ことばは変わる

2009-09-30 17:48:29 | 本の話
田中克彦著『ことばとは何か』講談社学術文庫

田中先生は「ことばは変わる」と言われます。

確かに、人間の文化が変われば言葉も変わります。
「代掻き」といっても多くの日本人が分らなくなり
昔人間の私に「ログイン」がぴんと来ないように。

また言葉は使われていくうちに意味が変容します。

古くからある「かはゆし」現代語で「かわいい」は
平安時代では(恥ずかしい)や(可哀相)の意味で
使われていたようです。
若い女性に「オジサン、かわいい」とか言われて
にやにやするのはいかがなものでしょうかね。


誰かから「きさま!」と言われると殴られそうですし
「往生せい」なんて畳み掛けられると参ります。

元々は「貴様」も「往生」も良い言葉だったのですが。

日本語には、使い続けられるうちに悪い意味に移り
新しい語が代わってプラスイメージを担う
ということがしばしばあるようです。

アパートよりマンションが良さそう。

言葉と言葉の影響も大きいですね。
特に日本語は外来語をよく取り入れます。


ところで、言葉は保守的であるから意味が通じる
という面があります。
というか、それが基本です。

イヌはイヌというから通じるので
イナとかイネにしろと言われても困ります。
将来はエヌになるかもしれませんが
私の一生の間くらいはイヌでお願いしたい。

サバークでどうか、なんて止めてよね。


今は言葉の変わりようが激しくなっています。

(何気に)とか(ヤバイ)とか聞くと腹立ちますね。

本来と反対の方向に使うのは若者の無意識の反抗
かもしれません。
それに大人が乗ってはいけません。

教育関係者でも(校長クラスで)
「nantarakantara desu。 なので・・」と話を接ぎます。
迎合もいい加減にして欲しいですね。

そういえば大学の先生にも日本語がオカシイのが
よくおられます。
狭い専門の部分しか勉強が行き届かないみたい。

逆に無知で、みょうな日本語をしゃべるオバカ
の方が、勢いがあってよいかもしれません。
田中先生なら100%認められるでしょう。

何しろガチガチの学校文法を諸悪の根源と見て
おられるようですから。


でもメディアの発達した現代では言葉の変化が
従来とはまるで違うスピードで進みます。
田中先生はそのことへの言及がありません。

どんどん変わるに従って混乱も大きくなる。

「ばあちゃん、これ食べたらヤバイ」
「はい、先生の教えを他山の石とします」

これでは困りますね。

嫌われても大人がチェックしなければいけません。

マスメディアに見る言葉の乱れは、団塊の世代などが
若い子に嫌われまいと見逃すから進行するのでしょう。
役人と同じで、定年まで良い給料を貰って、ロコツに
嫌われなければよい・・かな?

言葉がダメでは、少なくとも文化を引き継げないでしょう。

国際人となるためには日本文化の習得こそが大切で
その基本は日本語にあると言うのに。。。

それを見て見ぬフリをしてきた大人の罪は重い。

たしかに「言っても聞いてくれません」けれどね。

どちらがサクの向こうだろう

2009-09-29 18:30:49 | 塾あれこれ
今日の広島は雨がパラつく天気でした。

数日間夜散歩に出ており、何時から来たのかさだか
ではないのですが、本日の散歩のとき川面に鴨が
いました。
早いですね。

まだ十羽ほどですが。

これから更に渡りを続けるに違いありません。
中秋の名月をどこで迎えるつもりでしょう?


かなり前からシギ、チドリ類も途中下車しています。
上記の写真は今月中ごろです。(二羽います)

