今日3本目の投稿=川上哲治

2013-10-31 20:58:04 | 塾あれこれ
お亡くなりになられましたね。
私はすごい選手というより、v9の監督の方が
印象に深いですね。
もっと子供のころから野球を知ってたら・・

カープファンとしては好きな存在ではありません。

引退後の解説でも「巨人じゃなきゃ」臭がきつかった。
凄い人とは思っても、好きにはなれなかったですね。


川上さんの余りに有名な名言に
「ボールが止まって見えた」というのがあります。

我々なら「見えない」程の球が、あろうことか「止まる」
よって自在に打てるのだと。

子供のころは「ウソだろ」と思っていました。

けれどもスポーツの世界では似たことが
「ありうる」とよく聞きます。

また、交通事故で死ぬかというときに
ものがスロ-モーションで見えた、とも聞きます。
九死に一生を得た人がよく言われますね。

どうも、本当かもしれません。
信じがたかったのは私がスポーツ音痴で凡人だから。


吉田拓郎は「空から降りてくる」と言います。

神様からの贈り物が自分の上に降りてくる
そうして名曲が生まれるのだそうです。

うそのように簡単に。

川上さんが猛練習をして「止まって見えた」ように
創作の荒波で必死に泳いでいると
「何かが降りてくる」
これもありそうですね。

テンションを上げていると、思わぬ力が湧くことが
あるようです。

小田和正さんは、そういうタクロウに
「オレはないなあ」と言われます。
多少、対抗心が現れたのかな?

私は、小田和正さんは(職人)だから、と
思うのですが、どうでしょう。


偉い人々の話をフッておいて、自分の話は
いかにも「をこがましい」
馬鹿の証明ですが、
こんな経験がありました。

山口塾で、中学部の3Aをやっていたとき
夏以降は予習に追われる毎日でした。

特に、長い日曜日分を予習する土曜の夜が大変、
ビール片手に2時3時は普通でしたね。
その上日曜は朝早いし。
睡眠時間は4時間ぐらいでしたか。
体力が無い人間にはしんどかった。

TVはつけっぱなしです。
アパートの隣人は迷惑だったでしょうね。
「イカ天」とか「朝までナマ」とか大きく掛けて
置かないと眠気がくるからです。

黒板の前でどう説明するか、それをチェックして
ですから厳しい時もあります。

確かに説明はできる、しかしそれでは大半の生徒が
理解出来ない、というのが時々現れるのです。

塾のベテランは「分からなくても説明するんだ」と
言いますが、どうせやるなら分かった方が良い。

日曜の昼食も食べながら考え、良いものは生まれず
ついに説明時間になります。
仕方がありません。
「だーめか」

もっと、ひどい場合は答えが分からないとか
模範答案と自分の感覚が違うとか・・・

今思うと恐ろしいシュラバですね。
エラソーな態度してたけれど。

で、やぶれかぶれでボードに立ちますね。
1番、2番・・
ついに来た瞬間、何かが降りてくるのです。

「ああ、こう説明すれば良いんだ」

フラッシュのように浮かび、満足する授業になります。

川上サンからは、レベルが違うと叱られますが
ちょっとだけ似ていません?

結構、何度かありましたねえ。
窮すれば通ず・・とは違うかな?


もし、塾の若い先生が御読みになってるならばいけないので
付け加えますが
上記はせっぱつまった話で誉められたものではありません。
(未熟)以外の何物でもない話です。

タクローの創造的な話とは混同出来ません。

日ごろから十分に力をつけておいて下さいね。

山本太郎、礼を失す

2013-10-31 20:23:14 | 塾あれこれ
私個人は反原発・脱原発です。

しかし天皇に手紙を渡す山本氏は非常識の極み。
氏が脱原発で様々な奇をてらった行動、発言を
するのはご勝手です。

みんな、呆れかえっている。

けれども戦前じゃあるまいし、天皇に直訴して
どうする。
オツムを疑いますね。

貰った側も困るでしょう。
天皇は政治的行動は手が出せないのです。

たとえどんなお考えをお持ちであっても
象徴的な発言しかできない方へ
自分の意見をいきなりぶつけて、どうしますか。

私は大変に礼を失する行為だと思います。

右翼的に天皇を崇拝しようがしまいが。

(私は今上天皇の大ファン、
 こんなことを書くとお叱りを受けるでしょうか?)


