仕事が終わって・・吠える。

2012-02-29 21:31:36 | 塾あれこれ
と言ってもファーストステージだけですがね。

・・・「終わりの始まり」か。
ともかくわが塾のファースト?ステージが終わった。

停年ってこんな感じかなあ。

何度も書いていると思いますが、新年度(3月)からは
新しい生徒の募集をいたしません。
現在、おいで頂いている生徒は引き続き通塾をして
頂きますが、在席数は(自然減)となります。

長くてもあと数年。

体力があるのに何だか寂しいような気もしますね。


政府やそのお先棒を担ぐ連中が「団塊の世代など停年で
あとはノンビリなどと言わず、働け」と大合唱です。
それに対しても、ささやかな抵抗。

「あなたがたの話を信じるとロクなことはない」

お金がなくても何とかなるか、手さぐりをして見ましょう。

でも、地域活動だのボランティアだの立派なことはしません。
できません、と言う方が正解かな。

第一、見返りを求めないことを、誰かがやれって上から言って
くること自体がウサンクサイでしょ。
ノーミソの奥でアラームが鳴っています。

ガキのころから競争社会、一生懸命働いて真面目に税金を
納め、社会正義はきっとどこかにはあると信じ
後輩にも考えなどを伝えようとし、嫌われ、停年をすぎたら
(楽をしてばかりで若者に負担を強いる)=邪魔者扱い。

働きゃ働いたで若者の仕事を奪うと言われるしねえ。

40代50代の人がシンドイのは分かるけれど
お前らより働いたぞ!考えたぞ!
少なくとも先輩はリスペクトしたぞ!

若いころから、こうなる予想はしていたけれど、ムカつく。

医療費もバンバン使ってモトをとらなきゃね。

どうせ、良い爺をやってても、嫌われるだけだし
評価はされないのです。
アホくさくて社会のためになんか生きられますか。

若者を楽にさせることはありません。
今までそれなりに楽だったハズなのに、ああなってるのです。
世界標準の若者たちには遠く及びませんね。

これからの日本は世代間戦争です。
負け犬承知。
ひと噛みくらいはして、くたばろうではありませんか。

財産なんか自分で使いきっちゃいましょう。
そのほうがデフレ対策にもよいのです。
持っててもハイパーインフレが来そうだしねえ。

悪態ばかりのあいつらに残すものはありません。


あと何年かは、多分仕事の延長がありますので
ノンビリはできませんが、そこから先がヒマです。

趣味はないし、遊び歩く体力も金もないし
他人に勝る頭脳があるわけでもありません。

嫌われるしかノウがないようです・・


「俺の人生、なんだったんだろう」
とは思いません。

アポリアは、発想すること自体が愚の骨頂。

とはいえ宗教者でも哲学者でも無い一般人には
すっきりとしない世の中ではあります。

「年寄りを大切にしない国は衰退するぞ」
VS
「大切にされないのは自業自得じゃん」


もうしばらくは塾のセンセをやっていますので
時間があればブログも書きます。
品が悪い文ですが、よろしければお読みくださいませ。

・・・もう読み飽きた?

上からの目線で沖縄通り過ぎ

2012-02-28 20:29:19 | 塾あれこれ
野田首相は辺野古を上空からご覧になたっとか
沖縄では皆さんが怒っておられます。

菅前首相の福島上空映像とあまり違いませんね。

どうして地元の気持ちが分からないのでしょう?
それとも国はレベルが上だから一地方は後回しと
見せつけるためなのでしょうかね。

官僚の路線に乗るだけな野田


とはいえ私も大きなことは言えません。

岩国まで直線で30㎞の処に住む人間としては
米軍を引き受けるか、と問われると・・

沖縄から海兵隊を県外へ、といっても
各論になると、岩国には困るなあというのが正直な処。

山口県知事も岩国市長も猛反対をされましたが
ホンネのお気持ちだろうと思います。
「これ以上は勘弁してよ」

我が広島県のバカ湯崎は縮こまって(知事困ってと変換した)
何も言えなかったのが情けない!
この件に関しては前藤田知事のほうがマトモな
対応を示したでしょうね。


(お叱りを受けそうではありますが)

