが
・・気づかなかった。

(記事中のグラフに問題アリとは思います)

魯迅『吶喊』

2011-05-29 11:35:55 | 本の話
高橋和巳訳、中公文庫

狂人日記、孔乙己、故郷、阿Q正伝などが入った
魯迅の第一作品集です。
これは高橋和巳の完訳版

230頁ほどの薄い文庫本ですが定価180円(昭和48年)


高校の教科書だったかで竹内訳「故郷」を読みました。

久しぶりに読み返して全体の印象は変わりませんが
幼馴染ルントウの描写が記憶のイメージより簡略で
これだけの描写であの強い印象を与えるのか、と
改めて感動しています。

名作は読み返すべきものですね。

若いころはまったく分からなかった「狂人日記」が
心に沁みます。

「孔乙己」も深すぎますね。
クラっときて何かにつかまらなきゃ倒れそうです。
こんな作品でも私は表面的にしか捉えていなかった。

話の内容はよくあるといえばそうなのですけれど
(歴史的にどうなのかはよく分かりません)
そういうことは関係ありませんね。

いつの記憶なのだか孔乙己のラストの姿をした物乞?
を見た記憶があります。
戦後はまだおられましたね。
正座の形をしたまま手をついて道を進まれます。

とある方が速いスピードで移動されており、見ると
下肢に自動車タイヤを巻きつけておられました。
子供心に強く焼きついたことです。


「魯迅の作品は暗い。」

高橋和巳の解説冒頭にこうあります。

人間を見つめた結果でもあり、魯迅という人の人間性でも
あったからでしょうが、社会の反映でもあったはずです。

貧困は人を暗くします。

現代社会が物質的に豊かとなっても人は幸せに結びつき
ませんが、かといってその反対に貧しい世の中では
不幸な人が多く出ることも間違いありません。

阿Qとあまり違わないような私でも現代社会では何とか
還暦を迎えることができているのですから。

中国政権が経済に血眼であるのも分からないではない気
になるのは半世紀前までの中国社会の記憶があるのです。

ま、それだけっていうワケでもないだろうけれど。


読み返してさまざまな思いがよぎりますが
加齢ゆえに分かることもあるようです。

「故郷」
主人公に母がいう何でもない一言が胸にしみます。

『二、三日休息をおし。
 親戚に挨拶回りをすませたら、行ってもいいよ』

余計なお世話で税金使うな

2011-05-28 18:42:40 | 塾あれこれ
写真は手のひらを骨折した時、2008年の情けない私

高校のとき肝臓を悪くして以来梅雨時は鬼門です。
更に塾業界は夏が忙しい。(私ごときでも多少は)

よって入試が済み、新しい生徒に慣れたころから
梅雨に入る前が、体をケアするときになります。

今年はケアをする前に梅雨になっちゃった。
今は歯などを治療していますがまだ途中なのに。

といっても多分大きなことはなくて細かいケアを
あちこちと。


先日、広島市健康長寿課から封書が届きました。

年に一回の健康検査の結果、お前はメタボだと。

ついては指定の病院に相談して体質を変えろ
そうじゃないと将来保険料がかかってオカミが困る
とこういう趣旨らしいのです。

先日、千田町の健康センターで検査をした折に
最後の医者との面談ではメタボとか言ってなかったぞ。

(お役所仕事でね、あのセンターには二度と行かない。
 ちょっと血圧が高めですけど、まあいいか、と言って
 済ませるのです。
 普通、二度目をするだろう・・)

メタボという概念自体を信じない私ですが
脂肪を増やさないとか高血圧に注意というのは分かります。

でも一般論ですからね。
私個人にはどうか?


実は手を骨折したときにダイエト中だったのです。

無理はしていません。
半年で2~3kgのペースです。
少しだけ食べるものを減らし少しだけ歩く時間を増やし
無理をして体を壊してはと慎重に(・・やってたツモリ)

そうして、風呂上がりに滑って手を骨折でしょ。
恥ずかしい。

リハビリの終わりごろに五十肩(重い方だと言われました)
一年以上通院していたら、梅雨どき、喉が痛い。
藪医者で点滴を受けたらこじらせちゃった。
カミサンはてっきりどこか悪くて入院モノと思ったほど。

その途中で痔も悪くなり・・・


この一連のきっかけがダイエトではなかったかと疑うのです。

証拠に?
太っても良いか、と生活を戻し、日本酒なども適量を
飲み始めたら元気になっちゃった。

標準体重とか一般論を信じて足かけ3年ほどバカみちゃった。
つらいし、金掛かるし。

もともと見かけで勝負するタイプじゃないし、還暦も過ぎて
もう太ってもいいんちゃう?
長年、健康保険料も払ってきたし、ねえ。


高血圧でひっくり返ってカミサンに迷惑をかけるのは
申し訳ないけれど、メタボ対策で苦労して倒れるよりは
適量の飲み食いぐらいは許されてよいのではないか?