障碍物があれば安心だと分っているようですが
ふと、どちらかがオリの中にいるような気もします。


同じ頃、半年ぶりくらいにカワセミを見かけました。
今年は、一月と二月に一度ずつ見たきりでした。

「おお生きてたか」

川面に低く突き出した枯れ草に一羽止まって
水面をじっと見つめています。

ちょっと宮本武蔵の描いた絵に似た構図でした。


それにしてもカワセミを見るときはいつもカメラを
持っていません。
カメラを持って散歩は面倒だし。
携帯電話は持たないし。

らしい格好が嫌なんです。
それはそれで一種の自意識過剰なんだけれど。

腕を直角に曲げて元気よくWALKINGなんて
オバサンを見ると「何がうれしいんだか」
とか思ってしまう・・

望遠カメラを持って鳥を撮影している人なども同様で
なんだか馴染めません。


鳥は自然に合わせて行動しますが、こちらはいつも同じ
時間に散歩です。
河口は潮の干満の影響で鳥と出会うチャンスが
それほど多くはありません。

鳥のいそうな時間に散歩をするとか、場所を変えるとか
追っかければもっとチャンスは増えるのでしょうが
それもやりたくありません。
ストーカーみたいでヤだね。

普通に歩いてて、ひょっと出くわすのが面白いのです。

ADD注意欠陥障碍

2009-09-28 18:19:22 | 塾あれこれ
大人の病気を若い人にも「持ってくる」話に
昨日、少し触れました。

反対に子供の病気を大人に広げることもあります。
ADD Attention Deficit Disorder
(=注意欠陥障碍とも注意力欠如障碍とも訳します)
これなども成人ADDがよく言われます。

忘れ物・落し物の多い私も、かなあ?

この病気に多動性が加わるとADHDという最近
よく耳にする病気になります。

ADHD Attention-Deficit Hyperactivity Disorder
(=注意欠陥多動性障碍)多動性は活動性とも訳します。
行動が「ハイパー」なのです。

他の子に同調できず授業中に教室内を動き回るなんて
見聞きされますよね。

昨日触れたPMDDは病気であるか怪しいとも言われ
ますがADHDは一応病気として認められます。

ただし、学者により定義も違い、従って患者数の推計も
数%~10%以上と幅広く、ただ単に落ち着きが無い
とか活発な子とか、教室での教師の力量のなさからくる
行動をADHDと疑うなんてこともあるようです。


なお障碍者の方を漢字制限から障害者と書くことが普通
ですが、加害性があるみたいで良くないことです。

上記もdisorder=不調、ですから「障(害)」は良くなく
障碍と書くべきと思います。

随分前に高島俊男さんの本で知っていたのですが、一般に
(障害)が使われているのでついそれを書いていました。
これからは極力注意しましょう。


さて、当塾に通われていない方からご相談を受けることが
あります。

子供のことでお悩みのとある母親から電話がありました。

色々と聞いてみるにそれは普通はADHDなんてものでは
ないのではないか。
専門家ではありませんから勝手な素人判断はできないと
断った上で「でも多分昔からよくおられる、活発なというか
落ち着きが無いというか、それじゃあありませんかね」
と申し上げますと

「ええ、検査でもそう言われました」 
 ・・・・→ちょっとズッコケ

それなら、たかが塾に聞かれなくても、なのですが
親というものは子供さんが気になるのですねえ。


ADHDという言葉をご存じなければクダンのお母様も
検査に連れて行くなどというご心配はなかった筈です。

どこかが不安を煽っているせいかもしれません。

検査して、万が一病気だったら軽いうちに治したい。
よい治療法や、効く薬もあるそうだ。
生活様式や食事、補助栄養食品なども知っておかねば、
そういう気持ちになるのは当然でしょう。

私だって少し具合が悪いと上記の反応をします。

薬には強弱はあれど副作用があります。
薬に頼ることで基礎的な体力、免疫力を落とすかも
しれませんね。
でもつい、ささっと治したいですから。

ところが長期的に見て害があるかもしれない。
抗生物質を不正確に使用して耐性菌を作るお手伝いを
しているかもしれません。


我々も新しいことを知らねばなりません。
仕事上でその知識=言葉を使うこともあります。

もちろん煽ろうなんて気持ちはありませんが
結果として、言葉を広め、煽る方向にわずかでも
手を貸していることになりはしないか。

昔から大勢いた落ち着きの無い子を
病気にしてはいけませんよね。

親の不安を上手に利用している産業もあるはず。
近頃は成人ADHDで薬を売っているとか。

いくつからが高血圧?