沖縄県は負担が大変だ→現在相当の負担をしている岩国へ

という構図はどうしても合点がいきません。
エゴかなあ。。。

沖縄へ負担をさせ、それに「ただ乗り」をしている内地と
いうのならば、ある程度の負担をしている処へ持ってくる
なんて話はありえないのですがねえ。

けれどもそんなことを言うと「総論賛成・各論反対」と
無責任の代表みたいに叩かれそうです。

蔭では「十分な金を注ぎ込んでるじゃないか」と
タケシみたいな話が横行しているのでしょう。

沖縄の負担が大ならば、負担の小さな処から移設を検討
すべきです。

そもそも海兵隊が必要かどうか、から見直さねばならない
のは常識的な発想だと考えますがねえ。

国の防衛と言われますが、まず国民の心が大切です。
今のままでは「盛り上がりに欠けます」

心があれば装備は要らないという話ではありません。

装備だけで心が伴わないことになれば良くないと
いう話です。

アメリカの戦略の下請けだけで良いのかなあ?

円高下で塾も高い?

2012-02-26 15:51:05 | 塾あれこれ
為替レートと塾の月謝に直接の関係はありません。
あまりに明白だと人間は引っかかりませんが
「~らしいね、かもしれない」
という話が騙されやすいものです。

日本経済の不調をすべて円高の所為にする、なども
それでしょう。
製品の競争力がない、のは本当に円高だけの所為か?
都合の悪いことを隠してやしないか?

製品が良いのは何も作り手だけのお蔭ではありません。
享受する消費者の力もあります。

フランスやイタリアのデザインがなぜよいか、
消費者の目が肥えているから、なのです。

日本製品がなぜ良かったか。
消費者の高い要求があったからとも言えるのです。

国民のレベルが高ければ良い物が生産されます。
韓国や中国の生産物が良くなったとすれば
国民のマインドが上がったということでもあるのでしょう。
作り手としてだけでなく、消費者としてね。

さて、現今の我が日本国民は??


ぐっと規模が小さい話ですが、塾の月謝、
昨日も書きましたように需要曲線と供給曲線の交わる処が
「適正価格」

低い相場がなりたつならば、そこが「正しい」
不愉快ですが仕方がありません。

この辺りでは「塾に月謝を払い過ぎていませんか」という
宣伝文句をよく見かけます。

内容を問わずにキャッチコピーというのは
怪しげな政治家と同じうさんくさい呼びかけですが
それが一種「成立している」のは、ただ、価格破壊が塾へも
というだけではないと思われます。

価格に対応する商品価値が見わけにくいものですから。
比較も容易ではありませんし。

量産効果は塾の場合影響力は小さいハズです。
人件費などの固定的経費の比重が大きいから。

一つ言えそうなのは(オーナーの様子で分かる)

子供のためとか宣伝しながら高級外車にふんぞり返っている
そんなオーナーの塾には「払い過ぎていませんか」は
有効な問いかけかもしれません。

勿論「払いすぎてや?」と宣伝する処自体が金儲けでないか
どうかは別問題です。

お金を出す側がしっかりしないといけませんね。
相場程度だからどこも同じという甘いご家庭も多い・・?

どんな内容に対していくらお支払いするか
交換価値のチェックが大切ですね。


昨日の我がブログには異論が多いと思います。

自分の塾で何ほどの貢献ができたか怪しいと認識しながら
客への一方的な(言いがかり)ですからね。

やってるほうがこれですから、本当は、適正価格など不明
なのです。
冷静になれば。

ただ、テンションを上げて仕事をしている若いうちは
たとえ根拠がなくても「十分な仕事はしている」
「適正価格だ、お安いとも言える」
なんて思うものです。

私もそうでしたから。
(ホンネを小声でいうと「山口塾も井上教室も安かった」)

・・・こんなこと言うとまた叱られそうだなあ。

月謝はいくらが適正か

2012-02-25 18:22:08 | 塾あれこれ
タイトルでご覧になった方、スミマセン。
答えはありません。

交換価値ですから。
この金額なら行ってやろう、と仰っていただければ
それが適正価格です。


もちろん相場というものはあります。

1000円でもパスタなら仕方がないか、ですが
ラーメンなら、相場より高いねえ、となります。
(我家のあたりの話)

