年金や社会保険は損得ではない

2009-04-30 14:32:33 | 塾あれこれ
年金や社会保険を損得で考えてはいけません。
モトがとれるとか、取れないとか、情けない。

自分の父母などが年金を貰っているのに、
モトがとれそうにないから払わない人などが
増えているのではないでしょうか。

そんな大人が沢山いる社会で子供達に(人間として)
の教育ができますか?

福祉などを税中心ではなく保険の形式で行うという
合意は、たとえ気に入らずとも(私は個人的に不満)
決まった以上は支えなくてはなりません。


・・などと偉そうに言っても、そこは気になるのが
人情です。

年金の案内に今まで払った金額が記載されていました。

この数字を「取り戻す」だけでも、かなり長生きが
必要なようです。

数字だけでなく実質からいうと何時まで生きればモトか
かなり悩まなければなりません。
物価、貨幣価値が違うのです。

昭和40年代後半、大卒の初任給がちょうど5万円程度
でした。今を20万と仮定すると、1万円の価値が1/4
になってしまったのです。
よってあの当時1万円を取り戻すには4万円を貰わね
ばならないのです。

それに金利まで考えるといくらになるか。
年5%として10年ちょっとで元利合計で2倍ですから。

モトなんてとれそうもないですね。


社保庁が現在年金照合を一生懸命されておられるよう
ですが、これもよく分からない話ですね。

仕事をワザワザ作っている?
忙しいけれどもクビにはなりませんからね。

私と同じ生年月日で名前も音が同じ人がいるらしいの
です。漢字は違うらしい。
その方が東京で年金を支払っておられた(らしい)の
ですが、それが私ではないか、と問い合わせです。

違うのならば回答しないでよい、としてあります。
郵便がもったいないから、無回答ですよね。

すると、また聞いてきたのです。
よほど強引に片付けたいらしいですねえ、

その手間にも税金が使われているのではないか、と
思うと暗然とします。
なんという仕事ぶりでしょう。

もともと、一件ずつ照合なんて役人的発想です。
まとめて処理しちゃえばよいのです。

介護保険。
金をとるだけで役人やその回りの人に仕事を与える
のが趣旨ではないかと疑いたくなります。

それが始まって何か良いことがあったでしょうか。

清水由貴子さんのような人がもっと増えそう。
彼女のニュースなどに接する度、涙がでますね。

役人や政治家は何ともないのだろうか?

襲名

2009-04-29 11:43:53 | 塾あれこれ
半世紀以上前の話です。

当時の九代目小三治に五代目柳家小さんを襲名させる
話が持ち上がったとき、強引な面もあったし、反対の
声もあったそうです。

特に先輩である五代目蝶花楼馬楽とのバランスが問題
になったようです。(その社会では重大なこと)
この馬楽は三代目小さん、四代目小さんに付き、また
四代目小さんの前名が馬楽であったからです。

襲名というものは色々な人が関わるし応援団もいるし
で大変な場合もあるようです。

じゃ、馬楽に大きな名前を襲名させれば小さんが実現
する(=インスタント味噌汁CMの小さん)ので、と
考えられたのが馬楽→八代目正蔵ということでした。

当時七代目正蔵が亡くなって「空席」だったのですね。
七代目の子供、後の(昭和の爆笑王)林家三平はまだ
かけだしの落語家でした。

さらに七代目正蔵は流れに横から入ったという経緯も
影響したろうと思います。
当時「ウチの名前」と突っぱねづらかったのでしょう。

五代目蝶花楼馬楽は芸風も正蔵向きであるという事で
五代目小さんを作りたい人たちの圧力もあり、七代目
正蔵さんちへ諒解を得にいったそうです。
「一代限りと約束する」から、と。

