だから・・

2011-03-31 18:41:57 | 塾あれこれ
JR五日市駅近くの散髪屋に行きます。
この4~5年。

切るだけで1180円ってやつ。
髪洗ったり他に色々すると追加料金が出るので
一番安いので済ませます。
もっと安い店もあるでしょうが近くにあるというのが
よい点です。

今年正月があけて(普通は正月前だよね)散髪をしたときに
次回100円割引というカードを出してくれました。

少し前に散髪にゆくときに、カミサンに出せと言われていたので
しぶしぶそれを提出すると
「あ、お客さん、これは先月末までで」

こちらは「ははん」

有効期限に記入がないじゃないか、一か月で期限切れかい、
などとは申しません。
言っても仕方ないもの。

そんなセコイ店には行かなければよいのです。

気持ちが繋がっていれば嫌がられてもクレームをします。
客には「クレームをつける義務」があるのです。

けれどクレームをつける以前の店ならばあえて
ゴタゴタする必要はありません。

子供に説教をするときに「叱られるうちがハナですよ。
見捨てられたら叱ってもらえなくなるよ」と言いますね。
あれと同じです。

(従って私はカミサンに小言幸兵衛を続けていますが
ずいぶん嫌がられてしまっています。分かってね。。。)


上記の場合、欧米ならば多分クレームを伝えるでしょう。

日本式は、ある意味で卑怯。
ダメなやつは自分でつぶれちゃえ、という共同体の意思が
暗黙裏に働いているのです。
表だってはトラブルにしません。
それはいけない、と教えてやる必要がない店なのですから。

きっと中国人だったら文句を言うでしょうね。
東アジアでも色々なのです。

古来、農業中心の社会だったからという説明で
日本の集団的没個性的な文化の由来を言われますが、
どうもそれだけではないようです。

長い間、官僚的な社会統制が有効であった、つまり
お役人がしっかりしていたから人々も一定範囲では
それを信じる方が得だったのです。
(今はそれがさっぱりダメ)

それ以前に、人間として、キーキーギャーギャーは
みっともないという意識もあるのでしょう。


そこで日本では相手の言葉や行動の裏を読むことが
必要になるのです。

もちろんこれは悪いことではありません。
(国際的な社会関係では少数派になるので要注意です)

そしてそれが日本文化の強さでもあったのです。

近頃はその「気働き」ができない人が増えました。
はっきりいって頭が悪い欧米人と同レベルになった・・・

しかしそれでも東北など、日本人がしっかりしている処では
古来の文化が息づいています。

大地震があってもモラルの崩壊が見られない日本社会は
他人のことを考える心が支えているのですね。

人のことを考えるからパニクらないのです。
大騒ぎをしても得にならない、損することが多いという智恵も
あるでしょう。

決して、バカだから縮こまっているわけではありません。


それを、アメリカのマスメディアの馬鹿共は分からない
ようです。

ワシントンポストやニューヨークタイムズに「日本人は
言うことも言わず必要以上の自粛をしている」という
論調があるそうですね。

まあ彼らにはそう見えるのでしょう。

違った文化があるということが分からない=USA馬鹿。

しかしこれが世界の多数派なのですから困ったものです。


ディベートが大切だから日本でも小学校からやらせよう
という試みをよく耳にします。
やってもよいのでしょうが、思うほど効果が上がらない
ハズです。

教えるセンセイが日本文化を正しく捉えていないから。
そこで中途半端な現在の日本ができてくるのでしょう。

本当は文化の切り替えができる人間を育てねばなりません。


かなり教育者として知られている、地元では著名な校長
ですら、昨今はあやしいのです。

例えば、こちらからの挨拶状に「ご多忙と存じます。
どうかご返事はお気にされませんよう」という内容を書くと
8割がた本当に返事が来ません。

見ず知らずの人間ならば無視をしてもよいのでしょうが。
官僚として塾など目に入らないのでしょうか。

しかし、隠れた部分を読むという日本文化からは失格で
これで教育者かと落胆してしまいます。

(勿論そんなのから手紙が欲しいんじゃありません)


