月光仮面がとんだ

2007-11-30 10:57:55 | 塾あれこれ

町内でテレビがある家が一、二軒の時代がありました。
大人までテレビを見せてもらいに行ったものです。

白熱灯のついた応接間に皆が揃うとおもむろに消灯。
映画館のように室内を暗くしてテレビを観賞します。
観客は10~20人。

画面は14インチくらいでしたか。
大勢で見るには小さなモノですがこちらも必死に見て
いたので大丈夫です。
ときおり他人の頭が邪魔をしましたが。


初めて見たテレビが『月光仮面』でした。

何だか真っ白い包帯でも巻いたような人がビルの屋上
に立っています。

「えいっ」
その場で垂直跳びをすると
次の瞬間地上にしゃがんでいます。

私は何がおきたのか理解できませんでした。

翌日、友達に教えてもらい、あれは屋上から下へ
飛び降りたのであると分かりました。

「ケガせんの?」
「するか~、月光仮面じゃ」

小3の私には十分に刺激的なシーンで
月光仮面は尊敬すべきものだと理解しましたね。


カットつなぎに慣れてストーリーを追えるように
なるまで時間は不要でした。
カットつなぎという技術が人間の脳の構造にそった
ことだからでしょうね。

映画を初めて見ても大概の人間はカットつなぎを
理解できたそうです。

私が最初理解できなかったのは猿並みだったのかな?


話が現在に飛びます。

TVのドキュメンタリー番組です。
眠りかけた目でぼんやりと見ていました。

とある家族を追った番組です。

「A君も一人で外出できるようになりました」
画面には建物の中から、外に停まったバスが映り
ちょうど窓にA君の顔が見えます。
次の瞬間カメラはバスの中、A君をアップにして
彼の視線の先には建物の中から見送る人がいます。

ドキュメンタリーであれば2台カメラが必要な
シーンですね。
通常はドラマに出てくるような印象深い画面ですが
一つの家族を追う番組で2台のカメラという制作の
態勢は考えにくいことです。

思うに、外出してもらうシーンをコンテのとおりに
撮ろうとして、まずバスに乗ってもらい、建物の中
から撮ります。

「え~っと席を一つ後ろに移ってください」などと
演出しながら。

ビデオで撮れた画面を確認して
「はい次。バスの中」
待たせてあったバスへ移動して次を撮ります。
(自立の眼差し)を捉えるため。

「A君、お待たせ。次ぎ撮ります」


これをヤラセと言います。
ドキュメンタリーではごく限定的にしか使っては
いけない手法です。

「これから~のシーンに行きます、カメラOK?
A君、悲しかったら泣いても良いんだよ・・」
「偽装」です。

しかし普通に見ている視聴者はヤラセであるとは思わず、
カメラがそこにいてその場の現実を写したと思います。
カットつなぎの常識を悪用しているのです。


今もこのテのやらせが多いようですね。
リハーサルどおりに初めてのような驚きをしてみせる
アナウンサー。素人も上手な人がいます。

月光仮面がビルを飛び降りると信じるのと
あまり違わない構図ができているのです。

熱いと言うから熱い

2007-11-29 11:04:32 | 塾あれこれ

人間以外の動物は言葉を持ちません。

ここで食べようね、なんて言わないでカップルは
機嫌よくお食事中です。

飛び立つときも下りるときも言葉では伝えられません
から、同時に同じ事をイメージしているのか?
ちょっとした信号を交わしているのか。

合図だけで、いつ飛ぶか意思統一できるのであれば
野球などのサインプレーはいかにも下等ですね。

「あそこへ降りよう」を目配せで?知らせるのも至難
のワザでしょう。
目じゃなくて風切羽か何かだとカッコいいかな。

渡り鳥が編隊で飛行するときに空気抵抗が大きい場所
を入れ替わりながら飛びますね。
どんな意思決定をしているのでしょう?