2009-09-27 14:52:14 | 塾あれこれ
子供の頃、親戚のオジサンが高血圧、なんと200超とか
いう数字を聞いた覚えがあります。

映画の『寅さん』のおいちゃん、森川信演じる車竜造も
そういう200超のイメージで見ていました。

もっともそれは私の思い込みで、お医者さん世界では
すでに200から違う数字だったかもしれません。

その数字が、気がつくたびにいくつから高血圧との
基準値が下がるのです。

あくまでもイメージですが(調べればよいのでしょうが)
200じゃない180から高血圧だ、
それが160、140となってきました。

先日健康診断でいわゆる上が130下70で
高血圧予備軍みたいな言われ方をして驚きました。
120~139が一種の高血圧とは・・

10年前の私が110~120だったからもう少し
下がったほうが健康にはよいと思います。
最近の医学でそうなんでしょうが、高血圧とはねえ。

医学の進歩とはいえ「どこまで下がるねん」
という気もしますね。


人々の意識も高まり、健康な人が増えてきたので
注意喚起レベルが下がったのかしらん。

お商売にもプラスでしょ?
薬を売る会社も、健康食品とか周りの産業も
健康意識が高まると有難い。

・・いつものようにナナメに構えてしまう私ですが
リスクの宣伝に煽られているのは間違いありません。

ばかな、と思いつつメタボとか気になるし。


いや、医学そのほかの進歩を否定はしません。
どんどんと色々なことが分かってきています。

20世紀に入った頃から分り始めたアルツハイマーは
戦後みんなの知る病気になりましたね。

メタボなんて21世紀になってからじゃありませんか。

確かに欧米の方など中年以降の肥満が目立ちます。
人間が変わり、社会が変わると気をつけるべき病気も
次々と(脚光を浴びる)のです。

日本人だって肥満が増えているし、かくいう私も
ちょい太~それ以上レベルで醜いし。

でもメタボメタボと煽られるのも嫌ですネエ。


医学の進歩は国民の健康を増進し、幸せな未来を
導きます。
長い目では、社会問題たる医療費対策にもなります。

何よりも、自分自身が痛いとか不自由とか嫌ですから
健康志向になります。

私などですら若干気にはなります。
体重とか腹回りとか色々。

でも良いことを勧めている反面、そのことが
不安を煽っていることにもならないでしょうか。

その傾向は病気でない世界にもつながります。

町で頭髪の薄い方を見かけなくなりました。
ときたま、ミエミエのオジサンを見かけると
そうまでするか?なんて不謹慎な感想をもちますが
社会の方が、周りの人間の目が、そうさせているので
彼は被害者とも言えます。
ウィグって安くないのでしょう?

若い女性、色白でよろしいけれど、色黒の方が肩身狭く
ないですか?
いろんな産業に煽られていません?


更年期障害って病気?
ひどくなるとつらいとは聞きますけれど。

最近はPMDDなんて「病気」も言われます。
月経前不機嫌性障害ですって。

つい先日もニュースで若年性更年期障害が増えている
というものがありました。

健康を呼びかけながらどこかで不安を煽ってやしない?

(つづく)

『歌謡曲の時代』

2009-09-26 15:42:33 | 本の話
FMでリトル・エバの『ロコモーション』が流れていました。

懐かしいですね。
色んな人がカバーして最近もヒットしていますが
やはりリトル・エバが良いですね。
流れたのはCDでなくレコードでした。

EVERYBODY'S DOIN' THE BRANDNEW DANCE NOW
カモン ベビー ドゥ ザ ロコモーション

ロコモーションというダンスは(ええか?)ですが
歌声は素晴らしい。

でもこの歌詞を見ると、歌詞なんか実はどうでもいいか
と思いますよね。


阿久悠著『歌謡曲の時代』新潮文庫、です。

もしかすると最後の大物作詞家かなあ。
近年は作詞家の影が昔より薄いですからね。

特に彼はヒット曲が多い。
あれも、これも・・・

好きな歌詞も多いですね。

『舟歌』『青春時代』『街の灯り』『北の宿から』
『津軽海峡・冬景色』『時代おくれ』『熱き心に』
『時の過ぎゆくままに』『また逢う日まで』
『おもいで岬』『林檎殺人事件』『ジョニイへの伝言』
『もしもピアノが弾けたなら』『勝手にしやがれ』
・・まだまだあります。