先の神戸でも今回でも世界が真似できない日本人のよさ
が示されました。

まだ文化が生きているということですが、ン十年先は
どうなっているんでしょう。
いまの教育では・・・気が重くなります。

カズがスターなら雀々も劣らず名人の域に

2011-03-30 21:36:59 | 塾あれこれ
昨日のカズは最高でしたね。
実はもともとそれほど彼を見てはいません。

なんだか調子よく点はとるけれど、どうか?という
固定観念が強すぎたのかもしれません。

さすがに高齢(失礼)になられて、と思っていたら
あのゴールでしょ。
ん~、と唸るしかないじゃありませんか。

「花」って必要なんですよ。
ここで一発!ができるかどうか。

超スターはそれが出来る人なんですね。
もちろん、なかなかおられません。
同時代に生きる人間は幸せです。

選手にも役員にもこの大変な時期にサッカーでよいのか
という気持ちがよぎられたと思います。

そういう中で(良いサッカーを見せる)これがプロ
というより、人の在り方として立派だと思うのです。

チャリティーに賛同した大勢の客がいるのですから。


ちょっと書きにくかったのですが、今月13日、地震の
あったすぐあとですね、「節談説教と落語の会」に
出かけたのです。
前売りを買っていましたしね。

語り芸の原点の一つには間違いない節談説教とは
どのようなものか、興味がありましたし、
落語にも興味がありました。
桂雀々の大ネタでしたから。

当日はまず「勤行」があり、皆さんでお経をとなえ
(私はただ座っておりましたが)
震災への祈りも合わせて行われました。

説教は、もっと節の多いものと想像していましたが
宗教色を強く、かつ人を惹き付けるためか
現代に息づいた演出?で、お話なさいました。

昔はどうだったのかなあ?
えんえん歌っていたのじゃないか?


節談と芸能の関係を解説された後に、お目当ての?雀々が
登場、大変な熱演で会場を沸かせました。
『地獄八景』
(地震の直後でずいぶんやりにくかったのではないかなあ)

枝雀が70年代後半に東京で独演会をし、あまり江戸っ子に
知られていなかった芸を披露、会場は、本当に笑いで
どよめきましたが、あのときを思い出すほどでした。
(あれを超える大うけは私は知らない)

枝雀のマネではなく、芸を受け継いでいました。
雀々の師匠への愛と傾倒が良く分かり、本当は泣きそう。
枝雀はよい弟子に恵まれましたね。

高座は、たくさん書くべきことがありますが、一つだけ。

彼は客を共感させるのです。
枝雀もそうでした。
志ん生もそうではなかったか?(高座を知らない・・)

驚いたことがあります。

高座で皆が良く知っている歌を歌いながら話を進めている
ときに、客席のかなりの人数が一緒に歌い始めました。
歌えよと誘われて歌うのなら別ですが
まったくの自然発生での歌声。

雀々は名人に近づいているようです。

同時代に生きる幸せ。


写真は尾道の土堂小学校(小5の途中までいました)
ほとんど変わっていないイメージです。

『てっぱん』ロケ地の一つ。
あの踊り、ここでもやってましたね。

欠陥が多すぎるくらいのドラマでしたが
まずまずの後味です。
役者が良いね。
瀧本さん、若さという花があります。

初めての方へ

2011-03-30 09:47:51 | 塾紹介

初めてこのブログをご覧になる方へ。

日本でも最も小さなタイプの塾です。
同じような規模の塾は沢山ありそうですが
そんな教員一人だけのところからのツブヤキです。

07年11月以前の文章は発表の順序を入れ替えて
順番に読んでいただけるようにしてあります。
12月以降はまだ並べ替えができず発表順のままです。
いずれ時間をみて整理します。(←かな?)

