何に依るか 

2011-11-13 16:30:52 | 教えない
塾は何によるべきか。

「信念」は難しい、「実績」は怪しい。
そこで私がたどり着いたのが(歴史)です。

数千年の長きにわたり人類が積み上げてきた
教育の歴史に依るべきであろうと。

そこには確かな実績があります。

もちろん進化ということを考えねばなりません。
ただ古ければよいというものではないでしょう。

経済情勢は変わり、科学は進歩しています。
旧態依然をあてはめてよかろうハズはありません。

社会情勢の激変が人々の考えを変化させ、教育も
そのことを前提に進化させなければならないのです。

しかし、繰り返しておきますが、新しければよいと
いう保証はどこにもありません。

TVや新聞が誉めているといって自分の子供を
メディアに任せてよいことか。

第二次大戦後の教育史をちょっと振り返れば
答えは明らかです。
わずか数十年の検証にも堪えられない流行ばかりです。
(たぶん欧米はどこも)


平成の我々と江戸時代の人々とどちらが教育を
切実に考えているでしょうか。

比較検証できることではないかもしれませんが
状況を考えてみましょう。

社会保障も何もなかった時代に、ひととし食って
畑や商売を跡取りが中心に行うことを考えれば
教育がいかに大切か、
江戸時代は現代よりも切実であったはずですね。

老後の「生き死に」に関係してきます。
アホな子供がブチ壊したらどうなります?

そこで「ましな子供」を育てる必要があります。

幸い江戸時代は社会が比較的安定しており
農業そのほかの生産力も進展していました。
財を教育へ振り向ける余裕があったのです。
楽であったろうとは言いませんが。

義務でもないのに皆寺子屋に通わせました。

出来の良い子ならば養子などという道も拓ける
のです。


現在、日本文化の長所と考えられることの多くは
江戸時代の庶民の教育レベルの高さにつながる
ことであろうと思います。

子育てに必死であった時代の教育に学ばねば
というのが、現在多くの塾が考えていることです。

学校教育が忘れ去っていたことに灯をあてることが
塾の役割です。
決して、ただの補習機関であってはなりませんし
学校と同じことを繰り返しやってやる必要はありません。
それは誰が考えても、効率が悪すぎることですね。

そんな塾の姿勢を端的に現す言葉が
「教えない」ということです。

教えすぎる進学塾への批判でもあります。
進学実績を誇る処が高級官僚共を生産しているようですから。


余談ですが団塊の世代などから下には
「子どもに頼らない老後」と言ってはばからない人が
多くおられるハズです。

実は、頼れる子供を育てていないのです。

子供への真の教育を放棄してきた、とも思えるのですが。

(子供がいない私に言う資格はないか。。。)


(もう一回続きます。
 長い話になってスミマセン。年食うと、つい話が長くて)