ダイエト

2008-07-31 18:07:10 | 塾あれこれ
尾道の八栄亭で思い出しました。
数年前に友達と訪れたことがあります。
その友達とは十年ぶりの再会でした。

私に向かい「随分デブになってるぞ、痩せなければ」
としきりに忠告してくれました。

そういえば十年の間に私の体重は1割以上、7~8kg
増えていたのでした。


自宅で一人が仕事をするようになり、以前よりも
更に休めないところへ追い詰められますと
まず体力をつけねばと思います。

もともと体力はまったくありませんでしたから
食が細く夏はのりきることが大変でした。

単純にも、食べればよいと考えたのですね。

工夫して食を増やしました。

すると、一歩も外出しないで食べるのですから
夏に太るようになってしまい夏期講習で2kg以上
増えてしまうのです。

秋から調整はしますが、加齢という条件もあり
気がつけば年々徐々に増えていました。
1年で0.5kgずつ着実に増えていたことが先だって
健康手帳を見て分り驚きました。

一次関数のような見事な「安定成長」


メタボにうるさい世の中になりましたし、お役にも
立てない者が食料を摂りすぎてもいけません。

若干ながらダイエトを考え始めています。


『ミトコンドリアのちから』瀬名秀明、太田成男共著
新潮文庫です。

ご存知のようにミトコンドリアは生物がエネルギーを
代謝させる器官です。
最新、最先端の知見が盛り込まれている本でしょう。

読むには煩わしいところが多いですが現代人必読です。

さてその中で
運動での体重減は結構難しくて、体に入れるカロリーを
制限する方が体にはよい、という趣旨のことが書かれて
います。

世界中で食料に困っているときに飽食をしたあげく
痩せる為に運動をする、などということは決して威張れる
話ではありません。

上記の本に力を得て食事制限で体重を減らし・・・

ところが、やってみようとすると大変ですね。
拒食症も辛いでしょうが、一日中空腹てえのもね。

若い頃は空腹のほうが頭が働きましたが
定年くらいのオジジは目ばかり回って頭が回りません。

結局、ビールのアテが増えてしまいます。

体重は増えこそしませんが、減りはいたしません。

あと一ヶ月、増加しないで済ませられますか、
きついですねえ。

痩せる事のできないデブがふらりふらりと漂うサマは
毒ばかり溜め込んだエチゼンクラゲと同じか。。。
名前が越前幸兵衛ってのはどうですかねえ。

土用の穴子

2008-07-30 11:16:33 | 塾あれこれ
土用ですね。
私が言わなくても暑い。

十年、加齢するごとに体力が落ちると聞きますが
まさにそのとおりです。
今年の広島は6月からずっと暑いしね。

町で鰻の蒲焼の匂いがすると堪りませんね。
夏バテしていても腹がすきます。

社会人になって東京に出、旨い鰻を食べました。
それ以前は食べたことがなかったのかなあ?
旨さも驚きましたが値段にも驚きます。
安サラリーマンには手が出ません。
ボーナス時くらいでしょう。

同世代の女の子のほうがドコがよい、なんて
詳しかった。グルメです。
自分のフトコロが痛くないんだもの。
ジジイがおごってくれますから。


子供の頃、尾道ではウナギよりアナゴが美味いと
聞かされていました。
一つには子供に高いものをせがまれるとマズイと
いう計算があったのか。

食文化の違いもあったのでしょう。
関東のマグロ、関西のブリみたいなね。

ばら寿司や巻寿司にもアナゴでしょう。
ウナギじゃあ少し重かないかい?

値段も含めて総合するとアナゴですね。


寿司屋のアナゴは高いものもあります。

尾道に八栄亭という店がありました。

驛を降りて真正面が桟橋でしたね。
東西方向に国道が走り、一本南が海岸通
カドに松竹の映画館がありました。

その映画館から数十メートルのところに
あった店で近年までそこにありました。
戦後父のよく通った店だそうです。

何年か前この八栄亭のアナゴを食べましたが
ふうわりとして美味しかった。


海岸通の路地ではよく七輪でアナゴを焼いて
いました。
素焼きで買う家が多かったのですね。

全体にアナゴは小ぶりでした。
開いて2センチくらいですか。

オオブリなものは輸入品で敬遠されていましたね。
「ベースケ」とか言ってましたが種類が違うものかな?


先日、アナゴの白焼きで安い物があり持って帰って
カミサンにウザクならぬアナゴの酢の物を頼みますと
キュウリがない!