七代目正蔵さんちはトコロテン式にワリを食ったわけ
になりますが、何しろ後の三平が若かった。。

九代目正蔵はそのうち三平が継ぎ、父七代目からの流れ
を続けるだろう、という暗黙の諒解が当事者にはあった
ろうと思われます。

ところが売れっ子に成長した三平が早くに亡くなって
しまったのです。
八代目正蔵の地味な芸風も世間に認知されてきた時代
でもありました。

襲名のときのいきさつもあるので八代目正蔵は名前を
七代目の海老名家に返し、自分は彦六となったのです。

のちのち、三平の息子のこぶ平が九代目正蔵を継ぎ
現在TVなどで活躍しているのはご存知の通りです。


名前返上の彦六襲名興行、上野鈴本演芸場で聞いたと
思います。(新宿末広ではなかった)
返上に海老名家にうかがった際のことをボヤいて
いました。
ボヤキというか、軽いくすぐりというか。

「・・という次第で海老名に八代目正蔵を返して参り
 ました。名前を仏壇に上げられちゃってねえ」

当時の私は仏壇に上げようが別に、と思いましたが
今、思うに彦六は「名前は家の財産じゃない」という
ことを言いたかったのではないでしょうか。

落語の名前は世襲と決まってはいないのです。
七代目から始まるだけの海老名・正蔵なんですから。

落語の襲名は歌舞伎の団十郎襲名なんてのとは違い
皆が(名を継げる)と認めてこそのものです。
演じる落語家や席亭の側だけの財産ではありません。

ところが現代は以前よりも襲名のメリットが大きく
なってきたようです。
正蔵に続き三平襲名というところでも分りますよね。

襲名披露興行そのものが脱税したくなるほど儲かるし、
もちろん後の営業も大きく違うからです。
名があれば実力がなくてもTVに出られる時代です。

そこで家の財産にしたくなる人が出てくるのですね。

もっと私物化してしまい「オレの名は継がせねえ」
なんて自分から永久欠番を言い出す人まで出ちゃった。
そこまでエライか円生さん?
長嶋の永久欠番=背番号3はもちろん自分から言い出した
ものではありません。
だから価値があるのですがねえ。

芸の世界は演じる側の独占物ではなくて観客があってこそ
という面があります。
客は金を払うだけではありません。
芸を受け止め、落語を成立させてくれるのです。

ヘンな襲名は客をバカにする行為ですねえ。

いまの九代目桂文楽、六代目柳家小さん、などなど。
彼らは落語の世界を維持向上させているでしょうか?
それとも大きな名前にドロを塗っているのでしょうか?

名前負けというより襲名自体がおかしかった。

襲名が芸人の力を挙げてくれる、という説がありますが
だったら一番の下手くそに一番大きな名前を継がせれば
宜しいのです。
落語全体の力の底上げになるでしょう。

今はお金儲けばかりに目が行き、襲名という日本文化を
捻じ曲げているおそれがあります。
海老名さん、大丈夫ですかねえ。

マスメディアだって片棒を担いでいます。


大きな名前を継ごうとしなかった米朝、現小三治、
もしかすると三代目志ん朝も。
こういう襲名に頼らず実力を見せる方々に期待しなければ
ならないのでしょうが、襲名も大切にしたいねえ。

お金に文化を吸い取られるのはどうも見ていて
寂しいものがあります。

朝ドラ

2009-04-28 11:20:46 | 塾あれこれ
NHKの朝ドラは近年よく見ていますが
好き嫌いが極端に分かれますね。

会社や塾に勤めていた時代は見る時間がありません
でしたし関心もありませんでした。

子供の頃は『おはなはん』
樫山文枝の丸い顔が印象的でした。

再び見始めたのが『ふたりっこ』でしたがハマったのは
『すずらん』です。
泣きましたね。涙滂沱。

ついですぐに『私の青空』『ちゅらさん』
この三年間が黄金期でしょう。

視聴率とか作品批評とかではなく(私はハマった)という
ことですがね。

以降は途中で見なくなるものが増えました。

良かったのは関西制作ばかり。視聴率は低かったけど。

『てるてる家族』
もとの話が良いし、出演者もすごいメンバーでした。
「あきちゃん」が良い、と言っていたらブレイクされ
ましたね。上野樹里

次が『芋たこなんきん』
『てるてる』が実験的なドラマづくりをしかけて腰砕け
になったので?違う意味で力を入れた映画張りの神経が
行き届いた作品でした。

大変頑張って制作しているということから
なかにし礼より田辺聖子が格上である証明かも?