テロ防止の観点からもゆゆしき問題です。

有名人だから大丈夫とはいえません。

それが物を手渡しするなんて。
危険この上ありません。

これがOKになれば、みんな手紙を渡すふりをして
近づくでしょう。

出された側は受け取らざるを得ないのですから
卑怯な行動です。

何という馬鹿を議員にしたのかなあ。

尾道は「水庵」

2013-10-31 10:00:28 | 食べる
「えそら」で大満足をし、防地まで足を延ばす
ことにしました。

このところ「水庵」が行くたびに閉まっていたりして
まさか、なんて思っていたからです。

開いてた。

久しぶりに水庵の豆腐とご対面です。

水が良い。
昔ながらの作り方も。

前も何度も書きましたがオバチャンの愛想が
抜群によろしい。
ご主人も人柄が良い方です。

尾道は他所者に冷たい面とここのオバチャンのような
とびきりのホスピタリティと二つの顔があります。

豆腐、惣菜、野菜と買い物をしたら
オバチャンがサービスであけびを下さいました。

写真ですね。

身も皮も頂きま~す。栄養あるしね。


美味い蕎麦

2013-10-30 21:26:13 | 食べる
美味い蕎麦を食べたくなりました。

この数年、尾道では「きはら食堂」ばかりでしたが
久しぶりに「えそら」に行ってみました。

ミシュランに載る少し前まで尾道にいけば
「えそら」という時期がありましたね。
気持ちが良い店です。

ほぼ外食はしませんが昨日の十日市蕎麦が不十分で
今日、尾道に行くなら「えそら」だな、と。

一度、夜に訪れたいものですが、諸はんの事情で
いつも昼になります。
本日は遅めに行ったので座れました。

町は迫った「べっちゃー」の所為か、盛り上がって
いるようでしたが、「えそら」は以前のまま。
静謐

今日は志ん朝が流れていました。


私は、ざるの大盛。
カミサンは、ざる+昼セット

いつもほぼ同じメニューですね。
私は、どこへ行っても、ザルかセイロ。

で、礼儀により蕎麦汁に漬けず一ニ本すすります。

香り、味、コシ、申し分ありません。
カミサンと二人「全然、ちがう」

ツユに漬けて、すする、すする、
「ぜんぜん、ちがうね」

え?昨日の十日市の店と、段違いなのです。
昨日もそれなりに、でしたが。

ワサビを箸先につけて、ちょっとなめる。
良い香り、ワサビの刺激、そして得も言われぬ甘さ。

また蕎麦を手繰る、ツユが散る?・・バカヤロ。
蕎麦は勢い。


セットの炊き込みご飯
「ゼンゼン違う」
米が上等、水が良く、薄味に品があります。
出汁も繊細でしたね。

小皿は私は頂いていません。
厚焼卵、ちょっと食いたかったな。
寿司屋と蕎麦屋の卵はねえ。


ソバツユは若干、ハード、辛めですが
細めのコシがしっかりした蕎麦に合います。

辛めと思うのは、我家の普段が伏高の「本がえし」を
使っているからです。
何年も前に、醤油屋がつぶれ、伏高の本がえしに使う
醤油が代わったのです。
少し甘くなった。

女性向きかもしれません。
私は塩を加えたり若干の調整をしますが、元の醤油が
甘ければ仕方がありませんよね。


蕎麦を堪能して、いよいよ蕎麦湯

「全然、違うね」

異口同音を地でゆく感想でした。

ンとに美味い。

特にツユなしで最後に頂く蕎麦湯、
旨さ、品の良さ、後味の良さ。

日本に生まれて良かった。オオゲサじゃなく。

「日本ボカシ話」

2013-10-29 17:12:42 | 塾あれこれ
広島では放送されていません。
2週間以上遅らせて地方で流す、というパタンかと
思っていたら第一回で中断だそうです。

これは見られそうもありません。

ゲストにボカシをかけ、業界の裏話をして頂く
マツコもここまでできるか、と期待したのですが。


日本では裏話、本当の話、は聞こえてきませんね。
都合の悪い話はもみ消されます。
内部告発などしたら、人生が吹っ飛ぶ。

中国などと大差が無いのではないかな。

マスメディア、特にTVは政治権力や財界に対して
弱すぎます。

よって、社会が欧米に敵わないのです。


確かにボカシをかければ、真偽の程の追及が難しく
場合によれば、間違ったことや嘘が放送されるかも
しれません。

でも、それは報道番組でも同じような話です。
いかにも、という空気が流れホントっぽく見えますが
本当である保証はありません。

ホントか嘘かは見ている側が判断することです。

ボカシの有無だけで放送が判断されますか?