糠漬けならあるというのでその漬かったキュウリで
酢の物を作ってもらいました。

一風変わって美味でした。

分りやすさ、が教育の敵

2008-07-29 14:44:39 | 塾あれこれ
評論家別宮暖朗のPHP文庫『旅順攻防戦の真実』を
読みました。
『「坂の上の雲」では分らない旅順攻防戦』を
改題したものです。

司馬遼太郎の小説を旅順攻防戦に絞って検討し
批判をしています。
フィクションとして書かれたものに文句を言って
どうする、という気もしますけれど。

著者は、司馬が小説として書いた物が絶対の歴史評価
として一人歩きしていることに注文したのでしょう。

いくらフィクションとはいえ歴史を踏まえて書いて
いるものです。
大変に有名な小説であるだけに歴史認識に偏りを
与えるのはいかがであろう、という趣旨です。

私には別宮、司馬、どちらが正しいか判定する能力
はありません。
が、別宮氏の本は細かく書いてはあります。
そうかもしれない、という説得力はありますね。

戦争の細かい話ばかりが書いてあるので読むのは
面倒でしたがウヨクの人なら喜んで読むのかな?


旧日本軍の官僚主義、セクショナリズムには
強い批判をされています。

過去にも多くの人が指摘されていますが、
国よりも自分のセクションを大切にするという
信じられない実態があったのです。

負けるわな。


軍事でも教育は大きな柱となります。

文庫本のP53にある指摘ですが
陸軍大学での教育に触れ、実際の歴史と違う
数字を使って「教えやすい」ようにしていた
と書かれています。
「それを事実と固定したうえで、ある戦訓を
 引きずり出している」
教えやすくという気持ちが強くなりすぎると
妙な教育になるのですね。

「いくら優れた考え方であってもあらゆる戦争に
当てはめる方法論は間違っている」と書かれます。
そのとおりでしょうね。

本の終わり近くにフランスの軍事学に触れています。
かの国では、考えることの大切さを強調するのです。

戦いの前にあらゆる戦局を予想し措置を講じておく
ことが「考えること」

一般法則をたてて無条件にそれに従ったり
事前計画どおりに動くことは「考えることの放棄」

戦争だけに限らない真理です。

さて、日本の教育はどのように「考えること」を
教えてきたか、また教えているか、
依然として官僚主義がはびこる現実をみると
暗い気持ちになりますね。

塾もハウツーばかりだし。。

(分りやすく全て面倒を見てくれる)ことを評価する
社会全体に問題があります。

考えることを育てようとしていないのですから。

マーサの幸せレシピ

2008-07-28 10:31:03 | 塾あれこれ
10年近く前の映画ですがビデオでやっと観ました。
なかなか良い作品です。
脚本は少し欲張りすぎている気がしますが全体に
監督の言いたいことが上手く伝わってきます。
(監督はサンドラ・ネットルベック)

主人公のキャラクターが良いですね。
すぐにカリカリとくる性格ですけれども。

私など、もっともっとヒドかった。。。


少女と叔母さんの気持ちのやりとりは
男には描けない世界です。


ストーリーの語り口も作品世界にぴったりで
姉の事故なども突然の感じがよくでています。

私が一番盛り上がった場面は少女の心が開くところ。

よくあるシーンで(くるぞ、くるぞ)と思って
その通りになり、そして泣けます。

マーサが厨房に入ってくる
おや?という顔
カットバックで少女・・

ネタバレになるので細かく書けません。
本当はヨドチョウさんみたいに話したいトコ。

マーサが忙しく厨房に戻ってくると少女が・・
キッチン台に座って膝から上のフルショット
画面左側の三分の一くらいに止めてあるのが
またよろしいですね。
ここを大写しではいけません。