人間など言葉で確認していても間違えるのにね。


我々にはまったく分からない世界です。
言葉なしでは何もできないし、感じる事すらできませ
ん。

熱したヤカンに手が触れればとっさに引きます。
そのあとで「あちっ」と言います。
熱いと口に出して初めて、熱かったのだ、と思います。

お腹がすいても
「腹減った」と言葉が浮かんでいます。
口に出したとたんに減るなんてこともあるくらいです。

言葉なしのままの状態が長い、ということはないのでは
ないでしょうか。


人間には言葉にならない感覚も少し残ってはいます。

背後の人の気配、などですね。
ふっと感じます。

でも直ぐに言葉が追いかけてきます。
言葉ナシの世界は想像できませんね。


動物は言葉ナシで生きています。
考えることすらします。

ネコは獲物を先回りして待機します。
遊んでいるときでも、ビー玉が家具の下に
入って手が届かない・・
反対に回ってみたりいろいろ工夫しますね。

この程度の思考ならば言葉なしでやってのけます。

時おりはご近所で寄り合いまで開いていますね。

時速50km

2007-11-28 10:55:44 | 塾あれこれ
水面にたくさんいる水鳥のうち仲間と思われる
五羽、十羽が一斉に飛び立ちます。

ほぼ同時に離水、首をしっかり前に突き出し
全速で上昇する様子は飛行機みたい。
急に高度を上げないので余計にそう見えます。

ほかの連中は水面にノンビリしています。
彼らだけの意思で他所へ移動するのです。

隊形を崩さず全く同じスピードでぐんぐんと飛び、
ある所で気持を揃えたように着水します。

どうやって意思を通じ合っているのか?


生物学者の今西錦司さんが、空中で多数の鳥が
一斉に向きを変える不思議を書いていますが、
何か言葉でもあるのかと思うほど見事です。

判断力、柔軟な行動、移動スピードの速さ
反射能力・・
岩につく水草だけでエネルギーを得るにしては
鳥とはずいぶんと「出来の良い」ものですね。

月収3千円

2007-11-27 10:43:52 | 塾あれこれ

為替相場というバケモノがあります。

日本で皿洗いをして月収10万円としましょうか。
(計算を楽にするためオオザッパな数字です)

インドで同じ労働をしていくらになるか?
あるいは10万円を稼ごうとするとどんなことを
する必要があるか。

この事態を生むのが為替です。

同じ労働の価値が場所によって異なります。

国勢図会からの孫引きですがILOの数字では
製造業の1ヶ月当り平均賃金が日本で38万円です。
(2005年の数字が今年の図会に載っています)

中国の平均が円に換算しておよそ15000円
インドはいくらだと思います?

2650円です!
信じられないですね。日本の0.7%しかない。
乱暴ですが単純に比較しますと上記10万円の仕事
は月700円になります。
1ヶ月です。時給ではありません。

インドに旅行し途中でお金をなくして帰られなく
なり皿洗いをしたら何年で飛行機代を稼げます?
一生帰ってこられないね。

日本人はいかに楽して金稼ぐか、ということです。

輸出企業は円高で困ります。
農業なども国際化が厳しい。

けれども為替高は悪いだけではありません。
総体では得でしょう。
(差があってはいけないとの考えも「あり」ですが)


日本人が海外で「安い!信じられない」と叫ぶとき
当地の人で「成金め」と思う人もいるでしょうね。

騙しても罪悪感が少ない、などと不心得の人もでる
と思われます。
金持ち日本人はワキが甘いからすぐ引っかかる・・

中国で日本人がニセ骨董をつかまされます。
どうして皆そうなのだろう?

不思議だったのですが、私がロシア商人に騙された
ようにすれば旅先のハイテンションも勘案し
帰宅して「家でみると大した事ないな」
なんて思ってる人もいるのでは?


