修学旅行無用論

2009-05-31 10:45:18 | 塾あれこれ
論、というほどオオゲサではありません。
楽しみにしているものを今すぐ止めろ、でも
ありません。

もし今、学生・生徒に修学旅行の是非を聞けば
あったほうがよいという返事が多いでしょう。

遊べる、勉強じゃない、外に出られる、楽しそう
友達と一緒に何か経験できる・・

そうですよね。
でも、概ね「遊び」

(楽しく学ぶ)の(学ぶ)がどれほどあるでしょう。
広島の平和公園を訪れても結局何が残っている?

多くは物見遊山ではないでしょうか。
その経験ならば何も生徒がゾロゾロ歩く必要はない
と思うのです。
家族旅行で十分でしょう。

団体旅行の経験にはなるでしょう。
バスツアーとか、三角の旗について歩くやつ。
昔はノーキョーが有名でした。

自立性はないですねえ。

そろそろこれらを卒業してもよいだろうと思います。

もちろんお仕事にしておられる人たちからは
営業妨害のお叱りを受けますから、急にの話では
ないのですが、パンデミックが怖ろしい時代です。

集団旅行ってのはどうなんでしょうね。


こんな嫌われそうなことをいうのもジツは
個人的に修学旅行は面白くなかったからです。

いや、いい思い出もありますよ。
ただ、おおむね旅行の内容を覚えていません。

体が弱かった所為もあります。
ふらふらで付いて歩いておりましたから。


家計の問題もあります。
子供のために苦労してくれた事と思いますが
フラフラで歩けばあまりよいお金の使い道とは
思えませんね。
一種の親不孝だなあ。


我々の時代の修学旅行と今とではグループ行動
でしょうか。
その昔もチラとはありましたがね。

自立性の訓練には・・ならないね。
結局誰かが引っ張るだけですから。

一人二人で行動できるのならば自立的でしょうが
それはできないでしょう?
強引に言うとそれでは自立の勉強にならないと
証明しているようなものです。

結局、集団行動の訓練が主な目的のようで
それはもともと軍事訓練とつながるものでは
なかったか?

運動会もね。

何とかにも三分の理

2009-05-30 14:21:38 | 塾あれこれ
今日はしょぼい話で写真だけは派手なものを。

石本美由起さんへの献花です。
いかにもプロ、の作詞家でしたね。

音のきれいさはピカイチで、才能豊かな方で
あったと改めて思います。


今日は私の恥ずかしい話。(ちょっと?かなり?)

電車でヒトサマの足を踏んでしまいました。
もちろん丁寧にお詫び申し上げました。

何しろダイエト中といっても米一俵60kgを越える
ものが乗っかるのですから痛いでしょう。

私が降りるいくつか前の電停から乗車され
私の斜め前に立たれたのです。
一人席ですのでその位置に立たれたら私が
移動するときにジャマなのです。
「普通そこには立たないけど。」

年齢は私ほどでしょうか。

で、私が降りる駅についたので完全に止まりきる
前に立ったのです。
それがいけないよね。
停まり際電車がガクンときた。
(電車の設計が悪く止まり切って立つと降り辛い)

そのガクンでオバサンのそばを抜けようとした私も
彼女も少しふらっとしました。
そのときに少し踏んじゃった。
ギュじゃないです。軽く。

でも

「ぎえ~~~~」

でした。

すみませんと二度あやまりました。
もちろん私が良くない!

でもね、サンダルみたいな感じの足先が出た
靴履くなよ、とか立つ位置が悪いとか
第一ふらついたのはアンタがさきでとか
(私もそれでよろけた)

・・私にも多少言い分はあるのですが。。。

これがスゴイあんちゃんの足を踏んだのなら
殴られたり刺されたりするかもね。
オオゲサ?な反応でもお詫びするしかありません。


昔、通勤電車で高くて細いヒールに何度か
踏まれたけれど、あのときは腹たちました。

でも向こうにも言い分はあったかもね。
今回で思い至りました。

いずれにしろ、女性相手では男が謝る!
男の足踏んだ女性は謝らない!