500円のラーメンが相場の場所で100円の店を出せば
喧嘩を売っているか、営業妨害
あまりよろしいこととは思えません。

また、コストも考えねばなりません。

経費がこれだけだから、と下から積み上げていかないと
塾がなりたたない面もあります。

いくら「教育で金儲けはいけない」といっても
生きてゆくためにお金はどうしても必要なものですから
一定程度は見込まないと安定した良い仕事になりません。


わが塾のご近所にもたくさんの同業者がおられます。

従って営業妨害になるような価格は提示できません。
「ま、相場かな」という金額で塾を始めました。
(こんなミニ塾がと笑われそうな話ではありますが)

この十何年で途中一回ある程度の値上げをしたことが
ありました。あとは微調整です。

塾もデフレですから値下げということも理屈としては
あり得るでしょうが、その気にはなりませんでした。

安かろう悪かろうにお付き合いをするのは「愚」

価格が安い塾は「企業努力だ」と言われそうですが
子供の一生に関わることで、なおかつ、後から取り返しが
利きにくいことを値段の多寡できめるのは、如何?


我塾の小5週2回、各2時間の個別授業で月謝が2万円
というのは、払う側から冷静にお考えになると
「高いなあ」ではないでしょうか。

相場とか交換価値とかをいったん片側へおくと
2万円あればよい買い物が出来ますよね。

私なら(正直いうと)塾の相場は高いと思います。

自分の収入から支払うと思えばね。


でも、反対に(ブーイングを覚悟で書きますが)
「高くはない」と思う気持ちもあるのです。

自分はこれだけの気をいれてやっている、
この月謝は決して高くない!・・・なんてね。

また、生意気な人間ですから、客の「月謝は払うから
入試で結果を出せば良いんだよ」にはムっとします。

もちろん、面と向かってそう仰る方はおられません。
でも案外ホンネでは・・・・

覚悟はしているんですが、やはりテンションが
下がってしまいますね。
偶に見える時があるんですよ。がっくりします。

受験請負だけでよかったの・・・そうなの・・

寂しいものですが、現実でもあります。

やっぱり天才宮崎先生

2012-02-24 18:55:41 | 食べる
昨日は「白身魚の甘辛風味」
短時間に出来あがります。

何度も書きましたが、この方のレシピは
実際に作ってみないと味が分かりません。
驚くほどの料理が出来あがりますね。

「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」で
2/23のレシピをご覧になってください。

白身魚に片栗をつけて焼きます。
甘辛いタレをからめます。

以上

何とシンプル。

TVを見ても「はー、よくありそうですね」

ところが昨夜カミサンに作ってもらって驚いた。
「ん~~~~まい」のです。

抜群のバランス。

甘味、辛味、酸味、醤油
中華のよい香り。
魚の味を最大限に引き出し、また食感の良いこと!

料理を家庭向けに単純化し、バランスを取り
なおかつ美味。
「そうね、ウチで作った初めての味」

天才でなければ出来ないワザです。
単純化するって難しいですからね。


子供のころ、ウドンが好きでした。(ま、今も)

関西文化圏ですからウドンをオカズにご飯を食べます。

子供心に「ウドンだけ、たらふく食いてー」
貧乏を呪ったものです。

ところが最近。
蕎麦でも饂飩でも拉麺でも、ご飯が一緒でないと
落ち着きません。

麺をが~っと飲みこむようにして完食したあとの
白いご飯の美味いこと。

このシンプルな味が子供では分からなかったようです。

最近の私は「ご飯を美味しくするための麺の味」なのだ
と思うようになりました。


日本中が米離れだとか。
こんなに美味しい物が分からない人が増えているのか
老境に近づいて初めて味が見えてくるのか。

『運鈍根』という名著がありました。
超有名店のご主人井上梅女の著作です。

そのお店が30才未満の客は取らなかったとか。

宮崎先生みたいな若者もいるのでしょうが
やはりヒトトシとってから、かもねえ。
(衰えとの競争になりますが)