日本映画はやたらと(分りやすく)カメラが
寄って見せてくれますが、客をバカにしてます。
アップにしないほうがぐっと来るのです。

流れがあってこそ泣けます。
くるぞと思わせて、ポンって押されるとポロ
これですね。

アップではグイと押されるので出かけた涙が
止まり易いのです。

まあ、とにかく暖かい映画です。
見ておられない方、ソンしてます!
米国がリメイクするはずです。


教育の参考にもなります。
また上のシーンに戻りますが
少女を動かしたのは言葉ではなかったのですね。

人間の心理を大人がよく知って子供に向かえば
手にポンと皿を載せることが出来るのです。

細かく話せないのは、じれったいですねえ。
是非とも「マーサの幸せレシピ」ご賞味を。

二代目

2008-07-27 14:12:34 | 塾あれこれ
祖父は苦労したあげくグチをこぼし続け最後はボケて
終わった人ですが、名前を「幸兵衛」といいました。

私は勝手に二代目幸兵衛を名乗っています。


昨日、ブログが一回空いてしまいました。
早くも夏バテですかね。

以下のことを書こうとしたのですが、悪口ばかり
じゃね、と躊躇した面もあります。


高島俊男さんの数多い指摘で新聞やTVの日本語が
おかしいことは(証明)されています。

モノカキさんには怖い存在でしょうね。
シロウトのブログでよかった。んとに。

その高島さんの尻馬に乗って書く話でいささか品が
ありませんが・・

ニュースの字幕に助詞が抜けます。
「大地震町を襲う」
というふうにね。

広島弁は助詞が抜けます。
「これ、買うて」「私、井上、言います」

全国で訛るようになったとしたらそれはそれで
悪いことではないのですがねえ。


架空のニュースを作りますが助詞を抜いて
「県教委不正を否認し」
などと画面に出るのです。

アナウンサーは「県教委は不正を否認し」と
助詞を入れて読んでいます。

すると画面に余裕がなかったか?
新聞の見出しでよく見かけますね。
しかしどうもそうではありません。
かなりスペースがあっても同様です。

私は突っ込みますね。
「中国語じゃあるまいし助詞くらいきちんとしろ!」

誤字脱字もある程度はミスで起きるでしょう。
昔はもっと訂正を丁寧に伝えていたように思いますが
最近はシランプリが多い・・

そのくせゲストの発言にはすぐに「ただいま不適切な
発言がありました。お詫びして訂正させて頂きます」
と勝手に(させて頂い)ちゃってます。


高島さんか丸谷才一さんか、校訂のきちんとしたもの
は信用できる、と書いておられました。
たしかにミスが多いものは文全体を信用しにくい感を
いだかせます。

とある月刊報道写真誌の7月号に校訂ミスが目立ち
ました。
心うつ写真が多い号だっただけに残念です。

そこでオセッカイにもEメイルしましたね。
イチャモンと思われたのか返事ナシ。
8月号にも訂正なしでした。

雑誌7月号で私が気づいたところは前半だけでも
P15 「当会」は「倒壊」の間違いでしょう。
P8  「6月中陣」は「6月中旬」
P8  「明け渡す」も「空け渡す」か?
P26には「日本」を「二本」とミスしてた。

いくらヒマでもくたびれて前半でやめました。

訂正しない主義ならミスはしないことですね。
「高級」なメディアに多い態度でもあります。


私も変な日本語を使います。
ブログのミスをカミサンが見つけてくれることが
あります。
といっても事前チェックは頼みません。
こんな文書くな、と言われそうだから。

人間てヘンなもので明らかなミスを指摘されて
有難いと思いつつどこか不機嫌。
自意識過剰の一種でしょうか。

(間違いを指摘する話、もう少し続くかも。
 二代目幸兵衛?タイトルの意味が分りませんしィ)

投書を読むな

2008-07-25 14:54:12 | 塾あれこれ
投書を読むな、では少し過激でしょうか。

でも、メディアで取りあげられる一般人の書かれた
日本語に変なものが多いのです。

じゃ、お前の日本語は?となると威張れたものでは
ないので、書きにくい話題ですが。


テレビやラジオで沢山の投書、お手紙を紹介されま
すが、日本語に問題があってもそのまま読まれて
いるようです。
(ひどいものは直されているのかもしれません)

間違った日本語を全国に向け撒き散らすのです。
しかもメディアを通すので一種のお墨付きが与えられ
ている状態になります。

耳にした人は、そういうものかと合点して使います。
これが雪だるま式に広がるのです。

あげくに「皆使っているから」という理由で認知する
エライ方がいっぱいおられます。

中でも目立つのは丁寧表現の多重使用。
「いつも拝聴させていただいております」

こんな投書を聞かされるとキモチ悪くなります。
(校長先生様)
と同じ構図じゃありませんか。

拝聴しています、聞かせていただいています、
聞いています、色々に表現できるのにねえ。

(させていただく)という言葉はへりくだった
場合だけでなく押し付けがましい場面でも使われ
ています。
そういう言い方は避けるのが良識というものです。

「え?ダンナ居ないの。じゃ、帰るまでここで
 待たせていただきましょうかね・・」

「課長、来週の月曜休ませていただきます」

押し付けがましいでしょう?
「~させてください」で良いのに。


マスメディアは変な日本語を読まねばよいのですが
そうするとショウバイに差し支えるのでしょう。

「日本語なんかどうせ昔から変わっているじゃん」

という「言葉の変遷」理論で安心するのでしょう。
これには問題があるのですが以前少し書いていますし
今回は省略します。

気づいていても知らなかったことにする、なんて
ヤカラも居そうですが、勉強不足でとてもプロとは
思えない若い方も多いようですね。
上司もいけません。
テキトウにお茶を濁しているはずです。

一般人が間違えるのは仕方がないかもしれません。
プロは、犯罪的です。

産地偽装、とか改ざんとか言ってる場合じゃない!
テレビで言ってるから正しい日本語だと皆が思い
乱れが加速しているのです。

ウナギより大問題じゃないかなあ?