どっか損とも思うのだけれどこんなの言うと
女性に嫌われるし。

どとーの襲来

2009-05-29 22:11:56 | 塾あれこれ
押し寄せる側は気づきません。
もちろん悪意はないでしょう。
これで悪意があったらたまりませんよね。

山菜採りなどもスゴイらしいですね。
山中でタラの芽など必ず誰か取ってしまっている
と聞きます。

自然のものを見つけて何が悪い、かもしれませんが
怒涛の襲来になると話が違います。

量の変化は質の変化につながる、と習いましたよね。

さまざまなコストを負担することなく、やってきて
持ってゆくのは許されない時代になったのです。

屋久島など登山や自然におけるトイレの問題。
旅の恥的な、他人事だろうという神経は嫌ですね。

訪れた先の地元の人はあまり言わないでしょう。
お客様だから。
それゆえ、無神経ではいけないのです。


昔よく親や大人から叱られました。
「相手の立場に立ってみなさい」
「それを自分で考えなさい」

いまはこんなお説教は少ないのでしょうね。


怒涛の襲来を加速しているのはネットなどの
情報進化です。

ネットで(良いらしい)と調べ、ランキングも
見てクチコミコーナーをチェックします。
損をしたくないという考えでしょう。
それと楽したいという気持ちですね。

少なくともリスクを背負うことを避けたいから
ネットで見て、結果ドドドという流れになる。

まるで昔の農協外国旅行です。

楽して流れに乗ってリスクを負わない・・

怠情ですね。


ネットで調べるな、ではありません。
自分の判断力をしっかりとしネットも利用する
こういう姿勢を子供に伝えたいですねえ。

大人が集中豪雨的に動いていては難しいかなあ。


怒涛の襲来ってエコじゃないよね。

潮干狩り

2009-05-28 10:53:52 | 塾あれこれ
写真は去年のものです。
五日市、みず鳥の浜公園(家から歩いて10分)

これではあまり人は見えませんね。
それでも50人くらい写っていると思います。

今年はこの数倍は潮干狩りの方ががおられます。
あまり獲れない場所と聞いていたのですが・・
写真でもお分かりのように人の手がかかった浜です。


我が家のある五日市から西へ5kmほどの所に地御前
という場所があります。
宮島の対岸にあたり、歴史がある場所です。

地御前には厳島神社の外宮があり夏の厳島神社管絃祭は
宮島からここへ御座船が往復します。

砂浜は東西1kmほどあり、沖に牡蠣筏が数多く浮かびます。

この地御前の浜は牡蠣だけでなく浅利でも有名で
シロウトが掘っても構わない場所があるらしいのです。

そこへ掘りに行く人から聞いた話です。

土日では千人を優に越える人が貝掘りだそうで
場所の確保も大変みたいですね。
引掻いた跡のない砂浜はないのではないか・・らしい。

私など腰痛になりそうで行く気にはなりませんがね。

去年あたりから人数が増え、今年は異常。。

仮に、地御前に昔から住んでいる方がおられ
前の浜の浅利を食卓に上らせていた、としましょう。
そこへ土日に千人を超える人が押しかけるとしたら?

私なら「何だか面白くない、でも言う所がない・・」
ストレスが溜まるでしょうね。


春ごろNHKラジオで、ある投稿が読まれました。

毎年行く田舎で田のそばに芽吹くフキノトウをいつも
通りに採ってたら農家の人に怒られたというのです。
去年まではそんなことはなかったのにセチ辛いと。

農家の方は「すぐそこの直売で売っているから」

その時は農協が金にセコくなった話のように聞こえた
のですが、もしかすると私の間違いかもしれませんね。

近年、町から大勢が車でやってきて色々と採りまくり
あろうことか辺りをグチャグチャにして帰るのもいて
これはたまらないと。(勝手な想像です)

売っているからという態勢ならば採りに来るのを拒否
する口実になろう、と。

金に絡んでいるのは農家の方ではなくて
実は、町から只のものをめがけ殺到する側ではないか?

もちろんそれは心外でしょう。

でも相手や周りの状況を見えない、気づかないので
あれば自分のことしか目に見えていないのだから、
欲に走る傾向が強くなりがちです。

ご自分では「自然に親しむ」ツモリでおられても。

怒涛の如く押し寄せたら破壊力が大きいのです。

ご自慢ですかあ?