ブログを始めたころはある程度まとまったテーマで書いています。
塾の考えなどをお知りになりたい方はカテゴリーの「教えない」や「考える」などをお読みください。(並べ替えをしてあります)

書くときのイメージとして学習塾に勤め始めた若い方
ジジイがあれこれとこの仕事についておしゃべりしている、
というスタンスをとっているツモリです。
それをハタで聞いていただくことで塾というものを分かっていただければ幸いです。

なお最近の「塾あれこれ」は雑多な内容で
趣旨に外れているものもあろうかと思います。
お気軽に読んでください。

塾の様子は07年3/12「塾で勉強する」に書いています。
最新の記事をとばしてご覧下さい。
同じく2/12以前に生徒の様子紹介があり、

1/24には塾の形態説明をしています。

また自宅で塾を始めた頃の話は
「教えない」に気付くまでなどに書いております。


尾道美術館・香月康男展

2011-03-29 13:49:00 | 塾あれこれ
香月康男、生誕100年。
私の父より6歳年上です。
それでシベリア抑留はきつかったでしょう。

現在、山口美術館で彼のシベリア作品の展覧会が
開かれているそうです。
例の、黒い絵たち。


彼の故郷、三隅には香月を記念する美しい美術館があり
瀬戸内に臨むのと同様の柔らかい光があふれています。
ここはお勧め美術館ですね。


この前の日曜日に天寧寺へ墓参りのあと、山を登り
千光寺公園にある尾道美術館まで行きました。
(坂を登るのはもうキツイの何の)

香月の作品展をやっているのです。
シベリアの絵は山口で、それ以外の小さな「もうひとつの
香月の世界」を尾道で、ということでしょうか。

日曜日というのにお客様はまばら。
その分ゆっくりと心行くまで。

もともとこぢんまりとした展示室ですから今回の
作品群は丁度よい空間を与えてもらっているのでしょう。

愛らしい彫刻作品、おもちゃに近いユーモア作品
明るい色遣いの絵など。

黒いシベリアだけではない、現代美術でありながら
それに流されていない、アルチザン香月。
(悪口でなく、芸術家ぶらないという意味で)

この面があってこそのシベリアの迫力なのでしょう。


千光寺公園はほとんどの桜はツボミで風が冷たかった。
それでも、お弁当を遣う人もおられました。

昔の、お花見の様子が思い浮かびます。

カミサンも子供のころ家族と千光寺の花見に来たとか。

亡き母にカラカワれる一つ話が、幼稚園に上がる前
この公園に花見に来た時のこと。

弁当を食べている処へ大きな犬がきた。
「これ上げるから、あっち行ってね」

それじゃあ犬はますます近寄ってきます。
「もうひとつ上げるから、あっち行くんよ」

いくら挙げてもあっちに行ってくれない・・

可愛いというより、情けない・・かもね。


写真は尾道、観光ルートから外れたほうの道。
(昔はこちらがメインの道でした)

お二人、じっと尾道水道や向島を眺めておられました。
光まぶしく。

雨水とウチの水

2011-03-28 21:16:25 | 塾あれこれ
室町時代以前だったか、現在と違い
犬が放し飼いで、ネコが繋がれていました。
ネコは役に立つ家畜でしたから。
泥棒よけならば犬は庭先で放し飼いですよね。

そのうちにネコは家につく、つないでおかなくても
大丈夫となって放し飼いが広まったのでしょう。

しかし再び現代、ネコはつないでおかずとも家からは
出さない、という流れができつつあるようです。

気ままなのがネコの良い所だから、家から出さないのは
可哀そうだ、と私も思っていました。
出歩くネコを閉じ込めておけば大暴れするし、
ネコが精神的に参るのは経験的に知っていますから。

だから、家から出さないのが可能かどうか?
出す出さないでは、どちらがネコにとって幸せか?