もっとも最近ちょっとズボンがきつくて着るものが
なくなってきたので対策をとらないといけないようです。

ゴムのウエストじゃ恥ずかしいもんね。

PS
動物は飢饉が迫ると太るそうです。
ミトコンドリアのレベルでそう決まっているらしい。
人間も貧困層が太っている人が多いようですね。
・・・ってことはヤハリ・・・

BUY TOHOKU

2011-05-27 21:05:50 | 塾あれこれ
4/13のブログに大七が売れていないと書きました。
コメントも頂き、ちょこっとでも応援できればなどと
思っていたら、すぐに広島にも「東北を応援しよう」
飲むなら東北のお酒、なんて空気が広まったようです。

広島で4/10には売れていませんでしたから
わずかの期間でもどんどんと変化するものですね。

とあるスーパーに東北の酒コーナーができていました。(5/25)


この一か月で震災報道も変わってきましたね。
復興の力強い歩みも聞こえてきます。
また、一方ガレキだけでもなかなか片づけられない現実も。


いわき市で学習塾をしておられるW先生。
いま如何お過ごしなのでしょうか。


(復興支援にオーナー制度)というので、牡蠣や野菜が
動き始めているそうですが、我が家でも何かできることが
あるかなあ?
詐欺もありうると思うので気をつけないといけないけれど
何かへは参加したい気になりますね。


東北で今まで定期的にお付き合いしているものは
岩手の味噌、山形の蕎麦(乾麺)、青森の林檎などで
品物がとても良いのに価格がリーズナブル!

これを機会にBUY TOHOKUをもっとしなければ
いけないかなあ。

でも、遠いと送料がかかったり、時間がかかったりで
ハンデがついてしまいます。

それに今まで付き合っていた処があればそこから
乗り換えてしまうわけにもいきません。

新規に良い物を見つけるのも難しいものですね。


中国地方では電力のひっ迫など、いまだ大きくは
問題になっていないようです。

でも「だから節電しなくてよい」などとは思えません。
皆さんと同じく頑張らねばなりませんね。
キツイけれど。

経済を小さくする必要はないけれど、無駄を見直す
よいチャンスだと思います。

リバウンドがこないようにしっかりと考えていかねば
と思います。
もうトシだしね。

神戸の時は家計を小さくするきっかけになりました。

今回はあれより大きな社会変動がおきるでしょう。
家計も見直すチャンスですが、ン%かを浮かせても
迫りくるインフレを考えれば貯金はアホくさい。
消費税は上がっちゃいそうだし、きついですね。

どうしますかねえ。

韓国は悪い意味で国際感覚が鋭い

2011-05-26 18:56:26 | 塾あれこれ
「悪い意味で」というのは、私はそういうのは嫌いだ
というだけであって、それが当然というのが
世界の大勢かもしれません。

韓国の議員が「日本の意に反し」北方領土へ行った
という報道がなされています。
我々から見ると、とんでもない話ですが
あちらからはそうでもない風に見えるのかなあ。

いずれにせよ竹島占拠は北方領土占拠と同レベルだ
と言いたいわけでしょう。
実力で抑えれば勝ち、これが国際政治の現実。
(ロシアの領土感覚と同じレベルって
恥ずかしくないかなあ?)

私は「現実だから良し」とは思いませんが、
現実的に動くべし、という意識は韓国には強いでしょう。
長年の試練がそうさせている。

ホンネとタテマエの違いの大きさも韓国らしい。
このあたりは中国よりキツイのではないか?
表むきの笑顔、本当にスゴイよねえ。

こういうことを日本のマスメディアなど書けませんね。

「たかじんの~委員会」などもやりやすい中国叩き
ばかりで、アメリカや韓国には弱腰です。

日本社会が外とどうつながっているのか、見えてきます。

歴史や差別問題などがからまり、わーわーと大騒ぎされるより
触らずにおこうという事なかれ主義が日本です。
右翼だって同じ傾向が強い。


差別意識というものは難しいもので
否定されるべきことであり、表向きはタブーなのだけれど
現実には人の心の奥に蔓延っていることも多いのです。

私とて例外ではありません。たくさんあります。
頭では否定していても、ふと目が一方に向いています。
学校の先生にはなれないワケです。


先日NHKで太地の捕鯨とSSの対立を描いていました。

SS=シー・シェパードには明らかに差別があるというか
欧米人が日本人に向けて持っている差別観を代弁している
のですね。
白人は表向き差別を持ち出せない分、SSの行動で溜飲を
下げているのでしょう。
(SSには金が集まります)