『ちりとてちん』もまずまずでしたね。


言うまでもなく、朝ドラから多くのスターが全国に
名を知られるようになります。

作品はつまらなくてもスターが生まれる、なんて
しばしばありましたね。
本仮屋ユイカ、なんてドラマさえよければ今頃・・


次回『ウェルかめ』に期待しています。

いや、主役がよさそうだから。

倉科カナという言いにくい音の並ぶ女優さんですが
なに、現・仁左衛門だって以前はカタオカタカオ・・

倉科さんは『ケイタイ大喜利』にゲスト?として2度
ほど出たことがありますね、
他の若いタレントに比べ格段に感じが良かった。
(オッサンの言い方、きもい?)

ここんとこ面白くないのが続くので次回、期待!

モノを言うこと

2009-04-27 11:29:00 | 本の話
出久根達郎『セピア色の言葉辞典』

戦前は自由にモノが言えなかったけれど、という
文脈で次のように続けておられます。
少し長い引用ですが

「小体(こてい)な寄席にはお上の目も届かない。
きわめて自由な話芸が演じられていたであろうことは
戦時下の落語速記を読んでも、おおよそ想像がつく。
たとえば昭和十八年刊の「新作落語名人三人集」の
蝶花楼馬楽。「未曾有の非常時」を味噌の非常時と
からかい、戦時を疝気と言い違え・・活字でこうなの
だから、寄席ではもっと大っぴらだったに違いない。」

お上の言う通りばかりにはならないぞ、という庶民の
心意気。
というとオオゲサですけれど、結構勇気が必要であれ
モノを言う人もおられたのです。

ところで上記の馬楽について出久根さんは気づいて
おられないようで注記をされていませんが
昭和18年の馬楽は、のちの八代目正蔵(彦六)です。

さすがに気骨があるでしょう?
ちょっと何かあればすぐにブタ箱行きの時代です。
活字だから、では済みませんから。


もっとも戦前でもモノをいう人は案外おられたと
聞いています。
名もなき人々でも。

愛媛県の某島にある、その島一番の貧乏村。
出征兵士を送り皆が万歳を唱える中、とある老人が
「何がめでたいものか、生きて帰ってこいよ」と
言ったそうです。
その方は田舎ではインテリだったとか。

以上は母が直接見聞したことでよく話していました。

反戦平和などという高尚なものではなく、素朴に
戦争の大変さが口からこぼれでた、いや心から絞り
出たというべきでしょう。

それなりに勇気が必要なことでも、言わねばならぬという
気骨があったということですね。

愛国心がない、などという話ではありません。

私の祖父と同年代ですから日露戦争に従軍していた人か
と思います。
お国のため、ということと、死ぬなということは決して
矛盾することではありません。

近頃はそれを短絡される妙に勇ましいご老人が多くて
どうも困ったものです。

定額給付金は現代の出挙(すいこ)?

2009-04-26 11:23:12 | 塾あれこれ
定額給付金の案内がお役所から届きました。
さもしくても頂かねばなりませんね。
あ、金持ちが貰うときだけ「さもしい」のか?
貧乏人は「いやしい」?

こんなもの、とタンカを切りたいところですが
そうもいきません。
なにしろ後からツケが回ってくるのです。
それを、さもしいだの、いやしいだの、言われてもねえ。


もともとツケは嫌いです。
どうしても高いものにつきますし、安易に流れます。

親のうるさく言うところでもありました。
ツケには関わるな、とは遺言のようなものです。
「遺言で固く禁じられている」と言いたいところですが。


高校で習うことですが、古代から律令時代までずっと
存在した税金に「出挙」というものがあります。
すいこ、と読みます。

初めは飢饉のときなどに種籾を食べてしまった農民に
国が貸付をして稲を育てさせ、収穫時に利子をつけて戻して
もらうというものだったようです。

いつの間にか必要もないのにお上が強引に貸付をし
秋になったら利子をつけて返せ、という実質的に大変な
重税を課したのです。(50%~100%)

強引に貸し付けて、あとツケが回ってくるって
何だか似ていません?