十数年前思い切って生まれたばかりの仔猫を家から出さない
ことにしてみました。

人間の側の都合として、ご近所に迷惑をかけない
ネコのためとしては事故や汚染から守る

もちろん猫同士の喧嘩や伝染病なども気になります。

何より農薬や化学肥料、ガソリン・灯油などなど
ネコの体に付着するかもしれない毒が気になります。
今時、普通の庭で(猛毒)をまくのですから。
雑草が出ないようにとかね。


出さずに育てると我が家の猫は外に出ようともしません。
外を見るのは面白いらしく、よく眺めていますが。

狭い家ですから運動不足気味のデブです。
これは私に似たようですね。


さて、今回の原発事故。

人間が未曾有の事態にネコの心配をするのでは
お叱りを受けそうですが、ペットが心配で
あるいは避難所の他の方に迷惑をかけるとか
いろいろな理由で、危険を承知でも自宅や車で
ペットと日々を送っておられる方の話を聞きます。
家族同様ですからね。

ペットの心配もしてあげねば。

水道水に放射能、でも心配がつのります。

外に出るネコは大丈夫でしょうか。

家の浄水より、外の雨水を飲むのが好きなのです。
飼い主が知らないだけで、結構、水たまりとか
お好きのようで飲んでますから。

雨水の放射能は?
ネコの体は人間よりはるかに小さいし・・
今よりひどくなることも十分考えられるし、長期だし。

ネコだけでなく、野生動物は大丈夫でしょうか?

ちょっとばかり気になるけれど、人間が先ですよね。


原発事故は人災です。

だから「何とかなる」とも言えるのでしょう。
きちんとして二度と事故は起こさない!

でもね、人間て、そこまで信じられますか?

いったん事故したらモタモタするんちゃうの?

尾道で蕎麦、「笑空」

2011-03-27 17:55:44 | 食べる
彼岸の墓参りができなかったので遅ればせながら
本日、西条と尾道に行ってきました。

ぐちになりますが、ちょこっとだけの遺産相続は均分しても
法事や墓の面倒は誰もしないんだからねえ。
お前はそれで十分かと切り返されると、それも弱るけど。


寒いですね。
西条は午前9時半くらいで墓の花立てに氷が残ってた。

暖かい日との気温差が大きいので桜も困っている?


昼ごはんは尾道で蕎麦。『笑空』

最近、できたお店のようです。
長江の渡船乗り場近く小路を入ったところです。

昔は尾道に本格的な蕎麦屋はなかったはずですね。
日本中で旨いそばを食べられるようになってきました。

ざる1枚が750円ですから観光地としては良心的
昼のセットなどにするとボリュームもあります。

蕎麦は庄原産の在来種となっており、皮を挽きこんで
香り高いものです。
ネットでコシが弱いという話があるようですが
そんなことはありません。
アルデンテ好みの方なら別ですが、蕎麦の芯ありは
好みじゃないでしょ。
しっかりした歯ごたえ、喉越しでした。

ただ私の好みとしては汁が心持ち甘い。
・・あくまで好みの問題です。

家での蕎麦汁のカエシが強いからかもしれません。
塩辛すぎると田舎風になるかもね。

ともあれ合格点をはるかに上回る蕎麦でした。

店の雰囲気はアンティーク。
電線が裸で天井を走っているような店で落ち着きます。

今日は奥で先代小さんが小さく流れていました。
店内の音楽に替わりかなあ?


何よりお店の方の感じがよい。

尾道っちゅーところは店の人の感じがとても悪い!
無愛想以上ですからねえ。

その点、「笑空」お勧めです。

蕎麦屋としては横川の「ふくべ三」に総合点で負けてるけど
お店の人の感じよさは互角かそれ以上。


千光寺を上って美術展を見、帰広の前にコーヒーと
いうので、こちらも新しい店を覗きました。
やはり東京資本か?

本通りの真ん中あたり、旧商工会議所近くかな。

店内は良い香りがしていましたが
奥から出てきたオジサンが

「何人?二人?え~っと今日は喫茶はやってない」
人数聞いたあとに「やってねえ」はないだろ。

いかにも観光地らしい店ですね。
これが多いから尾道はリピーターが少ない!