冴えない散歩

2012-02-23 20:00:01 | 塾あれこれ
前方から挨拶されて驚いた。
人がおられることすら気づかなかったのです。

以前、塾においでいただいた保護者の方でした。
あわててご挨拶をしましたが、きっと
「ずいぶん暗~い爺だこと・・」


『批評の生理学』という本があります。
A・チボーデ著 戸田吉信訳(昭和44年刊)

散歩で家から出て川土手に着く迄は仕事やブログの事を
ぼんやりと考えています。
今日はなぜか上記の本のことを考えていたのです。

いや、大したことではありません。

どんな内容だったかな?結論めいた部分は覚えているが
もっと細かく思い出せないかな?
こんなことを考えていたのです。

難しいことを考えていたわけではありません。

ところが、よく見知ったお母さんに気づかない程ですから
我をかえりみると、どうもハイカイ風の外見だったかも?

ここらへんが効率が悪い人間なので、もし本当に確認を
したいのなら、家に戻ったあと本を探せばよいのです。


なぜそんな昔の本を、と思われますか?
別に私の記憶が良いということではありません。

本を著した方から直接頂いた唯一の本なのです。

大学生の時、教養部で戸田先生に教わっていました。

人に懐かない私ですが、珍しくしばしば自宅に伺い
騒いでいたときに、先生が「おい、これを進呈しよう」
と出来たばかりの本を下さったのです。

なぜか私ひとりにね。

先生からご覧になって、本が私に有効に見えたのでしょう。

批評とは、実作の力が弱くて競り負けた人間が素人に
解説をしてあげる仕事=創作よりも一段落ちる仕事、だ
なんて生意気なことを考えていましたから、批評のあるべき
位置についての論考に、が~ん、とぶっとびましたね。


別のある時、戸田先生が「プルースト読むか」と仰ったので
二つ返事で先生の本棚から文庫本を貸して頂きました。

文庫の『失われた時を求めて』
十数冊はありましたね。

大苦戦。

3冊目くらいでダウンしていると先生から「読んだか?」
紛失しないか恐れたのかなあ。
慌ててお返しいたしました。

可愛がって頂いたのに応えることができなかった次第。


私の場合、可愛い生徒は大勢いましたが、やはり多くは
こちらの予測した処にまでは届きません。

教員とは失望しつづける仕事なのかなあ。

別の方向で才の花が開いたと思えばよいのですが、
つい自分の気持ちが入りこみすぎてしまいます。

もちろん、どんどんと伸びる子もいます。

嬉しいものですが、自分の力がそれに関与したという錯覚を
持ちやすいので困ります。
そんな保証はどこにもありませんから。

逆にもっと伸びたものを 足引っ張ったかもしれません。

幾分かは与かったと思いたいのが人情ですけれど
「彼はボクの教え子でねえ」なんて言い始めると最悪!

塾の先生はしばしば「わが塾にはこんなに出来る子が」と
口走ります。
無邪気でほほえましい場合もありますが、いい親爺がまだ
そんなことを言ってるとぶん殴りたくなりますね。

「どうして、あんたの力ゆえだって言えるの?」

ドジで雨

2012-02-22 20:07:51 | 塾あれこれ
雨でびしょびしょ。

水も滴る良い男?(死語かなあ)


散歩で家から最も遠い地点でバラバラと降り始め
帰るころには地面も水が浮き始めるほどの本降り。
オタクみたいな私が雨に会うなんていつ以来かなあ?

明け方に雨が降って午前中からどんより、
昼のニュースでは雨雲は四国あたりにあり
「広島県には雨雲はかかっていませんが夜には雨」

今日一日での発電量が1.3kwhしかない、雨ふりと変わらぬ
空模様でしたが、今日はこんな天気だろう、とまだ先の
降り始めを決め込んだ散歩が間違いでした。

天気だけでなく「まだ大丈夫」ってのは失敗が多いね。

日本経済も相当に雨模様ですが、まだ土砂降りには・・・?