日本人は自分たちが差別されているとは思いたくないので
気づかぬフリをしています。
(プライドが許さない)


あやしげな力を総動員して国家プロジェクトを進めてきた
(大計画だけでなく国策としての文化輸出もね)韓国は
経済のためだけにそれらをしてきたとは思えません。

悪口ではありませんよ。彼らなりにシビアーに生きているし
日本人も(彼らはそうである)ことを認識すべきです。
(清貧なんて精神は消え、実利一辺倒に見えます。
 手段を選ばず、というのも五輪辺りから特徴的ですね)

我々が、同じ道を進むべきかどうかは別問題。
私ゃ、ヤだね。


困るのは東アジアの小さな国同士で差別感や排外主義が
ぶつかるということです。情けない。
ま、隣同士は仲が悪くなり易いけれど。


私の意見として、自己をここまで認識しておけば
子供に偏ったことを吹き込まないですむであろうと。

自分に対して無意識だと、ふと偏ってしまいますから。
自分はかなりキツイ意見を持つということを知ることが
出発点です。

私は学校の先生のように神サマにはなれません。


それにしても韓国の議員、日本は騒がないと見越して
あんなことをしたり言ったりするんでしょうか。
挑発的ですね。
政治的遺伝子?

それとも、韓国側の意図を読んで、それにノらずに
「肩すかしをした」日本のマスメディアがすごいのか?
(韓国のサル芝居で終わればよろしいが)


連中、大国ロシアの真似をしてみたいのか
ロシアに尻尾を振ってみせたのか。



すみません、論理の話は、また明日以降。

当ブログのカテゴリーに「考える」があります。
大分前の文ですが、参考になるかもしれません。
(書いた順を並べ替えていますから上から下へ読めます)

分かった・・それホント?

2011-05-25 19:36:08 | 塾あれこれ
「答えは?
(ア)ですか。
ということは主人公は嬉しいと思ってる?
どこらへんに書いてあるかな。
おおなるほど、ここに書いてあるね。
でも待ってよ、こちらにはこう書いてあるよね。
これって、嬉しいのかな?
(ア)でいい?
どう思う?」

ここまで(ゆ-どー)されて、×サインを出しまくられ
それでも自分の誤答にこだわる生徒はごく少数。

多くの生徒は大人の顔色で自分の答えが合っているか
間違っているか、まずそれを判断します。

すっとマルをくれなきゃ×なんだ、と。

生徒の中にはマルを得ることが勉強だと思っていて
自分が間違っていたら次の答え、また次、と矢継ぎ早に答え
どれかがマルになったら一安心・・いますよね?

そうしてマルの瞬間に頭の中から全てが消えてなくなる。
(こんな子供は昔からいました。)

間違った生徒に正しい理解を得させるために、
ステップを踏んでもらって、考えをリードしようと
「まず~をやってみよう、そこだけ出来たら教えて」

暫くして「出来ました!!」
最後まで答えを出しているのです。しかも・・・また誤答。

こちらが「まずやってみろ」といったことなど何も
手をつけていないことが多いのです。

私の言うことに含まれた「それ違うよ」というサインだけを
掬いとり(気を利かせて)しまうのでしょう。

ここまで(マル病)に取りつかれているのですね。

あるいは、ヒントが出たということは違ってるんだから
別な答えまで出しておかなきゃ叱られる、かな。

算数でも似たようなものです。

問題に出ている数字を足したり引いたりいくつか操作を
して答えがマルになればそれで終了。
どうしてその計算なのか、意味など考えません。

「先生、質問です。
 これって○○で割って最後に1を足すやりかたですよね?」

本人は「一生懸命考えて」積極的に授業に参加しているのです。
それはね、質問じゃなくて・・と説明します。

「・・ということですよ。分かった?」
「はい、分かりました」
・・分かっていると思います?

