住吉さんの花火

2011-07-31 11:04:49 | 塾あれこれ
中国新聞(日本の)を見ていたら
尾道は住吉さんの花火大会だったそうです。

子供の私には「べっちゃー」と並ぶお祭りです。
毎年楽しみにしていました。

勝手なイメージとしては江戸情緒の残る明治に繋がる
ような祭りでしたね。
(今の花火はどうなのか存じません)

あの頃、町は夜8時ともなるとし~んとして暗く
新派の舞台にでもなりそう。

家にはまだ提灯が置いてありました。
カミサンに聞くと実際に提灯を使ったことはないそうです。
ほんの短い間に日本が変わったのですね。

懐中電灯もありましたが提灯も使いました。
子供は燃やしてしまうおそれもあるし、ふらふら揺れるので
扱いにくく、余り持たせてもらえませんでしたね。

提灯がぼんやりと明るくても十分なほど夜道は暗かった。

祭りの時だけはそれがぱっと明るくにぎわうので
今の祭りのインパクトよりずっとずっと大きい。
夜店のまぶしかったこと。

花火といっても今のように連続して上がることはありません。
忘れたころにヒュルヒュルという音がし、皆で見上げます。

どーん   おー

天寧寺の少し上に小さな動物園がありました。
あの辺りから花火を見物したことを覚えています。

向島の山影が夜景に暗く浮かび、尾道水道は夜の水反射。
花火があれほど美しいとは現代人には想像できないでしょう。

クライマックスは提灯船が海を東に向かいます。
豪華な動くシャンデリヤでしたね。
淡い祭り囃。

祭りに行けない年もありました。
家の二階から遠い花火が見えます。
聞こえるという方が正解かな。

トウモロコシを輪切りにしたものを5cmほどもらい
二階に上がります。

電気を消して待つのですが、なかなか上がりません。
いつの間にか寝入ってしまい
起こされたときには祭りは終わってた。

どうも気にいらぬ

2011-07-30 15:13:00 | 塾あれこれ
最近気に入らぬ歌い手が多いですね。
超有名な人でも嫌いな方が多く
取り残されてる私です。

具体的な名前を挙げるとヒンシュクをかうので
ブログにはさすがに書けません。
悔しいね。


この夏は朝6時起きです。
もうくたびれてきました。
これから本格的な暑さが待っていると思うとヤですねえ。

昨日は夕方散歩をできました。
いつもの水鳥の浜公園コースです。

あちこちにボランティア風のオッサンがおられます。
汗を流して散歩中の私に、中の一人が近づいて
「アンケートお願いできますか?」

私はふつう無愛想なのですけれども何となくOKを
してしまいました。

「水鳥の浜公園を評価してください」とか
「県が自然保護のために人工干潟を作ったのを知ってるか」
などと、いくつか感想を聞いたあげく
「この公園をよりよくするためのイベントなどアイデアは?」

ははあ、これが目的だったのか。

何もしないで静かなままが良いんじゃないの、とは
答えましたが、無料ボランティアなのか県庁職員なのか
ご苦労様なことです。

「活性化を図る」ということでしょう。
皆さまのご意見を伺う、という誰も文句のつけようがない
かたちをとられます。

民主主義っぽいじゃないですか。

とはいえ疑問がいくつかあります。

一つは担当者の責任のがれではないかということ。

トップも含めてです。
(現在の広島県知事がワンパタンのようにこれを
 なさる。新任の市長まで。
 メディアに登場しての話題作りも嫌ですね)

意見を承ってそれを反映させる途中経過が??です。
役人に都合のよいご意見だけが採用されるのです。
ひらたく言うと、人々のご意見等は実際はどうでもよく
結論は予め決まっているのです。
有識者の審議会なども同様らしい。