給付金支給には経費がかかります。
最大3割くらいになるかもしれないのです。
これも最終的には国民が負担するのです。
(出挙)ですねえ。

「それもこれも(公)のためだ。未曾有の非常時だ。
いずれは下々の人間にも果報は巡るのだ。
ありがたく受け取って有効に使えよ。」

国営放送は神棚に上げて感謝せよとばかりの映像を
流していました。
こうなると旧共産圏と変わらぬイメージですな。

地方のお役人は仕事が大変でしょう。
でも仕事があってよい、ともいえます。
彼らも(楽して給料)とばかり言われたくないでしょう。

郵便や金融機関は(濡れ手であわ)。

こういうところはいつも国が助けてくれます。

クソ腹立つから給付金定期にして永久塩漬けに
したいくらいですが、背に腹は代えられません。
有効に使わせていただきまする。


景気刺激なら金持ちに使っていただくのが効果的です。

定額給付金の効果はかねてから疑問視されていますから
それではなくてお金持ちが景気を浮揚させるのです。

景気が戻れば、より潤うのはお金持ちですから。
いまずいぶん損されているのもお金持ち。

別に優遇をしなくて、逆に絞り込んで使っていただく
政策なんてあっても良さそうなものですが
相続税強化、累進課税拡大、タンス預金の無能化・・

・・・ありえませんかね。

ありきたりで美しい

2009-04-25 13:42:40 | 塾あれこれ
先日も書きました。
近くの公園のクローバーが美しい。

(写真は尾道の町角で何の関係もなく・・)

白詰草も良く見れば茶色がかった小さな花で
特別な長所とてありません。
詰め物として使われていたそうですね。

けれども、緑から一斉に伸び上がり光を散乱している
光景は、瞳にしみるものがあります。
宮沢賢治に聞けば賛同してくれるでしょう。
「なんて美しいんだ」

「美しい!!」はオオゲサで唐突な言い方ですね。
でも実はそれ以上の恥ずかしい思いが過るのです。

「なぜ、かくも平凡なものがこんなに美しく見える?
 もしかして私は死期が近いのではないか?」

縁起でもないと当初は思いましたが、何年も続くと
今は、オオゲサだったんだと納得できています。

好みや美意識が変わったというよりも美しさを見る目
がやっと人並のレベルに上がったという事でしょう。

子供の頃には葉桜の美しさなど分りません。

大人になってベルイマンの映画で、白黒作品でも
森の草原の美しさ、などを分かりはしたものの
現実の自然に向かっては感動はありませんでした。

美しさを見る目が育っていなかったわけで、
それだけでもずいぶん損をしてきたなあ・・


虚弱体質であったのですが低空飛行なりに安定はして
いました。なにしろ入院の経験がないのです。
各種診察券は取り揃えているのにね。

それでも数年前は57を越えられるか、と心配でした。

いやね、具体的な根拠は何もありません。
ただ、バクゼンとそう思ったのです。

理由は父が57で死んでいたから。
それを越えられるワケがないと。

カミサンに言うとアホかと笑われそうで、内緒。
「どっか悪いんちゃう?いやアタマのどこかが」

オヤジはシベリア抑留で死にかけて帰国したので
長生きは到底ムリだったのですから。

57を何ともなく平凡に過ぎたら今度は還暦。

それを迎えている自分が想像できませんでした。
たった数年後のことなんですがねえ。

で、今年正月還暦を迎え、先ごろ満60の誕生日をすぎ
どうということなくだらだら生きているのです。

『リーさん一家』みたいでしょ?