(熱いハート)を持ち続けようよ、つねにそう言われ
ていたと思います。

現在の教育界にも訴えるハズですが、残念ながら
今の若い先生は上記の歌の数々をご存じない・・・


特殊な技術が必要な世界でしょう。
音に厳しいセンスがないといけません。
その上で一番二番と話を進めてゆくのです。
並大抵の腕で出来ることではありません。

その上、時代を半歩先に行く感受性と
もちろんたっぷりの詩心。

一般人に届く平易な表現で勝負するのは大変です。

ん~、悪口もいえますよ。
発想は○○じゃないかとよく分るものがあります。

『青春時代』ってポール・ニザンじゃん,、とか。
ご自身でも映画その他発想の元などを書いておられ
ます。


短いエッセーを99ほど揃えた本です。

一つ一つ濃密で文章が上手い。

ただ、千葉のピーナツを旨いうまいと食べ続けると
飽きるように、気持ちが篭った短い文を続けすぎると
おなかが一杯になりますね。

学生服の大風呂敷

2009-09-25 09:46:03 | 塾あれこれ
またも半世紀前の話です。
広島の公立中学は頭を坊主にしなければなりません
でした。
それだけの理由で私立中受験をしたバカ息子は
親の経済状態など眼中になかったようです。

広島は当時すでに中学受験が過熱しており
我が家から比較的近いS学園も一応難関校、
親はあわてて塾に私を行かせました。
半年強の通塾です。

合格したときはサスガに嬉しかったですね。
同じ小学校の音順に受験番号がふられており
発表番号に470、471、472となっていた事を
はっきり覚えています。
と言いたいが410、411、412かもしれません。

アベ、アラキ、イノウエの順です。

制服には白線が入っており胸をはって着たものです。

ちなみに最近東広島の山中で自然と共に生きる達人?
としてミニコミ誌を賑わせているアベ君が470番

同級の現広島県知事は山中のアベ君チに泊まることも
あるそうです。
自然と生きるとは大変に羨ましい話ですが気力体力とも
私には備わっておりません。

アベ君に「お前、塾しょーんなら生徒を連れて来いや。
自然学習も必要じゃ」と誘われたのですが
しり込みしているのは、上記の極私的な理由からです。
情けないね。


横道でした。

難関校受験合格の誇りを具体化してくれるものの一つが
制服です。
(不合格でも自信がつく勉強の仕方はあります)

それを不満が残るやり方で、望まない学校に行き
しかもそこの評判が良くないとすると
制服が反対の機能を果たしがちになります。

「ど~せ」
「これ着てたらどこの学校かモロ分り・・」

これには打つ手が少ない。
世間の目が冷たいのに通学途中にその制服で
どうアピールできるでしょうか。
著名校生徒なら比較的可能なんですがねえ。


よい面もある制服ですが、悪い面を考えると
学校がはっきり分る今の制服には疑問をもちます。

制服が私服よりもメリット大とするなら、少なくとも
学校が分らない、各学校共通の制服にすべきでしょう。
全国一律にしてその代わり一シーズンで200種くらいの
中から選択できるようにします。
夏服・冬服・春秋と3種で合わせて600程度。

これならユニクロに頼めるでしょう。
きっと安く出来るし、一定の公的支援もやりやすい。
自分に似合うものを探せるし、余裕がある家庭なら
日替わりで制服を変えるなんてこともアリ。