2009-05-27 10:18:17 | 塾あれこれ
またもや20年前の話です。

「新宿ってすごいですよね、井上さん」と話をフラれ
内心「知るか、もう十年も広島じゃ!」

・・と思いつつ表面では適当にご返事したはずですが
自分が何年も行っていないことをマイナスに感じて
いたのかもしれません。
それで、覚えているのかもしれませんね。

その時はホンネでは
「うん、すごいでしょう、たぶん。
 でもそれで何であんたが自慢するわけ?
 ただ見物してきただけでしょ」

江戸時代でもないでしょうが、未だに首都の見聞を
ひけらかす気持ちが言う方にも聞かされるほうにも
あるようです。

イスラムの聖地巡礼なら分りますがね。


とても恥ずかしいことですが、勤め人時代東京に住み
広島に戻る度に(田舎だなあ)とバカにしたものです。

(今頃、こんなのが流行ってるの?)とか
(それは違うんだよな、そう着るんじゃなくて)とか
(広島は旨いものがないねえ)とか

バカにするほうがよほど馬鹿でした。

広島に戻った後、一時むやみに反東京の気分になり
それはまたコンプレックスの裏側でしかなく
結局落ち着いてきたのはこの数年でしょうか。

時間の経過が一番に利いたのでしょうが
食べ物の味に気づいたことも、心理としては大きな
きっかけになったようです。

東京から帰ったころは広島の味になじめずにいて、
次第にこちらも旨いと思うようになり、さらには
関西風の味つけまでも許容範囲が広がったのです。

それは、ただ慣れるというよりも気候風土の関係が
強いようです。
気候に合った味付けや食材を良しとするようになる
のですね。
その味が本当に分るようになるのには何年もそこで
暮らさなければならないのです。

それなのに東京から戻って直ぐに、広島はイマイチと
思うほうが分かっていないということです。

東京も同じく気候風土に縛られています。
広島とは、立つ場所が違うのですから。

腕の良い職人は圧倒的に東京に多いでしょう。
グルメの数も東京が多いでしょう。
しかし、それらは本質の違いではありません。
東京が広島より旨いとか、広島のほうが旨いとか
という話ではないのです。

そこに気づかず、むやみと見下す人がいます。
一種の国内レイシズム。

都会から広島に来る人を見てよく感じることです。
もちろん以前の私もそうだった。

あれは根拠がなく威張っている、ということに気づいて
何かがすっと落ちていきました。

プロでも数多くの人が間違っているようです。
周りの人がみなレイシズムだと当人も気づかない!
なにせ世界のTOKYOだもんね。


東京から見てダサイ格好でも別に構いません。
そう、これが広島だから。

書くと居直っているみたいですがそうではありません。
比較することの愚かさを思うのです。

居直っている人は、こっちが良いとか、少なくとも
広島のことには口を出すな、とか逆にこだわります。

そのレベルでは勝てません。
同じ土俵に上がろうとしているのですから。

18世紀イギリス人は植民地インド人をバカにした
はずです。
でも本当に根拠があったのでしょうかね。

ただそのレイシズムに反抗するに同種のものを出して
喧嘩をいどむのは、繰り返しますが愚かでしょう。
違う地平に立ちたいものです。

人間が陥りやすい「比較根性」

これから多少なりとも解放されるとエコ生活の
下支えにもなるハズです。

危険

2009-05-26 11:56:58 | 塾あれこれ
人間ほどではないけれどもサルもよくバトルをします。
もちろん中にはエチオピアのゲラダヒヒのような
喧嘩がきらいなのもいるそうですが。

あるとき一匹のサルが石を使うと殺傷能力が
飛躍的に高まると気づいたとしましょうか。

喧嘩早くて体もでかい。チエはある。
それまでも十分に威張っていたのですが石を使って
圧倒的な力を見せます。

とあるぶん殴られたサルは死ぬ思いをした後で
ビビッて一番の子分になっている・・少なくとも
当人?は一番の子分にしてもらっている気でいます。

とはいえ別のサルだって気づきますね。
サルマネは知恵がある証拠。

何匹かが石を使うようになった。

このまま放置しておくと皆が使い始めるかもしれません。
これでは危険が増しすぎますし第一威張っている状態を
保ちづらい、ここは石を独占するに限ります。

何が何でも パチコンの権利は 手放さない同盟

通称NPTってのをこしらえ石をちらつかせながら
皆に参加を強要したのです。

次になるべく使わないようにと皆で

これを 使う気になっても びしっと 堪えよう同盟
CTBT

を考え出したのですが、そこまで制限されては
石を寡占している意味が薄まるとサル知恵を働かせ
うやむやにするヤツが出てくるのですね。

他のサルもいまいち面白くない思いで藪サルを
見ていたのですが、中にはチンピラも出てきます。

石を使ってみたくなるのです。

ついさっきも、何やら振り回している新参がでました。

もしかして手にしたのは石でななくて人間が落とした
手榴弾?