愚民政治という目を持っている、と批判されそうですが
マスメディアによる一種のマインドコントロールで
国民の意見が偏りがちになるのがこの国です。

民主主義にならないのですね。
場合によっては危険なことさえありえます。

「そうか、どう考えたってこれが犯人だ」

松本サリンの冤罪では当初私もそう思いました。
ところがオウムの仕業。

あることないこと、洪水のように流されると
つい乗ってしまうのが人間です。

周りがみんなそうなって、誰かの狂信的な意見に
大きな拍手を送っていたらそこで流れに棹さすのは至難。
(数字が出る話には注意、というのが人生訓ですが
 それと同様に拍手が出る集会やグループには要注意)

今の広島がそうだとは申しませんが、一定の方向に
向けやすいものゆえに、ご意見聴取という仕組みが
いかにもタチの悪いものに化けるのです。

電力会社や保安院のやってきたことで多少は
ご理解いただけると思います。

あんなことが沢山横行していて、それに意義を唱えると
村八分にされるのです。
とか「あれはアカじゃ」・・・ちょっと古いですか?

湯崎県政に注文をつけるつもりがまた話がそれました。
(あったま、わりい・・・すみません)


「よい公園ですよ、さっきチュウシャクシギがいた」
と話をしても乗ってこない。
野鳥を御好きでない方のようです。
ご返事に「カモメが飛んでいますね」ときた。

小ぶりなチュウシャクシギが6~7羽、八幡川に
いましたが、今の季節には珍しい。
秋の渡りってやつなのでしょうか。


静かな環境をいつまでも。

「大変だってね」

2011-07-28 17:10:36 | 塾あれこれ
久しぶりに横町の隠居風ホラ話です。
(たかがミニ塾のおっさんがオオケな話・・)

リスク管理っちゅーやつがありますな。
お金持ちはポートフォリオとか財産を守るのに
苦労されているとか。

塾をやってる関係で、いちおうオオザッパには
知らねばなりません。
手持ちの財産をあちこちに分散させ、
何かオオゴトがあっても打撃を小さくするのだとか。

ふ~ん、ちゅーか。
縁がないのでピンとはきませんが、さぞ大変でしょう。

日本の普通の銀行じゃ金利がつかないしね。
金利をつければリスクが上がるし。

まあ、金利がつかなくても安心なところに幾分かをおき
別の幾分かはリスクを覚悟して金利が高い運用をし・・
どれもが同時に悪くなることは考えにくいからリスクを
分散させる効果があるのでしょう。

逆に言うとどこかで常にリスクが発生して資産を減じている
ということなのでしょうか。
元手が大きな人は損失をカバーするのも大変でしょうねえ。
(もうけも大きいからビンボ人が心配するに及ばず?)


日本もインフレ傾向が一段と強くなりました。
以前から心配だったのですが次第に足音が大きい。

世界ではとっくにかなりなインフレです。
インドも中国も物価高で大変なようですね。

ヨーロッパはギリシャなど南欧の経済不安。
アメリカは国債の問題が長引きそうでしょ。
中国も新幹線事故などで浮かんできた政治不安が
いつ経済の混乱を招かないとも限りません。

レアアース問題で分かったように、どこかに頼り過ぎては
危険です。
リスク管理の基本に反しますよね。

ところが日本はいつまでたってもアメリカの主導する
国際経済の流れを追いかけるだけです。

早い話、アメリカの後ろを追いかける子分。
馬鹿にされてもコケにされても「親分、親分」
最後に都合によっては非情に見放されるのに。

あるいは猫も杓子も中国詣出。
庇を貸して母屋は大丈夫か?