予期しない雨に降られると母のひとつ話を思い出します。

「村の○○さんは変わった人で、雨が降ってきても
 ゆっくりゆっくり歩いて濡れとって、じゃった。
 走ってもその先も雨よ、言うてね」

記憶があやふやなのですが、この方が、戦中に出征兵士を
村で送り出すときに「なにが目出度いか、万歳か」と言い
「警察に引っ張られるぞ」と回りが心配した人かな?

大人(たいじん)というべきか
良い意味での村夫子なのか
近頃のわが国では絶滅危惧種かもしれません。

(先も雨)には子供心にも時間や距離はどうする、と
突っ込みを入れていましたが、それを無視してシンプルに
考えるのが本当に偉い人間かもしれません。

家がすぐそこならば走った方が濡れないぞ、は浅知恵かな。


同様に、ちょっと下がった株を見れば「損切りしなきゃ」
などとバタバタ(臨機応変)に動くか
いったん見込んだ株ならばアホと言われようが持ち続けるか。
(先も雨)ですからね。

その人の生き方の問題ですよね。
運・不運もありますし。

私などはついバタバタ慌ててしまいます。

私「日本円ばかりで資産を持っていて大丈夫か?」

カミサン「ドルに替えても手数料ばかりかかるそうよ、
 第一、ウチのどこに(資産)がありますの?」

たとえポートフォリオなどを勉強しても活かしようがない
家計でありました。


しかし「どうせインフレになって実質減ってゆくのだから」
とまでは達観出来ないのも事実です。

貯金するには苦労するお金も、使うには早いですよねえ。
だったら使っちゃえ、という考えも成り立つでしょうが
貧乏症ってやつか、度胸がありません。
世間から笑われそうな「しさん」レベルですがね。

おりしも消費税とか保険料とか、アホと何とか見たいに
上にあがりたくて仕方ないらしい。

数十年前から分かっていたのに有効な手が打てなかった
政府の連中が今更「たいへんだ」と騒いでもシラケます。
(先も雨)って言ってやりたいですね。

駆けだしたい人だけ行っちゃえばどうなの?
こちらにまで負担を押し付けるとは、ねえ。


年金要らないから消費税ゼロってどうですか。

・・損か・・・・・

明治の初めに旧武士に対して秩禄償還というのをしましたが
年金もそれやっちゃどうですかね。
一時金に替えてしまうのです。
それを元手の武家の商法も多かったとか。

国の制度維持を信用するか、目先の現金に替えちゃうか・・

ええい、貰っちゃおうかなあ。
「早く下さい!」

人から学習する

2012-02-21 21:03:45 | 塾あれこれ
「大人からみて良い子」が勉強の成果も
上がり易いと以前書きました。

友達と上手に付き合えている、大人たちとの関係もよい
などが大切ですね。

もちろん大雑把な話ですから、それに当てはまらないことも
多いと思います。

片付けが上手、手際がよい、ドジをしない・・
良い子にはこれらが望まれますが、ジツは私、駄目でした。

忘れ物はする、机から消しゴムや鉛筆を落とす、
字は汚い、気が散る、挨拶がへた・・

ま、そんな人間が自分を反省して「~だったほうが得」と
思うわけです。
それでなきゃダメという話ではありません。


十数年前、自宅で塾を始めたころです。

塾の時間が終わり生徒がバラバラ帰途につきます。
その際、教場の自分の机にある消しゴムのカスを片づけて
帰るのです。

私が「そうしろ」なんて言ったわけではありません。
きっと学校などでシツケられていたのでしょう。

もちろん、それをしない子もいました。

けれど、暫く経つうちに皆がそうやって帰るのです。

他の人の行動を見て自発的にそうするようになった
としか思えません。

友達の言動から自分が勉強するなんて、とても良いこと
ですねえ。
感心してしまいました。

他にもちょこちょことそういうことはあります。
自然にルールめいたものができ、後輩に伝わります。

強制してシツケをするのならあまり感心しませんが、ね。


ところが最近、全ての子がそうするわけではなくなって
きました。
残念。

人の言動に無関心な様子です。
決まりだと言えば素直に行うハズですが、他人に学ぶ
ということができない様子です。

放っておいてもきちんと学習をし、仕事ができた日本人が
いつの間にか指示待ち人間になり、マニュアル整備を
急がねばならなくなったのと通じる気がします。

オンリーワンばかりを礼讃してきたので、他人はどうでも
よいのでしょうか?
SMAPが良くない?(冗談です)

本当は他人に注意を向けねば民主主義が危うくなります。
(アメリカもおかしくなってきているのでは?)