上記のように平凡な、しかし美しいものたちを見ても
「明日の今頃は生きていないのでは」とオオゲサ病が
出てきます。

でも悲愴ではなく不安でもなく、そんなもんかもしれぬ
という淡々とした感じです。
悟るほどえらくはありませんが、だいたいは生きちゃった
あとはオマケという感じですね。

といいながらきっと病気にでもなれば大騒ぎするに
決まっているタイプなんだよね。


また極平凡な「少年老い易く」が浮かんできます。

平凡な思考回路ですねえ。

でも近頃の人は言わな過ぎないか、とも思うのです。

♪眠ってるあいだに、夢見てるあいだに、時は流れ
 過ぎてゆく、子供の頃はもう夢の中・・

中高一貫

2009-04-24 22:27:06 | 塾あれこれ
ご近所のS女学園。
私どものような小さな塾にまで学校の説明をしに
回ってこられます。

「営業」を担当されているかたではなくて教員が
手分けしておられるようです。
まったくご苦労なことで、嫌だなあと思われる
先生もおられるのではないでしょうか。

折角頂いた情報ですから参考にして以下を書きます。


S女学園は中高一貫と高校からと二通りのコースが
あります。

今年に限らず中学からの卒業生の大学進学率が良い
のだそうです。
今春、中学からのコースは卒業総数42名
その中で国立合格者が6名います。
阪大、東京外大、広大、島根大ですから立派です。
(ウェブサイトにより細かい情報があるでしょう)

分母の割合から考えると頑張っていますね。
更に中学入試の偏差値を考えると随分伸びていると
言えるのではないでしょうか。

じつはもう一つご近所のS学園も似た傾向にあり
中学からの生徒が頑張っているようです。


中高一貫教育のメリットが喧伝されていますが
その影響もきっとあるのでしょう。

その学校の美点を早く身につけることも良いのかな?

私はそれらのほかに少人数で面倒見よく育てられた
ことも大きいと思います。

ただそれは積極的に少人数教育を、と考えられたと
いうよりも経済情勢その他から入学者が少なかった
それが良い方に作用したのかもしれません。

中学から入った子は中学受験の勉強をしていた、と
いう理由も挙げられそうですが、ちょっと弱いか?

一貫教育で順調に育つと中学の基礎学力、さらには
学習態度の確立ができるので高校になっても学力が
伸びるのでしょう。
受験校ではなく学園生活をエンジョイしながら力を
伸ばせるのはそういうことです。
普通は高校受験があるほうが勉強して一貫のほうは
中だるみというイメージだったですけれどもね。


大学受験の結果だけが教育ではありません。
そればかりを追うと弊害が出るかもしれませんね。

ここで話題にしている学校ではありませんが六年一貫を
全うできず途中で転校なんてこともしばしば耳にします。

好成績も今だけの一過性の現象かもしれません。

経営的に中学から大勢来て欲しいので、中学からの生徒の
指導で必死さが増すのかもしれません(冗談!)

それにしても高校受験でスベリドメとして入ったので
テンションが上がらないということはないのでしょうか。
高校受験の弊害だとしたら、塾の営業に差し支える
ことになりますよね。

カンで言うと公立中学の勉強が怪しいようです。
塾もという危険性も見えます。


中学から私立だと経済的に大変です。
現在は消極的に選択している人もおられるかもしれませんが
メリットは結構あるかもしれない、という話でした。

お年寄りの古い観念を打破しなければいけませんね。

立ち聞き・・

2009-04-23 22:15:08 | 塾あれこれ
ブログのジャンルを探したけれど「健康・病気」は
ないですね。
何にもないときは、私「学習」にしますけど。

今日の話は、正確には(立ち聞き)ではなく
(座り聞き)

電車の中でどうも聞きなれた声がするのです。
そっと確認するとやはりそうで、私の存じ上げている
お医者さんが後ろに座っておいででした。
隣の方と話をしていらっしゃいますが、ご相手の耳が
不自由らしく、声が大きくなっていたのです。