リスク管理に反しますよね。


世界中の国家財政が赤字に苦しんでいます。
これへの特効薬はインフレ。
副作用もきついが、良く効く薬です。

政府は特に何もしないでも国民の財産を国家につけかえ
赤字を解消できるのですから、本音ではみんなやりたい。

もちろん一般の人は苦しむだけですから反対。
それをいかに黙らせるかが政治家や資本家の腕の見せ所です。


輸出産業には大変な円高が続いています。
メリットも大きいのですがTVではあまり言いませんね。

反対にいつ円安に振れるかもしれません。
インフレの津波がやってくるでしょう。


庶民のちょっとしかない貯金は価値がガタ減りしますから
今のうちに使う方が有効です。

でもねえ、使えないよね、これは。

・・そうすると我々には手がありません。
少しでも収入が見込めることは手放せません。

カミサンに「金の指輪とかあるのなら売らない方がいいよ。
まだ上がりそうだから」と言いますと
結婚当時の苦労話がドカンと戻ってきました。
論理的につながんないけど、とか言っても遅かった。

オバマの不手際が我が家のもめごとを呼びさますという
国際的なお話でした。

「せんせ、教えて」・・これは甘いささやき

2011-07-27 11:24:09 | 教えない
しつこく書いていますが、勉強は教えてはいけません。

人の勉強の大きな流れは、サンドイッチ。

初めは教えないとできません、
真ん中で「教えず」
最後にはまた教えてもよい。

自律を促すためにどうしても真ん中の「教えない」を
通りぬけてもらわねばなりません。

この部分が現代の日本では脆弱極まりないのです。
国を挙げて甘やかしているのですから、そうなる。

よって塾業界でも少数派ではありますが「教えない」を
皆で叫ばなくてはならないのです。



「○○の資格をとるなら△専門学校、☆塾」

こんな宣伝ばかり目立ちます。
近頃は高等学校まで(私立など特に)手に職を路線です。

悪いことではないのですが、きっと、手とり足とり
楽しく学んで資格も取れる・・「良い学校」

ニーズが大いにありますからどこもそうなるのでしょう。

しかしそこで資格を得ては、ベルトコンベアに乗ったまま
受け身の態勢で社会へ出てしまうのが目に見えるようです。

できればそうやって資格をえた人の世話にはなりたくない
ですね。
マニュアル通りのケアだけしか行わないでしょうから。

新聞にU17のサッカーの記事が載っていました。
対ブラジル戦、日本チームは選手が自分たちで考え
実行に移すことができなかったそうです。
トライしたかもしれませんが敗戦に終わりました。

もっと自立を、いつまでこんなコメントがつくのでしょう。


自立を促すべく塾が少しずつ「教えない」に移りかけると
生徒はシンドイし、早く出来るようになりたいものですから
親や出来る友達、学校や塾の別の先生などに
教えてもらおうとします。

勉強をしようというのですから、元々は褒められるべき
ことなのですが、ある時点では「教えない」「自律を」
ということの妨げになります。

中学の後半から高校生にもなって自助努力はせず安易に
「せんせ、教えて」はないでしょう。

楽をしたいだけじゃないか・・私は冷たく対応しますが
普通の人は(勉強する気を認めて)分かり易く教えます。
しかも「~だけ覚えればよい。××は出ない。」
なんて情報までお土産につけてやったりするのですねえ。
(そんなことは自分で見つけるべきことでしょう。
 一見ロスのような道こそ将来伸びる道なのです)

教えない、自分で考えなさい、は骨抜きにされます。

そのまま自立せずに指示待ち人間へ育つならば
教えた人の罪は大きいといえます。

・・・説明が短絡的すぎますが。


教えて、という生徒が可愛いのは分かります。
ただ、少なくとも、その生徒に何が分かっていて、
どこまで考えたかを探りつつ教えて欲しいですね。

面倒がらずにじっくりとつきあって欲しい。
たとえ生徒が結論だけを求めてきても。

それを安易に対応するのは、一見生徒のためのようで
(私も以前は「~のため」と思って教えてました)
実はその人の可能性の足を引っ張っているかもしれません。

分かり易く、面白く教えて、自分の収入に結び付く
それって、魯迅のいう「食人」ではありませんか?