「笑空」を見習えよ。珈琲屋さん。

『寺社勢力の中世』

2011-03-26 19:44:00 | 本の話
スキャンできる印刷機が壊れたままなので
本の表紙はいずれ。

仕事は古い壊れそうな機械でしています。
このへんのフットワークの悪さが加齢ですかねえ。

もたもたして的確な判断ができない。
迅速でない。

どこかの電力会社の悪口は言えませんか。
ただ私は人命軽視はしないですがね。


加齢と言えば、以前どこに書いたかを探すのに
時間がかかるのもそれでしょう。
以前のものをチェックして改めて書くのならば良心的
ですが「たしか書いてたけどなあ、見つからないなあ」
で終わらせてしまいます。
「ま、ええか」という一種の開き直りがトシヨリの悪癖。

前置きが長いのも年配の証拠・・

ああ。。。

・・とか嘆いたフリをするズルサも年齢ゆえ。


久しぶりに本の話です。

地震以来、読書時間が大きく減りました。
楽な方へと気分が流されるのですね、ぼ~っとしてます。


伊藤正敏著『寺社勢力の中世』ちくま新書

面白くて勉強になる本です。
従来私が持っていた、教科書的な中世のイメージが
がらっと変えられてしまいましたね。

この手の本としては語り口もスピーディです。
ときおり気を利かせすぎた一文があり、玉にきず。
引用してみましょうか。

『信長の比叡山焼討によって、国内最大の文書ストック
 延暦寺文書が消失してしまった。・・(中略)
 信長は歴史学者にとって最も憎い敵なのだ。
 信長め!』

目からウロコが落ちるほうの文も引用しましょう。
『鎌倉幕府が成立しても、鎌倉が日本の首都に
 なったわけではない。』

『江戸時代以後の歴史書は、中世史を幕府と朝廷の
 対立としてだけしか描いてこなかった。
 その姿勢そのものが根本的に間違っている。』

教科書的な内容ならば、まとめを書き易いのでしょうが
大変に新しい歴史観ですから、読んでいただくしかない
ようです。
例えまとめられても、本当らしさが伴わないから。


進学塾では受験請負をしていることから、受験に出ない
ことは教えられません。

たまには興味をひくような話もするでしょうが
それはごく少ないでしょう。

特に集団を相手の授業形式では、得意な子ばかりでは
ないですから、興味を引くだろうと詳しい話をするのが
難しいハズですね。

「知らない話」をするのは講師の側がちょっと威張って
みせたい、俺は知ってるぞという宣伝になることが
多いでしょう。

実は私がそうでした。

けれども少しずつ「自分のため」から「生徒のため」に
授業が変わると(要らないことは言わない)

そうすると新しい学説などを勉強することが授業の際に
邪魔になるような気がするのです。
とある時期には、新しいことが書いてある本は読まなく
なってしまっていました。

でもね、それも自分の都合です。

やはり新しい研究成果はおおざっぱであれフォローして
なおかつ授業では触れないと言うのが良いのでは?

最近になってまた勉強をしているワケですが
いかんせん、記憶力が落ちてしまって。
もともとキャパが小さいのが更に・・・

若人よ、勉強して下さい。
年取ってからでは遅いから。

東電・保安院・政府・官僚・学者・マスメディア

2011-03-25 18:54:33 | 塾あれこれ
2週間たちました。
この間、上記の東電以下には毎日不満や不信がつのります。

とはいえ遠いところから勝手な注文ばかり言うのも
良いこととは思えません。
また不安をあおる片棒をかつぐわけにもいきません。

現場では皆さんが頑張っておられます、
遠目から見た素人の注文も多いのではありますが、
ここでは、黙っているしかないのでしょう。

重たい気分のまま時間が流れてゆきます。
多少の気晴らしでは効き目も薄いようですね。

そんな中、昨夜のTVニュースにはさすがに驚いた。
(結局、勝手なことを言うようになっているようです)