たぶん、保険のオバチャンの内輪話が
スポンサー連合の逆鱗に触れたのでしょう。

保険ってひどいみたいだからねー。
肝心な時に役にたたない。

TPP後は和製の保険会社なんて立ち消えちゃうんじゃない?

今回はTBSの内規に触れたという「説明」ですが
放映の前にチェックできてなきゃおかしい。

放映後に何らかの圧力があったと見る方が普通ですね。

広島の蕎麦屋

2013-10-29 16:54:53 | 食べる
横川で映画を見て、今までなら「ふくべ三」で
蕎麦という行動パタンでしたが、ダメ。

そこで十日市の蕎麦屋まで足を伸ばしました。

前からチェックしていた店です。

今時の蕎麦屋さんは綺麗な店を作られ
楽しいジャズが小さく流れています。

現代向き、女性向き、ですね、感じが良い店。

私は「せいろ大盛」
カミサンはぶっかけ蕎麦

極細の蕎麦は品があり美味しかった。
ソバツユも麺に合わせて重くありません。

ただね、極細とか更科とかは好みではないン
太い田舎蕎麦が良いヤボテンです。

まずまずですが、五日市から食べに出かけるほど
ではないようです。
(あくまでも、私の場合)

セットの炊き込みご飯、薄味で宜しい。
ただ、何かものたりない。頼りない薄味。
ご飯そのもの上手さがイマイチのようです。

小鉢はまったくいけません。

蕎麦湯はツユで割って頂くと宜しいのですが
ソバ湯だけで頂くと、どうも。

最後の蕎麦湯だけ、っつーのが楽しみなのに。


広島の蕎麦、ずいぶんレベルが上がりましたが
まだまだ、敵いませんねえ。

『ソレイユのこどもたち』

2013-10-29 16:28:00 | 映画
横川シネマで『ソレイユのこどもたち』を見ました。

『にっぽんのみせものやさん』の奥谷洋一郎監督

東京の消えゆく風景、老人とノラ犬を美しいカメラで
捉えています。

現代日本の方たちには受けは悪いかもしれません。

ホームレスに近い雰囲気を持った老人の生き方を
映しているのですが、50年前にならよく見かけた
姿です。

清潔に管理された今の大都会では排除される存在。
怪しい、不潔、くさい・・・

野良犬なんていなくなった「居心地良い世界」を
人々が選んできたのですから仕方がありません。

とはいえ監督は、なにか声高な主張をされるのではなく
控えたタッチの映画になっています。
かといって情にあふれたものでもない。

バランスが取れているという評価もあるでしょう。

私は、いまひとつの感じを受けました。

我々が生きてきたすぐ隣にこういう人々もおられたので
そこだけをドキュメンタリに切り取られても
あまりに日常に過ぎるのです。

逆に今の人々にとってはドキュメンタリでみる世界
なのですね。
世の中、変わったものです。

私だってあのような生活を送るようになっていたかもしれず
そこで生き抜くバイタリティがないと自覚するゆえに
安全な道を選んで今に至ります。

そういう世代から見ると、若干突っ込み不足ですね。
突っ込む前に撮影が中断されたのかもしれません。

想像するに、手持ちの映像で映画にするには
あのような一種の三部構成にしなければならず
二部では思いきった長回しを使用することで
主人公の人生を象徴させ
三部ではもっとファンタジックな映像(音も)にして
「芸術的なドキュメンンタリ」に仕上げたのでないか。

ドキュメンタリとしてはギリギリの処ですね。
一歩間違えるとドキュメンタリ・フィルムを使ったドラマ
になってしまいます。

韓国などではそれもありのようですが
好き嫌いでゆくと私は好みません。

ホテルの食材偽装みたいになりますから。

でも、もしダメな部分・偏った処があったとして
それを取り込むと、もっと「受けが悪い」映画に
なってしまうかもしれませんね。


ともあれドキュメンタリファンなら必見の一本。

ただし一部ヤラセと言えるカットあり、残念。

岩谷時子さん

2013-10-28 19:54:54 | 塾あれこれ
岩谷時子さんが亡くなられた。
ご高齢でしたね。

今の若い人には彼女の素晴らしさはピンと
こないかもしれません。

時代を画す方でした。

私は、彼女は「日本語を変えた」人だ、と思います。
日本語における新しい詩的感覚。

哀しい話ですがド素人の私には(どこがどう)と
説明できません。
(詩)って難しいですから。

今後、学者や専門家の中で証明されると思いますが
カンとして、岩谷時子はすごかった!