三増紋也さんが亡くなられた

2011-07-27 10:26:42 | 塾あれこれ
また一人(美しい東京)を思わせる方が
亡くなられました。

ご高齢とはいえ残念です。


このトシになると、映画で見たあの方、TVでしか
存じあげないけれどなぜか好きだったこの方・・
多くの訃報が届きます。

その都度「ああ」とは思うのですが
徹子の部屋じゃあるまいしそればっかりをブログに
書くのもねえ。。

花柳小菊さんのときは何か書こうとしましたが
よく考えると書くことが殆どありません。

三増紋也さんもそうです。

寄席では何度もお目にかかりました。
(昔、お元気に高座に上がっておられた頃)

「江戸の芸」って感じを粋に見せておられました。
人柄がにじむような気がします。

初代林家正楽が関東気質マル出しの芸としたら
(彦六の正蔵の弟子としては師匠へのリスペクトが
 高い方でした・・余談)
紋也さんは江戸=東京の芸。
独楽を受け継ぐ人はいても人という芸を受け継ぐ者が
いるでしょうかねえ。

NHKは追悼番組をやってくれないかしら。

もっとも最近の人はTVを通しての曲芸など
感心されないかもしれません。
やはり高座で見るべきものですよね。

『PEACE』・・ひと言でいえない

2011-07-26 06:43:42 | 塾あれこれ
言葉でまとめると、こぼれたり
きしんだりするところが出そうです。
映画として纏っている処が不思議なほどです。

(映画で)考え発信されたものを(映画で)見るから
良いのでしょうね。

たとえばネコの世界とヒトの世界を等しく並べるのは、
宗教的世界ならばありえそうですが、ぽんと置くだけでは
言葉の世界ではたぶん乱暴にすぎるでしょう。

それが気にならないのです。。。
・・映画を見て頂くしかない!


前作『精神』でもテーマの一つであった
人はいかに生き、そうして死んでゆくか・・
『PEACE』ではより鮮明な課題となります。

人が死ぬということはインパクトが強いことですが
その向こうに、人がどう生きたかが見え始め
人々がいまをどう生きているか、
自分はこれからどう生きるか(どう死ぬか)

こういう話を観念的でもなく、過剰に深刻にもならず
具体的な人生を撮りつづけることで表現されているのです。

より具体的には、介護の現場はどうであるか
高齢化社会の実態とは、などなど日本の社会が見えます。

トークで強調されたことの一つに、閉塞したこの社会を
どうにかするのは現場ではないか、そこからしか
ブレイクスルーはないのではないか。
(現実には、官僚が作ったシステムに窒息しそうになる
 のですが、それでもなお)

全体を考え、上から改善をしようとしても何も変わらない。
数という面ではほんとうに小さな実践ではあるけれど
現場が下から地道な実践をするしかないのです。
特に311後で見えてきた方向性でしょう。

(塾も同じです。
 町の片隅で自らが信じていることを実践するしか
 この教育砂漠の国は変わりようがなさそうです)


自分は何かボランティアができるか?
いつも落ち込む話題です。


政治や社会に注がれた視線は、個人にも向けられます。
決して通り一遍でなく、良い処も欠点も。
強い処もその中に見える弱さも、監督が捉えます。

いつ死んでも良いと言いながら、瞬間ふと覗かせる
自信がない表情の淋しさはどうでしょう。
やはり強がりか・・

残酷なほどのカメラですが監督に写っている人への
リスペクトがあるから嫌な画面にはなりません。
それがあるから相手が心を開いたのか?