騙されることは不愉快ですがやぱり正直がいい
という話は明日。

正直バンザイ

2007-11-26 11:16:28 | 塾あれこれ

自らが正直に生きることと世の中にはウソもあると
知っておくこととは矛盾しません。

人が良くて騙されてばかりというのは文学のテーマ
にはなるでしょうが、実生活は大変でしょう。

昔からウソや偽装は人の世の常です。

取り返しがつかないのだから騙されてはいけません。

もっとも悪いやつには勝てないので完璧な防御は
ムリでしょうけれどもね。


吉兆のお客さんだって大勢のお金持ちや味覚の
するどい方がおられたでしょうが、ハッキリと
おかしいとは指摘できなかったわけです。

それどころか完璧に騙されていたかもしれません。

もし私が食すことがあっても分からなかったハズ
です。ハハ言わずもがなですか。


しかし、大変な「偽装ブーム」ですね。

もちろん今に始まったことではありません。
天の岩戸の昔からもっとも人間らしい行為と
言えるかもしれませんね。

勝ち組が生き残るのですからそのムキの遺伝子が
研ぎすまされるのも仕方ないのかなあ。
イヤですがね。

古い映画『大阪物語』に江戸時代の茶商人が
茶殻を混ぜているというシーンがありました。

少し前なら寅さんだってアヤシイ商売をしていそう
です。

「その値段で本物があるわけがない、欲を出しては
 いけませんね」
中島誠之助さんのセリフです。
私がロシア商人に騙されたのも「欲」でしょう。

私の父は下手な商売もしてよく騙されたらしいので
そういう家系かもしれません。


仕事をしていると騙されるかもしれないけれども
信用しなければならない場合があります。
行くか留まるか、難しいですよね。

(塾と言うものはこのテの心配が少ないので
 私も仕事ができているようです)


旅先、海外などでは危険度が増すでしょうね。
昨日書いたようなクレームをつけられないから。

それを根拠の一つにして
私、海外へ行ったことがありません。

ロシア商人に騙された話

2007-11-25 11:14:19 | 塾あれこれ

『しっかりと握り締めたる十円の温みをいかに保管されたる?』

『あのおりの五円玉なる手の汗よバカは死んでも治らないとか』
(上記2首は昨日の続きです)

たまには口調を変えて見ましょうか。


正直者の頭に神宿る、と言いますな。
まあ、神でも宿らねばやっておれないという
ところでしょう。

秋晴れに似合わないグチになりそうな気配?
いやなにね、安物を掴まされたという笑い話です。

私が騙されたのは正直とは無関係。
正直は子供の特権ですから。

アホを告白するのは恥ずかしいもので
正直をかつぎだしたということです。


広島市内のFデパート、特設コーナーです。

たまに出かけると「冷やかし」が好き。
良さそうだなあというものは高いことが殆どで
当然の事ながら目の保養で終わります。

十年くらい前、やっと結婚できて間もない頃です、
ロシアから売りに来た風の店に良い品がありました。
思うほか安い値段がついているのです。

金属の細工が細かいのにクッキリとして良品。
為替差などがあってこの値段だろうと欲を出し・・

家に帰ると似て非なる粗悪品です。
すりかえられたのですね。

翌日、デパートに乗り込みました。
「品物が違う、正しく出せ。」
ここで解約を言わなかったのが痛恨のミス。

もめた揚句、ロシア人?のおばはんが奥から
しぶしぶと出してきました。
「コレデスカ」
大体やね、ロシア人が日本語しゃべることで手ごわい
ことを予想しておくべきでした。

昨日の商品がAであるとすれば、それはA’
インチキされたのはBをとばしてCクラス
決して本来のAは出してきません。

デパートの人も中に入り最終的にA’で我慢。
初めからこれであったら買わないので結局損ですな。

このオバサンは怪しい、ということを知らしめて
若干のし返しをしたつもりですが、トータルでは
向こうが儲けでしょう。

このイアリング、カミサンは1度もしませんな。
私は小遣いのマル損です。
・・あのころは小遣いがあった。

(正直についての「考察」は時間ギレ)

今の警官なら?