「ええ、リハビリは続けられないと。
 そう、大変ですねえ。
 もしかすると退院された後リハビリが不十分だった
 かもしれませんね。」

「担当のお医者さんは何と仰っておられますか?
 そうだと思いますよ。
 ええ、お医者さんの言われるとおりやられないと」

「痛いですけれど、皆さん頑張っていらっしゃいます。
 涙を流しておられる。
 それでもご自分を甘くされてはいけません。
 子育てと同じなんです。
 甘くすると、あとあと良いことになりませんね」

聞いている私も耳が痛い話です。

「人間って、つい甘くなりますよね。
 でも最後はご自分が困られるんですよ。

 周りの方の負担になってもいけませんよね。
 良くはならなくても悪くはしないように」


以前ならばピンと来なかった話ですが自分が怪我をして
良く分る話になりました。

もっと高齢になると「転げないように」
そのまま寝たきりになってしまうから、と言われます。

頭では分っているつもりのことも実際になってみると
「ああ、分かっていなかった」と思います。

中学一年のときだったか
『少年老い易く学なり難し』と習いました。
いま還暦になって実感しますね。

あっという間にこの年になってしまった。

若い人には「すぐ年取るぞ」って伝えねばなりません。
実感してもらえないことを承知の上でね。

勉強って大切だぞ、ってね。

どうもこういうお説教じみた話が最近は世間では
少なくなっているのではないでしょうか。
特に若い社会人に向けて。

また団塊オヤジがえらそうに、ではありますがね。

そう文句いうアラフォーあたりが若い人をスポイル
している面はないですかねえ?


写真は、暫く前尾道にて。
狭い路地でした。

廿日市・穴子の炊き込みご飯

2009-04-22 10:25:25 | 塾あれこれ
廿日市で静かに食べられるステキな店があります。
和食です。
市役所を北へ少し上った辺り。

近年、不精でめったに外食をいたしませんが、
ちょっと記念日でしたので。

美味しく戴きながら(名画だなあ)と気づきました。

雪舟でもフェルメールでもよいのですが、名画は
①構成がしっかりとしている
②表現は上手なだけでなく統一感がある
③人を惹きつける特徴がある。
 (フェルメールの光の処理はこの③)

さて食事ですが、刺身などを頂いた後炊き込みご飯に
なりました。
あとでこの店の人気料理の一つと知りましたが
地穴子を使った炊き込みです。

いまは廿日市市である宮島あたりではアナゴメシが
有名です。
(うな重風に穴子が乗っています)
「名物に旨いものなし」・・かな?

それとはまるで違う、穴子を刻んで炊き込んだ
ものです。

お味は・・

①構成
  立派な土鍋で炊いて供されます。(形だけ土鍋、じゃない)
  材料は米、穴子、生姜といたってシンプルです。
  ご飯のもちっとした食感+穴子のふわっと+極細
  生姜の歯ざわり。ここまで絞り込んだ組み合わせの
  センスが光ります。

②統一感
  全体に薄味でまとめてある店のようでした。
  ご飯の塩加減が絶妙、あっさりだけど十分。
  淡い出汁、かすかな穴子の脂、繊細な生姜の香り
  このハーモニーが見事でした。
  食べていない人には分かりませんよねえ。

③惹きつけるインパクト
  フェルメールは光の粒を効果的に使っていますが
  細かく刻んで散らしてある穴子は量を少なくして
  その代わり香ばしく甘辛い強い味がついています。
  ほかの料理の後だけに少量だということもあるので
  しょうがそれより炊き込みご飯自体のバランス重視。
  つぶっとした穴子の味が口中に広がると、フェルメ
  ールに見る光の宝石のような美味しさでしたね。 