横川シネマの溝口さんが言われていた「この映画では
従来の作品より監督自身が前に出ている」という指摘
はサスガでした。
ただのヒゲのおっちゃんじゃなかったね。

「水俣」の土本監督がそうでしたね。
真摯なドキュメンタリは表現者がまるで画面の中にいる
ように出来あがるのです。

土本監督はインタビューもヤラセの一つだと言われました。
ただ、必ず自分が声だけでも画面に参加し、無責任な
作り方にはしないのだ、と。
(歩きながらのお話でしたけれど)


魅力的な人物でないと出来ない仕事ですね。
(カミサンも実物で監督の魅力を認識したみたいでした)


どうせ想田監督は読まないのだから素人が生意気を一つ。

初めの方で義父さんが客を運動公園に案内するシーンが
ありました。

二人を乗せた車が画面左に消えた次のカット。
カメラが社内にいてお客さんを捉えています。
ここはつなぎ方が感心しないな。

劇映画なら構わないけれど、運転手(義父)と二人が乗った
車をカメラ(想田監督)は見送ったわけです。
そのカメラが次の瞬間車内に飛んではマズイと思うのですよ。
たとえ実は固定カメラだったとしても矢張りよくない。

このカットはなくて公園に着いた絵に移って繋がると思うの
ですけれども、どうでしょう?
小さな話ですがね。


パンフに監督のサインを貰っちゃった。
ミーハーだね。

でも出来が良いパンフで、デープな世界が対談で覗けます。
映画ファン、ドキュメファンは必携!

想田和弘『PEACE』

2011-07-25 16:05:23 | 塾あれこれ
都合をつけて横川での先行上映に行きました。

普通は人が多そうなところは避けるのですが
今回は監督の来広に惹かれてしまいました。
・・行ってよかったですね。

行かなければ、見なければ、分からない映画です。
また監督の考え方をじかに聞けて理解が深まりました。
(上映後、監督のトークありというのは初の経験)

トークでは想田監督も横川シネマの溝口さんも
「PEACEは一言では言えない映画」と仰っていました。

たとえば『精神』ならば「心の病の治療現場に
ドキュメンタリのカメラが入った」などと言えます。
それが、この映画は説明が難しいのです。
つまり、それほど出来が良い、ということ。

ひいきの引き倒しにならないよう慌てて以下に説明します。


表現するということは、その媒体でなければなしえないこと
を追求することです。
それが出来たら傑作。

フェルメールの絵はどうでしょう。
ひと言で言えますか?

絵を見て、それを言葉で、ルル、説明はできるでしょう。

窓辺に青い服を着た女性が立ち手紙を読んでいる、
そこへ窓から光がさしこみ辺りに柔らかく散乱し・・・

しかしそれで説明し切れているでしょうか。
絵を知らない人が言葉から絵を正しく思い浮かべる事が
できるでしょうか。

できませんよね。
絵でしか表現できないことが描いてあるからです。

見るしかない、見ればすぐに分かる、けれども
奥は深くてたどり着けない、これが名作・傑作でしょう。

傑作であればある程(見るしかない)のですね。


また、たとえば、織部の茶碗。

あえて歪ませ・・などと説明して「分かる」か?

百万言を費やすよりも、実際に見て
「え?! なんで?・・ んん~・・まてよ・・ははあ・・」
と見て次第に良さが分かるはずです。

想田監督はタルコフスキーをお好きなようです。

その彼の傑作『鏡』の世界を言葉に直せるでしょうか?
映画でなければ表現できないから今だにタルコフスキー!


『PEACE』も言葉では説明できない世界があります。
世界が広く、深く、単純でありながら微妙に揺れて複雑。

映画を撮る時、予見を排して(台本を作らず)出遭うがままに
カメラを回すのだそうです。
従って私が嫌いなヤラセの対極にある映画。

それがドキュメンタリの命です。
現実がある、それゆえ信じられる。

予め撮っておくクロースアップが少ない映画です。
(ピースの箱のように、あれば珍しい)

全ては確かに写っていますが見る人が気づかないといけません。
気づくようにはしてあるようですが、見落としもあるかも。

何度見ても新しい発見があるかもしれません。
また印象深い場面では何度見ても心打たれるに違いありません。

ネタバレはいけないので書けないのが残念ですが
人間の決定的な表情がちりばめられた映画でもあります。

(途中ですがいったんここで。後は明日)

