塾は何によるべきか。
「信念」は難しい、「実績」は怪しい。
そこで私がたどり着いたのが(歴史)です。
数千年の長きにわたり人類が積み上げてきた
教育の歴史に依るべきであろうと。
そこには確かな実績があります。
もちろん進化ということを考えねばなりません。
ただ古ければよいというものではないでしょう。
経済情勢は変わり、科学は進歩しています。
旧態依然をあてはめてよかろうハズはありません。
社会情勢の激変が人々の考えを変化させ、教育も
そのことを前提に進化させなければならないのです。
しかし、繰り返しておきますが、新しければよいと
いう保証はどこにもありません。
TVや新聞が誉めているといって自分の子供を
メディアに任せてよいことか。
第二次大戦後の教育史をちょっと振り返れば
答えは明らかです。
わずか数十年の検証にも堪えられない流行ばかりです。
(たぶん欧米はどこも)
○
平成の我々と江戸時代の人々とどちらが教育を
切実に考えているでしょうか。
比較検証できることではないかもしれませんが
状況を考えてみましょう。
社会保障も何もなかった時代に、ひととし食って
畑や商売を跡取りが中心に行うことを考えれば
教育がいかに大切か、
江戸時代は現代よりも切実であったはずですね。
老後の「生き死に」に関係してきます。
アホな子供がブチ壊したらどうなります?
そこで「ましな子供」を育てる必要があります。
幸い江戸時代は社会が比較的安定しており
農業そのほかの生産力も進展していました。
財を教育へ振り向ける余裕があったのです。
楽であったろうとは言いませんが。
義務でもないのに皆寺子屋に通わせました。
出来の良い子ならば養子などという道も拓ける
のです。
○
現在、日本文化の長所と考えられることの多くは
江戸時代の庶民の教育レベルの高さにつながる
ことであろうと思います。
子育てに必死であった時代の教育に学ばねば
というのが、現在多くの塾が考えていることです。
学校教育が忘れ去っていたことに灯をあてることが
塾の役割です。
決して、ただの補習機関であってはなりませんし
学校と同じことを繰り返しやってやる必要はありません。
それは誰が考えても、効率が悪すぎることですね。
そんな塾の姿勢を端的に現す言葉が
「教えない」ということです。
教えすぎる進学塾への批判でもあります。
進学実績を誇る処が高級官僚共を生産しているようですから。
○
余談ですが団塊の世代などから下には
「子どもに頼らない老後」と言ってはばからない人が
多くおられるハズです。
実は、頼れる子供を育てていないのです。
子供への真の教育を放棄してきた、とも思えるのですが。
(子供がいない私に言う資格はないか。。。)
○
(もう一回続きます。
長い話になってスミマセン。年食うと、つい話が長くて)
「信念」は難しい、「実績」は怪しい。
そこで私がたどり着いたのが(歴史)です。
数千年の長きにわたり人類が積み上げてきた
教育の歴史に依るべきであろうと。
そこには確かな実績があります。
もちろん進化ということを考えねばなりません。
ただ古ければよいというものではないでしょう。
経済情勢は変わり、科学は進歩しています。
旧態依然をあてはめてよかろうハズはありません。
社会情勢の激変が人々の考えを変化させ、教育も
そのことを前提に進化させなければならないのです。
しかし、繰り返しておきますが、新しければよいと
いう保証はどこにもありません。
TVや新聞が誉めているといって自分の子供を
メディアに任せてよいことか。
第二次大戦後の教育史をちょっと振り返れば
答えは明らかです。
わずか数十年の検証にも堪えられない流行ばかりです。
(たぶん欧米はどこも)
○
平成の我々と江戸時代の人々とどちらが教育を
切実に考えているでしょうか。
比較検証できることではないかもしれませんが
状況を考えてみましょう。
社会保障も何もなかった時代に、ひととし食って
畑や商売を跡取りが中心に行うことを考えれば
教育がいかに大切か、
江戸時代は現代よりも切実であったはずですね。
老後の「生き死に」に関係してきます。
アホな子供がブチ壊したらどうなります?
そこで「ましな子供」を育てる必要があります。
幸い江戸時代は社会が比較的安定しており
農業そのほかの生産力も進展していました。
財を教育へ振り向ける余裕があったのです。
楽であったろうとは言いませんが。
義務でもないのに皆寺子屋に通わせました。
出来の良い子ならば養子などという道も拓ける
のです。
○
現在、日本文化の長所と考えられることの多くは
江戸時代の庶民の教育レベルの高さにつながる
ことであろうと思います。
子育てに必死であった時代の教育に学ばねば
というのが、現在多くの塾が考えていることです。
学校教育が忘れ去っていたことに灯をあてることが
塾の役割です。
決して、ただの補習機関であってはなりませんし
学校と同じことを繰り返しやってやる必要はありません。
それは誰が考えても、効率が悪すぎることですね。
そんな塾の姿勢を端的に現す言葉が
「教えない」ということです。
教えすぎる進学塾への批判でもあります。
進学実績を誇る処が高級官僚共を生産しているようですから。
○
余談ですが団塊の世代などから下には
「子どもに頼らない老後」と言ってはばからない人が
多くおられるハズです。
実は、頼れる子供を育てていないのです。
子供への真の教育を放棄してきた、とも思えるのですが。
(子供がいない私に言う資格はないか。。。)
○
(もう一回続きます。
長い話になってスミマセン。年食うと、つい話が長くて)