いや、よい仕事をされています。
値段も至極リーズナブルでした。


話は飛びますが、私の好きな同時代人
芸術に限ると八代目正蔵(今の脱税正蔵じゃなく、先代)
笠智衆、河原崎国太郎、熊谷守一、オイゲン・ヨッフム

ハデではありませんがきちんと道を歩まれた方たちです。
自らの藝術を受け止めてくれる人への目配りがあります。

逆に
円生、カラヤン、梅原、先代勘三郎などは道を究めたと
言われていますが、好きではありません。

あざとさを感じるのです。

客より芸術家としての自分が大切で
「おれの芸術だ、わかったか!」と言い散らしますね。
本当は自信がなかったのではないか?
スタジオ芸が多いですよね。


私に何があるか?
偉大な人の後に続けるのは「をこの沙汰」ですが、
立派な方にはるか及ばずとも何か良い仕事をした
人たちは大勢おられます。

翻って自分は・・
サラリーマン時代、何を遺せた?
塾で何が出来ている?

お辞めになったけれど近所の菓子輔。

おじいさんがずっとおはぎを作っておられました。
さほど有名でなく終わりました。
でも、良い仕事でした。


何事かをなす、そのことの大切さをこんな私が
伝えられるでしょうか。

ひとさまの悪口だけなら結構言うのですが
自分の仕事となると自信がありません。

口で言うだけでは仕方ないのでねえ。

実にくだらない

2009-04-21 15:03:55 | 塾あれこれ
塾をやっていて一番のフラストレーションは学校の変な部分。
ヘンにさせられてしまっている部分、というべきかな。

例えば、国語の試験。
なぜと聞かれたら(~から、~ので)と答えるきまりらしく
それができていないと減点。
こういうのが未っだに!あるのです。

私には具体的な材料は手元にありませんが、そういう
採点だと生徒が言います。
(私も条件次第ではそういう採点をしますが
 問いのあり方、答え方次第ではこだわりません)


もし外部から学校の先生が質問を受けたらどうでしょう。
木で鼻をくくって「採点基準ですから」かな?

(なぜそういう基準ですか?)
「昔からこうですから」「受験の採点でそうですから」

更に、でもナニナニとねばると
「私だけ変更するわけにはいきません」

お役人ですからそういうものかもしれません。
その柔軟性のなさが子供達を○×思考にかりたてるの
ですが「役人だからやむをえないのです」などと
生徒や保護者に謝る先生っておられるのかしら?
おられないのではないですかねえ。

一番の被害者はだれ?
そんな仕事でよいのでしょうか?


あるいはこのような先生がおられます。

「~のやりかた、私は教えていませんよ。
誰に習ったの、どおーっせ、塾でしょ。
私は教えていませんからマルになんかできませんよ」

そういうおそれがあるとすれば塾は生徒に伝えざるを
えません。

「学校ではこんな先生がおられこともあるから君らは
損をしないように、なぜと聞かれたら、~からと答え
なきゃいけないよ。本当はツマンナイことだけどね」

情けない話です。
なんで低レベルに合わせなきゃならないのでしょう。

ある程度理解が早い子にはそれで通じます。
そうでない子にはとりあえず学校と同じようにしない
と混乱しやすいし、損をする恐れが強いですね。

何とかの片棒を担ぐ話でフユカイ極まりない!

なぜ一人ひとりを見られないのでしょうか。
なぜ幅広くとれないのでしょうか。
まさかご自分が忙しいから、ではないですよね。

学者とかエライ先生の話で、そうなんですね、と
目を開くこともありますが、上記事情で
扱いが難しいのです。
例えば、インド式算数でもよいのですが、つい学校に
あわせますよね。
私も根性がない・・


学校批判ではないので念のため申し添えます。

塾だって一杯いますから。

私だって気づかずに沢山変なことをしているに
違いありません。

落ち着いて幅広く見てゆきたいものですが。

「お、何々、どう考えたん?
 ええ!えらいなあ、なるほどねえ。
 帰ってお母さんに塾で褒められたと言いなよ。

 ねえ、も一つ、こんなやり方もあるよ。
 どう?ん~ピンとこないか。。僕の負けだね」

こんなには出来ないですけれども・・・