『縄文の生活誌』

2011-07-23 19:40:08 | 本の話
岡村道雄著『縄文の生活誌』
講談社学術文庫、日本の歴史全26巻の第2です。

読み応えがあります。
話が細かくなりそうな種類の本ですが「煩瑣だ」とか
「読みづらい」などということはありません。

文中、物語風にしたてたところがあり
新しい試みだと思います。
イメージが浮かびやすくなりますね。

学問的な裏付けがある「物語」ですから安心。
とはいえフィクションが全くないか、筆が走り過ぎた
処がまったくないか、・・どうでしょうか。

また終わりには例の東北旧石器遺跡ねつ造事件について
細かくかつ真摯な文もつけられており
ここだけを読んでも興味深いものがあります。


中学生のころ、鎌倉新仏教など習ってもピンとこず
結局マル暗記でテストの対応をし、すぐに忘れ去った
のと似たことが古代史を読んでも言えます。
(ちょっと恥ずかしい話ではありますが)

縄文前期はどんな土器で、中期・・・
勉強してもすぐに忘れてしまうのですね。

およそ1万年、変化・発展の少ない社会であり
弥生時代になって大きく変わり始めた、などという
古い知識に災いされて頭が固くなっていたのでしょう。

変化の少ない社会であれば平板で面白くなく
したがってイメージも湧きにくい、ということだった。

ところが近年の研究の進展で、かなりドラマチックな
社会で、文化的にも面白いものだと分かってきたのです。

心のありようや暮らしの様子が見えてきたのですね。

「なるほど」と納得がゆく本でした。


松井章『環境考古学への招待』岩波新書

副題が「発掘からわかる食・トイレ・戦争」

この本は縄文時代だけとは限りませんが
上記、岡村道夫さんの本と併読しました。

こちらも大変に面白い本です。
ウンチクが増えますね。

もちろん、学問とはいかにあるべきか
現代の官僚的な仕事を鋭く批判されています。

おすすめ。

盗んで悪いか

2011-07-22 18:49:38 | 塾あれこれ
居直った感じですが、場合によっては
「正しい」場合もあります。

第二次大戦後、ソ連によって抑留、強制労働をさせられた
のは日本兵だけではありません。
ドイツ兵も同じような境遇におかれました。

不十分な食糧で厳しい冬を越せず大勢の人が
死んでゆくなかで、ソ連の食糧倉庫から盗みをし
命を長らえたこともあったそうです。

亡き父が「ドイツは組織だって盗んだ。
軍隊の組織をそのまま生かした行動を取っていた。
それに引き換え日本はバラバラで・・」

ありそうな話ですね。

関東軍は敗戦時、エライさんが必要ならば兵隊を
使ってくれと「差出し」自分たちはさっさと
内地に逃げ帰ったのです。
組織に根性というかハートが入っていないのでしょう。
シベリアで軍の末端がばらばらであったのも頷けます。


もちろん日本だってディープな部分はしっかりとしていた
ようです。

あまり良い状況証拠ではないのですが
関東軍が秘匿していた大量のアヘン。
これは主に対中国の作戦で裏工作に使ったようですが
お金に直してもすごい額になったらしい。

どこへ消えたか分からないそうです。

組織的な動きがあったとしか考えられませんね。

お金や物資も組織的政治的な「処置」がされてる筈です。

証拠がないことだから妄想に見えます?


覚せい剤のヒロポンが戦後大流行をし、多くの中毒患者や
死者を出したことは有名です。

寄席の楽屋などで平気でやっていたとか聞きます。
天才ミスワカナも中毒で死に至るわけですよね。

それほど大量にどこから出回ったか?
出所は軍。(軍からだけではないにしろ)
戦争遂行のために大量の備蓄をしていたのです。

どうやって出回ったのだろう?