いや足元には地雷があってその信管を叩こうとしている
のかもしれません。

「皆、おれのほうを注目してくれない!
 どうやって生きていけばいいんだ!」

・・ちょっと!それ振り回すの危険なんだけど。   

NHK『猫のしっぽ カエルの手』

2009-05-25 17:37:47 | 塾あれこれ
注文です。
吾ながら注文が好きなオッサンですね~。

『猫のしっぽ・・』新しい感覚のNHK番組です。
もう第7回まで放送されましたが一見地味なのに
面白いですねえ。

自分ではとてもまねできないライフスタイルですが
「いいな~」といつも思ってしまいます。


さて第7回は京都大原なら必ず出てくるであろう
寂光院関係の話がメインでした。
タイトルは「風薫る庭」

先年の寂光院の火事は驚きましたね。
今回TVで見ると美しく甦っているようです。
(実は昔を余りよく覚えていない)

大原に住むベニシアさんがこの寂光院へ歩いて20分程
の散歩をされ、寺の庭師に会うのです。

彼女、緩やかな坂を上るときと、寺に入ってからの服装が
違っていました。
白い上着だけは同じもののようですが
インナーっていうのかな、これが違う
ネックレスもスカートも違う・・

撮影を途中で中断して着替えられたようです。

番組ではそれをつないでいますから
ぱっと瞬間的に変身したイメージになります。

これがナゼいけないかと言うと
分ったとたんに「ああこれはTVのスタッフが
沢山群がって撮っているんだ」と思い起こすからです。

自然へ溶け込んで生きよう、という番組の趣旨ですから
カメラマンが一人だけしかいないイメージが似合います。

ぞろぞろ大勢寄って作っている様子が見えるような気に
なるとシラケます。

何より番組制作の姿勢がいいかげんのように思われる
ことがマイナスですよね。

それくらいのチェックが出来ないのか?
坂を上るシーンだけ撮り直す神経がないのか?
見てるヤツ(金を払った視聴者)をなめきっているのか。
少なくとも編集をやりなおすくらいはあっても良いのでは
ないでしょうかねえ。

教訓!
(細部から本質がチラリと見える)

たまに時期遅れのベストセラーを読む

2009-05-24 10:29:41 | 本の話
福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書
を読みました。

少し前のベストセラーですね。

流行モノの中には時流に乗っただけで内容のない物が
多いと思いますけれど、この本は別です。
さすがに面白かった。
売れるはずですね。

未読の方、損はありませんので騙されたと思って
ご一読下さい。
古本屋さんで求めるとお得感が倍増しまっせ!
福岡先生のモウケにはならないけれど。


内容に難しい部分がありますが、ある程度しっかりと
した高校生か、大学一年生くらいにも読んで欲しい!
(きつくない生徒もいるハズですから)

科学、生物、分子、などに興味がある人のみならず
できれば文系人間にも必読としたいですね。

奥深い理科の世界を分りやすく書いた筆力は流石で
それだけでも勉強になります。

分子生物学の世界を覗うことが出来るだけでなく
学問とはどういうことか、研究室はどのような世界か
学者の思いとはどんなものか、
福岡先生という一人の人間を通じて見えてくるものは
また普遍の世界像でもあります。


知的興奮に満ちた世界ですね。

前著『プリオン説はほんとうか』ブルーバックス
も大変に興味深いものでしたが、私程度では分らない
こともありました。
(分らないか?!とバカにされそうですが)

この本では前著を読んだときに分りづらかった
ルドルフ・シェーンハイマーの発見した生命の動的な
状態、という発見がかなりの説得力をもって迫ります
から「ではこの反論その他も勉強しようか」という気
にさせられます。

ただし、シロウトにわかり易いものが書かれていな
ければ勉強に(ついてゆけない)のですが。


失笑されるかもしれませんが、以前からギブスなどを
したまま動かしていないと筋肉が痩せるのはナゼ?
一体どうなっているんだろうと思っていましたが
シェーンハイマーの発見がそれを説明できるだろうと
納得しております。

んとに、見事に痩せるものですよねえ。
カラダってすごい。
リハビリ大変でしみじみ思いますね。

色々なことが勉強できる本ですが、私の好みから
あえて弱点を言うと、文学的表現の過多。
ちょいとシラケます。
これを美文名文とする人もおられるでしょうが。

若い?人はごちゃごちゃ書くのが好きなんでしょうねえ。
練れていない、キレも悪い、と指摘する文化も消えるか?