変な日本語なら投書も紹介しないで欲しいものです。

あんどーなつ

2008-07-24 14:59:21 | 塾あれこれ
ビデオのセットを間違えることがあります。
TBSドラマ『あんどーなつ』も第二話を見逃して
しまいました。

脚本がNHK朝ドラ『芋たこなんきん』長谷川千佳子
キャストも國村隼や貫地谷しほり他ですから
ミエミエとは思いつつチェックしてみました。

思い切り高齢者向けでしたね。
古臭くも懐かしいドラマで、水戸黄門ワクに納まる
「安心感」があります。
こういうのもなきゃいけません。

金も掛かり、カメラなども割合にしっかりして
手馴れたプロの仕事です。

それにしても、もう少し変化はないものかなあ。

第三話は花火がテーマ。
ステレオタイプというものはある種の本質を映し出し
てくれます。

大花火は親と見にゆく記憶。
そのときの親の顔はよく覚えていないけれども
一緒に行った事の大切さが大人になって分かります。

手花火は人の近さの記憶。
買ってもらうことのウレシサは花火が一番かな。

線香花火ほど詩になる花火はないでしょう。
6音か7音になるので俳句にするには重いかも。

『大花火消えゆく闇の先にある』


アメリカ式の沢山連続する花火は派手でよろしい
ですが、タマヤ、カギヤの花火を味わえる国では
なくなってしまった証明でもあります。

東北などの花火大会に大きな「八重芯なんとか」って
のが上がりますが、幾分か情緒は残っていますね。

古く昭和三十年代前半、尾道の長屋で海に上がる花火
を遠望できました。
10分どころかその倍も間隔を開けて次の花火が上がり
ます。一輪だけ、ポーン。

次は何時上がるやら。
いつの間にか眠ってしまう私でした。

教師のタバコ

2008-07-23 14:47:03 | 塾あれこれ
内田百は幼少から煙草を吸っていたそうです。
学校に上がる前からだったと記憶しています。
高齢で亡くなられるまで続けておられました。
彼の場合健康被害はなかったのでしょう。
それどころか「煙草は健康に良い」が持論でした。


昔は煙草を吸う処は決まっていました。
煙草盆があるところで吸います。
もしくは火鉢か囲炉裏。
野外で吸うのはもちろん下品な行為です。
高価だったので吸う量や回数も少なかったはずです。
一服の価値も大きかったでしょう。

アメリカインディアンをもちだすまでもなく
世界中でタバコ文化が存在していました。

イギリスでは同席の人に Would you mind・・?

韓国では目上の方の前では吸わないとか。

それがいつごろからか大勢の人が多量に吸うように
なり、エチケットに欠ける者が増えてきました。

医学の進歩で健康被害も明らかになり、マナーの
悪さもあいまってタバコ迫害の時代突入です。

たとえばすこし以前まで教員室はタバコの煙でしたが
今は教員が車で隠れタバコとか。
臭いで分るのに。


私は以前吸っていましたがサマにならないと言われて
止めました。
すると、ドンドンと嫌いになるのです。

教材が宅配で届きます。
箱にタバコが染み付いています。
大変不愉快ですが顔見知りの配達員の車なので文句は
言えません。証拠はないし。
宅配会社は考えるべきでしょうね。

最近は分煙以外に税金が話題です。
貧乏人を国家がいじめる図です。
典型的な弱いものイジメですねえ。
タバコは嫌いですが大衆課税はもっと嫌いです。

貧乏人スモーカーを退治したら次はメタボに矛先が
向いてくるでしょう。
お役人の仕事を見つける(税金の使い先をひねり出す)
能力は恐るべきものがあります。
そうやって勤め上げればあとは年金制度が守ってくれ
る仕組みです。
年金は一本化しないといけませんね。

あれ、話は何でしたっけ?