多くの子供は、大人が「分かったか」と訊いてくる以上、
分からないとは言いづらく、ハイと言います。

あるいは、ご当人は本当に分かった気持になっているけれど
実はさっぱり分かっていないのかもしれません。

もちろん本当に分かってくれる生徒もいますが。


本当に分かっているかどうか、すぐには判断できない
こともしばしばあります。
相手の頭の中は簡単には透視できませんよね。

いつも「君は分かったというけど本当は・・?」と
チェックを入れるのは大変にマズイと思います。
人間はプライドの生き物だから。

長い時間をかけて見ていると、およそ掴めるものです。
(だから一人の先生が見続けることが大切)


私は若いころ、頭だけで上記のようなことを思って
いましたが、実際の「現場」では甘く見過ごしていた
ことが多かったように思われます。

「分かった?」
晴れやかに「ウン!」

式も答えも完璧なら、つい「分かっただろう」と思いますよね。
少々の応用なら出来ちゃうし。

ところが。。


ですから、タマに勉強を見てあげて、ヒントを出し
考え方を完璧にリードしてても、それが相手に分かったか
どうかは、かなり疑問。

私の勝手な推測では、例えばごくたまに父親が教える、など
かなりな割合で「実は・・」
・・ああ、お叱りをうけそうですね。


スミマセン、また続きます。


分かるとはどういうことか
分かる必要があるのか
分かった気にさせる効用
「分かる」と「教えない」との関係
・・・など奥行のキリのない話がさまざまにありますが
ここでは棚上げしています。

論理で行こう

2011-05-24 20:49:54 | 塾あれこれ
『陽のあたる空いたベンチへクールビズ』


のっけから駄句で恐縮です。
短詩の場合、あいまいな部分が残り易いですね。

良い句は表現されていない部分が広がりを生みます。
よって、広がりを生むべく削りこむことが望ましい
のですが、それが難しい・・

削ったことによって、アイマイさが出てはいけません。

作った当人は自分の頭に句のイメージがありますから
出来あがったものは(曖昧さを切り取り、削り込み)
・・出来たと思うのですが、他人は様々な読み方をされ
ますので、結局、アイマイだったと分かるのです。
(突拍子もない読み方は間違いと思いますが、ねえ)

後日、自分で見返して弱点を発見し冷汗がでますね。

さて上の句はどんな欠陥があるでしょうか?
(本日出来たので私にも分からない)

まず分かるのは、音が悪いね。 ベ、ビ、ズってね。
実は朝日新聞に「クールビズも季語になるだろう」なんて
書いてあったので、私も一句、とヒネったのです。

ビズは仕方ないけれど「べ」がどうしても入っちゃう。

まったく違う情景を考えねばならなかったのですが手抜きで
すみません。

自由に作ると言ってもじつは難しく、論理で考える方が
確実なのですね。
上の句の製作過程(おおげさ)も一応論理を使っていますが
詳細は、モッタイをつけて、ここでは申しません。


さて実は・・・ここで話題が横に外れます。

物の考え方を教えるべし、というのが教育の本来の目的
ですが、これが難しい。
誰に教わらなくても一定程度はいつか身についてしまう
だけになおさらです。

(↑相当、話が飛びましたね)

いずれ考え方は身に付くから教えないでよいか?
現代社会ではそうもいかないでしょうね。


考えるということの教え方が難しいからでしょうか
「自分の好きなように自由に考えてみよう」という教育法が
流行っているようです。

発想法としては基本であり、正しいのですが
考え方=論理としてはごく初歩の一つの入り口にすぎません。

ところが小学校で、これだけで済ませている生徒がいるのでは
ないかと思われることがあるのです。
きちんと物事が考えられないのですね。

根拠もなく「ぼくはこう思う」
あてずっぽうを言って「こう考えてみました」

「で、どうしてそう考えた?」こう訊かれると
何も答えられないのです。

大人が圧力をかけたり、子供に表現力がなかったり
という場合もあるでしょうが、実はそうではなく
本当に何も考えていない!

(いわゆるパニックは次回言及します)

「それって、ほぼ何も考えていない・・・」思わず口から
出そうになりますね。
あるいは「あてずっぽうって無責任だよ」とか。

なまじ「自由に考える」などと本当は高等なことを
「教わった」ために伸びない生徒がいるのではないか?

考えてくれない子供にどうすれば考えることを教えられるか?

みなさんがお考えになる以上に難しいことなのですが
また次回、トゥ・ビ・コンティニュード。

クレームがついた

2011-05-23 18:21:51 | 塾あれこれ
「どうせ。ガサツで悪かったですね。」

テニスのリターン・エースみたいなのが飛んできます。

「いや、それは誤解です。
 特定の個人に向けた発言ではないので・・」

「いいえ、あきらかな中傷。
 だれが読んでも同じことを思うでしょう。」

これ以上の押し問答は事態を複雑かつ危険に陥れますので
謝るべし、と長年の経験が指示してきます。

「私の発言で不快に思われる方がおられるとすれば
 まことに遺憾であります」


「この際、ついでですから言いますがね・・」

え~、まだあんの・・
と思っても、そんな表情をしてはいけません。
神妙に!大人しく!