美風が微風に

2009-05-23 14:07:26 | 塾あれこれ
インフルエンザが大騒ぎになる前でしたか
奨学金の返納遅滞で大阪の橋下知事が怒って
おられました。
大阪は借りて返さない人が多いと。
お怒り、当然ですね。

この奨学金についての番組で、テレビ局の編集がおかし
かったのか、報道番組に登場された人が制度について
「お金を返す」のだからまるでローンに等しいとか
色々問題を指摘されていました。

確かに、寄付制度が弱い、経済が悪い、本当の金持ち
が少ない、など状況は厳しいでしょうね。
教育に金を注がない日本はおかしいとも思います。

とはいえ、たとえ欠陥があっても、返すという前提で
契約したことですから、返納の遅滞はいけません。
本当に厳しければ、対応方法もあるのです。

返納を遅滞しておいた人が日本の奨学金はセコイ
とか言い始めても説得力をもたないですよね。

放置したまま督促がゆるかった方にも責任があると
思います。ここにも官僚的風土・・

昔は奨学金が有難く、だからこそ返納もきちんとした
ものです。
今は貧乏人のためにあるのではなく(貧乏が少ない)
奨学金制度のためにある奨学金・・かな?

いずれにしろ日本の美風がなくなってきたのでしょう。


新型インフルエンザ「騒動」にも感じるところです。
日本人の清潔好きには行き過ぎのこともあるかもしれま
せんが、世界に誇れる美風でした。

それが怪しくなりかけている気がします。

歯磨き、手洗い、うがい、マスク、入浴、洗濯・・
新型騒動以前から日本は世界標準より突出していました。

たとえ万全の効果はなくとも出来るだけのことは
しておくのですよね。

それが、日本人は毒餃子は作れないし、様々な製品や
サービスの信頼も高いというところにつながります。

日本は文化が宗教などに頼らない分、個人のモラルが
重要である社会でした。

それがアメリカ風個人主義の浸透により
かなり壊れてきています。
自分さえ良ければ、になっていますね。

アメリカは個人の自立性が高く、競争社会としての
完成度もあり、信仰深い面もあるので、あれでよい
のですが、そういう面がない日本で自分勝手では・・

症状が軽いのだから注意も適当でよい、とか。

自分はそれで済んでも、万一罹ってはいけない人に
伝染したらどうなる!
「ヒトサマに迷惑をかけることはしない」
ここを強く言うべきです。

皆がマスクは異様な光景かもしれません。
でも仕事そのほかでやむをえない人が多いのです。

マスメディアの方はそこが見えていないのでは?
なんだか揶揄している視線がツオイですね。
日本の伝統的美風が分っておられないようです。

考えてみれば今が若い人たちへの美風を伝える教育の
格好の機会なのですが、さて。


写真はランの原種だそうでしたが、名前など??で。

人が生き物から奪う

2009-05-22 08:53:27 | 塾あれこれ
土日ともなれば近所の公園も浜辺も大勢の人出で
にぎわいます。
みんな自然を満喫し、平和な光景です。

ところでその時には鳥達は辺りにいません。
一日中、居場所も食べ物もどこか他所に求めて
いるのでしょうね。

多くの人は(鳥排除)に気づかず、自分勝手な世界を
謳歌しておられます。

金子みすずっぽい気分になりますねえ。


先だって来、チュウシャクシギをよく見かけます。
中には体長が1/3くらいのかわいらしいのもいます。
今年生まれたのでしょう。
無聊そうに水辺をただ眺めていたりします。

そうか、最近おじさんたちがカニを獲っているねえ。

綺麗になったといっても都市を流れる川です。
洗剤のあぶくなど浮いていることもあります。
その河でカニ獲ってどうするんでしょう?

売るのか、喰うのか、
自分の店で客に酒のアテとして出してたりして・・

鳥のウワマエをはねるのって、どうでしょうねえ。


『眼を病みて西日まぶしき花の冷え』

このブログの前に「猫句」というものを1年続けた
のですが、その時に書いたものです。

これを英語の俳句?に作り変えてみました。

cat with a diseased eye
at sunset sitting under a cherry tree
on a cool spring day

季語はどうなっているんだろう?
韻は踏むのか?
そもそも英語のリズムとは?

などなど一切の疑問を排して蛮勇作品であります。

そしてこの英語をまた和訳してみますと、
『眼病み猫 日暮れの桜 春寒し』
とかなんとか、季語その他グチャグチャになって
しまうのです。

素人がふいに思い立つくらいでは簡単にいきませんね。


久しぶりに公園で行々子を聞きました。

(ああ、また戻ってきましたか)

(07年10/30を参照下さい)

もうすぐホトトギスが聞かれるでしょう。
たぶん。

人に追いやられながらまだかろうじて生き物は
暮らしているようです。