組織的な動きがあっただろうと思われますが
きっと犯罪的なことであったに違いありません。


こんな状況であったことを思えば昨日のAさんなど
可愛いものです。

軍や戦時の状況が、大変であったことが分かります。
それが全てではないにしろ非人間的になっていたの
ですね。

もっとも、私のいた会社だって秘匿したいことはあり
現代の会社や組織だってヒドイこともあり
戦争のせいばかりではなく「人間なんて」ということか
・・などと暗い発想に捉われます。

敗戦後、軍の物資を横取りした人

2011-07-21 20:32:13 | 塾あれこれ
父の親友にAさんという方がおられました。
もう一人とで仲好三人組だったらしい。

もう一人の方は戦前から戦後にかけて地方では
比較的有名な会社の御曹司、ただし私が物心ついた
ころにはほぼ没落しておられました。
父は友の名前=カンジから「カンちゃん」と呼び仲がよかった。

母も一緒になって「○○のカンちゃん」

3人組のもう一人は「Aさん」
Kちゃんよりすこし距離がある、もしくはAさんは
立派な方で(ちゃん呼ばわり)しづらかったのかも
しれません。

父はシベリアに行き23年に帰国、他の日本人より
戦後のスタートで後れをとったと感じていたようです。
祖母からのプレッシャーも大きかったらしい。
何しろ祖父が戦争前後で家業をつぶしていましたから
長男の父を頼るしかなかったのですね。

Aさんは戦後しっかりと事業を成功させておられました。
3人組も1勝2敗だったようです。


母があるとき「Aさんは敗戦直後、軍の物資を横流しして
事業の資金を作った」という話をしていました。
良いとも悪いとも言わなかったですが、カンちゃんの話をする
明るい響きはありませんでした。

父が敗戦時日本にいたとしてAさんの真似を出来るはずもなく
倉庫へ取りに行ったらドジをしてつかまっていたに違いなく
Aさんをとやかく糾弾する話でもないのですけれど。


戦争はいつまで続くか分からないから軍はそれなりの物資を
備蓄していたのですが(国民生活が厳しくても)
もともとは国民が必死の思いで納めたものと言えます。

Aさんがクスネたのは(凶暴かつ負けちゃった、軍)から
というよりも、大元は国民からなのです。
戦争に負けちゃいけないから必死で納めた。
(軍の一部はそれを浪費していた)

横流しを私は(威張れる行為)とは思いません。

けれども不必要に浪費をしていた軍の実態を知っていて
横流しに及んだとしたらその気分も分かる気がします。

大阪のオバチャン的な感覚ならどうでしょう?

「どうせ置いといても他の誰かが持ってくヤン」
「もともと軍隊のもんとも言いづらいやろ」
「軍のエライさんが取り込むかもわからんし
 敗戦時の国民がちょっと分けてもろうてもエエんちゃうの」

私「でも供出した人のことを思うと軍と同レベルに・・」

オバチャン「ほんなら元の人へ返せるか?」
 「あんたが、ええかっこしたいならカマンけど、
  人を悪うは言えんな」

どちらも正しいのでしょう。


ただ、人間は自分の心にはウソをつけません。

私のように「金は欲しいなあ、でも倫理的に許されるか」と
悩むタイプが実社会では最悪。
それは分かっていてもハートが渋る。

どこでこんな損な性分に育ったのか、
もしかして学校の道徳教育だったらちょっこし不平を言いたい
気ではあります。

戦後、膨大な物資が消えている筈です。
当時どんな倫理観が働いていたのでしょうね。

PS
親爺はアル中で経済能力もなく、子供から見てワガママな
戦前男子でしたが、妙にヤセガマンのところがありました。

物資横取りの話をもしも父にしたら怒るでしょう。
「リクツはない!イケンもんはイケン」

もちろんAさんとは仲たがいなどありえなかったハズです。
たぶん「あいつはあいつ」