2007-11-24 10:27:27 | 塾あれこれ

昭和三十年頃田舎町で子供の小遣は五~十円でした。

五円玉一つ拾っても交番に届けたものです。
周りからはアホと思われていた筈。
悪いことはいけない、とネコババする怖さが勝り
何度も持参したように思います。

たしか小3でした、そのお金がどうなったかを
確認に行ったことがあります。
6ヶ月で落とし主が現れなければ自分のものになると
一緒に届けた友達に誘われたのであります。

当然ですが、届けの記録はありませんでした。

こちらも可愛くないガキだったでしょうが
その時は失望しました。

交番のカウンターは我々の背丈よりも高く、その向こ
うの警官が怖く見えましたね。
(尾道駅南口の交番)


親に話したハズですが、そんな子をどう思ったか。
バカな子?正直な子?

暫くして十円くらいは届ける必要はないと母に言われ
またそれを正直に学校の作文に書きました。

後で親に叱られました。。。

どうもその当時からバカが治らないようです。


万引きの見張りをしろ、と言われたことがあります。
誘われて断ったら「じゃ、見てろ」となったのです。
一度だけ付き合いましたが怖かったですね。

暫くしてその子はとっ捕まりきつく叱られたらしい。

もちろん今は立派なオヤジになっています。

私と彼と、社会に出てどちらが強いでしょう?


私に子供がいたら拾得物をどう教えましょうか。

やはり「正直に届けよ」
そして社会勉強をしてもらいましょう。

十円ならよい、とは言いません。
作文に書かれそうだから。

今のお巡りさんはどう扱われるかなあ?

交番に人がいないか・・

マスメディアは変なことも言う

2007-11-23 12:12:15 | 塾あれこれ
民主主義社会におけるマスメディアの役割はたいへんに
重要なものです。
それが機能していない社会を見ればよく分かります。

世界のあちこちに見られる独裁的政権下での報道
わが国でも戦時報道がどうであったか。

報道の自由があってこそ民主主義は機能します。

もちろん民主主義だけですべてが良くなるわけでは
ありません。
チャーチルが言ったように他に代わるものがない
ま、それだけ大切な社会機構です。

自由であると言うことは意見があるということです。
マスメディアも例外ではありません。

新聞では社説などでその考えを発表されます。

私も個人的に教えられたり賛成する内容もあり
反対にそれは間違っていると思うこともあります。


数週間前だったと思います。
発行部数日本一を誇る新聞の社説に妙な話が書いて
ありました。

ボスが民主主義を否定するような裏工作好きのところ
ですから、ときどき「愚民を啓く」意識で仰ることの
なかにアヤシイ言説が混じるのですね。

民主主義における新聞の影響力を考えると暗い気持ち
になる社説でした。

現在続いている水俣病訴訟についての言説です。
当事者双方の賢明な歩み寄りを望む、といったもの。

一見穏当で中立な意見のように見えますが
私は異論があります。

なぜ被害者が歩み寄らねばならないのでしょう?
普通の人間として暮していたものに危害を加えて
相手に歩み寄りを求めるモノがいれば通常は
ヒトデナシと言われます。

社説は
「チッソはいままで負担をしてきた。
体力にも限界がある。
元も子もなくなるよりは歩み寄れ。」と。

繰り返しますが被害者に歩み寄れ、と回りが言う
のはヘンです。
水俣病における企業犯罪の深刻さを考えると
通常の人間であればそんなことは言えません。

少なくとも当事者が斟酌することであって
大新聞が教えを垂れるべきことではありません。

それを敢えて言うのはいかなる意図があるのか?

小さな弱い一人一人の人間を考えることが
民主主義を保証するのです。

この社説の眼差しはその点でどうか?

生徒が実験台になっていないか

2007-11-21 10:27:25 | 塾あれこれ
文部科学省の方針がゆらゆらと動きます。
早い話が、確証もないままやってみているということ
ではないのでしょうか?