人間性は学習に影響を与えます。
今のままでは格差が広がり、下位層が増えそうですね。
自分から進んで努力をすることがないのです。

人の姿から「そうやって勉強するのか」と学べばよいのですが。

高齢化社会で若者が可哀そうという話ばかり聞きますが
過保護で自立できない、本当は能力があるのにそれを
発揮できないまま(不満だらけで何もしない)
そんなオンリーワンが増えなければよいのですが。

他人を気にしない子供は、家庭でうるさく細かく
シツケをされていることでしょう。
およそのことはキチンと出来る良い子ですから。

普段言われすぎているからそれだけで手いっぱいなのか、
何かあれば誰かが言ってくれると「シツケられた」のか。

誰かを代表させて叱ることで周りに暗に伝える、なんて
今の一斉授業では不可能な手法なのでしょう。

複数の視点を持つという発想がないから、周りに迷惑を
かけても気が付きません。
(案外、他人がジャマすると気にするのにねえ)

嫌われても時には小言を言うべきですか・・

「あの子を見てごらん」

すぐに強制と同義になるのが難しいところですが。

ポケットに手を入れたまま三代目

2012-02-20 20:44:57 | 塾あれこれ
寒いとポケットに手を入れたまま歩きます。
ブショーったらしいですよね、我ながら。

大人は手袋などをしてきちんとしますが
ガキは悪い癖が直りません。


大人でもポケットに手を入れたまま話をする人がいます。
エラい評論家さんなどでお見かけしますね。

椅子に浅~く腰かけ、ポケットに片手を突っ込んだまま
学生なんかを相手だとアゴで人を扱うようにして
「ン?きみ、何か用?」

TVなどでも多少悪ぶってそんな恰好をされている
「僕あ、TVだからって態度を変えるような男じゃない」

あえて無作法とされることをやってみせて、威張る。
弱い自分を韜晦しているのかもしれません。


自分が属す社会の文化にのっとり挨拶をしたり
対人関係をきちんとふるまえることは人間の基本です。

あえてそれを守らないのは何らかの意思表示で
通常ならばリスクを伴います。

昔のヤクザの親分ならばわざと守らない姿を見せ
「ほら誰も手が出ないだろう、何も言えまい」と
強がってみせたものです。

けれども、もっと力のある人物の前ではそんなことは
しないでペコペコでしょうから、格好はよくない。

誰にでも、いつも同じ態度というのが本当の強さかも
しれません。


とあるファミリーが代々一国を牛耳っている、なんて
我々からすると不思議なところがあります。

(祭り上げられているだけかもしれないですけれど)

威厳を保つことと威張り散らすこととは違います。
けれども良く似てもいます。

ですから安易な断定はできない、とは思いますね。
威張っているように見えて、案外気を使ってたりして。

上記ファミリーで先頃トップが亡くなり、その子息が
継承したというニュースが流れました。

情報も少ないし、中には悪意のものもあるかもしれません。

(↑)別に擁護しようというわけではありませんから
ブルーのバッジをつけておられる方、お怒りになりませんよう。

「まあ、多分こうだろうな」と思われても
いったんは留保しておかないと無責任なマスメディアに
踊らされてしまいますよね。

とあるニュースで新指導者の三代目が軍のエライ方と会う
というものがありました。

三代目、左手を上着のポケットに入れたままです。
軍人が挙手をすると、答礼としての敬礼をしません。
左手はポケットに入れたまま右手で握手を求めていました。

はて、この三代目、軍人であったハズですが。

挙手の敬礼には挙手の敬礼で還すのが普通と思う私には
かなり違和感が残るシーンでした。
敬礼した後に握手でよいではないですか。
それとも違う文化があるのか?