言葉の感覚や、音楽の感性がとても優れていたことは
数々の訳詞で証明されます。
意味を日本語で伝えながら音楽に乗せるなんて、
並の才能ではできることではないでしょう。

『愛の讃歌』が著名ですが、あの詞があってこそ
日本人に沁み渡ったのです。
国民にハマったと言いましょうか。
(詞としてはそれほどかなあ)

個人的には加山雄三の名曲の数々ですね。

シャンソンの訳詞+加山の詞、で
それからあとの歌詞の世界がガラリと変わりました。
影響甚大。

でもね、振り返ると、とってもまっとうな
奇をてらわない、大正生まれの言語感覚なのです。

で、どこが凄いかの説明が出来ないのです。
つまりそれだけ凄い。

誰か書いてくれないかなあ。
あの、ぱあっと日がさすように広がった
岩谷ワールドの感覚。
時代を象徴していました。

それが中学高校ですから、影響を受けていない筈が
ないのです。

深い内容を、分かりやすい表現で、しかも
どこかまったく新しい。

ノウハウを持ったまま天国へ?

「自分に正直であれば良いの。
 秘密なんて何もないわ」

才能が豊かな人はそう仰いますが。

引用する責任

2013-10-28 18:38:06 | 塾あれこれ
モノを書くとき引用は避けられません。
他人の言をパクるより誠実な行為ですね。

私も引用をすることがあります。

偉い人を持ち出して、その権威でモノを言うという
よくみかける引用は気色が悪いものですから
避けているつもりですが、100%大丈夫か、と
念をおされますと自信はありませんね。

ダレソレの名言でこう、とか仰っている人は
自分が言いたいことのハクをつけようとしてるか
自分の知識をひけらかしたいのか。

かといってパクル形のモノ言イも恥ずかしい。

こんなことを思っていると、たとえ当ブログのような
雑文でも、書けなくなってしまいそうです。

困った。


上記は一般論的な話ですが、では、引用をする場合に
発言者や出所などを明記し正確に引用するだけで
大丈夫か、これがまた難しいことになります。

自分が思う方向と、引用されたもののもつ方向とが
ズレてしまう恐れがありそうなのですね。

安倍首相が国会の答弁の中で原発について
「危険性も十分に認識しているのでありまして」と
いわれたとしましょう。

それは前置き=一般論であって彼の言いたいことは
「危険だ」ということではありません。
安全に「コントロール」できるものだ、という考えです。

もし反原発派の誰かがが上記発言を引用して
安倍首相も危険だと言った、なんて文を書くと
それは首相に対して失礼なことになります。

(念のため申し添えますが私は反原発です)


本日の天声人語が画家の山口晃さんを引用しています。
絵についての話なのですが
「中途半端なうまさは鼻につく。いやらしい。
 それなら下手な方がましである。
 うまい人はうまさが鼻につかなくなるくらい突きぬけた
 うまさに達しなければならない」(『ヘンな日本美術史』)

上記の引用に続けて、天声人語は
「これは絵の世界に限った事であろうか。」と書き
(名言だ)と紹介しているのです。

山口さんが仰る意味は分かる気がします。
ある種、平凡な話ですから。

しかし上記のように引用されると、色々な世界に通じる話
となり、たとえば文章にも通じることになるでしょう。

いかにも名言ぽく変質された引用文は一見「うまい」だけに
「鼻につく」ものですね。

きっと山口さんは引用をされて少し困られたのでは
ないでしょうか。
「私の専門の絵の話なんですヨ」とね。

「これは絵の世界には限らない」という部分が
引用を捻じ曲げてしまったのです。

天声人語の表現したい「うまさ」は中途半端なもの
かもしれませんね。
自らを省みず、ウマぶっている気がします。


写真は去年のものです。

久しぶりの晴れ

2013-10-27 10:40:51 | 塾あれこれ
9月終わりごろから天気が不順でした。
特に一昨日までの3日は雨と曇天が続き
発電量合計で2KWHと過去最悪でした。

今日はたくさん日が注いでいます。
「寒さ」も訪れかけですかね。


写真は去年の宮島です。
今年も良いのではないか?

紅葉まであと少しですね。


散歩道の「水鳥の浜公園」は鴨が沢山来はじめています。

冷たそうな水面に浮かぶ彼らは生きることの
大切さを教えてくれますね。

あんな鳥たちでも生きるのに一生懸命ながら
なおかつセコセコしていません。
与えられた生を全うするだけ。

いつもうらやましく眺めています。