余裕が無いところはお下がりなんて楽々。
兄弟が違う学校でもよいのです。

デメリットは、どの学校か分かりにくいから
文句など通報しにくい。

それと地元の制服業者とかデザイナーの仕事が
なくなること、これは大問題ですが、構造改革
なんですよね。
段階的に移行するしかないでしょう、

国民全体の負担を考えると結論は出るはずですがねえ。

制服で威張れるなんて事はなくなります。
制服が可愛いからの学校選択もなくなります。

でも、人間って中身勝負だから。

それに、与えられたものを着るよりも自分で選択すれば
国民全体のセンスも上がると思うよ。

桶狭間も長篠も

2009-09-24 11:32:32 | 本の話
織田信長。
軍事や政治の天才。....かな?と

桶狭間の迂回奇襲作戦や長篠の鉄砲三千挺三段撃ちは
史実に反する、どこにもそんな記録はない、という
ことを書かれた本があります。

我々が教科書などで学んだのと、どちらが本当か
興味がある方はご一読を。

藤本正行著『信長の戦争』講談社学術文庫

織田信長のどこが優れていたか、
どういう欠点があったか、が分りますし
後世の日本軍にまでつながる問題でもあったことに
改めて深刻な思いを抱きます。


織田信長に近く仕えた太田牛一という人が書き残した
『信長公記』を大元にすえた研究です。

この本そのものの資料としての扱いにくさを語り
長所も示した上での記述ですから信用度が高い。

世間に良く知られる「天才織田信長」のあれこれは
江戸時代になっての物語であると指摘します。
物語りとは小瀬甫庵の『信長記』などです。

この説明は説得力がありますね。

明治になって日本軍の大本営が編纂した『日本戦史』が
十分なテキストクリティークをしないで江戸時代の
物語を採用しちゃったものだから、のちの学者も
それを孫引きして(常識)が出来上がっちゃった。

軍事のプロがまとめたものですから信用しますよね。

織田信長は幸運にも篠つく雨のお蔭で今川軍のすぐ傍を
気づかれずに通り抜け今川本隊を急襲できたとか
長篠の合戦で千挺ずつの一斉射撃を三段構えで連射を
繰り返し武田勝頼を大敗させた、とか。
ホントウ?

言われてみればかなり不自然な(歴史)なのです。

いや長篠は鉄砲で勝敗は決まっているのですよ、
千挺ずつ三段での一斉射撃がありうるか
そういう記録が残っているか、なのです。

信長のすごさはそういう奇を衒うものとは違い
現代に通じる合理的なところにあるようです。


『信長公記』をどれほど信頼するか、の問題はあります。
学者によれば意見がいろいろありそう。

それより著者が有名大学の先生でないためなかなか世間が
耳を傾けないということもありそうです。

東北の旧石器遺跡を捏造したFS氏は学会をリードして
いました。
それであんな手口が可能になったのです。
いったんそうなるとオオウソに学者でも引っかかる
~ちゅーか、惰性なんですね。

それが逆に働けば、たとえおかしくても(常識)は
なかなか変わらないものです。
学者も群れて行動しますから。


大本営の『日本戦史』を学んだエリート参謀たちは
桶狭間の迂回急襲を強く意識していたようです。
特に日米戦では日本の物量が劣勢だったから
一発逆転を狙うのですね。
そうして大敗を繰り返してしまった。

辻正信のムチャクチャの数々などは典型例でしょう。
(ノモンハン、ポートモレスビー、ガダルカナル
 拉盂玉砕・・・)

その教科書たる「桶狭間の奇襲」が間違いであった=
根拠は江戸時代の物語でしかなかったとしたら
多くの兵士の死は浮かばれないでしょう。

(追記)
本年3/30に少し書きました井伏鱒二『徴用中のこと』
にも辻正信のことに触れた部分があります。
かなり危ない人柄が浮かんできますね。

あの寿司屋は○○党

2009-09-23 09:56:46 | 塾あれこれ
あの寿司屋さんは○○党だから行かない、という
タイプですか?
それとも政治など気にされませんか。

ご自分が心臓手術を受けるとしましょう。
A先生は嫌いな△党だが手術は上手い。
B先生は支持する★党なんだが手術は下手。

どちらの先生が宜しいですか?

ハハ、これは究極の選択で。かねてより私が嫌うこと
ですが、たとえ話としてお聞き下さい。

ABどちらでも構わないのですから。
好き好きにされたらよろしいのです。


九月は学校説明会が多い月と書きました。
S先生、昨年倒れる前に○校の説明会でお話をしたな、
あの席だったな、なんて思い出します。

先生は奥様も亡くされ友達などと写真を撮ったりが
趣味と伺いました。
花火とか、野鳥とか。

昨年は「阿波踊りを見てきた、撮影場所が難しかった」
などと話しておられました。
私が「え?宿を取るのが大変でしょう」と言いますと日帰り
バスツアーだとかで、その体力には感心したものです。

仕事ではマシンとかITとかも、よく研究されていました。
このブログを始めたころ「ブログってどう?」と
訊かれたことがあります。

個人的な意見が表に出すぎるので営業にはよくないと
正直に感想を申し上げました。

「そうだろうね」と仰り、話はそれきりでしたが
もう少し追加を申し上げるべきでしたかね。

それが(寿司屋の支持政党)です。

中には政治的な偏りがある塾もあるでしょう。
でも普通は子供への押し付けはないと思います。

では個人的な意見は持ってはいけないか、
塾のブログに一定の考えが滲んではまずいか?