やってみてうまく行かないから揺れ戻す。
学習指導の基本方針がこれでは。

生徒は「ど~してくれる」と思うでしょう。

ゆとり教育の実施方法に不充分なところがあった、
その影響を受けた生徒に誰か謝罪をしましたか?

学校の先生も末端で実行したのではありませんか?
上から求められればやむをえないので責任はない?


そんな中、実績を上げた学校もあります。
堀川高校の奇跡、有名ですね。

例によってマスメディアを通じて知るだけですから
不正確かもしれません。

堀川高校は特別な受験指導態勢をとらずに「劇的に」
大学進学実績を上げたのです。

キーワードはモチベーション。
それを生徒が持てば皆、勉強するのです。

いかなる態勢を作り、人がどう教育に関わるか
全国の教育機関で参考になるものです。

大変だけれど勇気づけられますね。


以下は良く知らないから浮かんだ疑問です。
ケチをつけるものではありません。

メディアを通した堀川像が考えることのきっかけに
なったというだけのことです。

まず、なぜ大学進学実績なのか?

もともと音楽などでは有名な高校ではなかったか。
クラシックの立派な演奏家を輩出しているハズ。
それを進学校に変えたというだけのことか。


高校生だからモチベーションを持たせやすい。
小学生ではどうすべきか。
安易な動機付け、無責任なヨイショは危険です。
自由研究で高校生のようなことができるか?
一部の生徒は可能でしょうけれど。

もちろん堀川の校長や京都府教育委員会には
関係のない話かもしれません。


「改革」を進める前にこれで大丈夫という保証は
あったのか?

確信はあったかもしれない。
それだけでは上記の文部科学省と同じではないか。

校長は改革の進め方としてそれまでの方法を全否定
するものではなく、新しいことを追加するのだ、と
仰います。

大きな変更であったことに違いはありません。
それを実行するにあたっての保証が大切なのです。

様々な教育機関が微調整ではない変更をしようとする
ときにもっとも悩むことではないでしょうか。
科学の実験ではありませんから。
相手は一人一人の子供ですから失敗してはいけません。

その気持が一番薄いのがお役人。
国のことは抽象的に考えられるのでしょう。
どこそこの国、だれかエライ先生の説は研究し
一人の人間像は頭に浮かばないのではないか?


よって、私ごとき最末端の人間も「国を思う」
仕事が必要になるのです。

いつも偉そうな口をきくのは恥ずかしいけれど。

ワイルド

2007-11-20 12:23:14 | 塾あれこれ


『熊谷を胸いっぱいに見た夜は我家のねこも眠りしなやか』

自然は芸術を模倣するという有名な逆説があります。

オスカー・ワイルドの言らしい。

おぼろげな記憶では高校生のときに教科書か何かに
出ていたのではないか。
ワイルドの文章そのものではなく引用されていたと
思います。

丁度、芥川竜之介の皮肉な言葉を好む年頃であり
妙に感心したことを覚えています。

初出が芸術至上主義の文脈であったかどうか、が
調べていないのでよく分からないのですが
これほど有名になれば一人歩きしていると考えて
よいでしょう。

芸術至上主義はさすがに流行らないのでね。


芸術は自然を見つめるところから出たものでしょう。
素朴に考えればそうですよね。

熊谷もずっとアリンコを見つめて絵を描いた。
エンエンと見て掴めたものを絵にする。

そうすると生きたものが描けるのです。

熊谷の絵をじっと見ると、初めは子供の絵くらい
にしか思えないものが、次第に生き生きとして
くるのです。


八幡川にチドリを見かけました。
十羽程、わらわらと飛んでいます。

ああ、絵と同じだ。

自然を見る達人が描くエッセンスで私たちは
自然のありようを知ります。

まるで絵みたいな夕焼け、などとね。

もちろん絵に限りません。
学ぶことは全て同じでしょうね。
先達はあらまほし、であります。