「へ、何でございましょう」

以下、まとめますと

「アアタのブログはいろいろ欠点はあるが、中でも
 貧乏の連呼が良くない。わざとらしいので止めなさい」

(でも事実なんだから)

「たとえ事実でも、そこにアグラをかいたような、
 居直ったような書き方はよろしくありません。
 たとえ少数でも読んでいただく方に申し訳ありません。」

(サラリーマンの平均年収よりずいぶん下で・・)

「毎晩、ビールを飲んで、なに言ってますか」

まあね、比較の問題ですから、昔よりぜーたくなのは
間違いありません。

お金持ちになれなかったヒガミで書いてるようなところも
確かにありますからねえ。
名もなく貧しく美しく・・とはなかなか生きられません。

ただ気分的に少し楽なのは、昔の貧しさの記憶があります
から、これからそこへ戻っても何とかなるか、という
おぼろげな(根拠はないけれど)気分があります。

ご飯に梅干という日の丸弁当は確かにありました。

梅干のストックを続ける私にはその記憶が刷りこまれ
習性の如くなっているのでしょう。
また梅干作りの季節がやってきます。


五所監督『煙突の見える場所』
昨日TVで見ました。

昔見た時は若気の到りか、さっぱり分かりませんでしたが
その時よりは細かな演出、特に演技指導に目がゆきました。

話もセットも昔の貧乏な日本を活写していますね。

ただそれだけというか、ドラマは弱く感じられました。
当時の大人は下敷とする現実が身近だったので
弱くても省略されていても大丈夫だったのでしょう。

さすがに今では気分が乗りませんね。
急にタッチがぐんと暗くなったりして追いてゆけない。。

素人考えで恐縮ですが、どうせなら喜劇タッチで貫き
田中春夫のところ位だけを暗くしていたらとも思います。

それでも自殺しかけるところはどうしましょう?
今の感覚ではオオゲサな話ですよね。
(現代の目で言うのは良くないのではありますが)


私は小津の『長屋紳士録』のほうが好きですね。
邦画ベスト100に『煙突・・』は選ばない。

しまった、カメラを

2011-05-22 15:27:41 | 塾あれこれ
この投稿のジャンルを「鳥」にするのは
気恥かしいくらいの話です。

カメラがあれば一回分の記事になったのに。


ラジオの「歌の日曜散歩」に投稿される文章で
鳥を聞いたとか見たとかいう内容が目立つ季節です。

リスナーの平均年齢がとても高いのが特徴の番組ですが
鳥好きというのもそれを反映しているのでしょう。

私も若いころはまったく関心がありませんでした。

それが、近頃は「可愛いなあ、綺麗だなあ」


鳥も相手をみる力があるのでしょうか。
害をしない人間は近くに寄せてくれます。

先日もセグロセキレイ、黒が美しく小さな目が利考そうな
一羽が2mほどになっても逃げませんでした。

次なる目標は1mですかね。
カラスならそれくらいの個体はいます。

堤防でカモメにエサを投げている人がいますが
あれをやると近くにくるんでしょうね。
(野生動物にエサというのは私は大反対ですがね)

公園のハトなら鬱陶しいくらい近くに来ますが
それでは面白くありません。
緊張感を保ちつつ野鳥と近づけるのが面白いのです。


急に暖かくなり、サスガに鴨類がいなくなりました。
ワッチング可能な個体数が少なくなりますね。

今は渡りの途中のチドリやシギがちらほらしています。
これも古来親しまれた鳥です。

川の水量の加減で鳥用の露天風呂が出来ていました。
温泉地にありますね、あれそっくり。

シギがひとふろ浴びています。
バシャバシャと気持ちよさそう。

こんなとき「カメラがあれば」

もっともカメラを持った人間が来るとそんなにノンビリは
してくれないものかもしれません。
カメラがないからあちらもいろいろな姿を見せるのです。


数日前は久しぶりにアジサシを見ました。
個体数はあまり多くなかったけれどいつ見ても楽しい。
水中へダイブするスピードの速いこと。
直線の美しいこと。

もちろんホバリングが得意ですが水平飛行も
結構速いのです。

日本人向きですねえ。

PS
廿日市の可愛川にツガイの大きなカモがいました。(5/22)
大変、美しい。
留鳥かなあ。