昨夜、11時台、民放を中心にニュースを見てました。
たしかどの局もトップニュースは水道の汚染。

影響は大きいし、関心事であるし、更には東京にまで
具体的な危機が迫っているということでもあり
トップにされたのでしょう。
乳児にミルクを与えるのに困っておられる様子が
丁寧に報道されていました。

ただ、私はそれよりも作業員のβ線熱傷のほうが
とても恐ろしいことのように思われたのです。
ミルクより先ではないか。
とんでもないことの露頭ではないか。

まあ、情報が少なかったとも言えるのでしょうが
それでもマスメディアの危機感が甘いと思いました。

実際に困っておられる水道汚染は皆さん承知のこと
ニュースとしては二番目に、そのかわり詳しく報道
されるべきでしょう。
(お母さんが哺乳瓶でミルクを作る場面ばかり)

ミルクの次に重要な作業員被ばくですか?

2週間たっても状況が一向に良くならず、次第に
悪化してゆくように見えるのは、現場が大変だという
こともあるのでしょうが、一種の情報制御があり
「不安をあおらないよう」大本営発表がなされている
のではないかと多くの人が疑っています。

それを裏付けるようなニュースの取り扱いでは?

この問題は今日、そしてあす以降次第に深刻な内容が
小出しされるのでは?
もしそれが当っているとしたら、国民はずいぶんと
バカにされたものですが、オカミの意図とは反対に
情報の小出しは逆に不安をあおるのです。

ほら30km圏はさっさと退避しておればよかった
大丈夫っていうから残っていた人は必要以上に
大変な目に遭わされたのではないか?
パニックにならないための貧乏くじ、または捨石。
政府の言うことが信用できますか?
これからどんな事態になるか・・

・・こんな風に人々が思っても仕方ありませんよね。

「買いだめは止めましょう」の呼びかけが
「自助努力をしておかないと買えなくなりますよ」の
メッセージを放つのです。
(買いだめのススメではありません。
 政府の言い方が逆効果になりやすい、という話)

だから、少なくとも学者やマスメディアには頑張って
ほしいのです。
ほとんど官僚と似通った言動では、情けない。


ところで私の見通しは(みんな言ってますが)
物価が高騰するであろうということです。
これに貧乏人は手の打ちようがない。
困りましたね。

なんとか4月からの小麦値上げだけでも先送りできない
でしょうかねえ。
政治主導の出番ですが、ヨサノ爺なんか庶民が困る形での
値上げばかりを口走り、見込み薄ですか。

『トゥルー・グリット』

2011-03-24 20:30:20 | 塾あれこれ
コーエン兄弟の『トゥルー・グリット』を見ました。
父親の仇をうつべく旅に出る少女、という西部劇です。

まず誰でもが納得できる出来あがりでしょう。
上手いですねえ!

ティム・バートンは私が好きな監督ですが
コーエン兄弟もなかなかです。
ただこちらは余り劇場では見ていません。

TバートンのほうはJデップとの関係もあり
結構見ていますが、実は・・

ティム・バートンはカミサンが好きではありません。

カミサン、コーエン兄弟はもっと好みません。
暴力系があると好きになれないようです。
そこで劇場にまで足を運ばないのですが
今回は万人受けするものということで、やっと
付き合ってもらえました。
(この前劇場に行ったのがなんと『バーバー』)