童謡と唱歌

2008-07-22 14:09:00 | 塾あれこれ
イギリスでマザーグースが子供に与える影響はつとに
知られていますが、日本では童謡や唱歌。
たぶん私の日本語の基盤にもなっているハズです。

大人になって初めて(ナマの)謡を聞く、浄瑠璃も
長唄でもそうですが、それなりに難しいものを
ある程度分った(つもり)になれるのは基盤のような
ものが自分の中にあったからで、日本語で歌われた
からというだけではないハズです。

もしも童謡や唱歌を知らなかったならば
古くからの邦楽は入りづらい世界になったでしょう。

音楽だけでなく言葉のもつ固有な音やリズムなどは
幼いころに身につくことです。
そういう時期に出会った良い言葉が大切な理由です。


以前本の名前だけ紹介しましたが
芳賀徹著、中公新書『詩歌の森へ』
彼の他の著作に比べ肩肘張らない読みやすい物です。

その中に童謡や小学唱歌のような子供が接する歌詞の
豊かさをこう述べられています。
「歌詞にたっぷりと万葉以来の詩的映像を含む」
(記憶です、正確な引用ではありません)

難しい言葉が並んだものは意味もよく分らずに
歌っていました。
♪サギリ キユル ミィ~ナトエノ

ある時そのキリが晴れるように意味が分り
淡い色彩の中から私達の桃源郷が浮かび上がる
喜びは最初に意味が分っていなかったからこその
ものです。

せめて日本語と和のイメージ、これは受け継いで
いってほしいものですねえ。


高島俊男が『お言葉ですが⑧同期の桜』文春文庫に
童謡と唱歌の違いについて書いています。
目からウロコが何枚も落ちる気がする文ですヨ。


第二次世界大戦後、唱歌の歌詞が一部変更になり
近年は元の歌詞で歌うことが増えているようです。

もとに戻してよくなるものもあれば
ちょっと行きすぎのものもあります。

機械的に「元に戻せばよい」式の発想が見えて
若いな~、と思ってしまいます。

この「若い」は最近は使われなくなった言葉で
未熟を指すものです。
単純な国になってしまい、言葉が減った一つの
例ですね。
なお「単純」もこの場合は乏しさを示します。

伝えられるか

2008-07-21 14:43:42 | 塾あれこれ
勤めていた進学塾では大勢の保護者の方と面談しました。

一人10分で1時間5人 午前10時ころから
午後3時くらいまでなんてハードなときもあり
自由がきくようになって20分30分と時間が
増えていきました。

長くなると多くの話ができるのは有難いのですが
よい話ばかりにはなりません。
マイナス面もお話することになりますね。

生徒個人のマイナス面
 本人が気づいていること、気づいていないこと
家庭におけるマイナス面がないか
学校その他環境の問題

・・などです。

チクル話を先日書きましたが、なるべくそういう事に
ならないようにしました。
保護者の方もよくお分かりのことをあえて
触れる必要もありません。

単刀直入とはいきませんから、気を使った長い話に
なりやすいですね。
申し上げづらいことが多いですから。

従って、そんなことは言わないで済ます「商売上手」
もいました。
同じ塾でも人により考えの違いはありますから。

私はそういう「商売上手」は好みません。
自分の都合ばかりを前面に出したことだから。
金さえ貰って合格すればよいというものでは
ありません。

そのくせ「商売上手」に限って結果が出ないときは
生徒や家庭のセイにするのです。

まあ、ヒトのことは止しましょう。

言いづらい話です。

どうしても微妙な言い回しになります。
そうすると相手に上手く伝わるかが怪しくなります。
相手は気づいていないことですから。

親が一番よく知っていると思っていらっしゃいます。
耳学問も豊富です。
たかが塾の若造、という空気もある・・かな?

でも、全てを知っているわけではありません。
外でどのようであるか分からない面もあるはずです。

さらに(耳学問)(クチコミ)(ウワサ)これが
個別の案件に当てはまるかどうか、

お友達の家庭で成功したことがそのまま当てはまる
保証はないのですから。
当てはまるとしても程度の問題もあります。

ある程度当てはまるのか、ピッタリか、
これだけでも随分と違いが出てきます。

たとえ兄弟であろうと同様です。
上で成功したから、というのが悪い場合もあります。

聞く側の問題だけがあるわけではありません。

上記「商売上手」は問題外として
発信する側も思い込みがあったり事実の把握が
不十分であったりミスも多いものです。

それらの危険を少なくするために必要なことが
情報交換、状況把握です。

保護者との面談が重要なワケであります。

一定の人間関係ができあがってこそマイナスな
話も落ち着いてできるというものです。