そんな寿司屋さんには行かないという人もおられる
ので、色が強いことは営業にマイナスでしょう。

でも「気にしないよ、寿司を食べてるときに説教を
されるわけじゃないから」という人もおられます。

昔、中国で四人組が失脚した後、小平が
「白いネコでも黒いネコでも鼠をとればよいネコ」
という名言を吐きました。

クリーニング屋さんの支持政党をチェックしますか?
塾は別ですか?
生徒に押し付けをしていますか?

私は(子供に向けニュートラルであるためには
自らの意見をよく知っておくべき)と考えます。
そのほうが押し付けにならない。
無自覚があぶない。

簡単に言うと、ブログを読んで行かないと仰る方との
関係は出来ないほうがよいのです。
あとで「え!こんな人だったの?」と引っかかるよりも。

けれども、勤めているときにこんなマネはできません。

そんな日本社会にちょっと異論がある私、でした。


とはいえ、ブログを見て通塾を検討してやろうなどと
言われる方は殆どおられません。

これで集客を考えているわけではないのですが
それでも、ちょっと寂しい気もします。

反対に、塾行かないとなったケースは多いでしょう。
sigh・・・・

神楽坂・伊勢藤

2009-09-22 10:53:00 | 塾あれこれ
かれこれ40年近く前よく通いました。
「いせとう」と読みます。

ネットで見るといまだ健在、それほど変わっていない
様子ですね。

神楽坂を牛込見附からずっと上って毘沙門天の向かいを
右へ折れると暗い路地があります。(当時の話)
ぽつんと門口の灯りがともる和風建築が「伊勢藤」
江戸時代のような雰囲気でした。

お酒を静かに頂く(居酒屋?)です。
大きな声を出すような酔っ払いは厳禁なのです。
酔客が店に入ろうとしても断られていますね。

夏でも冷房がなく、貸してくれる渋団扇片手に燗酒です。
ビールなど無かった、今もそうでしょう。

カウンターの向こうに座敷があり、囲炉裏を切っています、
炭火が熾り、周りの灰に燗のための容器が差しこんである、
そこにチロリが入ります。
灰を通した熱の湯せんが燗によいのでしょう。
チロリも分厚い錫だったと思います。

私が行き始めたのは昭和40年代の後半、オバアサンが燗を
つけておられましたが、しばらくして息子(たぶん)に
変わりました。
そのとき酒の味も微妙に変わったのを記憶しています。
オバアサンのほうが柔らかかった。

もちろん酒の銘柄など一切変わらず、ただ人が変わった
だけですが、今もあの方が燗をつけておられるとすると
きっとオバアサンの味になっておられるでしょう。

サスガに夏は、ぬる燗から始まります。
銚子を重ねるごとに燗の温度が少しずつ上がり、
ほどよく酔わせていただきます。

ほろ酔いで外に出たときの気持ちよさったらない。
冷房が効いていたら外に出てムっとしますよね。


静かに飲む店ですから、一人で居たいときによく通い
ました。

一度隣の人の銚子代わりのときに、「ま一杯だけ」と
つないであげようとして店のご主人から「それは」
ピシリと注意されてしまいました。

いまでも厳しく客を育てているんでしょうかね。

ちなみに隣に座られた方と話をするのは構いません。
あのときは宮内省で雅楽をしておられる方だった。

話が盛り上がって、ついね、一杯だけとやって
マナー違反を言われたわけ。

人が多い町だからできる商売でしょうけれど
今のノリで若者が行って排除されてるンだろうねえ。


写真は伊勢藤とは何の関係もありません。
ザクロの木に実がなっていたのですが写真じゃ見えない
ですね。尾道の天寧寺です。

お客様は神様か

2009-09-21 11:04:15 | 塾あれこれ
塾を始めたごろ気にいらないことがいくつかありました。
その一つについてのグチです。


『20世紀少年』に言われるまでもなく、永六輔は
ずっと前から三波春夫をたいへん評価していました。

私は特に万博の前の彼が好きです。
壮絶な世界を通り抜けた明るさと
底にかくれた暗さがありましたね。

彼の有名なセリフが「お客様は神様」
当時もそこまで思う人が少なかったので
松下幸之助より上の言い方ちゃう?と驚いたわけ。


ただし、私みたいな小さな人間にはそれは難しい。

営業をするこちら側の肝に銘ずべきことであって
顧客の側が意識することではない面もあります。

昔の日本人はまだ旧来の感性が残っていたので
客のマナーは悪くなく
三波春夫式でもギスギスしませんでしたが
アメリカを真似た風潮の昨今はいけません。

アメリカ式競争社会を清浄な方向へ引っ張ってくれる
宗教心が日本社会には希薄ですからその分原理主義的に
なり、メチャクチャな人が増えている?