まったく敬礼をしないわけでもなく、そういう映像も
見かけますが、(ポケットに手)もまたよく見かけます。

最高権力者になったらそれでよいのかなあ?
相手が軍の長老でも?
少なくとも東洋人としてはしっくりこないねえ。

そういえばお父さんが存命中でも後ろを歩きながら
(ポケットに手)がありました。
まだ半身不随ではないと思いますから
あれ、何でしょう?

少なくとも日本の文化なら嫌われちゃうけどなあ。

まったく余計なおせっかいですがね。

それぐらいお偉いのかな。
中国やロシアのトップと会う時が楽しみです。
ポケットに手入れてたら「えらい!」
もしくは大○○者。

拓郎を聴くと旅に出たくなる

2012-02-19 10:38:49 | 塾あれこれ
胸しめつけられるほど、漂泊を夢見ます。

レコード一枚持ちません。
手元に置いていつも掛けるより、あこがれの世界。
拓郎はふと聞こえてくることが感傷を増します。

オタクみたいな私が「旅へ誘われる」のは奇妙ですが。

旅は、北へ?南へ?

遥かな70年代というあの場所へ。


汽車の二重窓は曇ったまま、外も眺められない旅。

斜里駅に着いたときにはやや夕刻も迫りかけていましたが
空は北国の澄み切った深い「あを」色でした。

真冬を迎えていたオホ-ツクの海辺町は
路も凍てついており、尋常ではない寒さです。
冷たい空気に肺の奥まで清められるようでした。

駅に迎えに来てくれるという人が見当たらず
数名を下した汽車が往ってしまうと寂しさはエトランゼ
ちょっと安物の詩人になれそうな気分。

汽車が去った線路の向かいに小柄な少女が立っています。
(じつは成人されていたのですが、第一印象は中学生)

ちょっと会釈すると、向こうもちょっと。
それがM先輩の二番目の妹さんでした。

鞄を一つ持ってくれ、つるつるに凍った路をさっさと
歩いて行かれますが、こちらは転びそうで、ヨチヨチ。
ときおり立ち止まって待っててくれましたね。

先輩の家に着いて(先輩自身は不在で女性ばかりの家に
たとえ後輩とはいえ若い男が泊めてもらえるのは
北海道のかぎりない優しさですね)

さっそくに夕食。

何と酒まで御馳走になっちゃった。
そこで酔っ払ったのですから、今でも赤面の至りです。

M先輩は勤務していた会社で私が唯一心を開ける人で
ときおりグチを聞いてもらったものです。
体格は小さいけれど「大きな人物」でしたね。


寅さんばりに(すぐ惚れちゃう)私は、妹さんの
可愛さに目がテンになっていました。

英語が得意で、クインズイングリッシュが好きだとか。

その年の夏過ぎには英国へ留学と聞き、刹那のように
短い恋も終了してしまいました。

なんだか気は合ったような(自分の欲目かね)方でしたが
不思議な話もされました。

「キツネって化かしますよ、ホント。
 私が中学の頃、雪道で・・」

体験された話を楽しそうに話されます。
お母さんも私も「まさか~」

「ホントなんだってば」


翌日も良いお天気。
マイナス10度を超えていても風がなければ快適。

一面の銀世界にカラスだけが鳴いている浜に行くと
水平線のかなたまでの流氷です。

午後、「何かお手伝いしましょう」と言うと
小屋の雪下ろしを頼まれましたが、屋根に上がった私の
様子に、ひと目で「あの~、もう大丈夫ですから」

ハハハ、役立たずは生涯を貫いています。

これじゃモテル男にはなれない。


なんと図々しくも、もう一泊させてもらっちゃった。

晩酌のアテに出た鮭のメフンを美味いと誉めたら
土産に持たせて下さいました。
「保つように麹と別にしてあるから」

貴重なものをねえ。


去りがたいとはこのことでした。

「ちょっと待ってて」
駅の売店に走った彼女が「お土産に。汽車で食べて。」
北見の甘納豆。

去りがたさが百倍になっちゃった。


その夏、風の便りのようにして
緑の英国へ留学したと聞きました。