にやり、とさせる笑いがこの映画にもあります。
また「映画的記憶」を刺激される=ツウなら喜ぶ画面とか
いろいろありそうです。


アメリカ文化にはスーパーリアリズムを好む部分が
ありますね。
まるで写真そっくりの絵画とか。

それを映画に持ち込むと暴力表現もリアルになり
拒否反応が出る人もいるわけです。

私は「つくりもの」と思っているので余り堪えません。

また米文化には「力こそ正しい」「自分で守れ」という
精神もあり、それなりに立派なのですが
情緒に弱い我々にはちょっときついところもあります。

また、歴史の違いで、例えばホラ話への許容度の違いとか
細かな部分の慣れなどで、カミサンが、いかにも
アメリカらしい映画にのりきれないのかなあ。


今時、なぜ西部劇なんだ?という意見もあろうと思いますが
そういう(ひょーろん家)の見方はしないで
画面に溶け込めるかどうか、楽しめばよいのです。

俳優も上手いし、脚本もしっかりしています。
何より画面が素晴らしい、演出の細やかさ、充実感
また、カット繋ぎの気持ちのよいこと
映画音楽の入れ方もお手本みたいだし・・・

この映画一本で評論が一冊できそうです。

私が好きな山田宏一さんならどういうだろう?
「満天の星を描きたくてこの映画を作った」
彼ならばこう言うのではないでしょうか。

ここが美しいから、後日譚が生きるのですよね。

「後日」がなければこの映画は半分死んでしまうとも
言えるでしょう。

ジョニーデップ『妹の恋人』

2011-03-23 20:26:29 | 塾あれこれ
ジョニー・デップの若いころの映画です。
といっても丁度30くらいか。
『シザーハンズ』とか『ギルバートグレイプ』の時代ですね。


地震関連ばかり見ていると落ち込みます。
元気が出る話でもやはり落ち込む。
何もしてない人間が何をいうか、なのですが
実際問題として、何だかシンドクなります。
被災されている方や関東東北で社会的混乱を
経験されている人々には申し訳ないのですが。

ビデオで未見の映画を見ることにしました。


93年『Benny & Joon 妹の恋人』

ファンの方以外ではあまり記憶されていない映画
ではないでしょうか。
彼の映画をそれほど多くは見ていないので、
これは楽しみなような、こけそうな予感もするような。

イマイチでした。
映画館で見ると違ったかもしれませんが。

(デップさんの映画は基本的に映画館で見ます。
 映画スターですからね。
 今まで見たのは14~5本ですから中位のファンか?)

『妹の』プロットは悪くないし、俳優もよいし、米映画
ですからカメラその他、技術はしっかりしているし、
いったい何が足りないんだろう?
不思議ですね。


私が監督ならば、兄を向井理、妹が綾瀬はるか、
恋人に佐藤健、プロットを頂きこの俳優でやってみたい。
平凡ですか?

心の病をもつ妹を兄が病院や施設には送りこまず
何とか二人でやっていこうとしています。
お蔭で兄は恋人すら持てない。

そんなところへ一風変わった男性があらわれ
妹と恋に落ち・・・

まあ、名作ができてもよいし、平凡でコケルかも
しれないし・・


残念ながら若いJデップがシャープではありません。

チャップリンやキートンの真似をする部分もあり
そこがどうしても弱くなっちゃう。
ちゅーか難しすぎることに挑戦しているようです。

(『パイレーツ』のときのキートンへのオマージュは
 感激するほどのものですが、さすがに簡単には
 若者が取り込むことは難しい芸域なので。
 一見、簡単そうに見えるのですけれどねえ)

監督や脚本の弱さもありそうです。

ドラマとして盛り上がらない。
学生が卒業制作をしているように、一応考えては
いるのであるが、熱が足りない、のです。
魂とも、芸とも、プロ根性でもよいのですがね。

デップさんの超ファンならば逆に必見。
こんな映画でも光る魅力を独り占めにしましょう。
「見てないヤツはファンとは言えない」


『チョコレート工場』や『アリス』のような
(変わったキャラ)も良いですし
『ネバーランド』や『ショコラ』もカッコ良い!
『スリーピーホロウ』風の作品世界も捨てがたい。

私が、作品世界で好きなのは『ナイトメア・・』
ご存じのように声だけですがね。

それから初監督をした『ブレイブ』
暗~い暗い映画でしたがJデップらしくて好きですね。

他にも彼の映画は「名作」ではないけれど粒よりです。
良い役者は良い仕事しかしませんねえ。