商売の向こう側もこちら側も同じように
人間なのだということを忘れている人がおられます。

金さえ払えば、とJR駅員に威張り散らす勤め人。
今日は客だと日ごろのストレスをぶつける営業人間。
飲んだら変わる「先生」


何だか話が長くなりそうな悪い感じ・・
ダラダラと書くのは努力不足だ、と生徒に
言いつつ・・ですよ。

それでも、始めちゃったから話を続けますが
塾に問い合わせなどでお電話を頂戴した場合
中に長電話の方がいらっしゃいます。
(責任の半分は私か?)

多くは一般論なので、最近はブログをお読み下さい
ともお願いしますが、これはこれで分りにくいし。

「勉強しろとは言うんですが、やりません」
などと言われますと、私の考えを申し上げざるを
えません。

すると、いろいろ聞かれて1時間くらいはすぐに
たってしまうのです。
(医者なら金を取れますがね)

終わりごろに月謝など聞かれます。
内容が細かいのでよろしければ資料をお送りしますと
申し上げると「いらない」とも言い難いのでしょう。
しぶしぶ住所を教えてくださる方、
取りに行きます、といわれる方。

こちらも切手代が120円か140円はかかります。

ところが、送りっぱなしで返事ナシが殆どです。

お前の塾には行かない、でこちらは構わないのですが
一言、電話を頂戴してもよいのではないか?
あれだけ喋らせたのですから。

検討した結果行かないのですから、別に悪いことも
何もないハズです。
月謝が高いとか、子供が嫌がるとか、もっと良さそうな
塾に決めた、無料体験したら強引に引っ張り込まれる
かもしれないとか、色々な理由があるでしょう。
こちらの力不足だから仕方ありません。

別に本心を言わなくても、ウソでも構わないのです。

資料を送ってもらったが行かない、という意思表示を
なぜ伝えられないんだろう?
イヤミでも言われる、と思うのでしょうか?

この十年で一度だけ男性の方から「高くて」と
すまなそうな電話を頂戴したことがあるくらいです。

当方は無料体験のワク(在塾生と同じ時間に来て
もらいます)をキープしておかねばなりません。
ご返事はいついつまで、と申し上げるのも高飛車だし
もう解除してもよいかな~来ないだろうな、という
判断がそこそこ難しいのですが、ね。

随分たって「無料体験を」といわれても困るのですが
それでも悪く言われるのはこっちですからねえ。
「資料を送ってきたから慎重に検討したのに
 無料体験のワクも取っていないのか」って。

少なくとも一ヶ月くらいはキープしておかねば
なりません。
その間に別の問い合わせがあるときの損した感じ・・


会社などの組織を相手にしても、個人のミニ塾を相手に
しても、商売していれば皆同じと思われるようです。

塾は塾、お仕事だからみな同じ!

でも、案内1部でも、重みが違うんですがね。
組織が感じる負担とは比べ物になりません。

自由競争だから、という社会になってしまうと
地元の個人商店を枯らしてしまうのです。

本当は、買うほうが人間であれば売るほうにも人間が
いるのですが、機械を相手にするくらいが気楽だ、
という世の中になりつつあります。

教育だけはそうしたくないのですが、ビデオ塾とか
Eラーニングとかが流行っています。
更にやりづらい世の中がすすみそうです。

・・と、グチこぼすと営業にはまた悪い。。。

ではなぜ個人で塾を行うのでしょう。
経営能力の問題もあります。

でも、教育として生徒に向かい合う場合
大きな組織では経済効率が優先されるので
現場での教育そのものが十全になりづらいことが
多いのです。

小規模でブレのない塾こそが、という思いで
小さいことの弱さを耐えている、という面もある
・・なんてグチ大会でした。